比企谷八幡がイチャイチャするのはまちがっている。   作:暁英琉

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★New★解けて無くなってしまう前に。

「…………よし! これでいいかな?」

 

 シャーペンを机に置いて、一度じっくりとさっきまで書き込んでいた紙とにらめっこをする。ほぼ隙間無く埋められた文字列、その内容を確認して、思わず息をついた。まあ最低限、納得できる内容だろう。

 

「うわ、もう外真っ暗だ……さすがに時間かけすぎたなぁ」

 

 のびをしながら何気なく視線を窓の外に向けると、空は群青を通り越して漆黒に染まっていた。まあ、冬至はだいぶ前に過ぎたと言っても、完全下校時刻間際まで残っていれば仕方ないか。

 公立高校であるうちはナイター設備なんて禄に整っていない。グラウンドの方角からは運動部の声も聞こえないし、日が沈む前に引き上げたみたいだ。

 たぶん文化系とか屋内スポーツの部活あたりはまだ残って、そろそろ帰り支度をしている頃だと思うけど――

 

「せんぱいたちは……もう帰っちゃっただろうなぁ」

 

 思い浮かべるのは特別棟四階の部室。奉仕部という特殊な部活は一応文化系に分類されると思うけど、基本的に日が沈む前くらいに活動を終了して解散するのだ。きっと、とっくに皆帰ってしまったに違いない。

 ――せっかくだから、最後にあそこで話でもしたかったんだけどなぁ。

 今日は二月の最終日。そして明日、三月一日は総武高校の卒業式だ。二年生であるわたし、一色いろはは在校生の代表、生徒会長として送る側。

 そして、せんぱいたち三年生は送られる側。学校に来るのも明日が最後。

 結衣先輩は言わずもがなだけど、雪ノ下先輩やせんぱいにもなんだかんだ他のコミュニティがある。私も生徒会長としてやることがたくさんあるし、明日は個人的に会うことはできない可能性が高い。

 だから、せめて今日は遊びに行きたかったんだけどなぁ。

 まあ、仕方ない。今まで書いていたものも、せんぱいたちを送る上で大事なものだ。

 在校生送辞。生徒会長であるわたしから、卒業生の先輩方へ送る言葉。

 別に今の今まで全く手を付けていなかったわけではない。去年のものを参考に今月の頭には既に書き上げていた。

 けど、卒業式が近づくにつれ不安が、いや不満が募ってしまう。

 こんな、当たり障りのない、定型文に当てはめたようなもので本当にいいのか、と。

 いや、いいのだろう。所詮は生徒会選挙の演説と同じだ。一体どれだけの人がわたしの言葉を聞くことか。

 だったら、最低限非礼にあたらない定型文で何の問題もない。

 何の問題もない、はずなんだけど……。

 

「……めぐり先輩たちが聞いたら、怒られちゃうかもしれないけど」

 

 去年の卒業式と今年の卒業式じゃ、わたしの中にある気持ちがまるで違う。

 二つ上の先輩にだって、仲のいい人はいた。だけど、一つ上の先輩たちは、あの空間は、あの人は……特別、そう特別なんだ。

 定型文では伝えきれない。ありきたりでは物足りない。中途半端じゃ満たされない。

 今日の予行練習で自分の中に渦巻いていたもやもやの正体をようやく理解して、書き直しに至ったというわけ。

 

「まあ、その結果がせんぱいと碌にお話もできてないこの現状って考えると……なんだかなぁ」

 

 ただでさえ三学期から自由登校になった三年生とは会う機会が減った。明日を過ぎれば、その少なかった機会もなくなってしまう。

 大学生と高校生になっても、こちらから自発的に誘えば遊びに行けたり――なんて考えたりもしたけど、相手は面倒くさいが服を着て歩いているような人だ。何かと理由をつけて断られるのは想像に難くない。そもそもわたしも来年は受験で忙しいし。

 

「……未練たらたら」

 

 生徒会室を後にして、下駄箱に向かいながら思わず自嘲してしまう。こんなことなら少しでも顔を出しておけばよかった。まあ、それはそれで後ろ髪を引かれて下校まで居座ってしまっていたと思うけど。

 人の気配のない校舎玄関はシン、と静まり返っていて、まだ冷たい空気をより一層冷たく感じさせる。マフラーを巻き直して首元の露出を減らし、身体を震わせて暖を取る。

 早く帰ろう。帰って温かいココアでも飲んで気を紛らわしたい。

 

「…………ん?」

 

 なんてぼんやりと考えながらだったからか、下駄箱を開けた拍子に目に入った見慣れないものがなにか把握するのに結構な時間を要した。

 白地で飾り気のない封筒。ただ、それが下駄箱の中に置かれていた、となれば……ラブレター、と考えるべきだろう。ラブレターらしからぬ見てくれも、男子が送るものとしては極々普通だ。

 しかし、今時下駄箱にラブレターとは珍しい。呼び出しなんてメール一本で事足りるだろうに。それともアドレスも交換していない相手?

 さすがに全く面識ない人だったら反応に困るなぁ、なんて苦笑しながら便箋を取り上げて――

 

「っ……!」

 

 喉の奥がキュッと小さく鳴った。

 封筒の表に書かれた「一色いろは様」の文字。その筆跡を、わたしは知っている。伊達に一年以上関わっていないのだ。見間違えようはずがない。

 せんぱいの文字を、見間違えるはずがない。

 シンプルなシールで留められた封を開けようとして、モコモコの手袋が邪魔をする。何とか封を切っても中にたたまれた紙がなかなか取り出せなくて、あまりのもどかしさに乱暴に手袋を外すことになった。

 家や電車の中で、なんて考えられない。今すぐに中を確認しなくてはと義務感にも似た衝動に駆られ、中身を取り出す。

 夜の帳が連れてくる寒さすら忘れて、わたしは取り出した簡素な便箋に目を落とした。

 

『まず最初に、手紙という形を取ってしまってすまない。たぶん面と向かって話そうとしても、なんだかんだはぐらかしてしまいそうだったから。

 ずっと謝りたいことがあった。去年の選挙のことだ。メリットだのなんだのを揃えて「お前ならできる」なんてのたまったが、正直あの時の俺はお前がめぐり先輩みたいなまともな運営をできるなんて考えてなかった。奉仕部を、雪ノ下や由比ヶ浜を留めるためだけにお前を焚きつけた。

 結果お前は生徒会長になって、クリスマスはしょっぱなから苦労させちまった。本当にすまない。』

 

「……そんなの、知ってましたよ。最初から」

 

 思わずひとりごちた言の葉が、校内の静寂に溶けていく。誰もいない空間で独り言なんてまるでぼっちではないかと苦笑するけど、ついそうしてしまうくらいその謝罪は今更だった。

 そもそも、あの時のわたしはただの依頼者でしかなかった。選挙への勝手な推薦も立ち回りを間違えた自分の自業自得。そんなわたしを優先する理由なんて、せんぱいにはただの一つだってなかった。

 むしろ、もっと残酷に切り捨てることだって可能だったろうに、彼の提示した選択肢はあの時取れた中でもダメージの少ない部類だったと思う。学内でのわたしの地位が安定している現状がその証拠だ。

 ならば感謝こそすれ、恨む理由はないのだ。

 ……まあ、そんなこと言ったところで、あの人は気にし続けるんだろうけど。変なところで頑固だからね。

 

『ただ、実際にお前が生徒会長になってから、お前を推したことは間違いじゃなかったと思えた』

 

「……っ」

 

 一瞬息ができなくなった。気管が焼けたみたいに熱くなって、入ってきた冷たい空気もすぐに熱を帯びる。読み進める目の焦点が不意に揺れてしまう。

 だって……だって……。

 

『雪ノ下みたいになんでも普通以上にこなせるわけでもない。由比ヶ浜みたいに普通以上に多くの人間から好かれるわけでもない。めぐり先輩みたいに周囲を和ませながら鼓舞できるわけでもない。

 お前だからできる柔軟で、いい意味で高校生らしい生徒会があったこの一年半は、俺にとっても楽しい時間だった。

 やっぱ、お前はすげえよ。誰よりもすごい。』

 

 ――そんなこと、全然言ってくれなかったじゃないですか。

 

 部室に遊びに行った時も、生徒会の仕事が行き詰ってヘルプをお願いした時も、迷惑そうに眉をひそめるか、出来の悪い妹を見るようにため息を漏らすばっかりだったのに。

 せんぱいが心の底からわたしに「すごい」なんて言ったのは、去年の冬の、あの夜だけだったじゃないですか。

 周りは皆敵わない強さを持っている人たちばかりで、自分はそんな周りを振り回して巻き込んで、それでなんとか人並の成果を出せる程度の凡人で。

 あの人からも、きっとそんな風に捉えられているんだろうって、そう思っていたのに。諦めていたのに。

 ああ、なんてずるい人なんだ。完全な不意打ちだ。これだからせんぱいの捻デレには調子を崩されるのだ。

 認められていたって分かっただけで、こんなに嬉しいなんて。

 

『そんなお前だから、きっと俺は』

 

「?」

 

 改めて続きを読もうとして、不自然に文章が途切れていることに気が付いて首をかしげる。ここに来てこんな半端なことしますか? ひょっとしてこれがせんぱいクオリティですか?

 少し気を削がれた思いで未完成の手紙を睨みつけてみる。“惚れ直した”ところでこれですか。なかなかいい度胸してますよ全く。

 

「あれ?」

 

 ここにいない本人の代わりに、悪態の一つでも投げかけてやろうかと手元の手紙に再度視線を落として、首を傾げる。よくよく見てみれば、途切れた文章の先には消しゴムで消した跡が残っていたのだ。

 何度も書いては消して書いては消してを繰り返したのか、うっすらと残った書き跡を読み解くことはできそうにない。ところどころ一文字単位なら読めるところもあるけど、文章として把握はまず無理そうだ。

 なんだかなぁ、なんて声を漏らしつつ手紙をたたむ。まあ、そうそう拝めないせんぱいのデレをいただいただけでも十分か。欲をかくのはいけないいけない。

 いい加減寒さが骨身にしみてきた。早く帰って炬燵で温まろう。そしてこの手紙をもう一回読んでにやけよう。

 動きの鈍くなった指先に手袋への名残惜しさを感じながら元通りにしま――おうとして。

 あるものが目に付いて動きを止める。

 封筒の中、まるで隠すように入れられた小さな紙きれ。

 差出人があの人じゃなければ、確認することもなくゴミと断じていたであろう。あるいはそこに何が書かれていたとしても気にも留めなかったであろう。

 けれど、そうだ。今でこそ多少丸くなったとはいえ、元来比企谷八幡という人は捻くれているのだ。

 だからこそ、その意味のなさそうな紙切れをそっと摘み上げ――

 

 ――お前を好きになったんだ。

 

「っ――!」

 

 小さく記された想いを目にした次の瞬間には、外履きをひっかけるようにして走り出していた。

 普段は通らない道を、朧げな記憶を頼りに駆けていく。走るのに向いていないローファーが恨めしい。

 早速窮屈な痛みを発しだす足に顔をしかめながら、何を馬鹿なことをしているんだと心の中の冷めた部分が愚痴を漏らす。仕草をつけるとすれば、やれやれと肩を竦めながら首を左右に振っていることだろう。

 手紙がいつ置かれたのかも分からない。そもそも自転車通学のあの人に追いつけるほど早い足でもない。

 けれど、走りださずにはいられなかった。追いかけないわけにはいかなかった。

 この想いを抑えることなんて、できるわけがなかった。

 

「あっ!」

 

 丁字路を曲がった先に見慣れた猫背を見つけて、思わず声を上げる。なんとか規則性を持って肺を行き来していた空気がいきなり吐き出されて、息苦しさに喉奥が痛くなる。

 わたしの声が聞こえたんだろう。自転車を押していたせんぱいが振り返り、その双眸を見開いて立ち止まった。

 

「わぷっ」

 

「うおっと……!」

 

 せんぱいの前で立ち止まろうと足を緩めたけど、自分の想像以上に疲れていたみたいだ。止まり切れなくてせんぱいの背中に激突してしまった。反射的にハンドルから手を放したんだろう。ガシャンと音を立てて自転車が倒れてしまう。

 

「お前、いきなりタックルかましてくるやつがあるかよ」

 

「だって、だってぇ……」

 

 ああ。今の自分の顔は絶対見たくないし、見せたくない。走るための燃料になっていた感情が、暴れる場所を失って両の目から溢れ出して視界を滲ませ、頬を滝のように濡らす。たぶんお化粧が崩れて酷い有様のはずだ。

 コートの背中に額を押し当てる。ジワリと伝わってくる体温はどこか安心できて、けれど身体の中を暴れまわる感情は逆にどんどん膨れ上がっていく。

 

「ずるいじゃないですか! これでお別れなんて、返事すらさせてもらえないなんて! 人の気も知らないで勝手に全部終わらせようとして!」

 

「っ……!」

 

 見せたくないのに、昂った想いのままに顔を上げてしまう。くっ、と喉を詰まらせたせんぱいは申し訳なさそうに眉尻を下げた。

 ああ、やっぱりずるい。そんな顔をされたら、それ以上憎まれ口も愚痴も叩けないではないか。

 

「……そうだよな」

 

 ぼそりと呟きが聞こえてきたかと思うと、密着していた身体が離れ、少ない露出部分が冷えた空気に晒される。

 反転してわたしと向き合ったせんぱいは「ひっでえ顔してんな」と一瞬だけ苦笑して、すぐに優しい笑みを浮かべてきた。あの夜、わたしのことを「凄い」って言ったくれた時と同じ笑みだ。

 ああ、今思えば。

 きっとあの時には既にわたしの心は決まっていたのだろう。

 それから一年も放置してくるとは、やはりずるい人だ。

 

「言い逃げどころか書き逃げじゃあ、さすがに格好つかなすぎだよな」

 

「そうですよ。しかも勝ち確定なのに逃げようとするんですから……」

 

 臆病な想い人は自信なさげにまた眉尻を下げた。どうやら未だに「負けることに関しては最強」とかいう持論を持っているらしい。

 そのどこか弱々しい表情をじっと見つめる。まっすぐに、言葉を発せずとも想いが届くように。

 

「……はあ。ほんと、格好つかねえなぁ」

 

「ですね」

 

 やがてまた苦笑いを浮かべたせんぱいは天を仰ぐ。そういうちょっと格好悪い部分も好きだとは口が裂けても言えず、短い賛同に留めた。

 群青から漆黒に変わっていく空に向かって大きく二度、息が吐き出された。温度差で白く染まった呼気が解れて溶けていく。

 やがてゆっくりと降りてきた視線がわたしのそれと絡む。よく人の顔から逃げていくそれは、今は放さないとばかりに熱く締め付けてきた。こんな表情もできるのかと、少し落ち着いてきていた心臓がまた跳ね直す。

 もう一度小さく息を吐き出した口が、むにむにと数回もどかしげに擦り合わせられ――

 

「好きだ」

 

 飾り気のない、シンプルな言葉。せんぱいらしからぬ、それ故に本気だと分かる告白。

 解けて消えてしまいそうだった繋がりを離さない意思表示。

 

「わたしも、せんぱいが好き、です」

 

 だからわたしも、シンプルに、実直に、その繋がりへと手を伸ばした。

 

「……ふふっ」

 

「……ふはっ」

 

 しばらくの沈黙の後、どちらからともなく笑いが漏れた。いい加減涙を拭こうとハンカチに埋めた顔が熱い。どうやら存外に恥ずかしかったみたいだ。

 

「……帰るか」

 

「ですね……」

 

 倒れた自転車を起こしたせんぱいの隣を陣取る。ちょこんと袖を摘まんで俯いたのは、見ず知らずに人たちにお化粧の崩れた顔を見せないためだ。決して、今更になって好きな人の隣を歩くの結構恥ずかしいなとか思っているわけではない。

 だからその、全部分かってるみたいに隣で笑うのはやめてほしいんですけど!

 

「むー……」

 

 なかなか笑いが止まないので、少しだけ顔を上げて睨んでみる。謝罪の言葉が返ってきたけど、言葉尻が笑ったままなので説得力が皆無だった。

 まあ、そういうのも悪くないと思えるわけで。何よりも、繋がりがなくならなかったことが嬉しかったわけで。

 自然とわたしも笑みが漏れてしまったのだけど。




 八幡たちの卒業式前日のお話でした。素直じゃない八幡には手紙から入ってほしい。手紙書いてる間、あーでもないこーでもないって何度も書き直してほしい。そんなお話。

 昨年は仕事の環境がだいぶ変わってあまり創作できない一年でしたが、今年はもっと捜索に力を入れていきたいと思います。業務にも慣れてきたからね、たぶん。


 それでは今日はこの辺で。
 ではでは。

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