ローウェンは、痛む頭を押さえつつ思考していた。
一体、自分の身に何が起こったのだろう。
記憶を整理しよう。
確か、今日は黒歌に館の案内をしつつ、彼女の役割分担を決める事にした。
昨日作っておいたメイド服に着替えてもらい、館の掃除の仕方を教えて、その後……
ゆっくりと思考していくにつれ、ローウェンは首を傾げた。
どう考えても、新人指導の風景でしかない記憶だ。
その後……
その時、ローウェンはガバッと立ち上がった。
そうだった。
その後、自分が『仕事』でいなくなった時の為に、黒歌の料理の腕前を知っておこうと、彼女に夕飯を作ってもらったのだ。
そして、自分がテーブルを片付けている時、キッチンから断末魔の叫びが館に響いたのを聞き、すぐさま現場に駆けつけた。
そこには、少し怒った様子の黒歌と、食べかけのオムライス、そして無残に横たわる美猴の姿。
その時、彼女はこう言ったのだ。
『折角作ったオムライスを、美猴が摘み食いした』と……
そこから先の記憶がない。
つまり、自分は彼女が作ったオムライスという名の最終兵器を口にして、失神したのだ。
……正直、味を思い出せない。
不味い……なんて、次元ではない。
兎に角、あれは最終兵器としか言い様がないのだ。
ローウェンの背筋に悪寒が走る。
「ロウ、起きた?」
「……オーフィス?」
傍らで、自分の足辺りをペチペチと叩くオーフィス。
そこで、自分があのキッチンではなく、自室のベッドの上にいる事に気づいた。
どうやら、倒れた彼を運んでくれたらしい。
と、控えめなノックが響く。
どうぞ、と言うと、ヒョコッとドアの隙間から黒い猫耳が現れた。
「ローウェン……その………大丈夫、にゃん?」
「はい。取り敢えず、死んではいませんよ」
「そう、みたいにゃん。…………あの………えっと………怒ってる?」
「いえ、人其々得手不得手はありますので」
入ったら如何ですか?と苦笑すると、おずおずと黒歌が顔を出した。
その表情は母親に怒られるのを待つ子供の様で、ローウェンはクスッと笑うと手招きした。
それに従い、黒歌は彼の傍まで寄った。
「料理、苦手なんですか?」
「見た目に問題はないにゃん。レシピ通りにも作ってるにゃん。でも、味がレシピ通りにならないの」
「……それは、ある意味凄い才能ですね」
レシピ通りに作って、あの破壊力だ。
ローウェンは溜息を漏らすと、彼女の頭に手を伸ばす。
その瞬間、ビクッと彼女の肩が揺れる。
その様子に気づきながら、ローウェンはそのまま頭に手を置き、優しく撫でる。
ゆっくり、出来る限り優しく……
「これからは、掃除と洗濯を中心にお願いします。料理は僕が受け持ちますので」
「迷惑…だったかにゃ?」
「いえ。掃除や洗濯をして下さる人がいるだけでも、助かりますよ」
あの居候猿は何もしませんので、と悪戯っぽく微笑むと、黒歌もつられて笑う。
と、
「ロウ、我も」
「はい、オーフィス」
撫でろ、撫でろと催促する幼い主に、ローウェンは彼女が望むままに、その髪を撫でた。
オーフィスは満足そうに目元を緩めた。
「さて、夕飯の支度をせねばなりませんね。黒歌さん、材料は残ってますか?」
「……殆ど残ってなかった筈」
申し訳なさそうにシュンとする彼女に、構いませんよ、と柔らかく微笑みかける。
元々、食材はそんなに残ってはいなかった。
オーフィスがその体の4倍以上は食べるし、美猴もそれなりに食べる。
そこに黒歌も加わったのだから、この館のエンゲル係数は正直、ローウェンが毎夜毎夜算盤を弾いても厳しいのだ。
……資金関係はともかくとして、食材も3日に1回は買い出しが必要となる。
ベッドから立ち上げり、小さな文机の引き出しからチラシを取り出す。
今日の特売関係を確認する為だ。
「……今日はスーパーがお安い様ですので、少し買い出しに行ってきます。黒歌さんは引き続き、館の掃除とオーフィスのお世話をお願いします」
「……そうね。外には、まだ出ない方が良さげみたいだし、ローウェンの指示に従うにゃん♪」
仮にも、彼女は指名手配犯。
未だに追っ手も出ている、と風の噂で聞いた。
その為、黒歌は滅多な事がない限りは館にて、掃除、洗濯やオーフィスの話し相手をしている。
「ロウ、我も行く」
「オーフィス?……いえ、今日は僕一人で行ってきます。今日の特売は込み合いますので、オーフィスは危ないです」
ムゥ……とむくれるオーフィスの髪を撫で、ローウェンは苦笑する。
昔、美猴がまだ居候していない時に、館に一人では危ないと思い、共に買い出しに行ったことがあったのだが、その時は押し寄せるおばさん軍団に成す術なく流されたオーフィスを、ローウェンは血相を変えて探した事があった。
その時の教訓により、特売等の人が賑わう場所へはオーフィスを連れていかない様にしているのだ。
正直、また流されでもしたら探し出せる自信がない。
「オーフィスの事は任せるにゃん」
「はい。お願いします、黒歌さん。では、オーフィス。買い出しに行って参ります」
コクッと無言で彼女が頷いたのを確認して、ローウェンはゲートを開くとその中へと消えた。
◆◇◆◇
「卵、人参、お魚………それから、保存の利き易い缶詰も欲しいですね」
降り立った商店街には、夕日が射していた。
人通りのまばらな道を、チラシを片手にローウェンは歩く。
量は出来るだけ確保したいし、栄養バランスには人一倍気にかけねばいけない。
無限であるオーフィスが病気にかかるということは滅多にないが、それでも健康に気を使う事は彼女の従者として、当然の事である。
昨日の献立は確か肉だった筈なので、今日は魚にしょう。
それから、黒歌が今回の失敗で落ち込んでいた様だったから、彼女が気に入ってくれた白身魚のパイを作って、早めに元気になってもらわねば……
そう考えて、ふとローウェンは首を傾げた。
何故、黒歌を心配する必要があるのだろう?
彼女は、所詮はオーフィスの盾とする為に拾った駒に過ぎない。
その駒に必要以上に手をかける意味はない筈だ。
しかし……と思う。
彼女は一生懸命に仕事をこなしてくれる。
あの居候猿とは段違いに、である。
そう考えれば、これは手にかけるのではなく、当然の報酬と言えるだろう。
そう、これは彼女の仕事に対する報酬だ。
別に甘やかしている訳ではない。当然の返しだ。
そう考えが纏まった所で、ボスッと何かとぶつかった。
あれ?と違和感を感じ、下に視線を向けるとそこには小さな旋毛が見えた。
どうやら、子供とぶつかってしまったらしい。
「……すみません」
「いえ。お怪我はありませんでしたか?」
今のは、自分の前方不注意が原因だ。
道端で考え事など不謹慎だな、と内心苦笑しつつ、少女へ穏やかな笑みを浮かべながらすみませんでした、と謝る。
ふと、少女の姿に違和感を覚えた。
彼女が身に纏う制服は、この町では見慣れた駒王学園のモノだ。
となると、彼女は高校生だという事になる。
てっきり、小学生が親のお使いで買い出しに出ているのかと思った。
「連れがすみません。………何か?」
「あ、いえ。少し知り合いに似ていたもので」
どうやら、見過ぎていたらしい。
彼女の連れらしき青年が、不審そうに自分を見る。
いや、あの視線は不審ではなく、不思議なモノを見ている、の方が正しいのかもしれない。
ズキンッと頭の奥が痛んだ。
「それでは」
彼らに一礼をし、ローウェンは人混みの中へと消えた。
背中に彼の視線を感じる。
また、ズキンッと頭の奥が痛んだ。
「一体……」
まだ、あの料理のダメージが残っているのか、とも思ったが、そうではない。
何かが、自分の中で引っかかる。
自分は、彼に何かしらを感じているのだろうか?
いや、彼とは今日が初対面の筈。
その証拠に、彼も自分が誰なのかを理解している様子はなかった。
だから、あの不思議そうな目をしていたのだ。
………不思議?
「あの目の意味は……」
足を止め、人混みの中から彼を見る。
既に、ローウェンの目からでは見つけられないが、確かにまだ彼が自分を見ている事を感じられる。
彼は、不思議そうに自分を見ていた。
あれはまるで……いない筈の人間に出会ってしまった様な、そんな不思議と不安の入り混じったモノだ。
ズキンッ、ズキンッと痛みが鼓動を打つ。
彼は誰だ?
そして、自分は何を知っている。
痛みは答えをくれない。
しかし、これだけは確信が持てる。
近い将来、彼は自分の前に立ちはだかるのだろう。
命の取り合いをする為に………
ローウェンは視線を逸らすと、目的地まで足を進める。
その表情には、今までになく楽しげで冷酷な嗤みを浮かべている事に気づかぬまま………
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