『オーフィス、今すぐにこの場から離れろ!』
それはドライグの悲痛な叫びから始まった。全員に聞こえるように発声したようだった。最初こそ首を傾げるオーフィスだったが、隣に立つ一誠をチラと見た瞬間、意味を理解した。
何が起きているのかと怪訝な表情を浮かべるリアス達にもドライグは告げる。
『リアス・グレモリー』
「赤龍帝……!?」
『言いたいことは山程あるが、今は逃げろ。相棒にはきちんと復讐を遂げてもらいたいからな』
逃げろ、とドライグは言った。一体、誰から逃げろというのだろう。リアスは問い質そうとしたがそれよりも前に前兆は現れた。
無表情のまま立ち尽くしていた一誠が突如として笑い始めたのだから。
「──うひゃひゃひゃひゃ♪︎」
まるで壊れたスピーカーのように笑い続ける一誠。眼は焦点が合わず、口は三日月を描き、天に向かってただ嘲笑う。ありとあらゆる呪詛に覆われながら一誠は嗤っていた。
「……赤龍帝?」
あまりの変貌振りにリアスのみならず、オーフィスでさえ驚愕した。今の彼から冷静さは微塵も感じられず、本当に同一人物かと疑いたくなる。それ程までに彼は闇に呑み込まれていた。
『すまない、オーフィス。俺でさえ相棒は止められない。もう誰の言葉にも耳を貸さず、ただ暴れるだけの存在と成り果てるだろう。その先に待つのは、死だ』
ドライグの呟きは、我が子を案じる親に近い。
『だが、オーフィスならば或いは……ドラゴンを鎮めるのはいつだって──』
その先は、莫大な魔力に阻まれた。同時に一誠の口から幾百幾千の禍々しい呪文が発せられる。
その呪詛に交じり、一組の男女が謳う。
『我、目覚めるは──』
〈関係無かったんだ〉〈選ばれた人間だった〉
『覇の理を神より奪いし二天龍なり──』
〈静かに暮らせた筈だろ〉〈どこの世界でも爪弾き者になるわ〉
『無限を嗤い、夢幻を憂う──』
〈なら、俺が守る〉〈もう、死んでるのよ〉
『我、赤き龍の覇王となりて──』
〈また、守れなかった──〉〈そう、貴方は守れなかった──〉
《あの時も、そして今も……ッ!!》
言葉を紡ぐ度に鎧が変質していく。両手両足はより分厚く強靭になり、背の翼は身体の数倍に膨れ上がる。全てを寄せ付けんとする鋭角なフォルムはまさに古の赤い龍だ。
彼は裂けた口を抉じ開けて、絶叫する。
『汝を紅蓮の煉獄に沈めよう──』
『Juggernaut Drive!!!!!!!!!!』
暴力的な咆哮は眼に見える物を灰塵に帰していった。床、天井、壁。支えを完全に失った神殿は轟音を鳴らしながら崩れていく。
オーフィスは右手を少し動かして、リアス達をも庇うように結界術式を展開した。不思議そうな目で見る彼女には視線を合わさないまま淡々と告げる。
「……ドライグの頼み」
オーフィス達を覆った結界は宙に浮き、そのまま神殿の外へと避難した。
外に出た瞬間、神殿は眩い血の光と共に消え去った。閃光が収まった後に残ったのは、瓦礫の影や形すらも存在しない、どこまでも荒廃した虚無の世界だった。
その瓦礫の上で、首謀者であるファンキャットは一誠に追い詰められていた。
『Guaaaaaaaaaaaaaaaaa……!!!!!』
皮肉にも、一誠の叫びは黒い獣に似ていた。
「これが″覇龍″か。しかしデータ上は──」
パシュンッ。唐突に風を斬る音が響いた。遠巻きに事態を見守っていたリアスには一誠の動きを捉えることが叶わなかった。それどころか目の前で見ていたファンキャットすらもやはり分からなかった。
ふと彼は地面が赤く染まっていることに気付く。それに妙な物が転がっている。
あれは、人の右腕だ。
そう認識した途端にファンキャットの右肩から鮮血が噴き出した。
「──私の腕がぁぁぁぁぁぁあっ!?」
止めどなく血が溢れる中で、ファンキャットは左腕を翳す。すると展開された術式から魔力弾の雨が一誠目掛けて乱射された。
「私は冥界上層部だ! あの名門たるアバドン家の血筋だぞ! 貴様のような卑しいドラゴンごときに私が負ける筈がないんだッ!」
三桁に迫るだろう魔力弾の嵐にも、一誠は避ける素振りを見せない。一つ、また一つと命中していくが、彼にダメージを与えた様子は一切感じられなかった。最初こそ喜んでいたファンキャットの顔が急速に恐怖に染まっていく。
ガシャリと何かがスライドしていく音。
鎧の胸元と腹部が展開され、そこから発射口が現れる。ゆっくりと赤い鳴動が圧縮されていく。
『BoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoost!!!!!!!!!!』
自分の末路を予測してしまったファンキャットは慌てて転移術式を描こうとするが、あまりにも遅かった。
『Longinus Smasher!!!!!!!』
ドラゴンの宣告が周囲一帯に響いた。放射された紅蓮の閃光は断末魔すらも巻き込んで、ファンキャット・アバドンをこの世から消し去ったのだった。
しかし彼を滅ぼしても尚、一誠は天に吼える。そこに第三者の声が降り立った。
「″覇龍″と化したのか、兵藤一誠」
「ヴァーリ!?」
思わぬ人物の登場にリアスは驚く。ヴァーリは″禍の団″に寝返った男であり、赤龍帝と対をなす白龍皇の宿主である。
まさか宿命の対決をするのかと身構えるリアス達を意に介さず、彼はオーフィスに歩み寄る。
「まさか彼が″覇龍″を使ってしまうとは。それにしても妙だな。波動が純粋な″覇龍″とは少し違う。まるで異物が混ざっているようだ。しかし理由はどうであれ、このまま彼を失うのは惜しい。俺が全力で止めてみようか?」
ヴァーリの言葉に、オーフィスは強く頭を横に振った。
「……我が、止める」
そう呟き、彼女は一人飛び去った。
▼
『俺は、守れなかった……』
真っ黒い空間の中で一誠は泣きじゃくる。またも守れなかったのだ。自分が不甲斐ないせいで二人は死んだ。
唐突に、
『貴方は守れなかったの』
『あ、ああ……』
黒い髪、その美しい声。
忘れる筈がない。
彼女は一誠の初めての恋人なのだから。
『貴方、言ったわよね。今度こそ守るって。その結果がこれ? 面白いジョークね』
『レイナーレ、お前は死んだ……! 俺の目の前で消し飛ばされた……っ!』
そう叫ぶと、レイナーレはそっと一誠の頬を撫でた。あの日から何も変わらない笑顔で語りかける。
『……イッセーくんの中で私は死んだ扱いなんだ? だったら、どうして私の影を今も追い続けているのかしら?』
『……初めての恋人だからな』
堕天使レイナーレ。彼女はアーシアの神器を抜き去り殺害した張本人であり、一誠がかつて愛した女性だった。
レイナーレ自身はリアスに消し飛ばされて死亡したがそれで終わる程に簡単な問題ではなく、一誠は表面上こそ気にしない素振りを見せていたが、決して消えない想いを今も抱えていた。
『見ていて初々しかったわ。女を知らない男はからかい甲斐があって面白いわね』
『初デートも念入りにプランを考えた……』
夕暮れの公園で告白された日のことは、今でも眼に焼き付いている。
何故、こんな美少女が俺に。
そんな疑問よりも嬉しさの方が大きかった。自室で一人はしゃいだのを覚えている。ネットで必死に情報を集め服装にも気を付けた。当日はどこに行こう、何を食べよう。自分なりに考えた。
そして、その全ては光の槍に貫かれた。
『とても王道なデート、ありがとうね。おかげでつまらなかったけど』
『レイナーレ……俺は……』
ふふ、と彼女は嘲笑した。その視線は一誠の背後に向けられている。
『私ばかり見ているけど、後ろはいいの? イッセーくんの大事な人が待っているわよ?』
慌てて後ろを振り向くと、そこに立っていたのは死んだばかりの父親と母親だった。そればかりか周囲には見慣れたリビングが広がっていた。
失った家族がそこにあった。新聞を読んでいた父親が一誠に気付くと同時に、キッチンに立っていた母親も彼に視線を向けた。
『おいおい、イッセー。そんなところに突っ立ってどうしたんだ?』
『今日の晩御飯はイッセーの好きなハンバーグよ。ほら、席に着いて』
『父さん、母さん! 生きて──』
無垢な子供のように彼は駆け寄ろうとした。だがその瞬間にメキャリと何かが歪む音がした。新聞越しに父親が訊ねようとする。
『gaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa……!!!!!』
『Aaaaaaaaaa……!!!!!』
食卓、家族。自分を包んでいた暖かな思い出は獣の咆哮に引き裂かれた。
一誠の隣にレイナーレが現れる。クスクスと笑いながら彼女は言った。
『二人はこう言ってるの』
──よくも殺したな。
『あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
一誠は頭を抱え、泣き叫ぶ。親殺しという大罪を醜く悔いるその姿は悪魔でもドラゴンでもなく、限りなく人のそれだった。
▼
『Aaaaaaaaaaaaaaaaaaa……』
崩れ落ちた神殿の中心で悠然と佇む一誠はある種の神秘的な美しさがあった。妖しい光沢を放ちながらも吼え続ける一誠。オーフィスは彼の前に立ちはだかった。
「……赤龍帝」
その呟きに一誠が反応し、濁った双眸が彼女を捉えた。するとオーフィスは構えを解く。″覇龍″を前に己の全てを晒そうというのだ。華奢な身体を吹き飛ばそうと一誠は腕を降り下ろした。
「……ふん」
打撃をまともに喰らった彼女は、容易くその場に踏み留まった。
″無限の龍神″たるオーフィスは生半可な攻撃では倒れない。ましてや今の一誠は暴走しており、特訓で得た全てをかなぐり捨てた、力任せの攻撃しかできない。どうしてオーフィスを倒せるだろう。
自身の何倍もあろうかという巨大な鉄拳を、オーフィスは掴んだ。
「……赤龍帝、目を覚ます」
『Aaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!』
轟音。次いで砂煙。暴走した一誠の半身は地に埋められていた。隣にはオーフィスが座っており、暴れようとする度にチョップを入れる。見た目だけなら可愛らしいが、最上級悪魔をも瞬時に消滅させる威力だ。いかに″覇龍″でも喰らい続ければ動くことは叶わない。
タイミングを見計らって、ヴァーリが降り立つ。
「それで、どうする?」
「……決まっている」
そう告げると彼女は、一誠の左手の甲に埋められている宝玉に触れた。ドラゴンからのアクセスに反応して宝玉は輝く。
「……我、潜る」
そしてオーフィスは光の中に消えた。
▼
『……赤龍帝』
暗く冷たい闇の中に、不釣り合いな程に幼い声が聞こえた。その声にレイナーレ、獣、そして一誠が振り返った。
姿を見た途端に、一誠は涙を溢れさせた。
『オーフィス……』
『……赤龍帝、大丈夫?』
ごく自然に彼に寄り添うオーフィス。予測しなかった乱入者にレイナーレは声を荒げた。
『あら、新しい彼女? いつからロリコンになったのかしら』
嘲笑いながら二体の獣を差し向ける。だが相手が悪過ぎた。オーフィスが少し手を振っただけで、獣は砂となり崩壊した。何が起きたのか全く理解できない。それはレイナーレのみのらず一誠もそうだった。
『……邪魔』
『ヒイッ!?』
オーフィスが右手を向けるが、その腕に一誠が触れた。もう怯えはなかった。
『こいつは俺が倒す』
″赤龍帝の籠手″を翳し、音声と共に鎧を纏う一誠。一歩ずつ噛み締めながら彼は歩を進めた。初恋に決着をつけるために。
対してレイナーレにもう余裕は見られなかった。後退りしながら必死に命乞いをする。
『イッセーくん! 私を助けて!』
一誠の足が止まった。
『私、貴方のことが大好きよ! 愛してる! だから──』
もう限界だった。一誠は高密度の魔力弾を手から放った。紅蓮の魔力はあっさりと彼女を包み込み、そして消し飛ばした。
『──グッバイ、俺の恋』
あのときと同じ台詞を一誠は敢えて告げた。
灰も残さずに消え去っていくレイナーレに果たして聞こえただろうか。そんなことを頭の片隅で考えながら、オーフィスに視線を移す。
『ごめんな……そして、ありがとう』
消えていく。黒が、恐怖が溶かされていく。鎖から解放されるような感覚だった。
オーフィスは淡々と呟いた。
『……帰ろう、赤龍帝』
そう言うと彼女は一誠の腕を引っ張った。天には光が見えていた。
『……兵藤、一誠』
逆光でオーフィスの顔は見えなかったが、笑っている気がした。
▼覇龍▼
一誠の意識は目覚めた。最初に見えたのは、心配そうに覗き込むオーフィスの顔だった。首に当たる柔らかさと冷たさから、どうやら彼女に膝枕されていたらしい。
「オーフィス」
「……ん、目が覚めた?」
オーフィスだけではない。ヴァーリ、更にはリアス達も見える。
「ここはレーティングゲームのフィールドだ。お前は″覇龍″と化したんだ。だから荒れ果てている」
「そうか……心配させちまったな」
「構わないさ」
それからリアスを見た。申し訳なさそうに顔を俯かせる彼女に本当なら罵声を飛ばしているが、今回ばかりはそうもいかない。ただし、やはり一誠はリアスと視線を合わせなかった。
「……行こう」
「そうだな、皆にも心配を──」
起き上がろうとした彼は地面に倒れ伏した。その左腕は禍々しいドラゴンの腕と化していた。