比企谷八幡がイチャイチャするのはまちがっている。   作:暁英琉

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変わって、変えられて、見守って

「あのな葉山……数学、教えてくれねえか」

 

 それは唐突な切り出しだった。そもそも彼が自分から話しかけてくること自体が稀なのだが、それにしたっていつにも増してなんの脈絡もないアクションだった。

 場所は大学の第二体育館。主にバドミントンや卓球など、狭いスペースでできる球技を行うための場所で、今日は午後から講義のない数人で集まって、バドミントンに興じている。

 彼、比企谷がそんな依頼をしてきたのは、並んで館内の壁を背もたれに一息ついていた時だった。思わず首ごと動かして隣を覗き込むと、当の本人はこっちを一切見ることなく、ネットを張ったエリアで十点先取の試合――という名のお遊び――に興じている学友たちをいつも通りの気だるい目で眺めている。

 いや、少しだけ……焦ってる?

 

「どうしたんだ急に。数学の講義なんて取ってたっけ?」

 

 大学の講義は基本自由選択。そして俺と比企谷が在籍する学部は数学系の講義こそ存在するが、必修科目ではない。そしてこの比企谷八幡という友人――だと俺は思っている――は今遊んでいるメンバーを含めた十数人で行った講義選択会議で「大学に入ったからには数学なんつうもんから一切縁を切る! 数字なんて四則計算ができりゃあ何の問題もないからな!」なんて堂々とのたまった男だ。間違ってもその手の講義を受講はしていないだろう。

 

「や、教えてほしいのは高校の数学なんだが……」

 

 ぼそぼそとまるで言い訳をする子供のように聞こえるか聞こえないかレベルの音量でぼやく彼の言葉に、少し思考を巡らせてみる……必要はなかった。

 

「いろはの受験か?」

 

「ッ――!」

 

 ズバリ言い当ててみせると、気づいてくれと言わんばかりに露骨に猫背気味の身体が強張った。視線だけはバドミントンコートに向けられたままだが、それだって“見て”はいないだろう。たぶん焦点もろくにあっていないと思う。

 俺の後輩とこの同級生が恋人と呼ばれる関係になったのはいつ頃だっただろうか。自分自身が下手に突っつくべきではない人間筆頭だったが故にお節介のおの字もできず歯がゆい思いで見守っていたが、ふと気づいてみればずっと前からそうだったかのように付き合っていた。

 で、一つ年下のガールフレンドは高校三年。あと一月もすれば夏休みなことを考えれば、そろそろ本格的に受験勉強を始める頃か。間違いなく、受けるのは俺たちと同じところだろうけど。

 当然予備校や塾にも通うとは思うが、隣の先輩兼彼氏も教えるつもりなのだろう。普段は何か頼まれたらほぼノータイムで断るのに、たまにありえないほど積極的に世話を焼き始めるから困ったものだ。

 まあ、さすがにここまでするのは彼女であるいろはか妹である小町ちゃんくらいと思う。高校時代も月一ペースでいろはから「せんぱいが~~で困るんですよ!」的な旨の惚気話を聞かされていたし。

 

「あいつ、選択科目は数学にするつもりらしくてな」

 

「なるほどな」

 

 うちの学部の一般入試は国語、数学、英語の三科目から二科目を選択して受ける形式だ。記憶の通りならいろはは英語が苦手だと言っていたはずだから、国語と数学を選択するつもりなのだろう。ちなみに言わずもがなだが、比企谷は国語と英語。この前試しに去年の数学の入試問題を解かせてみたら九点だった。九点ってお前……マックスコーヒー一ダースで釣ったから割と本気で解いてたのに九点って……。

 そんな点数を取る人間が受験生に教えられるはずもない。元来一人でなんでもこなそうとする性格だから、たぶん相当独学で勉強して――挫折したんじゃないかな。昔ほど仲が悪いわけではないが、彼にとって俺を頼るのなんて最終手段の中の最終手段だろうから。

 教えるのは俺としてもやぶさかではない。告白され、それを振った間柄ではあるが、俺にとっても彼女がかわいい後輩であることは紛れもない事実だ。そもそも先輩歴なら俺の方が長いし。

 ただ――

 

「なんなら俺が直接いろはに教えようか? 毎日は無理だけど、週に二、三回は放課後に時間作れると思うし」

 

 それわざわざ比企谷に教える必要はないんじゃないかなと思う次第。明らかに二度手間だし、なんなら九点なんて取る人間に教えるほうが明らかに難易度高い。これでも高校時代は雪ノ下さんに次いで卒業まで学年二位を維持し続けてきた身だ。知らない仲ではないし、直接教えたほうが効率がいい。

 

「は?」

 

 自分としてはなかなかいい提案だと思ったのが、返ってきたのは不機嫌さを全力で乗せた短い音。これがSNSの投稿なら後ろに「(威圧」とかついてそうな、若干凄みのある声だ。

 

「そんなに怒るなよ。冗談だからさ」

 

 まあ、その反応は想定の範囲内――というかド真ん中なので、笑ってごまかしてみるわけだが。余計に睨みがきつくなったけど気にしない気にしない。

 俺といろはの間ではしっかりと決着はついているし、比企谷と彼女の関係が壊れるなんて、今の二人を見る限り想像もできない。固結びのように強固な絆は、いつか彼が求めてあがいていた本物……なのかもしれない。

 しかしまあ、それでもいろはが過去に俺に好意を向けていたという事実は変わらないわけで――

 

「……お前、そういうとこ性格悪いよな」

 

 ようやくちょっとした幸せを掴んだこの捻くれ者はどうしても心配になってしまうのだろう。それだけ評価されている、と思えば、悪い気はしないかな。

 

「悪かったって。それじゃあ、明日から始めるか?」

 

「今日から」

 

「え」

 

「今日から」

 

 本当に君は急だなぁ。俺にだってスケジュールってものがあるのに。……まあ、今夜は特に用事らしい用事もないからいいけどさ。

 それにしても、あの数学嫌いをここまで積極的に勉強しようとするとは……さすがいろは、伊達に二年連続生徒会長をやっているだけのことはある。生徒会長全く関係ないや。

 

「比企谷くーん、葉山くーん! 次入りなよー!」

 

 今日の自炊の予定を某比企谷お気に入りのファミレスに脳内で変更していると、ひとしきり羽を飛ばしあったらしい友人たちが声を張って手招きしていた。短く返事をして背を預けていた壁から身体を離して立ち上がる。

 

「はいはい」

 

 立ち上がった俺の隣で、友人たちに聞かせる気がなさそうな音量で返事を漏らしながら比企谷も立ち上がった。

 相変わらず若干猫背なせいで実数値以上に身長差を感じる横顔を見やってみる。瞳は相変わらずやる気なさげだが、少なくとも嫌々やっているようには見えない。

 二年前の生徒会選挙。あの時こいつと関わってから、一色いろはは変わった。より可愛らしく、より誠実に一途に、実直に。時々見せるあざとさと誰から刷り込まれたのか捻くれた思考も少し混ぜながら、より一層魅力的な女の子になった。それはだれの目から見ても明らかだ。

 けど、それは彼だって同じだ。

 人と関わろうとしなかった彼が、人間関係なんて糞食らえだと一蹴していた比企谷八幡がこうして素直に友人関係を楽しんでいる。楽しめている。

 あの奉仕部という空間も起因しているだろう。生真面目で完璧な幼馴染や、底抜けに明るいあの子の影響も確かにあっただろう。

 しかし、一番の要因は間違いなく彼女だ。小町ちゃんが言うところの捻デレな彼を最も変えたのは、一色いろはという少女に他ならない。少なくとも、俺はそう確信している。

 昔は仲良くなれないとのたまった。嫌いだと互いに宣言しあった。

 

「ペアはどうする?」

 

「……お前以外と」

 

「さすがにひどくないかな……」

 

 今同じ話をするとしたら、きっとまた別の答えを口にするに違いない。

 まあ、そんな話するだけ無駄なんだろうけど。

 

「じゃあ俺が勝ったら夕飯奢りな」

 

「おま、俺今月ピンチなんだけど!?」

 

 決して言葉にしない答えの代わりに、とりあえず今夜から全力で勉強を教えることにしよう。




 はやはちしか出てこない八色っていうのに挑戦したお話。葉山には八幡と同じ大学学部に行っていろんなところに連れまわしてほしいです。
 奉仕部や一色との出会いを経て少し変わった八幡なら、振り回されながらも楽しむんじゃないかなぁ。


 ちょっとここでお知らせを。
 過去に投稿していた「二度目の中学校は“暗殺教室”」シリーズですが、高校編を書く書くと言いながらいまだに全然書いていません。さすがにもう一年くらい経つし、シリーズが増えることになってしまいますが、書き始めようかなとは思っています。
 ただ、今年から生活環境が大きく変わったので、更新ペースはかなーーーーーーーーり遅くなるということはご了承いただけると嬉しいです。

 それでは今日はこの辺で。
 ではでは。

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