比企谷八幡がイチャイチャするのはまちがっている。 作:暁英琉
――チリーン。
夏休みという事もあり、少し遅めに起きてリビングに下りると心地よい風と共に澄んだ音色が鼓膜を刺激した。出窓の方を見ると小町が外に足を投げ出しながら座っていた。
「ふ~ん、ふふ~ん」
上機嫌に鼻歌なんぞを歌っている小町の佇む窓の淵には水玉の小さな風鈴がつるされていた。どうやら音色の音源はこの風鈴らしい。冷蔵庫からマッカンを取り出して出窓の方に向かう。
「よう、おはよう」
「あ、お兄ちゃんおはよー」
俺を視認するとにひっと笑いかけてくる。他の女子にやられたらドキッとする上に勘違いしないように自身をいさめるところだが、実の妹相手にそんなことになろうはずもなく、なんだこいつくっそかわいいな、と思いつつ頭をぽんぽん撫でて横に腰を下ろした。あれ? 結局ドキッとしてない? ドキッの意味合いが違うから大丈夫だな。大丈夫だよね?
くぴっとマッカンを口に運ぶと心地よい甘さが舌を刺激する。いつもより少し低めだが、十分残暑というべき気温の中、キンキンに冷えたマッカンの冷たさが心地いい。思わず「ほふぅ」と変な声が出てしまった。やめて小町ちゃん、そんな親父に向けるような目をお兄ちゃんに向けないで。
「ゴミいちゃん変な声上げないでよ」
「す、すまん……」
「罰として、そのマッカン小町にもちょうだい!」
「あ、こらっ」
小町は俺からマッカンをかすめ取るとくぴくぴと飲み始めた。いや、別に兄妹だから間接キスなんて俺はさして気にしないけど、年頃の女の子がそういうことするのはどうなの? お兄ちゃんだから関係ないよね! なの?
「ぷはー、冷たくてあまーい」
「お前、前マッカン飲んでる俺に変な顔してなかったか?」
てっきり小町は千葉県民にあるまじきマッカン嫌いなのかと思っていたのだが……。尋ねると小町は「んー」と口元に指をあてる。ちょっと頬が赤く感じるのは夏の日差しのせいだろうか。
「小町の中で少し意識改革があったんだよ。それに、お兄ちゃんが好きなもので小町が嫌いなものなんてないよ! あ、今の小町的にポイント高い!」
「……最後がなければなー」
くしくしと頭を撫でると気持ちよさそうに目を細める。小町の中でどういう意識改革があったのかは分からないが、俺の好きなものを妹も好きと言ってくれるのは悪い気分じゃない。
「あ、でも飲みすぎはさすがの小町も引いちゃうよ。箱買いしてもすぐなくなるし、お兄ちゃんの身体が小町は心配なのです」
「…………」
飲みすぎかな? マッカンは千葉県の水だから大丈夫だと思うけど……。しかし、妹に心配させるわけにはいかないな。これからは少し飲む量を抑えよう。……家では。
小町から返されたマッカンを再びくぴくぴと口に運んで体内から涼を取る。
――チリーン。
思えば、聴覚を刺激されるだけで少し涼しく感じるというのは人間都合よくできているなと思う。その事実に気付いて風鈴というものを発明した日本人マジ天才。ところで、波の音とか川のせせらぎとかなら分かるけど、なんで風鈴の音で涼しく感じるんだろ。固定概念?
「そういえば、この風鈴もう何年も使ってるよな。もう結構古いし買い替えてもいいかもなー」
「だ、だめだよ! まだ十分使えるし、もったいないお化けが出ちゃうよ!」
「お、おう……」
なんとなく言っただけなのに全力で否定された。もったいないお化けとか久しぶりに聞いた気がする。けどこの風鈴、もう十年近く前からあると思うんだが。カマクラが動きに反応して飛びついたりしてるから割とぼろぼろだし。
「まあ、買い替えなくていいなら別にいいけどさ」
身体をフローリングに投げ出す。マッカンと風鈴の音で心地よい温かさに感じる気温の中、だんだんと瞼が重くなってくる。起きたばっかりなのにまた眠くなるとかまじ優雅な生活。こんなことができるとか夏休みの俺は貴族に違いない。
そういえば、エアコンも扇風機もあるのに風鈴なんて誰が買ってきたんだ?
***
「お兄ちゃん、あーつーいー」
うだるような暑さの中、ぐでーとフローリングに転がっている、今よりもっと小さい小町。たしか、俺が小学校2、3年くらいの頃か。エアコンが壊れて修理に出してしまった上に、出かける前に親父が扇風機を出すのを忘れたせいで涼を取る文明の利器が存在しない比企谷家はなかなかの地獄だった。
「あついよー……」
「暑いって言うから暑いんだぞ」
「言わなくてもあついよー」
いやまあ、そうなんだけどさ。昨日降った雨のせいで湿度も高く、じっとりと額には汗がにじむ。俺もソファーにだらしなく身体を投げ出して、時々身体をずらしてソファーに熱を発散する。すぐにソファー生地がぬるくなるから、ごろごろと転がることになるんだけど。ごろごろごろごろ。
それでも結局暑いことには変わりない。というか、この家にいる限り暑さからは逃げられない。
「図書館とかに行くかー?」
図書館なら空調も万全だし、本を読んでいれば時間も潰せる。俺としては完璧な案だったのだが。
「外はもっと暑いから出たくないー」
妹様はお気に召さないらしい。涼めることよりも出かけることが嫌とかさすが俺の妹と感心せざるを得ない。いや、じゃあどうしろとって話なんだけど……。
「うーん、……あっ」
ソファーから飛び起きて、小町と共同で使っている部屋に行って自分の机に置いてある豚の貯金箱に手を伸ばす。ちなみに割るタイプではなくおなか部分についた蓋を開けるタイプ。蓋を開けて机の上に中身をぶちまける。小銭の種類に分けて財布の中のお金と合わせて金額を数える。
お小遣いを少しずつ貯めていたからだいたい二千円位。相場は分からないけど、足りるだろうか。いや、考えていても仕方がないし、善は急げって母ちゃんも言ってた!
「小町! お兄ちゃんちょっと出かけてくる! すぐ戻るから!」
「え? あ、うん。分かったよ」
めいっぱいお金を入れた財布だけ持って家を飛び出した。暑さも日差しの強さも忘れて住宅街を駆ける。少し行くと、よく買い物に行く商店街についた。いつもは母ちゃんの後をついて行くだけだから、どこに何の店があるのかあまり覚えていていなかったが、うろ覚えの記憶を頼りにキョロキョロと目的の店を探した。
「……あった」
二年ほど前に母ちゃんと一度だけ来た雑貨屋。ちょっとぼろい外装が怖いけれど、勇気を出して中に入った。店員を務めるおばあさんの「いらっしゃい」という声にびくつきながらも会釈をして目的のものを探す。
「……高い」
目当てのもの、風鈴のコーナーを見つけた俺は愕然としていた。正直風鈴なんて千円位だと思ってたんだが、四千円……完全に予算オーバーだ……。ここまで来たのに完全に無駄足だよ。善は急げじゃ駄目だったよ母ちゃん……。
「坊や、どうしたんだい」
後ろから声を掛けられてびくっと震える。おそるおそる振り返ると店主であろうおじいさんが立っていた。
「えっと……あの、その……」
ひとつ自己弁護をしておくが、どもってしまったのは決してコミュ障ということではなく、小学生からしたら知らない大人は超怖い。だってでかいじゃん。だから、このどもりは決してコミュ障というわけではない。決して。
「風鈴、欲しいのかい?」
「はい。……けど、お金が足りなくて……」
お金が足りなきゃ買う事もできない。ここは帰るしかないなと思って店を出ようとすると、おじいさんに呼び止められた。
「どうしても風鈴が欲しいのかい?」
「エアコンが壊れてて、妹が暑がってて。……風鈴だったら俺でも買えるかな……って」
「そうか、妹のためなんて、いいお兄ちゃんだね」
いいお兄さん……なのかな? 扇風機の場所も分からないしエアコンも修理できない。風鈴だって直接涼しい風を送ってくれない。小町は喜んでくれるかわからない。
「そんな優しいお兄ちゃんには特別にこれを二千円で売ってあげよう」
「え……」
二千円。半額の値段だ。そんなことをしてお店は大丈夫なのだろうか。
「いいんですか……?」
「ああ、君みたいな子に買ってもらえたら、この風鈴も喜ぶだろう」
おじいさんはにかっと笑いながらぽんっと俺の頭に手を置いた。その行為は不思議と怖くなくて、むしろ心の奥が温かくなるような心地よさがあった。
「ありがとうございます!」
水玉模様のかわいらしい風鈴を購入して、俺は帰路に着いた。帰りはガラス製のそれを傷つけないようにゆっくり歩いて。
「ただいまー」
「お兄ちゃん、おかえりー。それなあに?」
「へへー」
駆けよってきた小町に見せるように箱を開ける。きらきらと宝石のように光る水玉のガラス細工に小町がわあ、と声を上げた。出窓を開けて、椅子を踏み台にして風鈴を吊るす。少しすると外から穏やかな風が流れ込んできて――
――チリーン。
澄んだ音が部屋に響いた。
「いい音だね、お兄ちゃん!」
「そうだな、綺麗な音だ」
チリーン、チリリーンと風鈴が奏でる音色はどこかやさしくて。なるほど、確かに不思議と涼しく感じる気がする。
小町は隣で目を輝かせながら「すごいね!」「綺麗だね!」ときゃっきゃと楽しそうに笑っている。
“いいお兄ちゃん”というのがどういうものなのか分からない。けれど、小町が楽しそうにしてくれているのなら、俺はそれでいいと思った。嬉しそうにしている妹がなぜだかいつも以上にかわいくみえて――
「ふあ?」
あのおじいさんにやってもらったように小町の頭に手を乗せていた。そのままゆっくり撫でてやると「んふー」と気持ちよさそうに目を細めた。
「お兄ちゃん、大好きだよ!」
「ああ、俺も大好きだよ」
***
そっと意識が浮上する。どうやらあのまま普通に寝てしまったらしい。
「そういえば、俺が買ってきたんだっけ。風鈴」
今考えると、普通に団扇買ってきた方が涼しいまであっただろうに。あの頃から思考おかしすぎだろ俺。まあ、小町が喜んでくれたからよかったけど。
それに、そんな昔のものを今でも大切に使ってくれていると思うと、うれしい。毎年欠かさずに飾ってくれるもんな。
「……ん……」
「ん……?」
そういえば、なんかやけに身体の右側だけ温かいと思ったら、小町が俺にくっついて丸くなっていた。親猫にすり寄って寝る子猫かよ、と苦笑しながらあの時のように小町の頭を撫でる。
「お兄ちゃん……すきぃ……」
「……俺も好きだよ」
こんなベタベタとじゃれあう兄妹関係がいつまで続くだろうか。それは分からないけど――せめて今だけはこの関係を楽しんで、もっと小町の笑顔を見ていたい。そう思った。
pixivにある俺ガイルSS書きのグループであった【夏】をテーマにしたSSを書くという企画で、書いてみたやつです
風鈴って実家だと吊るしてるんですけど、一人暮らしだと付けないんですよね
実家に帰ったら風鈴が吊るしてあったので、なんとなくこれで書こうと思って話を広げました
小町のSSって千葉の兄妹的なあれしか書いてなかったので、こういう普通の兄妹愛っていうのもまったりしててありだなーと思いました
小町SSもっと増えて!