奈落の矛先
「状況は最悪だね」
魔王ファルビウムは部下から受け取った書類の束に溜め息を吐く。今回の襲撃事件の被害を纏めた報告によれば、アリーナ襲撃や首都リリスでの衝突による犠牲者と重軽傷者は合わせて数万人、被害総額は日本円換算でおよそ数十億円規模にもなる。悪魔勢力にとっては大打撃であり、彼は報告を聞いた直後に卒倒しそうになった。
そして無視できない点が二つあり、一つ目は有望な若手にしてバアル家の次期当主だったサイラオーグの戦死、魔王であるサーゼクスとセラフォルーも重傷を負った点だ。
サーゼクスは至近距離でクルゼレイの自爆に巻き込まれたらしいが、適切な応急処置がなされたお陰で命に別状は無い。当分の間は入院生活を免れないが死ぬよりかはマシだろう。
ただし、集中攻撃を受けた挙げ句に高所から落下したセラフォルーの場合はそうもいかない。″フェニックスの涙″により即死こそ回避したものの、彼女は頭を強打した影響で今も昏睡状態に陥っている。最悪の場合は永遠に植物状態かもしれないと医師は診断した。
「今はアジュカを筆頭に復興作業をしてるところだけど、僕達は詰みに追い込まれてるんだよね」
「もう、どうしようもないってのか?」
「……アザゼル」
ファルビウムは悪魔の未来を既に諦めていた。前述の事態に加えて、復興に人手を割いているこの状況で″禍の団″の襲撃を受ければ今度こそ冥界は滅ぼされてしまうのだから。
かといって″禍の団″討伐を優先すれば復興が後回しになってしまい、大衆の怒りの矛先は政府に向けられるだろう。最終的には反乱と滅亡だ。
どれだけ考えても現状を打開できる策が思い浮かばず、流石の彼も諦めてしまったのである。
故に、彼は執務室を唐突に訪れてきたアザゼルにも反応を示さなかった。恐らくアザゼルは主犯格の一誠について話し合おうとしたのだろう。手に大量の紙束を持ち、怒りに歪めた表情を見れば一目瞭然だ。″神の子を見張る者″では既に結論を出しており、その結果を元に悪魔側との会議に訪れたのだ。
「僕達は遅すぎたんだよ。旧魔王派も兵藤一誠も早期に粛清しておくべきだった。そうすれば、少なくともこんな大騒ぎにもならずに済んだ」
「そんなことを言っても今更だろ。それより愚痴を吐く暇があったら俺達の今後についてだな」
「″悪魔の駒″の生産拠点を喪失したとしても、悪魔の今後について語る価値があるのかい?」
ファルビウムは、淡々と告げた。
悪魔という種族は寿命が長いのが特徴であり、彼らは数千数万もの年月を平気で生きる。その代償としてだろうか、出生率は驚く程に低く、統治している領域に反比例して総人口は少ない。更には三大勢力の戦争や内戦が勃発したせいで終戦直後は種の絶滅の危機にまで瀕していた。
勢力の再建を図る新政府は質よりも数を欲した。人口の増加を待つ余裕は無かった。
早急に、加速度的に。
それも従順で扱いやすい連中を。
上層部の要請を受けたアジュカは研究を続け、犠牲と実験を積み重ね、そして遂に一つの解答に辿り着いた。
──他種族を悪魔に転生させればいい。
「そして完成した″悪魔の駒″は実用化され、瞬く間に悪魔勢力を再建させた。その後のことはアザゼルも知っているだろう」
「拉致される他種族、貴族様主催のオークション、はぐれ悪魔及び彼らによる凶悪事件の増加。本当にお前らは悪魔だよ」
「誰だって自分が一番大事だろ? そんな思考回路だから滅ぼされかけてるんだけどね」
自業自得だよ、とファルビウムは締め括った。それからぼんやりと窓の外に視線を移す。
襲撃事件から早くも約一週間が経過した。果たして兵藤一誠は沈黙を保つだろうか。″悪魔の駒″を破壊するためだけに長距離魔力攻撃や首都リリスの強襲を実行したであろう最悪のテロリストが指を咥えて眺めているだけで終わるだろうか。
部下が血相を変えて駆け込んできた時点で、ファルビウムは自問自答の結末を悟った。
「……で、今度は何があったのさ」
「まずはテレビ放送をご覧ください! 奴ら、どの放送局にも──」
▼
グレモリー家。現魔王サーゼクスを排出した公爵の家系にして、ソロモン七十二柱にも数えられる由緒正しい家柄
何故、過去形で締め括ったのか。
それはグレモリー家の栄華はあくまでも昔の話であって、現在はかなり追い詰められた状況にあるからだ。
「どうして無実の私がこんな目にあうのよ……悪いのは兵藤一誠なのに!」
広いだけの自室で、頭を掻き毟りながら喚き散らす少女がいた。今や冥界中から──実の両親のみならず義姉や甥からも揃って憎悪の矛先を向けられているリアスである。
上層部から謹慎を言い渡された彼女は駒王学園を退学させられ、人間界から強制帰還となった。ライザーとの婚約も破棄だ。
豪華絢爛な調度品も大勢の使用人も失い、以前よりも小さい屋敷に引っ越しとなったリアスは、かつての華やかな生活を思い浮かべながら狂ったように叫ぶ。
どうして、と──。
没落の発端は襲撃事件直後にまで遡る。放送局や出版社が一斉に報道した告発映像がグレモリー家を没落に追いやった全ての原因だった。
匿名で送られたというその映像は、どうやら監視術式で隠し撮りされたものらしい。
『リアス……は対象に含まれていない』
『……いいのね?』
『……証明にならないか?』
ノイズ混じりの音声で会話こそハッキリと聞こえないが、言葉を交わす二人の男女の姿は鮮明に映されていた。
銀髪の男はヴァーリ・ルシファー。堕天使組織の所属でありながら″禍の団″に寝返った裏切り者にして、今代の白龍皇である。
これだけでも問題なのだが、更に冥界を騒がせた理由はヴァーリと会話する少女にあった。
あろうことか、その少女とはグレモリー家次期当主のリアスなのだから。
──現魔王の妹、テロリストと内通か!?
──密会する二人! 史上最悪の襲撃事件はグレモリー家次期当主の陰謀なのか!?
三流ゴシップ誌のみならず大手メディアまでもが大々的に報道したことで、政府上層部は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。ただでさえ魔王二人の不在で組織が揺らいでいるところに、よりによって魔王の実妹のスキャンダルがすっぱ抜かれたのだから。
報道機関に手を回しても間に合わず、そもそも先の襲撃事件の影響で政府は多くの人員を失ったばかり。挙げ句の果てに目撃者を名乗る連中がダース単位で名乗り出るオマケ付きだ。
『リアス・グレモリー。貴様の罪は非常に重く、魔王様の実妹だからと見逃せるようなものではない』
『待ってください! 私は──』
『黙れ! 貴様が下僕の管理を徹底していれば此度のような事件は防げた筈だ! それに貴様は領地の運営すらもできてないだろう!!』
『貴様の管理不届きのせいで、冥界は赤龍帝を失ったばかりか今回の被害を負った! どうやって責任を取るつもりだ!!』
冥界上層部はリアスに全ての責任を押し付けた。
結果として、彼女の首は辛うじて繋がった。これには重い刑罰を与えるべきとの世論も多く寄せられたが、そもそも自分達が赤龍帝を裏切った張本人という点もあり、流石に全責任を問うのは酷だと上層部は判断したのだ。
そして彼らは、子の不始末は両親が責任を取るべきだ、としてグレモリー家に今回の襲撃事件の損害賠償を命じたのである。
莫大な賠償金がグレモリー家の財政を大幅に圧迫したことに加えて、今回の報道で将来を不安視した領民が挙って他領に移住。懇意にしていた商人達や付き合いのあった他家からも見限られたグレモリー家は、収入源を失ったことで一気に困窮する羽目になった。豪華な調度品の数々を売却し、使用人には暇を出し、広大な領土の殆どを手放し、城と見違えるようだった屋敷から小さいそれに移った。
そこまでして、ようやく賠償金が用意できるかもしれないという状況なのだから、その没落振りが伺えるというものだ。
『貴方がアレを甘やかしたせいで、あんなに我が儘に育ったのよ!』
『な、私に全責任を押し付けるのか!! アレの教育を間違えたのは、ヴェネラナにも母親としての責任が生じるだろう!?』
『領民にも商人にも見限られてしまった!! もうグレモリー家は立ち直れない!! それもこれも貴方の教育が失敗したせいじゃない!!』
グレモリー夫妻は顔を合わせる度に大喧嘩をするようになり、いつしか怒りの矛先はリアスに向けられるようになった。
とはいえ、別に怒鳴り散らしたり暴力を振るうわけではない。リアスがまるで存在しないように振る舞い、最低限の挨拶すらも行わず、徹底的に無視を続けた。
『リアスお嬢様。私はしばらく暇を頂戴します。サーゼクスの看病をしなければなりませんし、このままではお嬢様を殺してしまいそうな自分が心の中に隠れているのです』
『……お父様を返してよ』
実子たるミリキャスを連れて、グレイフィアも早々に屋敷を出ていった。病室に泊まり込んでサーゼクスの看病をするらしいが、それが建前であることは明らかだ。
このままではリアスの甥であるとして無関係のミリキャスにも悪影響が生まれかねず、それにサーゼクスが傷付く遠因を作ったリアスを二人は許せなかった。
『僕達に人間界での待機命令が降りました。ソーナ様の学園生活を補佐するように上層部から指示を受けています』
『籍だけはまだリアスの眷属のままですが、機会を見て他の有望な悪魔に仕えてもらう、と』
『すまない、リアス部長。拾ってもらった身でありながら……』
『うう、ごめんなさい……』
眷属達は人間界に残り、一時的にソーナの管理下に置かれるらしい。その後は分からないが、将来有望な彼らは無償トレードの形でリアスの下を去るのだろう。
「……悪いのは、兵藤一誠なのに。全部、アイツがやったのに」
リアスは床に三角座りして呆然とテレビ放送を眺めた。画面の先では、彼女を奈落に突き落とした張本人である一誠が襲撃予告を行っていた。
▼奈落の矛先▼
殺風景な一室には、簡易ベッドや机、椅子と最低限度の家具しか設けられておらず、生活している様子は感じさせない。
『やあ、親愛なるクソッタレ共。兵藤一誠だ』
一目で安物と分かるベッドに彼は腰掛けており、満面の笑みを浮かべている。身長差の問題で映像には顔の上半分しか映っていないが、その隣にはオーフィスの存在も確認出来る。
『放送をジャックしたのは他でもない。新たな襲撃作戦の予告だ』
赤く派手な題字が中央に大きく表示されると共にチープな効果音が鳴り響く。
襲撃予告──。
つまり一誠は大胆にも、冥界を再び襲うと公言しているのだ。今度はどこを襲うのか。悪魔達が固唾を呑んで見守る中で、一誠はわざとらしく隣に座るオーフィスに微笑みかける。
『オーフィス、復習といこう。前回の事件で最も多かった犠牲者は、だーれだ?』
『……大衆?』
『正解! 犠牲者は約三千人らしいけど、その八割が無知で無関係で無責任な大衆だった』
一誠は少女を側に抱き寄せてから訊ねる。今度は視聴している者に、見ているであろう悪魔達に。
『さて、次の問題だ。魔王は重傷で病院送り、大衆は言わずもがな。それじゃあ……被害を
『……貴族?』
『またまた正解! 賢いオーフィスには後でキスのご褒美をあげよう!』
そうなのだ。王も平民も大なり小なりのダメージを負った中で貴族階級だけは殆ど無傷のまま、犠牲らしい犠牲を出していないのだ。許されるわけがない。皆がボロボロになって疲弊しているのに連中は知らぬ振りを貫いているなど許せる筈がない。
やがて視聴者の大多数を占める民衆達は、あることを一誠に願い始めた。
それが進まない復興作業への苛立ちであるとか、大切な人を失った怒りと悲しみであるとか、日頃から溜まっていたお偉い貴族様への羨望であるとか。
無知であるが故にそれら全てを引っ括めて、悪魔達は願うのである。
『不公平だろ? 自分達だけって不満に思うだろ? だからさ、これから一週間毎に貴族共をランダムで襲っていきまーす!!』
どうか奴らの大切な人も殺してくれ──。