「報告は以上だ……です、シーグヴァイラ様」
「ふむ、下がってよろしい」
兵藤一誠の出現を受けて、シーグヴァイラ率いる新生徒会では直ちに緊急対策会議が行われた。その第一の議題は人間界に姿を見せた赤龍帝についてである。直に会話を交わしたゼノヴィア達からの報告を下地に、シーグヴァイラは顎の下で手を組ながら黙々と脳を稼働させ、幾つかの要点をピックアップする作業とその真偽を掴み取る作業を繰り返す。テロリストの言葉をそのまま鵜呑みにするわけにはいかないからだ。とはいえ、それはある種の徒労に終わった。
「正直者というか、単なる馬鹿なのか。まさか本当のことを話してるなんて思わないじゃない」
「実際に会ったことがありません故、私には判断しかねますな。しかし奴が冥界だけでなく三大勢力を脅かす切れ者である点をお忘れなきよう」
「分かってるわ。油断するつもりはない。忠告ありがとうね、アリヴィアン」
眼鏡を外し、軽く目頭を抑えるシーグヴァイラ。その顔には少なくない疲労の色が見えていた。推察を重ねた果てに、一誠に騙す意図は無く本当に洗濯中の暇潰し目的だったと悟れば骨折り損に愚痴の一つも言いたくなる。緊急事態だからと今夜の仕事をキャンセルせざるを得なくなった顧客にどう説明したものだろう。そうでなくとも上役に今回の一件を報告するという面倒事が増えたというのに。
彼女は思わず深い溜め息を吐いたが、今回の邂逅は決して無意味ではなく、貴重な情報を入手できたこともまた事実だ。
即ち、一誠はあたかも″禍の団″を手中に収めたような発言をしておきながら実際には自身の派閥のみで活動しており、グレンデルや″幽世の聖杯″所有者の属する派閥とは敵対関係にある──。
「これが判明しただけでも冥界にとっては大きな前進よ。今回は大手柄ね、ゼノヴィア」
「恐縮です。しかし気になるのは……」
「彼の抗争相手、ね」
単なる内部抗争か、それとも別組織との諍いか。降って湧いてきた別の厄介事の気配に軽い頭痛を覚えながらも、的確な指摘と判断を見せる新たな″戦車″の姿にシーグヴァイラは満足そうに頷いた。
元教会戦士にして現役の聖剣使い、そして元グレモリー眷属という異色にして黒歴史に等しい経歴を持つゼノヴィアの移籍打診について、シーグヴァイラ及び眷属達は難色を示した。冥界中からバッシングを受けている主君に仕えていたのだから眷属も同類ではないかと考えても当然である。それは彼女だけでなく他の三名も同様だった。
実際、バラキエル戦死の報を聞いてから姫島朱乃は部屋に引きこもるようになってしまったし、ギャスパー・ヴラディは引きこもりの性格こそ叩き直したものの、まだまだコミュニケーション能力に難がある。ゼノヴィアも似たような欠点を抱えているのではないかと警戒しても不思議ではない。
それが蓋を開ければ、ゼノヴィアは今や新生シーグヴァイラ眷属の要になるまでに著しい成長を遂げている。
「もしかすれば、先日の宣言で奴は各派閥からの反感を買ったのではないでしょうか? ″禍の団″は有象無象が集まった組織と聞きますし、それを切っ掛けに内部分裂に至ってもおかしくはありません」
「ふむ、一理あるわね」
「そこから内部抗争が勃発したのか、生じた隙を敵対組織に突かれたのかは分かりませんが可能性としてはあり得るかと」
無論、成長の裏にはシーグヴァイラの涙ぐましいまでの教育が欠かせなかった。移籍直後の彼女は戦場でデュランダルを振り回すだけが取り柄の脳筋でしかなかったのだから。パワーだけの馬鹿など危なっかしいだけであり、そもそも人間界に派遣された悪魔の仕事は戦闘に限ったことではない。例えば街の住人達を相手に契約を交わして代償をせしめてくるのも自身の評価に繋がる重要な仕事だ。
ところがゼノヴィアはその基本的なルールすらも知らなかった。単純に侵入者を撃退するのが仕事だと勘違いしていたのだ。
ただし、この点に関しては一概に彼女ばかりを責められない。眷属の教育は″王″の務めでありゼノヴィアの無知は元″王″であるリアスの怠慢に原因と責任がある。かくして脳筋少女の矯正を決意したシーグヴァイラは古代ギリシャのスパルタも裸足で逃げ出すような再教育を彼女に施し、本人の努力もあってゼノヴィアは見事に一同の新たな戦力に上り詰めたのであった。
ちなみにもう一人の常識人枠である木場と同僚のバフィール・フールカスの″騎士″コンビは今夜も仲良く二人で街の警備に出かけていく程度にはラブコメな雰囲気にあるらしい。″女王″アリヴィアンとの雑談の中で眷属に先を越されたことを知ったシーグヴァイラは、「リア充爆発しろ」と持っていたペンを握り潰したとか潰していないとか。
駒王学園への転入という彼氏作りの絶好の機会を脳筋の再教育漬けでオシャカにされ、それを終えた頃にはすっかり高嶺の花のイメージができあがり、異性が近付くどころか会話の機会すらも失った金髪眼鏡少女の悲しい話はさておき。
「ま、兵藤一誠が勝手に自滅してくれるなら放っておくに越したことはないけど。この一件、上にどう報告するべきかしらね」
「どう、とは?」
「新しい魔王様達は果たして信用できるのか、という話よ」
青春殺しの張本人からの質問に対して、シーグヴァイラは内心で抱いていた疑惑を口にした。
疑惑の発端は、先日発表された前上層部の射殺事件及び一族郎党の処刑である。内通容疑で逮捕された彼らは逃走を図ったとしてやむを得ず全員が射殺され、後者は後々の禍根を経つ為に幼子に至るまで死刑判決を受け、形だけの裁判の終了から僅か一時間後には一人残らず刑が執行された。一族郎党の処刑にはまだ納得できる。僻地への追放処分のみに留まった初代魔王の血族が旧魔王派としてテロリスト組織に合流した前例を考慮すれば、苛烈ではあるが妥当な判断だろう。
では、赤龍帝との内通容疑で逮捕されていた前上層部までも皆殺しにした理由は?
「まさか一つの檻に纏めて放り込んでいたわけではないでしょう。そういった事態を防ぐ為に連中を別々の牢獄に収監していた筈よ。示し合わせたかのように全員が同じタイミングで逃走を図ることの方が難しいわ」
「つまり、早急に口封じを行わなければならない理由がディハウザー様達には存在したと?」
恐る恐るといった様子でゼノヴィアが訊ねると、「嘘とは知られたくない真実の反対よ」とシーグヴァイラは頷いた。
「魔王様達こそが兵藤一誠の真なる内通者だと私は考えているわ」
自分達のトップが既にテロリストと手を結んでいるという指摘に絶句するゼノヴィア。しかし改めて考えてみれば辻褄は合う。
真っ先に思い当たるのは、前上層部に内通の冤罪を押し付けられるだけの権力者は自ずと限られてくる点である。曲がりなりにも魑魅魍魎が巣食う政府内部の権力争いを生き残ってきた連中だ。相応に保身能力にも長けているだろうし、捕縛されたとてその権勢や地位をフル活用すればそれなりに抗うことは可能だった筈なのだ。それすら叶わないまま処刑に追い込まれたということは彼らをも上回る権力者が本気で動いた証拠に他ならない。そのような地位は悪魔勢力において一つしか存在しない。
そして二つ目は、各派閥と袂を分かったであろう一誠達の資金源が謎に包まれている点だ。今までは実働担当と裏方担当で派閥毎に役割を分担することで活動資金を集めていたのかもしれないが、内部分裂した今となってはそれらを全て一誠達のチームだけで行う必要が生じる。これまで実働を専門に担ってきた彼らにそのようなノウハウがあるとは思えない。
オーフィスは例外として、一誠は神仏の領域に至っただけの転生悪魔に過ぎない。日用品や消耗品などの日々の細かな支出も発生するだろう。彼がこれまで通りに活動していくには新たな資金源の確保が絶対条件だ。
「けれど、その疑問もディハウザー様やロイガン様が秘密裏に援助していると考えれば納得できる。お二方が討伐を宣言したのも内通を悟らせない為のフェイクでしょうね」
「そんな……」
「だから悩んでいるのよ。仮に馬鹿正直に報告しようものなら私達は明日には殺されてるかもね。クレーリア・ベリアルの例もあるし」
「誰ですか、その方は?」
「リアス・グレモリーの前に街を管理していた悪魔よ。噂では上層部のスキャンダルを知ってしまった為に眷属もろとも暗殺されてしまったとか」
──ああ、だからディハウザー様は連中を始末したのね。復讐も兼ねて。
知りたくなかった新魔王の裏側を悟ってしまい、改めて深い溜め息を吐き出すシーグヴァイラ。これでは本当にクレーリアの後を追うことになってしまいそうだ。今後の進退について頭を悩ませていると通信術式の対応にしばらく席を外していたアリヴィアンが血相を変えて部屋に飛び込んできた。
「シーグヴァイラ様、一大事です! 巡回中のバフィールより緊急連絡! 街への侵入者です!!」
停止していた悪意が再動する。
▼
「ふむ、魔力から察するに君は元人間だね? それに修正されているけど、その特有の剣の構えは元教会戦士といったところか。そして隣の彼女さんは生粋の上級悪魔だよね?」
「それに気付くということは貴方も教会に縁があったのか」
「君にとっては先輩になるかな。離脱したのは十年も前の話だからね」
「十年、ですって? 妙ね、それにしては外見があまりにも若い」
「それは当然のことだよ、上級悪魔の彼女さん。僕は十年前に殺されたのさ」
「……まさか!?」
「ふふ、恐らく君の答えは正解だと思うよ。おっと失礼、自己紹介が遅れたね。僕は八重垣正臣、元教会戦士で復活した今は″禍の団″の構成員をやらせてもらっている。お手柔らかに頼むよ」
「……どうしてこの街に現れた」
「君ら二人に教えてやる義理があるかい?」
▼過去からの侵入者▼
──そうか、彼を甦らせたか。
シーグヴァイラからの報告を受けたディハウザーはワークチェアに座ったまま瞑目し、彼女達を取り巻く状況の整理に取り掛かった。駒王町に現れたという侵入者についてだ。
応援が駆け付けるまでの足止めを狙った木場とバフィールの″騎士″コンビは到着までの間に敗北し、仲良くアガレス領の医療機関に放り込まれた。次いで交戦を開始した″女王″アリヴィアンも接戦の末に競り負け、入院には至らなかったものの、しばらくの通院を余儀なくされた。結果だけ見れば交戦したメンバーの中で軽傷で済んだのは″王″シーグヴァイラと″戦車″ゼノヴィアの二人だけ。挙げ句に侵入者の逃走を許すという有り様だが、しかし勝敗は平家の常である。それ程の手練れを相手に死者が出なかったのは幸いだろう。とはいえ、侵入者の実力が判明したところで目的と逃走先が不明のままでは意味がない。
──″禍の団″を名乗ったらしいが恐らく本当の所属先は第三勢力だ。捨て駒か。
早急に捕縛せねばなるまい、とディハウザーは通信術式を執務机の上に展開した。
『……今回の一件、面目次第もございません』
やがて淡く浮かび上がったベリアル家の紋章が点滅し、それに呼応して少女の申し訳なさそうな声が聞こえた。シーグヴァイラだ。
「構わん、相手が一枚上手だったまでのこと。どうしても気に病むと言うのなら侵入者捕縛に貢献して今日の汚名をそそげ」
『はっ!!』
「住民の避難は?」
『既に″兵士″ギャスパー・ウラディ及び配下の使い魔達に命じて該当区域の住民は地下シェルターに避難完了しています。また駒王町全域を覆うように非常線も展開しております』
侵入者との戦いはシーグヴァイラの完敗だが、彼女とて将来を嘱望されている逸材だ。逃走した男を無理に深追いすることなく、即座に住民達の避難と非常線展開を独断で指示して被害拡大を抑えた手腕は成程、新領主として若年ながら異例の抜擢をされるのも頷ける。
そして、そんな才女だからこそ新二大魔王と兵藤一誠の結託に辿り着いてしまっていることもディハウザーは既に把握していた。彼女達が人間界での拠点としている駒王学園に仕掛けた盗聴器によって。
「了解した。我々も部隊を編成している途中だが到着までは時間が必要だ。住民の避難に加えて侵入者の捜索も行ってもらいたい」
──今は侵入者の捕縛が最優先だ。シーグヴァイラの進退はその後で考えるか。
そう頷いて、ディハウザーは続け様に指示を与える。
「断じて無理に追う必要はない。発見したり気付いたことがあれば私に連絡するだけで構わない」
『任務完遂を魔王様に誓います!』
「その意気だ。君には期待しているよ」
『はっ!!』
通信が完全に切れたことを確認してから、今度は別の人物に連絡を取る。「どうした?」と術式越しに聞こえた一誠の声は疲れているように思えた。
「お疲れのところ申し訳ない、一誠殿。事件が発生したので伝えるべきと思いまして。都合が悪ければ時間を改めますが」
『いや、大丈夫だ』
ちなみに一誠の声が疲弊していた理由は、彼の帰りが遅かったことに対してお冠な嫁の機嫌を取っていたからである。床に這いつくばって外見年齢一桁の幼女の足にキスするというプレイ染みた機嫌取りに励んでいたからか、その声音に反して嬉しそうな笑みすら浮かべていることをディハウザーは知らないし訊ねようとも思わない。世の中には知らなくていいこともあるのだから。
「──ということで、現在は駒王町全体に厳戒態勢を敷いています」
『分かった。この短時間にそこまで手配するとは相変わらずの手並みだな』
「いえ、これはシーグヴァイラ・アガレスの功績です。そうでなければ我々は後手に回らされたことでしょう」
ディハウザーの言葉に、そういえば、と一誠は先週読んだ冥界の週刊紙を思い出した。人事異動の一覧の片隅に掲載されていた、幸薄そうな金髪眼鏡少女の写真。記憶が正しければ彼女の名がシーグヴァイラだった筈だ。
『リアス・グレモリーに代わる領主として派遣された女悪魔か。少しは役に立つのか?』
紅髪の前任者と比較してからかう一誠だが、少なくとも侵入者の存在を把握して迅速に行動を開始した点でシーグヴァイラの方が優秀である。そうでなければ魔王直々に抜擢した甲斐がない。
「彼女は若手ながら非常に優秀ですよ。優秀過ぎて私と一誠殿の繋がりに気付いてしまう程度にはね」
『……そうか、知ったのか』
自分で派遣した領主に自分達の内通を気付かれるという本末転倒な事態だが、彼としては前任者と同程度の才覚の持ち主を送りたいのが本音だった。裏で暗躍するのに好都合だからだ。しかし駒王町は駒王同盟の締結と、兵藤一誠の出生の地として既に政治・歴史の二点において重要地点と化してしまっている。折角の門出をアピールする為にも相応に優秀な悪魔を任命する必要がある。そう配慮しての今回の抜擢は裏目に出てしまったようだ。
『その女の末路はディハウザーに任せる。煮るなり焼くなり好きにしてくれ。ただし、殺すなら確実に殺せ』
「承知しました」
『それと侵入者は速やかに始末しろ。必要とあれば俺が動いても構わない』
始末してよろしいのですか、という鳩が豆鉄砲を食ったような声音はディハウザーが思わず溢してしまった驚愕だ。捕縛して情報を得るとばかり思っていただけに彼が殺害を即決したのは意外だった。しかし一誠とて無策で決断したのではない。
第三勢力における侵入者の立場や権限は不明瞭だが十中八九、ただの尖兵扱いだろう。持っている情報など知れており、捕まえたところでメリットが薄い。そればかりか冥界で発生したテロのように捕縛した瞬間に自爆しかねない。手元に爆弾を抱えるリスクを選ぶぐらいなら始末した方が安全だと一誠は判断したのだ。
『俺達は侵入者の目的や人数も掴めていない。そいつは適当に見繕った陽動役で、本命が別に隠れている可能性もある』
陽動を用いた数々の作戦を立案・実行してきた彼だからこそ、その指摘には説得力があった。
『だったら陽動なんざ早期に始末して……その後の本命に……対応……』
「どうされましたか?」
『少し待て。落ち着いてくれ、オーフィス。これは浮気じゃないんだ、大事な……んむっ!?』
水が厭らしく滴る音が耳に入った瞬間、「お邪魔虫は退散しましょう」と通信を切った。世の中には知らなくていいことも知りたくないこともあるのだ。
「シーグヴァイラに告ぐ。侵入者の捕縛は考えなくていい。抹殺を最優先に行動しろ。また討伐部隊との合流後は補佐に徹し──」
テキパキと配下に指示を出す魔王の目は、心なしか疲れている気がした。とはいえ、まさか一誠が妻に授乳プレイを強いられている真っ最中だったとはディハウザーの目をもってしても見抜けなかった。