▼ディオドラの苦悩▼
「しばらく見ない間に人間界も変わった。人間とは実に素晴らしいエネルギーを持っている。いや、僕が言える立場ではないか」
リアスと別れた後、ディオドラは一人で街を散歩していた。普段の彼なら眷属と共に歩いていることだろう。しかし今日に限って──実際にはそれ以前から、彼は眷属と共に過ごしていない。
空を見ながらディオドラは回想する。上層部に呼び出されたあの日、シーグヴァイラとのレーティングゲームを前日に控えた日を。
『ディオドラ・アスタロト。お召しにより参上致しました』
『座ってくれたまえ。話は長くなるのでね』
『失礼します』
礼儀としてしゃちほこばって起立していたが、ファンキャットの言葉に軽く会釈をしてから席に座った。やや広めに設計された会議室の中央には円卓が我が物顔で鎮座している。その周りには十人の老人が座り、そして一つだけ意図的に造られたであろう空白があった。
何故、自分は呼び出されたのか。
焦燥を隠せないディオドラに、ファンキャットは涼しげな笑顔で告げた。
『どうして呼ばれたのか焦っているね。焦燥する必要はない。我々はディオドラにある極秘の命令を与えようと思っている。冥界の未来を君に託すわけだ』
馴れた手付きで円卓に現れた魔法陣を弄くるファンキャット。電子的な音が幾度か響き、次いで術式が壁に浮かび上がった。そうして映し出されたのは″赤龍帝の鎧″だった。あの若手悪魔の会合にて暴れる場面がコマ送りで流される。
彼の実力はディオドラも良く知っていた。流石、その一言に尽きる。単純な戦闘能力もさることながら、敵陣の真ん中に飛び込むその度胸やサーゼクスに見せた冷酷な眼差しは対峙した者全てに恐怖を刻んだ程だ。
『……兵藤、一誠』
『冥界の民達は赤龍帝に怯えているのだよ。愛する者を殺される、とね。ならば我々には危険人物を排除する責任と義務がある』
兵藤一誠の殺害──。
そう解釈したディオドラだったが、上層部の一人が頭を横に振った。
『どうやら勘違いをしているな。我々が望むのは抹殺でも暗殺でもない。捕獲だよ』
『……ッ!?』
どうかしている、と叫びそうになったのを彼は寸前で堪えた。
相手はあの赤龍帝だ。古の大戦で聖書の神と初代魔王達を同時に相手取った二天龍の一角なのだ。彼らに劣る者達が挑んだところで勝てる筈がない。しかも上層部は前線を退いて久しい。
にも拘わらず、彼らは捕獲を口にした。
混乱する彼の肩に手を置いて、ファンキャットはほくそ笑む。
『我々はSSS級はぐれ悪魔である兵藤一誠を捕獲することで冥界の心強い矛にするつもりだ』
『汚物とて実力は折り紙付きだ。ならば、その力は冥界の今後を守るために有効活用してもらわなければなるまいよ。忌々しい天使や堕天使、それに魔王派の連中も押し黙るだろう』
『し、しかし! 兵藤一誠の実力は桁違いです! 一体どのようにして──』
気付けば、ディオドラは公園に着いていた。回想をしている間に表通りからここまで流れてきたらしい。住宅街の中に設けられた小さなそれは子供達の憩いの場だろう。
子供が忘れていったのだろうか、古びたサッカーボールが寂しく転がっている。風に押され、不安定に動く様子は正しく今の自分だった。
少し休もうとベンチに視線を移して、彼の思考は停止した。木陰の下で揺れる金髪に見覚えがあったからだ。
「アーシアさんッ!?」
「貴方は、あのときの……?」
アーシアは、焦点の合わない瞳でディオドラを一瞥した。少しやつれている気がした。
「ディオドラ・アスタロトです! かつて貴女に助けてもらった者です!!」
「そうなのですか、お久し振りです……」
「アーシアさん、一体何があったのです! どんな事情がアーシアさんをそこまで変えてしまったのですか!?」
取り繕った冷静さも優しさも捨て去り、彼は詰め寄った。だが彼女は抵抗もせず揺さぶられるだけであり、まるで糸の切れた人形のようだ。
すると世話係と思しきメイドが走ってきて、奪うようにアーシアを抱き寄せた。
「すいません、この方はご病気で……! 帰りましょう、アーシアさん!」
流れ作業のように車イスに乗せられる彼女に、抵抗の意思はなかった。やがて数分と掛からずにアーシア達は住宅街の静けさに消えていく。メイドは相当に急いでいたらしく、彼がディオドラであることに気付いた様子は見当たらなかった。
病気。
その言葉がディオドラは気に掛かった。風の噂によれば、アーシアは一誠に救出されたと聞く。もしくは彼がSSS級はぐれ悪魔に認定されたショックで精神を病んでしまったかもしれない。
「そうか、アーシアさんまで……」
「元カノですか?」
「いや、ただの知り合いさ。それで、君達が来たのは赤龍帝捕獲作戦かな?」
「そうです。ディオドラ様を補佐するように言い渡されました」
音もなく現れた姉妹を眺めながら、彼は項垂れる。本当は計画に参加したくなかった。逃げたかった。
『両親を拉致し、それを餌にすることで兵藤一誠を捕獲する算段だ』
『実行はディオドラに任せよう。補佐を二人と″王の駒″を与えるから、それらを用いて兵藤一誠の両親を誘拐したまえ。とはいえ、後者は明日のレーティングゲームでもテスト運用してもらうがね』
『断るなら、君の眷属はどうなるかな?』
映像術式が映し出した一人の少女の姿に、今度こそディオドラは言葉を失った。
『ディオドラ様……っ!』
『マーガレット、無事なのか!? 他のメンバーは!?』
『シュガー、コヨミ、ネア、パルケ! 私を含め全員無事です!』
最も信頼する″女王″の叫びが遠退き、変わって太い男の声が響いた。
『彼女達にはまだ手を出してない。だが貴様が少しでも反抗すれば……お前の愛しい眷属ちゃんは俺様の慰みものとなる』
魔法陣は鮮血に染まり、弾けて消えた。背筋が冷たくなっていくのをディオドラは感じた。彼女達が自分以外の男に犯される光景が脳裏を走り、彼は思わず吐き気すら覚えた。
上層部の顔は、もう笑っていない。
『理解してくれたかな? 冥界の未来に加えて、彼女達の将来も背負っているのだよ。つまり我々の言う通りにするしかない』
『無論、鞭ばかりではない。計画成功の暁にはディオドラにも上層部の席を与えよう。金と地位、そして栄光を約束しようではないか』
『頑張ってくれたまえ、ディオドラ・アスタロト。冥界を守るために』
震えながらディオドラは立ち上がる。彼に拒否権は存在しないからだ。ディオドラの側に控える少女達もまた同様である。
「行きましょう、ディオドラ様。この時間帯の兵藤家には母親の他にメイド、そしてアーシア・アルジェントしかいません。誘拐する絶好の機会です」
「……分かった、そちらは僕が担当する。父親の方は二人に任せよう」
その命令に瓜二つの顔をした姉妹──スノワートとモルプスが頷く。
「私達は会社帰りを狙います」
「……やるしか、ないんだな」
「はい」
三人はゆっくりと公園を後にした。それは覆せない運命に対してのささやかな抵抗のつもりだった。
誰もいなくなった公園で、別れを惜しむかのようにサッカーボールが揺れていた。
▼
ディオドラは人間界の散歩を趣味とする。というのも停滞的な悪魔と違い、凄まじい早さで進歩を遂げる人間に好感を抱いているからだ。
勿論、戦争や差別などといった人間の負の側面もディオドラは知っていた。だがそれは悪魔にしても同じことである。違うのは寿命と力のみだ、と彼は貴族出身者にしては珍しく人間に好意的だった。
その日もディオドラはヨーロッパ辺境のとある森林を散策していた。彼にとってはいつもの日課に過ぎず、それ故に護衛をつけていなかった。
そして、そんなときに限って、戦闘訓練中だった教会戦士の部隊と鉢合わせしたのである。
「油断した……! まさか生きているなんて……!」
戦いはディオドラの勝利で幕を閉じた。しかし全員を倒した直後、彼は最後の悪足掻きである光弾を胸に喰らってしまった。
悪魔にとって光は猛毒。彼の身体は加速度的に内側から焼かれつつあった。出血が止まらず、視界は霞み、そうして遂にディオドラは足から崩れ落ちたのである。
──ああ、このまま鬱蒼と広がるヨーロッパの森で僕は死ぬのだろうか。
観念して眼を閉じるディオドラの耳に、誰かの叫び声が聞こえた。
「あ、気が付きましたか?」
「君は……シスター?」
「大丈夫ですか? 胸に大怪我をされていましたけど……」
「そうだ、傷は!?」
ディオドラは慌ててペタペタと自身の胸に触れた。少しだけ盛り上がっている箇所はあるが、抉じ開けられた大穴は消えており、痛みもない。
シスターらしき服装をした少女が微笑む。
「傷なら治療しました。もう動いても大丈夫です」
「そ、そうなのか。ありがとう」
礼を言いつつ、彼は驚いた。あれだけの傷を瞬時に治すシスターに覚えがあったからだ。名前をアーシア・アルジェントと記憶している。
ヨーロッパの教会に聖女がいるという噂は耳にしていたが、と彼は内心で舌打ちした。
人を癒す能力を持つアーシアの存在は、教会の宣伝塔でありプロパガンダに他ならない。そんな彼女が仮に悪魔と一緒にいる場面を第三者に見られれば教会側との小競り合いに繋がってしまう。
最悪の場合は教会の上位組織である天界との衝突も考えられた。ディオドラとしては全力でこの危機を回避せねばならなかった。
「傷を治していただき、ありがとうございます。しかし自分は旅を急ぐ身。ここで別れましょう」
「は、はい! お元気で!」
態度を急変させた彼に首を傾げつつも、アーシアは精一杯の笑顔を向けた。彼女が見送りに移ったことに安心し、ディオドラも踵を返す。後はアーシアの前から姿を消してから適当に転移するだけだ。
かくして二人の奇妙な邂逅は、彼の気転を利かせた言動によってシスターと旅人のままで終わる筈だった。
「そこまでだ、下劣な悪魔め!」
制服を纏った幾人もの男達が、ディオドラとアーシアを包囲するまでは。
「教会戦士!? 別の部隊がいたのか!」
「貴様には失望したぞ、アーシアよ! 聖女ともあろう者が悪魔に施しをするとは!」
「……悪魔?」
「奴の名はディオドラ! アスタロト家の次期当主にして同胞を皆殺しにした張本人だ! そんな危険人物を治療するとは、貴様は悪しき魔女に違いない!!」
最悪のパターンだった。呆然と立ち尽くすアーシアに彼らは次々と事実をぶちまけていく。思わずディオドラが叫ぶ。
「待て、アーシアさんは知らなかったんだ! 彼女は純粋な善意で僕を治したんだ!」
「戯れ言を聞く必要は無い! 忌々しい悪魔も、その悪魔を治療する聖女も、二人揃って断罪してくれる!」
数はざっと二十人。全員が光の剣や銃を手にしており、まともに戦えば上級悪魔といえども苦戦は免れないだろう。しかしディオドラが逃げれば、残されたアーシアは確実に殺されてしまう。
こうなれば特攻してでも巻き込んでしまった責任を取らねばなるまい。
全身から魔力を迸らせ、
「安心してくれ」
背後で震える少女に向けて、彼は囁いた。
「──君を傷付けさせないから」
挨拶代わりに魔力弾をばらまき、ディオドラは勇ましく駆け出した。斬り掛かってきた一人の顔面を鷲掴みし、首をへし折る。更に死体を投げ飛ばすと、彼らが怯んだところに最大火力で砲撃魔法を放った。
およそ華やかな貴族らしくもない、泥に塗れたラフプレー。形振り構わぬ獣のような暴力だ。
「遠巻きにして光弾で仕留めろ!!」
隊長らしき男の命令によって一斉に放たれる光。それらは全てディオドラに突き刺さった。
「ディオドラさん!!」
「どうだ、忌々しい悪魔め! これだけ光を浴びれば上級悪魔といえど──」
そこまで言って、男の言葉は中断された。大量の光を浴びせられた悪魔は消滅する筈だ。仮に光に強い耐性を持っている最上級悪魔でも、まともに喰らえば致命傷は免れないだろう。
ならば何故、煙と血飛沫が舞う中に赤い眼光が爛々と輝いている。
「以前なら光に貫かれて死んだだろう。実際、死ぬ一歩手前に追い詰められたからね。でもどうしてかな、今の俺に光は効きそうにない」
「た、助け……ッ!?」
情け容赦もなくディオドラは魔力弾を放った。パラパラと肉片が降り、森は元の静けさを取り戻した。
「すまなかったね、アーシアさん。僕の不注意でこんな事態になってしまった」
「いえ。それでは……」
「さようなら。もう会うことは無いだろう。その方が互いのためにも良い」
こうして今度こそシスターと旅人は別れた。魔法陣によって彼は消え去った。二度と出会わないように願いながら術式は粒子となって散りゆき、翡翠の森を舞った。
二人は気付かなかった。アーシアを探しに来た神父が一部始終を目撃していたことに。
そしてここから彼女の苦難は始まるのだ。