比企谷八幡がイチャイチャするのはまちがっている。 作:暁英琉
夢というのは不思議と認識できることがある。
それはあまりにも現実離れした内容の時だ。空を飛ぶ夢やファンタジー。現実離れすればすればするほどそれを夢と認識できるものだ。
「せんぱい……」
だから、これは夢で間違いない。一色がこんなあざとくない笑顔を俺に向けるわけがないのだ。
多少素の笑顔を俺に向けることはあっても、こんな、慈愛に満ちた笑みを、俺に向けるなんて……ありえない。一色いろはにとって、比企谷八幡という人間はただの便利な先輩というだけの存在なのだ。
だから、これは間違えようのない夢。俺が夢想した夢。だからこそ気づいてしまうのだ。自覚してしまうのだ。
俺は、一色が好きなのだと。
お笑い草だ。理性の化物、自意識の化物と言われた俺が、懲りずに恋をしているのだから。
しかも、決して叶わぬ恋だ。葉山隼人が好きだと明言をしている彼女にこんな感情を向けるべきではない。この感情を悟られるわけにはいかないのだ。あざとく、しかしひたむきに努力を重ねる彼女の心に要らぬ刺激を与える権利は……俺にはない。
俺はただ、後ろ向きに、卑屈に生きる。比企谷八幡が比企谷八幡であるためにそう誓ったのだ。叶わないのなら、せめて少女の幸せを願いたいのだ。
「せんぱい……」
だから、そんな声を上げないでくれ。そんな切なそうな表情を向けないでくれ。それが夢だと分かっていても、鼓動がはずむ自分に吐き気がするのだ。
「せんぱい……私は……」
お願いだから、早くこの幸せな苦痛から俺を解放してくれ。頼むから……頼むから……。
必死にもがく意識の中で、俺は、なにかを掴んだ。
それは温かくて、優しくて、包み込むように俺の意識を浮上させた。
***
「せ、せんぱい……?」
「……ん?」
瞼を開けると、顔面が柔らかいものに包まれていた。黒を基調としたそれは学校の……ブレザー……?
「っ!?」
慌てて飛び退くと、視界が開け、顔を真っ赤にした一色が目に入る。どうやら、寝ているうちに彼女に抱きついていたらしい。俺、寝相そんなに悪いわけではないんだが。
「すすす、すまん……っ」
「い、いえ……別にいいんですけど……」
お互い赤面。いや、さすがに今拒否されると恥ずかしさのあまり窓から飛び降りる勢いだったから助かった。本当に申し訳ないと思っているけど。
少し落ち着くために深呼吸をしつつ周囲を見回してみると、最近ではだいぶ見慣れてしまった景色。生徒会室の中だった。
「もう、せんぱいってば仕事中に寝ちゃうなんてひどいですよぉ……」
そういえば、今日は一色に生徒会の仕事を手伝わされていたのだった。正直、夏休みの受験生にそんなものを手伝う義務はないと一蹴したかった……いや、したのだが。“本物”だの“責任”だの、俺には一色に対して弱みが多すぎるのである。逃げることはできませんでした。辛い。
「すまん……」
「だいたい終わったから別にいいですけどね~。せんぱいも受験勉強とかで疲れているでしょうし」
そう思うなら仕事を手伝わさないでくれと思うが、口には出さない。実際、一色に会うことを楽しみにしていた自分もいるのだから。
生徒会の手伝いを、時々葉山との恋の手伝いをするだけの先輩後輩関係。それが俺達の関係だ。そこに後退はあっても進展はない。だから、そんな理由ででも一色に会えることが、俺には嬉しかった。
「いや、手伝うって言ったのに寝ちまった俺が悪い。何か他に出来ることはないか?」
依頼が終わったら一色といられなくなる。俺は必死に何か別の仕事を求めた。この姿は滑稽に見えていないだろうか。いつもと違うと思われてはいないだろうか。そんな不安が生まれるが自身を止めることができない。
「ほ、本当にいいですから……。それに、本来の目的はこれからですし」
一色の声が次第にフェードアウトしていき、赤くなりながらもじもじと身体を揺らす。後ろ手に回していた一色は何か覚悟を決めたようにその手を前に突き出してきた。
「せんぱい! 誕生日おめでとうございます!」
「……え?」
一色が持っていたのはかわいらしいラッピングのされた小さな箱。
あまり自体に思考が一瞬止まるが、いまさらになって今日が八月八日、俺の誕生日なのだと理解した。友達はおろか、最近では家族に祝われることも久しい誕生日。それを、彼女に覚えてもらえていて、あまつさえ祝ってもらえたという事実は嬉しすぎて、思考が完全に飛んでしまうほどだった。
「あ、ありがとう……これ、開けてみてもいいか?」
「はい!」
好きな少女からのプレゼントがこんなに嬉しいものだとは思わなかった。きっと一色からしたら「どうでもいい先輩の誕生日覚えている私すごい」アピールや「葉山先輩にプレゼントを渡すための練習台」くらいにしか思っていないのだろうが、それでも嬉しいものなのだ。
叶わぬ恋。届いてはいけない想い。けれど、いやだからこそ、せめて心の内でこの瞬間を喜ぶことくらいは許されるはずだ。
丁寧に包装を解いて、そっとふたを開けて――
「え……?」
思考が、止まる。
そこに入っていたのは銀のネックレス。正直、ちょっとした小物を予想していたので、身につけるアイテムというだけで完全に予想外のものだった。俺なんかのためにこんなものをプレゼントしてくれたと思うと嬉しさのあまり、思わず小躍りしてしまいそうになる。
しかし、その全容を把握したとき、俺の思考は本当に止まってしまった。
ネックレスの先端にあしらわれた白い花のデザイン。白く小さなアザレアの花は、しかし確かな存在感をそこに示していた。
アザレアの全般的な花言葉は「節制」「禁酒」「恋の喜び」。普段の俺なら一色が俺に節制をしろと言っているのかと考えただろう。しかし、白いアザレアには「あなたに愛されて幸せ」という花言葉もあるのだ。
いや。
いやいやいやいや。
そんなわけがあるはずがない。きっとただの偶然なのだ。一色にはきっと花言葉なんて考えは微塵も存在していないに違いない。ひょっとしたら逆に、ここで俺が花言葉について聞いて、いつものようにフるまでの一色なりのギャグかもしれない。ならば、そのどちらにも、もしくはそれ以外にもある可能性も考慮するために一色を観察するべきだろう。
そう思って顔を上げた俺は、思わず息を飲んでしまった。
「……せんぱい」
目の前に相対する一色の声色は澄んだように優しく、その表情はどこか儚げだった。まるで、あの夢からそのまま出てきたように。
あぁ、これは夢だ。
きっとあの夢の続きなのだ。連続夢オチなんて芸がない。これが夢だと確定させるために、手の甲を思いっきりつねった。
……痛い。
俺の痛覚は正常に作動していた。では……ではこれは……。
「せんぱい……私、せんぱいにお話があるんです」
あぁ、そんな声を出さないでくれ。そんな切ない表情を見せないでくれ。思考を止めようとしても、言う事を聞かない思考は俺の意に反して先の言葉を夢想する。理性の化物が、予防線を張ろうとするが、鈍った思考の前ではそれは追いつかない。
「せんぱい……私は……」
紡がれた続きの言葉に俺は……。
八幡の誕生日に書いたSS
久々にちょっとシリアスなラブコメ的なの書きたいなと思って書きました