比企谷八幡がイチャイチャするのはまちがっている。 作:暁英琉
カリカリ、カリカリと慣れ親しんだ四百字詰め原稿用紙に黒鉛を滑らせていく。六方晶系の黒い炭素が真っ白な紙の上に文字を成し、それが連なって文となっていく。さしたる意味を持たなかった文と文が合わさり意味のある物語へと変貌する。
頭の中に存在した世界が現実で形を成す瞬間は痛快の極みだ。物書きというものを職にしてから何度も辞めたいと思ったものだが、なんだかんだと続けているのはやはり何かを作り上げるという行為が好きだからなのだろう。
一度入ると驚異的な集中力、とは担当編集者の評価だ。学生の頃からそうだったが、没頭すると周囲の音がなくなり、大抵のことは気にならなくなる。……まあ、以前そのせいで担当からの再三の電話に気づかず叱られてしまったのだが。……あそこまで怒ることはないだろうに、カルシウム不足だろうか。
「ふう……」
ただ、いくら集中できるとは言っても限界はある。高校時代同級生だった完璧の塊のような社長令嬢や弁護士と医者が親なんていうラノベキャラかよと突っ込みたくなるようなトップカーストの主にも欠点があったように、我の集中力も六時間もすれば切れてしまうのだ。
一人称を見てこれを読んでいる皆の衆はお気づきだろうか。そう、我は剣豪将軍材木座義輝である。八幡かと思ったか? 甘い、甘いぞ諸君。マックスコーヒーコーヒー抜きくらい甘いではないか! ……それもはやただの練乳であるな。
齢二十と八つ、一応“小説家”と臆面もなく名乗れる地位にいる。先月は初めてのサイン会も開催できたのだぞ。うれしいことではあるのだが、コミュ障にあの催しはなかなかに辛い。やはり我は孤高の存在……ふひっ。
高校の頃も生活の大半を執筆に充てていたが、強制される学業もない今は真の意味で小説中心の生活を送っている。出かけるときも大体取材であるからな。
今も新しい小説を一つ書き上げたところだ。我の自慢はその圧倒的執筆速度である。調子のいい時は二週間で一冊書き上げるからな。もはや新生西尾維新大先生と呼ばれるのも時間の問題であろう……と前に担当に漏らしたら、調子に乗るなと原稿で叩かれた。紙だって五百枚も集まれば凶器になるというのに。
「あやつは我の扱いがぞんざいすぎる」
「誰がぞんざいですって?」
「っ!?」
突然後方から響いた声に振り返ると、作業場と一つ続きになっているリビングのテーブル――一人暮らしなのに見栄を張って四人用を買ってしまった。将来への投資だと信じたい――に担当編集様が腰を下ろしていた。社会人ということで短く切り揃えられた髪は、しかしどうしようもないのか一房だけピョコンと跳ねており、読書の最中だったようで若干猫背気味に文庫本を開いていた。
「電話にも出ないし、チャイムにも反応しないから勝手に上がらせてもらいましたよ、材木座先生」
パタンと本を閉じると、どんよりと気だるげに八割くらい瞼を開けた目を向けてきた。こうして文字に起こしてみると、こやつの容貌特徴しかないな。
そう、我の担当こそ皆大好き比企谷八幡なのだ。高校を卒業してから我が電話をするくらいしか接点がなかったが、こやつはあろうことか大手出版社に就職を果たしておった。そして小説大賞で遺憾ながら大賞を受賞した我と八幡は受賞会場で再会し、しかも偶然にも小説家とその担当という関係に至ったのだ。我を担当することを知った八幡の顔を我は一生忘れないであろう。……この世の地獄かと思うほど露骨に嫌そうな顔をしておったからな。あの時ばかりは高校時代並みに目を腐らせておったし。
「というか、今日は打ち合わせの予定でしたが、ひょっとした一冊書き上げたんですか?」
仕事中の八幡はよせと言っても敬語を解かぬ。旧知の仲だというのに他人行儀なのは悲しいが、あの八幡がちゃんと仕事をしているだけで我嬉しい。さすがに専業主夫になっていたらドン引きしていたところであったからな。
机に広げていた数百枚の原稿用紙をまとめていると、少しだけ目を丸くしながら近寄ってくる。高校時代は事あるごとに一蹴してきていた八幡を驚かせることができるのはちょっとした優越感に浸れていい。これでも一応プロ小説家であるからな。ワナビだったころとは違うのだよ。
「そうなのだ。先週頭にインスピレーションが浮かんでな。打ち合わせをする暇さえ惜しくて先に書き上げてしまった」
「一週間で書き上げるって……また記録更新ですか……」
賞賛を通り越して逆に呆れられてしまった。まあよい。こんなことは中途半端に高スペックな八幡にはできないことであるからな。我は特化型ハイスペックなのだ。
「で、どんな話なんです?」
さすがに一冊分の本をこの場で読むことは難しく、本の卵を受け取りながら問いかけてくる。我自身の作り上げた小説だ。あらすじを伝えることなど造作もない。
だから我は、今世紀最大の決め顔でこう言った。
「百年後の未来からタイムスリップしてきた主人公が、時空の歪みでファンタジー世界と混成した現代日本を救う物語だ!」
「…………」
…………。
………………。
あ、あれ? なぜハチえもんは無表情になっているのだろうか。我の決め顔そんなに微妙だった? というか、なんか原稿用紙がグシャッって歪んでる気がするのだが。それ我の傑作小説なのだが……。
「材木座」
「な、なんであるかな。ムハハハハ……」
「その笑い方やめろ」
「アッハイ」
ドカッと机の上に腰を下ろし、無表情のまま原稿に目を落としている担当様の声はひどく平坦で、いつのまにか我への敬称も敬語もなくなっていた。端的に言って怖い。初めて雪ノ下嬢に酷評された時より怖い。
「お前、職業なんだっけ?」
「……小説家、です」
居住まいを正して何とか答えると、担当様は一瞬だけ瞑目して首を横に振った。そして再び原稿を読みながら――速読で読んでいるのであろう。既に六枚目だ――表情を崩さずに問いかけてくる。
「なに小説家だっけ?」
「えっと、あの……」
「…………」
「……………………歴史小説家……です」
白状しよう。確かに我は念願の小説家になったのだが、高校の頃から書いていたライトノベルではなく歴史小説なのだ。毎年名だたるライトノベルレーベルの小説大賞に応募し続けたが、何度応募しても一次選考落ちでむしゃくしゃしていた時になんとなく目についた歴史小説大賞に応募したのが最大最悪の失策。あろうことか大賞を取ってしまって
「歴史作家:材木座義輝」の肩書にガッチリとハメられてしまった。
なぜ息抜きに書いた適当小説があんなに高評価を受けてしまったのか。某お船のゲームをやっていた時に調べたことを適当に脚色して書いただけだというのに、ネットでの評価はどれも大絶賛なのだ。おかげでおいそれと「適当に書きました」なんて言う事も出来ず、高校の頃からずっと歴史小説ばかり書いていたと嘘をついてしまった。
「お前時々ラノベの原稿こっそり書いてくるけどさ、なんでラノベになると主人公自分でヒロイン満載ハーレムになるんだよ。未来から来た主人公の一人称が“我”とかおかしいだろ」
「そう……でしょうか。キャラが立ってていいのでは」
「よくねえだろ! つうかこの『異世界にある宝物庫から多種多様な武器を出す』って能力で敵を「雑種」って言ってる時点で駄目じゃねえか! パクんなって言ってんだろ!」
あ、やっぱダメかぁ。なんかノリで押し通せるかと思ったけどダメかぁ。
「しかし、お前ほんとラノベ書くと文章力ガバガバになるよな。歴史小説の方は最初読んだときゴーストライターでもいるのかと思ったくらいなのに」
ほんとなんでなのだろうか。それは我にも分からない。分かる人間がいれば我に教えてほしい。
「もうパッと読んだ時点でボツ。うちでも指折りの稼ぎ頭がこんな駄作出版したら大問題だ。会社が潰れるまである」
「そんなに……」
ひどくない? 八幡ひどくない? ジャンル違うとはいえ我プロだよ? さすがにそこまで酷評されるような出来なわけがないではないか。
「じゃあ、試しにこれ小説サイトにアップしてみるか?」
「それはやめろ! 顔の見えないのをいいことに酷評してくるような奴らに見せたら我が死ぬ!」
ハッ! つい過去のトラウマを思い出してしまった。ハハハ、仮に投稿したとしても我の作品が酷評されるなんてありえはせんわ。……絶対投稿しないが。
「別に匿名で投稿サイトとか同人で書くのは構わねえけど、うちで出版するのは歴史小説一本だ。分かったな?」
「はい……」
まあ、サイン会を開けるまでになれたのは八幡が担当だったから、というのも大きいので担当様の意向にはそうそう背けるものではない。こやつ社内では「新人ブリーダー」なんて呼ばれているらしいからな。ほんと、なんだかんだできる男よ。……チッ。
「つうか、今歴史作家で十分売れてるんだから、どの道当分はこれ一本で行こうぜ。この間発売した新刊も売れ行きいいんだから」
確かに我の本の売れ行きはいい。小説家デビューするまではフリーターだった故極貧生活が続いていたが、今では下手な社会人よりいい収入を得ているだろう。
しかし、しかしだ八幡よ。我は金のために小説を書いているわけではないのだ!
「歴史小説では……声優さんとお近づきになれないではないか!」
「動機が不純すぎるわ!」
しょうがないではないか。本が売れても平均購買層は三十代四十代なのだぞ? 十代二十代で我を知っている人間などほとんどおらぬし、歴史小説ではアニメ化はほとんどありえん。サイン会だって来るのはおじちゃんおばちゃんばかりで、若くてかわいい声優さんとお近づきになる機会は一切ないのだ。成功者のはずなのにある意味苦行とかおかしいではないか!
「アラサーにもなって夢見すぎだろ。付き合うなら普通の人と付き合えよ」
「それ、貴様にだけは言われたくない」
マジでこやつにだけはそんな夢のないことを言われたくないのだ。戸塚殿から言われるのはよくてもこの比企谷八幡からは絶対に言われたくない。いや、戸塚殿が言う事は大抵許せてしまうから比較対象としてはおかしいかもしれないのだが。
閑話休題。
まあ、八幡とて前世からの縁を持つ相棒。大抵のことは許容できよう。だがしかし、「声優とお近づきになるなんて夢見すぎだ」なんて文言だけは一切許すことはできぬ。
なぜなら――
「アニメ好きに知らぬものがいないほどの人気声優、一色いろはと付き合っているお主が夢見すぎなどと言うな! しまいには泣くぞ!」
「泣いてる。もう泣いてる」
総武高校の生徒会長を務めた一色嬢は大学生の頃に――八幡の勧めで――声優オーディションに応募。合格したかと思えば甘い声、整った顔立ち、トーク力であれよあれよという間に人気を博し、今季アニメでは六作も出演している人気声優になっている。
そして、あろうことか八幡はその一色嬢と付き合っているのだ。しかも事務所公認! 我の夢を八幡が叶えるとかおかしいであろう! おかしくない? おかしいよね? なんでこうなった? 神様残酷すぎない?
……失礼、少々取り乱してしまった。まあ、そもそも一色嬢が声優になる前からこの二人付き合っておったのだが、だからと言って納得できるものでもなくてだな。未だにちょっと複雑な心境になるから我に対して声優の話をするのはやめてほしい。……そもそも話題を出したの我だった、テヘペロ。
「キモい」
「痛い!?」
殴られた! この人殴りました! グーです! ものっそい固めたグーです!
……二十八歳のテヘペロは普通にキモいな。我に至っては高校時代からキモいまである。……ぐすっ。
「ったく、お前がラノベだの一色だの話題を逸らせるせいでもうこんな時間じゃねえか」
腕時計を確認してため息をついた八幡は原稿の束をファイルに挟んで鞄にしまう。一応持ち帰ってくれるのだな。さすが八幡、優しい。我は信じておったぞ! というか、未だにこやつ一色嬢のこと苗字呼びなのか。もう八年以上付き合っておるのだから、いい加減下の名前で呼べばいいのに。いっそのこと結婚しろ。末永く爆発しろバカップルめ!
「というわけで、改めて次の小説の打ち合わせをしましょうか、材木座せ・ん・せ・い?」
「ぇ、あ……はい」
再び仕事モードに戻った八幡に逆らうことなど不可能な我である。つうか、ちょっと怒ってない? 我の心の中読んだ? 我もお主のことは好きだが、それはちょっと怖いぞ相棒よ。
些末事は意識の脇に追いやって仕事の話を進めていく。内容はもちろん歴史小説で、我の一番書きたいものではない。嫌いではないのだがな。
高校時代に思い描いていた夢とは少し違ってしまったが、なんだかんだと今の生活を楽しんでいるのも事実なわけで、少なくとも後悔はしていない、と言えるだろう。
まあ、ラノベ作家デビューを諦めたわけではないがな。また今度仕事の合間にこっそりと書くとしよう。
後日、あのラノベ原稿を八幡が匿名でサイトにアップして当然と言わんばかりに酷評され、三ヶ月ほどラノベを書こうとも思わなかったのは別の話だ。八幡ひどい、でも許す。
結構前に「コナン・ドイルって歴史小説で売れなくて半ば適当にホームズ書いたら売れちゃって苦労したんだってね」って話をしてたときに思いついた材木座に真逆の立場になってもらおうってお話。八色風味なのはご愛嬌。
個人的に材木座って天井がないとどこまでも突き進む性格だと解釈しているので、史実である程度のルートが決まっている歴史小説とか架空戦記モノを書かせると案外大成しそうだなって思ってます。本人が納得するかは別として!
ハチトツの和気藹々とした雰囲気も好きなんですが、ハヤハチやハチザイみたいな殺伐というかオブラートなしのぶつけ合いをする関係も書いてて面白いと思います。八幡が徹底的に無遠慮になるのが個人的に好み。あ、もちろんホモの話ではないです。男友達的なサムシングでね?
少しお知らせを。冬コミまで一週間ほどになりましたが、pixivにサンプルを上げています。URLは活動報告に貼ってあるのでよろしければ。
他メンバーも各々サンプルを投稿していますので、興味があればそちらもご覧になってみてください。
それでは今日はこの辺で。
ではでは。