念願の一つを果たしたまではいいものの、一誠は衣服の惨状を省みて顔をしかめた。準備する間もなく強制的にはぐれ悪魔に堕ちた為に彼の私物はスーツケースが一つあれば収まってしまう程に少なく、衣服も逃走時に着ていた駒王学園の制服含む数着だけだ。無論、ヴァーリに頼んで下着類は定期的に調達してきたし、「制服では目立つから」と曹操から加入当初に衣服を渡されたこともある。それはそれとして駒王学園の制服には特別な愛着を感じていた。
「こんなとき、ソフィアがいてくれれば魔法で一瞬なんだけどな」
本部に帰還こそしたものの、血濡れのままで自室に戻るのは流石に躊躇う。しかしソフィアとも袂を分かち、残ったメンバーに魔法で服を洗濯するという芸当ができない以上、一誠は手の打ちようを持たない。
「やむを得ん」
思案の末に、ふと人間界のコインランドリーを思い出した。駒王町の片隅に寂れた無人ランドリーがポツンと立っているらしいことを噂で聞いたことがある。主に怪談の舞台としてだが。旧式の洗濯機で返り血が綺麗に取れるのかは甚だ疑わしいがこのまま放置するよりかはマシだろう。
「おい、フリード。少し留守番しててくれ」
シャワーを浴びて私服に着替え、脱いだ服を適当なビニール袋に詰め込んでから、一誠はフリードを呼び止めて言った。
「もしかして次の襲撃ですかい?」
「夜の人間界を散歩だ。制服を洗濯しに行く。金なら残ってるしな」
「あー、それね」
濃紺色のズボンと白の半袖Yシャツ、ズボンと同色のブレザーにパーソナルカラーの赤いTシャツ。悪い意味で冥界の認知度が極めて高い袋の中身を一瞥したフリードは興味無さそうにヒラヒラと手を振り、彼の背中を見送る。Yシャツの返り血なんざ絶対に落ちないだろ、と言いかけたのは秘密だ。誰にだって愛着というものがあるし、フリードとて悪魔祓いの制服を未だに着込んでいるのだから。
「しっかし駒王学園か。紅髪のお姫様や愉快な仲間達は今頃どーしてんのかね」
ふと見慣れた制服と同じものを着ていた連中のことを思い出したフリードは顎に手をやった。以前に読んだ冥界のゴシップ記事が正しければリアスの立場は極めて不味いものになっている。
リアス・グレモリー。兵藤一誠の元主君であり復讐対象の一人である。そして今の冥界で彼女の名前を知らない者はいない。勿論、悪い意味合いだが。
かつて才媛として将来を渇望されていたリアスの転落劇。その発端は一誠が逃走の末にSSS級はぐれ悪魔として活動を開始したことにあった。襲撃を掲げて襲撃が繰り返される度に彼女は元″王″として責任を追及された。リアス自身は、彼がはぐれ悪魔に堕ちた直接的な原因ではない。さりとて原因の張本人である上層部がリアスに責任を押し付けるべくメディアを通じて大々的にそう喧伝したが為に、世間の非難の矛先はリアスに向けられた。
四六時中、猫杓子野次馬からの誹謗中傷の波に晒され続けるのだ。精神的な苦痛は筆舌にし難いものだっただろう。そう仕組んだのは一誠だ。
そうして追い詰められたリアスにトドメを差したのがアリーナへの超長距離砲撃事件及びそれに伴う内通疑惑である。それは彼女の進退だけでなくグレモリー家そのものの崩壊を招く最悪の一手だった。
「っと、あったあった。これだ、これ」
一誠の不在時、オーフィスの護衛はフリードとレイヴェルが交代で引き受ける手筈となっている。そして今回はレイヴェルが世話役を担っている為に彼は自由時間を満喫していた。
フリードは自室の床に無造作に転がっていた冥界の週刊誌をペラペラと捲る。胡散臭い三流出版社ではあるが、貴重な情報源だからと彼はこの雑誌を愛読している。手に取った先週号の見開きにはこれまでの襲撃事件や経緯を纏めた特集がフルカラーで掲載されていた。
「えーと、今回の襲撃を受けてグレモリー家は多額の損害賠償の支払いが命じられたと。マジで恐ろしいまでの金額だな」
アリーナの補修費用、被害者や遺族への見舞金、行われていたレーティングゲームの試合中止に対する違約金、その他諸々。様々な要因が積み重なった結果、小国の一年分の国家予算に匹敵する額の損害賠償を請求されたグレモリー家の財政は一気に火の車となった。広大な領土を切り売りし、使用人達に暇を出し、豪勢な調度品の数々や城と見間違うような規模の屋敷を手放した。そこまでしてようやっと賠償の目処が立つというのだからその被害金額が窺えるというものだ。
かくして困窮に陥ったグレモリー家は現在進行形で没落への道を辿っているわけだが、当然ながらリアス自身にも厳しい処罰が与えられたようだ。具体的には、
──冥界への強制帰還。
──眷属達の他悪魔への移籍。
──それに伴うレーティングゲームへの参加資格の永久剥奪。
特に三つ目は実績を重んじる悪魔社会では致命的だ。実績を積んで汚名返上を狙おうとしても実力をアピールする機会が与えられないのだから。かといって処刑されるわけでもなく生かさず殺さずの飼い殺し状態に近い。
「マジで大将は敵に回したくねえや。ま、出会って五秒で殺し合いした仲だけど」
フリードは思わず身震いした。もしかしたら今頃は想像したくもない方法で殺されていたかもしれないのだ。形はどうあれ、駒王町で予め面識を作っておけたのは幸運だ。
──そういや、あの町の現領主って誰なんだ?
リアスが強制帰還となり、もう一人の領主であるソーナも連合戦争以降に眷属もろとも消息を経っている今、駒王町を治める者は不在である。しかし三大勢力による駒王同盟を締結した地をむざむざ空白にする筈もない。どうせ後任が送られているだろうとページを捲っていく中で、フリードは駒王町に派遣されたという悪魔の名前と顔写真を見付けた。
眼鏡をかけた理知的な少女の名は、シーグヴァイラ・アガレス。そしてリアスの元眷属達の移籍先でもある。
「……マジかよ」
上司の散歩先を思い出して、フリードの額を冷たい汗が流れた。
▼望まぬ再会▼
「洗濯完了まで一時間か。いいや、わざわざ本部に戻るのも面倒だ」
部下が滝汗を流していることなど露知らず、コインランドリーの店内で一誠は寛いでいた。ランドリーは確かに外装こそボロいが料金設定は割安で、エアコンも稼働していれば店の前に自販機も設置されている。そして置いてある椅子と雑誌を目にして、たまにはのんびりしようと彼は即決した。
しかし世界を騒がせる赤龍帝の行くところに平穏などある筈がない。
「これで見回りは最後だよ、ゼノヴィアさん」
「最近ははぐれ悪魔も増加傾向だからな。油断せずに気を引き締めて──」
「あっ」
「あっ」
あまりにも驚愕の度が過ぎると、人は誰しも時間の流れに置いていかれたように思考と言動を停止させるという。突然現れた偶然の出会いに彼らもまたその瞬間だけ世界から置き去りにされていた。しかしそれも束の間。敵対している間柄であることを思い出すや否や、瞬時に手元に剣を呼び出す木場とゼノヴィア。相手が世間を賑わせているテロリストなのだから当然の反応だ。ましてや恩人に等しい主君が没落した原因が目の前に座っているとあれば彼が普段の冷静さをかなぐり捨てるのもまた当然である。
対して、衝撃から立ち直った一誠は特にそれ以上の反応を示すことなく、「お前らか」と昔馴染みに再会したかのように言った。それがまた木場の神経を逆撫でしているのだが、さりとて互いの実力差を客観的に分析するだけの理性は残っていたのだろう、安易に仕掛ける真似はしなかった。
事実、彼の判断は正しい。仮に二人がかりで挑んだところで一誠の纏った鎧の表面を削れれば大した成果だ。実際は彼らが斬りかかるよりも遥かに早い時間で殺されることを考えれば様子見は賢明な判断である。とはいえ、一誠と視線を合わせた瞬間に及び腰となってしまった点から察するに実際は彼の存在がトラウマになってしまっているのかもしれないが。そんな彼を見かねてか、庇うようにしてゼノヴィアが前に進み出た。
「これはこれは。こんな場末のコインランドリーに赤龍帝がいらっしゃるとはな」
浮かべた不敵な笑みは、無意識に掻き立てられる恐怖心の裏返しに過ぎない。
「そんな警戒しなくても何もしねえよ。単に制服を洗濯しに訪れただけだ」
「制服を?」
「ほれ」
一誠が指した先には旧式の洗濯機がゴウンゴウンと古めかしい稼働音と共に赤い汚れを落としている真っ最中だった。デジタル式のタイマーはようやく残り時間が五十分に差し掛かることを教えている。
──演技ではなさそうだ。
洗濯機を眺めながら、ゼノヴィアは内心で安堵の息を吐く。テロリストが今度は何を企んでいるのかと様々な憶測を脳裏で展開していただけに拍子抜けだ。とはいうものの、この場で戦闘に発展しようものなら間違いなく秒殺されてしまうだろうことも彼女は悟っていた。なるべく刺激しないように、しかし後でシーグヴァイラに報告を行うことも視野に入れてゼノヴィアは細心の注意を払いながら言葉を選ぶ。
「……聞きたいことがある」
「なんだよ、藪から棒に独占インタビューか? どうせ俺のことは冥界のニュース番組で嫌でも知ってるだろ?」
「それは、そうだが」
駒王会談に姿を現してからというもの、兵藤一誠や″禍の団″の名前が報道から消えた日はない。今や幼稚園に通う子供達でも名前を知っているし、泣いている子供にその名前を聞かせただけで泣き止んだという噂すら広まっている程だ。子供でも知っているその存在をゼノヴィアが知らない筈がない。元グレモリー眷属なのだから尚更である。
──救援が駆け付けるまでの時間稼ぎか、それとも探りを入れてるつもりか。
数秒の思案の末に、一誠は頷いた。
「……いいぜ、洗濯が終わるまでの暇潰しに付き合ってやろう。今なら大抵のことは喋ってやる」
「では早速の質問なんだが」
ゼノヴィアは、核心に触れる。
「本当に″禍の団″を支配下に置いたのか?」
▼
「ああ、全派閥は俺の下に降った。その辺りは既に各メディアでも報道されている筈だ」
予想外の質問に一瞬だけ面食らったものの流石は、三大勢力を長く相手取ってきた一誠である。驚愕をおくびにも出さず即座に切り返した。しかしゼノヴィアの表情は揺らがない。まるで既に確信を抱いているかのように矢継ぎ早に質問を飛ばす。
「それならば、どうしてグレンデル襲撃事件に一人で対応した? あれは派閥統合への反発で、彼らは裏切り者なんだろう? 君以外にも裏切りを粛清しようとする者があってもいいと思うが?」
「相手の実力的に、俺以外の奴らが出ていっても邪魔だと判断しただけだ。大人しく裏方に回ってもらったさ」
「……ふむ、それは協力者になったという″幽世の聖杯″の所有者もか?」
「ああ、そうだ」
「他の伝説の邪龍は復活できなかったのか? グレンデルのように。そうすれば戦力になるだろう」
中々どうして痛いところを突くな、と一誠は彼女の推理力に思わず舌を巻いた。実際には組織は支配するどころか解散しており、グレンデルも″幽世の聖杯″所有者も仲間になったことすらない。最初から暗躍を重ねる第三勢力に所属している。その第三勢力が被せてきた冤罪に便乗する形で放ったハッタリではあったが、やはり取り繕うには無理があったようだ。咄嗟に言葉に詰まってしまう程度にはボロが出てくるのだから。
──とんだ暇潰しだ。俺がカモにされただけになっちまった。事前の情報ではデュランダル頼りの脳筋と聞いていたが、評価を修正する必要があるな。
「ゼノヴィアさん、それってつまり!」
と、これまで蚊帳の外だった木場が驚いた様子でゼノヴィアに視線を向けた。どうやら素で気付いていなかったらしい。こちらも評価を修正する必要があるようだ。
「そういうことだ、木場祐斗。彼は″禍の団″の諸派閥を支配下に置けていないし、″幽世の聖杯″所有者とも手を結んでいない。全ては兵藤一誠のハッタリなんだ」
「ご名答。流石は元教会戦士なだけあって抜群の洞察力だな。俺のチームにスカウトしたいところだ」
「ロリコンの下で働くなどお断りだ」
「俺はロリコンじゃないさ。仮にロリコンだとしても、ロリコンという名の愛妻家だよ」
実際、
知りたくなかった元同僚の性癖にドン引きしている木場を尻目に、ゼノヴィアは脳細胞をフル活動させて今度は一誠がわざわざ虚勢を撒き散らした意味について推測を重ねていく。
彼女は自分があまり賢くないことを知っている。学業ではなく単にこういった権謀術数に向いてないという意味だ。考えれば考える程に事態を難しく捉えてしまうのだ。ならば物事をシンプルに紐解いてみれば分かりやすくなることも彼女は既に知っていた。新上司たるシーグヴァイラの教育の賜物である。
──兵藤一誠は嘘をついた。″禍の団″があたかも自分の下で足並みを揃えているようにでっちあげた。
──これまでの彼の行動から考えて、その嘘にも何かしら意味があったのだろう。つまり嘘をつかなければならない状況にあった。
──シーグヴァイラ様曰く、嘘とは相手が知られたくない真実の反対だ。つまり各派閥は纏められておらず後者も……待てよ? ″幽世の聖杯″所有者が兵藤一誠の配下でないのならグレンデルはどうやって甦った? 誰が甦らせた?
──グレンデルを甦らせたのが″幽世の聖杯″なら所有者は誰に協力している?
「おーい、ゼノヴィアさんよ」
思考の海に沈んでいた彼女を呼び戻したのは困り顔を浮かべた一誠だった。「もう帰っていいか?」と訊ねる彼の右手には衣服を詰め込んだビニール袋がぶら下がっている。どうやら推測に夢中になっている間にすっかり洗濯が終わってしまったようだ。
「嫁を待たせてるんでな。インタビューが思い付かないなら俺は帰るぞ」
「待ってくれ、テ
「今すっげー悪意を感じた気がする。分かったよ、あと一個だけな」
「感謝する。では、最後の質問だが」
一誠の顔を真っ直ぐ見据えて、ゼノヴィアは訊ねる。
「──もしかして、君は誰かと戦っているのか?」
「もうすぐ分かると思うぜ、世界中がな」
対して、一誠はランドリーの店内をぐるりと見渡しながら答えた。まるで大勢の観客の前でパフォーマンスを行うマジシャンのような仕草には今の言葉が、今も店の周囲に潜んでいて突入の機会を窺っている複数の気配へ向けたものだという意味合いも含まれていた。気配の正体は彼の出現を察知したシーグヴァイラ達だろう。下手に突入せずにあくまで様子見に徹する辺り、上司もまた優秀だ。
「気を付けるように言っておけよ、デュランダル使いのゼノヴィア」
「何に対してだ? また襲撃作戦でも行うのか?」
そのインタビューには答えないまま彼は本部への転移術式を開き、やがて輝きの中に消えた。草木に隠れていた気配の中の一つ──覚えのあるハーフヴァンパイアのそれに新たな動乱の波を感じ取りながら。