抱きし者
リアスとディオドラのレーティングゲームに一誠が乱入した事件から約一週間が経過した。冥界政府は未だ混乱の渦に包まれている、と旧魔王派の指導者の一人であるカテレアは淡々と述べた。
上層部とサーゼクスの根回しも空しく、彼らは一誠の両親を人質にしたという不都合な情報を隠蔽できないまま他神話勢力への対応に苦労しているとのことだ。
即ち、今こそが冥界を襲撃するに最高の機会だ。
彼女は真剣な眼差しで、同じく旧魔王派を率いるクルゼレイに訴えた。
確かにカテレアの意見にも一理ある。現在の政府上層部は事態の沈静化に精一杯で、とても他に手を出せるような状態ではない。加えて連続で襲撃されるとは予想していないだろう。
だが、すぐに賛成すると思われたクルゼレイは意外にも返答を渋った。あまりにも政府を甘く見ているのではないかと考えたからだ。
旧魔王派の兵力はどれだけかき集めても千に届く程度であり、将兵こそ三大勢力戦争や内乱を乗り越えてきた歴戦の猛者が揃っているが、どうしても人員不足は否めない。
対して相手は無傷の政府軍に、″皇帝″と称されるディハウザーを筆頭とする魔王クラスの怪物達が並ぶのだ。まともに戦っても勝ち目は皆無だ。
故にこの隙に乗じて力を蓄えるべき。
それが
「考え直さないか、カテレア。もう俺達は──」
今まで眼を背けてきた二つ目の理由をクルゼレイが口にしようとするも、しかし途中で止めた。目の前に座る最愛の女性は既に覚悟を決めていると悟ったからだ。
だからこそなの、とより口調を強めて告げるカテレア。二人きりの会議室に彼女の言葉のみが響く。
「蛇を飲んだ私達には時間が少ない。それはクルゼレイも知っているでしょう?」
「……」
オーフィスが生み出した蛇は、使用者の力を飛躍的に上昇させるというある種のドーピングに近い能力を有しており、カテレアとクルゼレイもその恩恵で初代魔王にも匹敵する実力を獲得していた。
しかし魔力や身体能力が爆発的なパワーアップを遂げたとして、
否、五体満足で終わる筈がない。
「急激な変化に肉体が耐えられず、やがては灰と化してしまう。悲惨な末路を幾つも見てきたわね。遺言も断末魔すらも残せない」
「俺やカテレアも先は長くないだろう。ならばこそ戦力を整えてから最後の攻撃に──」
「その認識は甘いぜ、クルゼレイ」
続きは第三者の冷たい声が遮った。見れば部屋の扉に背を預けている人影がある。
駒王学園の制服を身に纏った、氷のように鋭い視線を向ける少年。今代におけるドライグの宿主にして赤龍帝派を率いる男。
兵藤一誠。
クルゼレイは震えた声で彼の名を口にした。
「どうして顔を見せた?」
一誠がこの場に訪れた理由がクルゼレイには理解できなかった。何故なら両親を失って以降、一誠は自室に引きこもっていたからだ。仲の良い曹操やヴァーリ、一番の部下を自称するフリードの言葉にも耳を貸さず、連れ添っていたオーフィスだけに寄り添い、半ば脱け殻と化していたのである。
だからこそ、彼が姿を現したことにクルゼレイは不気味に思った。彼の眼差しは深い憎悪に支配されるでもなく、悪魔への復讐を目論む以前までのギラギラした煌めきも見当たらない。
まるで
「私が頼んだの」
動揺から抜け出せないでいる彼に、カテレアは先程の質問の答えを投げた。
「確かに私達では戦力不足。ならば他から集めればいいだけの話よ。魔王に抗えるだけの戦力をね」
そうして旧魔王派に好都合だとカテレアが選んだのが一誠なのだろう。実力と知略を兼ね備え、悪魔への復讐を目指している点を考慮すれば、確かに協力者にはうってつけの逸材だった。それこそディハウザーですらも討ち取れるかもしれない。
しかし避けられない旧魔王派の運命を垣間見て、やがて諦めたようにクルゼレイは頷いた。
細かな打ち合わせを終えて意気揚々と去っていく一誠とカテレアの背を見つめながら、彼は呟く。
「だから甘く見ているんだ、お前は」
──隣に立つ男の本性に気付いてないだろう。
▼抱きし者▼
会議室から出た直後、一誠は廊下の壁にもたれているオーフィスに歩み寄った。彼女もまた、一誠が出てくるなり駆け寄る。
一誠は微笑みながらオーフィスの頭を撫でた。透き通るような黒髪が舞い、愛しげに或いは名残惜しそうに一誠の武骨な指に絡まった。
「一緒に行こう、オーフィス」
「……うん。我、ずっと赤龍帝と一緒」
そのまま手を繋ぎ、二人は歩を進めた。そして自室に戻るや否や、一誠は簡易ベッドの上に倒れるようにして飛び込んだ。無機質な洗剤の香りが彼の鼻を擽る。
自分と同じそれに深く溜め息を吐いてから、次いでぼんやりと入口に立ち尽くしたままのオーフィスを見た。長い黒髪を腰まで伸ばし、髪と同じ色をしたゴスロリ衣装に包んだ彼女は、出会ったときと変わらない服装だ。
「おいで」と横たわったままで顔だけを向けて一誠が告げると、オーフィスは飼い主にハグする犬のように勢いよく一誠に抱きついた。胸板に顔を預けるオーフィスに安心を覚えて、彼もまた
かつて払った代償の証。即ち、ドラゴンのそれに置き換えられた腕はゴツゴツとした紅蓮の鱗に覆われており、オーフィスは思わず顔をしかめる。
「……赤龍帝。また、戻ってる」
その言葉にやっと気付いたのか、一誠は自分の腕に視線を移す。大量の赤い鱗と、その隙間を縫うように散りばめられた翡翠の宝玉が今も心臓のように鼓動を発していた。
生きる音を立てる毎に自分を蝕むような気がして、一誠は黙って両腕を差し出した。
「じゃあ、頼む」
「……ん」
オーフィスは短く頷いてから、ゆっくりと彼の指を口に含んだ。そのまま舌で転がして、或いは口をすぼめて、赤く熱いオーラを吸い取っていく。こうして腕に溜まった余剰分の魔力をオーフィスが吸収することで一誠の腕は人間の形へと戻るのだ。
ドラゴンのままでは不便だと言う一誠のために、彼女は暇を見付けてはこうやって魔力を散らしている。焦れったい時間ではあるが、同時にオーフィスの密かな楽しみでもあった。
部屋の中に水の滴る音と、チロチロと舐める音だけが染み込む。音の数だけ赤い魔力が抜けていき、腕は元の人間らしい姿を取り戻していった。
どこか艶かしいオーフィスの表情を眺めながら、一誠は静かに口を開く。
「……俺達はずっと一緒だよな? オーフィスは俺から離れないよな? 一人ぼっちにしないよな?」
並べられる質問の数々に、オーフィスは首を傾げた。そして機械的に問いを続ける一誠に恐ろしいものを感じた。上手く説明はできないものの、彼の言動の端々から冷たい何かを感じ取った。
舐めるのを止めて、じっと彼の顔を見る。しかしどれだけ眼を凝らしても、やはり普段と変わらなかった。
そんな中で不意に一誠がオーフィスの肩を掴む。突然のことに動揺する彼女を他所に、一誠はゆっくりと顔を近付ける。互いの息が鼻にかかる程に二人の距離は近く、思わずオーフィスは後ろに仰け反った。
そこに一誠がのしりと覆い被さったことで、まるで彼がオーフィスをベッドに押し倒したような体勢になった。一誠はそのまま更に彼女の華奢な腕を両手で掴み、その退路を封じる。
一誠の眼は力強く、そして血走っていて──。
「……赤龍帝?」
▼
兵藤一誠は脆い。
彼と仲の良い者は口を揃えてそう語る。
最上級悪魔クラスの実力者で、今代の赤龍帝の宿主であっても、しかし彼はつい最近になって裏の世界に足を踏み入れた元一般人なのだ。
英雄の末裔でもなく、魔王の血を受け継いだわけでもなく、本当にただの平凡な学生だった。故に周囲は彼の精神が限界を迎えてしまうことを恐れていた。
「おーい、大将。頼まれてた悪魔のリストを作ってきたぜー」
赤龍帝派に加入したフリードは分厚い資料を片手に一誠の部屋の扉を叩いた。先日、活動を再開した彼から頼まれた
しばらくすると、半開きにした扉の先から一誠が顔だけを覗かせた。
「おう、フリード。手間取らせて悪いな」
「気にすんなってばよ。大将は派閥のリーダーなんだから、下っ端の俺ちゃんを顎で使えばいいのでごさんすよ。それにしても少しやつれてないか?」
「察しろ。オーフィスと一緒なんだぜ?」
ほっと胸を撫で下ろすフリード。自室に引きこもっていたので気を揉んでいたが、どうやらオーフィスが上手く慰めたらしい。
復活祝いもそこそこに、フリードは話題を変えるべく資料の束に視線をやった。旧魔王派が積極的に動き始めたタイミングでこの命令を与えるという点からも察するに、彼らと無関係ではないのだろう。
「目的が気になるか?」
「そりゃ旧魔王派のクソッタレ共が戦力再編の真っ最中なんだ。話し合ってた大将の動向を探るのも当たり前だろ?」
「安心しろ、お前も顎で使うつもりだ。それより場所を変えようか。今はオーフィスが寝ている」
そして闇に溶けて去っていく二人を、オーフィスは扉越しに見つめていた。一誠との距離が離れた気がして毛布にくるまったまま手を伸ばした。
されど、彼女の手は虚空を掴むばかりだった。