霧の中で目を奪われ
上手く進めてるじゃないか、とヴァーリは愉快そうに呟いた。手元に浮かべた映像術式は冥界の様子をリアルタイムで映し続けており、その画面の中央では″赤龍帝の鎧″を纏った一誠が三大勢力連合軍を相手に激戦を繰り広げていた。それは果たして戦争と呼称するべきか疑わしい光景であり、まるで赤子と大人のような差があった。
『BoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoost!!!!!』
内に宿りしドライグが"倍加"を宣言した瞬間、暴風が吹き荒れた。一誠は自身の身の丈をも上回る赫翼を大きく拡げ、上空へと飛翔した。連続する加速とそれに伴い生み出されたトップスピードを目視できた者は誰もおらず、軍勢は地上に取り残されたままだ。連中を天高くから見下ろしながら一誠は両腕に魔力を集中させる。熱風混じりの赤い波動が、悪魔のみならず周辺に展開して一誠を取り囲んでいた天使や堕天使までも一息に呑み込んだ。
「莫大な質量だ」
ヴァーリは、これが攻撃の前兆であることを忘れて感嘆の声を漏らした。燃え落ちていく黒炭と悲鳴が彼の視界を埋め尽くす。実力者を集めたと三大勢力の首脳陣は豪語していたが、どうやら一誠の前には等しく虫けらに過ぎないらしい。固唾を呑んで次の攻撃を見守ろうとする彼を見かねて苦言が投げられた。
『ヴァーリ、魅入られ過ぎだ。もう少し今の状況を把握しろ』
長年苦楽を共にしてきたアルビオンの忠告に、しかしヴァーリは気にした様子もなく画面から眼を離さない。
「そう言うがな、アルビオン」
ここでヴァーリは顔を上げると、ゆっくりと周囲を見渡した。彼は現在、黒いスーツを纏った集団に包囲されている真っ最中だ。それでも余裕綽々といった表情で一誠の蹂躙劇を観戦しているのは一目見た瞬間に連中の力量を悟ったからだ。偶然に鉢合わせてしまった彼らからは下級悪魔クラスの魔力しか感じ取られず、捨て駒扱いの尖兵であることは容易に理解できた。根っからの戦闘狂であるヴァーリが彼らを敵とすら見なさないのも当然である。
『放置するのも面倒だろうが』
アルビオンは呆れたように言った。言葉の端々に疲労が漂っているのは相棒の戦闘狂の側面を知り尽くしているからだ。
「……さっさと片付けるか」
苛立ちを隠そうともせずヴァーリは舌打ちし、それから連中を睨んだ。
鬱蒼と木々の繁った霧の濃い森だ。ルーマニアの奥深くに位置するこの森は古来より吸血鬼と人間の境界線的な役割を果たしてきた。昼でも一筋の陽射しの存在すら許されないこの場所には、日本の神隠しに似た都市伝説が幾つも語られている。
ヴァーリが、一誠と三大勢力連合軍が衝突したタイミングを見計らって森に足を踏み入れたのは、"幽世の聖杯"を宿した吸血鬼が現れた、との情報を掴んだからだ。
"幽世の聖杯"は生命の理を超越する能力を持つと称されている神滅具の一つであり、もし仲間に引き入れることが叶えば″禍の団″の戦力強化にも繋がる。曹操が情報を入手し、一誠が提案した今回の作戦に名乗りを挙げたのは意外にもヴァーリだった。
とはいえ、彼を突き動かしたのは"幽世の聖杯"所有者たる吸血鬼の生い立ちである。その所有者は吸血鬼の父と人間の母の間に産まれた混血児であり、その出自故に疎まれ長らく幽閉されていたという。断じて同情ではないと言い張りつつも、「俺が救う」と告げたヴァーリの決意は強く、結果的に彼の熱意に周囲が圧される形で任務担当となったのだ。
しかしヴァーリにとっての最優先事項は強者との戦闘である。それだけに吸血鬼の一団に囲まれようと平然としていたのだが、当然ながらその行為は相手からすれば誇りを傷つけられたに等しく全員が怒りに身を震わせていた。そしてようやっと戦意を見せた彼に、今すぐ飛び掛からんばかりの表情で其々が武器を構えた。
「″禁手″を使わなくても足りそうだ」
ヴァーリは欠伸混じりに白銀の翼を展開する。
「兵藤一誠の真似事と洒落ようじゃないか」
全員の視界からヴァーリの姿が消失したのはその直後だ。大きく脚に力を込め前方に跳躍し、そのまま地を這うようにして滑空する。特筆すべき点もない単なる遊技なのだが吸血鬼達からすれば消えたようにしか思えず、慌てて周囲を探すしかなかった。
『その段階で底が知れる』
アルビオンの溜め息をBGMに聴きつつ、ヴァーリはますます跳躍と加速を繰り返す。
「最初から期待しちゃいない」
ヴァーリは右手に魔力をかき集めつつ吐き捨てた。同時に再び地面を蹴り飛ばし、宙に身を放り投げる。そして動けないままの吸血鬼達に向けて魔力弾を雨にして乱射する。砂煙が晴れた後には立っている者は誰一人として残されていない。それを確認するとヴァーリはゆっくりと降り立った。
『全員を始末してどうする。情報が聞き出せんだろ』
「どうせこれから嫌でも出てくるさ」
東ヨーロッパに位置する共和国であるルーマニアの
『陰気な連中だ』
″白龍皇の光翼″を通じて、アルビオンは嫌悪感を隠さずに呟く。誇りと力を信条とするドラゴンにとっては連中のこういった面が堪えられないのだろう。
『さっさと目標を達成し、そのついでに吸血鬼を滅ぼしてしまえ』
「馬鹿を言うな」
ヴァーリは聞く耳持たぬとばかりに突っぱねた。強敵との戦闘こそが本懐だと宣言する彼ではあるが意外にも任された任務や目的自体は忠実に遂行しており、相棒や同僚の物騒な意見に釘を刺すことも珍しくない。ましてや、今回の任務はヴァーリ自らが請け負ったのだ。
「これから俺達は一つの勢力を相手取るんだ。遊んでいる暇はない」
『そう言いながら兵藤一誠の襲撃映像に夢中になっていたのは誰だ?』
アルビオンは呆れた声音で切り返した。確かに、吸血鬼連中に囲まれても動こうとしなかったのは今しがた説教してみせたヴァーリである。吸血鬼領域への侵入だけでも連中の上層部には察知・警戒されたかもしれないのに、敵陣で呑気に動画を眺め続けているのだ。彼の悪癖が成した失敗だろう。
「すまない、俺も悪かった」
『……互いの不備、ということで手打ちにした方が良さそうだな』
そうしよう、と両者が和解したところで、ヴァーリは周囲をグルリと見渡した。吸血鬼と交戦した地点から離れてはみたものの、やはり生い茂った木々が前後左右を覆い尽くしてしまっている。侵入したポイントから計算して大まかな現在地は把握しているが、近辺の街への方角は掴めそうにない。
ここにきて彼は苦虫を何匹も噛み潰した。罠に嵌められているのだ。二人は言い争いながらもここまで歩を進めてきたのだが、その距離は決して短くない筈である。しかし周囲の景色は変化していない。結界術式か、霧の幻覚作用か、はたまた森そのものが意思を持って阻んでいるのか。
「やはり侵入者には容赦ないか」
ある筈がないだろうに。アルビオンの喉元まで出かけた溜め息は直前に感知した一つの魔力にかき消された。
『……ヴァーリ』
「ああ、分かっている。吸血鬼だ」
手に魔力を、背には自慢の光翼を従えながらヴァーリは気配を消す。木々に隠れていてハッキリとは見えないが、視線の先には確かに一つの人影が捉えられていた。大樹の根の部分に腰を落ち着かせているその影は彼に背を向けており、まだ気付いた様子はみえない。
──吸血鬼達の罠か?
一瞬だけ脳裏に過ったが、ヴァーリの横顔から獰猛な笑みが消えることはない。しかし気になる点が完全にないわけではなかった。察知した魔力の波動を観察したことで悟ったのだが、どうやらこの先にいるだろう人物は酷く衰弱しているらしかった。それが証拠に感じ取れる魔力は微弱である。少なくともこのまま放っておいても勝手に死ぬであろうことは彼らもすぐに理解した。珍しく狼狽えながらアルビオンが言う。
『不味いぞ』
アルビオンの発言はあくまで案内人になりえる吸血鬼に死なれるのが不味いのであって、哀れに思っての意味ではない。そして相棒に急かされてではあるものの、ヴァーリもまた細心の注意を払いながらその人物に少しずつ歩み寄った。そうして近付くにつれて徐々に露になる美しい姿に彼は思わず息を呑んだ。
吸血鬼は、女性だった。
「……誰かいらっしゃるのですか?」
ここでようやくヴァーリの気配に気付いたのか、女性は背後を振り向くと恐る恐る訊ねた。
金髪を腰まで延ばした、まだ若い少女だ。真っ先に目につくのは病的なまでに白い肌と、身に纏う衣服だろう。彼が全滅させた尖兵達よりも更に白い肌は少女が吸血鬼である紛れもない証拠である。また、純血・名門・王族といった風に高位階級に名を連ねるに従って彼らの肌は白色に近くなる、という種族的な特徴が吸血鬼には存在する。
その意味では、こうして目の前に座る少女は相当な上位クラスの吸血鬼なのだろう、とヴァーリは瞬時に理解した。
しかし生まれ持った筈の血筋に抗うかのように衣服は酷くみずぼらしく、一枚の大きな布を無理矢理に縫い付けて仕立てたようにも思える。ここでアルビオンは吸血鬼のもう一つの種族的な特徴を思い出した。
吸血鬼は、悪魔をも上回る絶対的な純血主義思想の種族であり、それに倣った王政・貴族社会を形成している。実力や才能があろうとも純血以外の吸血鬼はまともな生活を許されず迫害の対象にされているのだ。そう考えれば彼女の衣服の理由のみならず送ってきであろう半生までも手に取るように分かってしまうのだ。
「お前、その眼は……」
そして否が応でも目についてしまう、最も特徴的な部分についても。
「……旅の方ですか? 心配してくださってありがとうございます。ですが、仕方ないのです。私は
そう苦笑する少女の瞳は赤くおぞましい火傷跡で潰されていた。混血であるが故に。
▼霧の中で目を奪われ▼