一誠は、通信が途絶えたことを確認してから次なる一手を模索する。駒王町に侵入した男は相応の実力を誇り、新たに赴任していた領主シーグヴァイラとその眷属達を退けたらしい。即座に非常線が張られた現在は駒王町のどこかに潜伏している筈だ。とはいえ、汚名返上に燃えるシーグヴァイラ達による執念の捜索活動と、派遣される討伐部隊の追跡からいつまでも逃れ続けるのは至難だろう。
そう遠くない内に吉報が届く。脳内でそう結論付けるが彼らにとってそれは凶報でもある。
──侵入者の捜索続行と、そればかりに注目せざるを得ない状況に置かれてしまっているという点は同義だ。デコイの仕事は既に果たされた。
ミスディレクションを駆使して三大勢力を翻弄してきた赤龍帝だからこそ、これが単なる侵入者ではなく後に真の目的を携えた本命が現れる可能性を確信していた。自分なら必ずこの状況で出撃するからだ。必要ならば動くとディハウザーに約束したのも本命の存在を見越してのことだ。真の目的の為に活動するような立場ならば相応に情報を持っているだろう。是が非でも逃がしたくないが故にわざわざ出撃を匂わせたのである。
──大丈夫、ここまでは順調だ。最悪の場合は俺が出撃すれば片付く。何も問題は無い。
彼の最大の誤算を挙げるとすれば恐らく出撃できそうにない点だ。
「……赤龍帝、我の母乳、美味しい?」
「うん」
どことなく上機嫌な
ただし、ドアの隙間越しに覗くフリードとレイヴェルから見た場合は逆に幼女にしがみついて授乳プレイを強要する変態がいるようにしか見えないのだが。
「で、自称側近はどうしますの? 面倒を見ると豪語していましたわね?」
「ごめんシンプルに無理だわ」
ドン引きする部下二人にも気付かずに開き直ってチューチューと吸い付いている彼は疲れているのかもしれない。
事実、彼の心身は限界を迎えようとしていた。
▼一誠SOS▼
身体に蓄積した疲労についてだが、これは単純に今までの戦いの連続で背負ってきた数多のダメージが遂に表面化しただけだ。″禍の団″が分裂し実質的な一誠達だけのチームと化した今では人手不足という弱点を補うべく無理な出撃を繰り返してきた。休養も満足に取らないまま動き回ったのでは疲労など癒える筈もない。その点は自己強化の代償に肉体の大半がドラゴンのそれに置き換わった今も変わらないままである。
では次に、精神面の負担はどうだろうか?
三大勢力を相手に積み上げてきたパフォーマンスとその実績は知らず知らずの内に、次も必ず成功させなければいけない、という重圧となって双肩にのし掛かる。そして今後の計画をより完璧に近付けようと試行錯誤を重ねる中で重圧は日に日に増していき、計画が成功すればそれがまた新たな重圧として襲い掛かるのだ。一誠が魔王クラスの実力を獲得しても精神まではそうはいかない。プレッシャーの連続に晒された彼の精神面は不安定になる一方だ。
そして、そんな彼の揺らぐ精神に大きくヒビを入れたのが両親の死亡と、グレンデルが引き起こした襲撃事件である。
「オーフィス、俺は……」
「……ん。いっぱい吐き出して」
愛する嫁の胸に頬を埋めながら、一誠はポツリポツリと言葉を紡ぐ。
「……守れなかった。また誰も守れなかった」
「……うん」
「俺のせいで父さんと母さんが死んで、それでも俺は前に進むしかなくて……」
両親の死はアーシアのそれに続く根強いトラウマとして一誠の心に深く刻まれている。出産を控える妻を過剰なまでに守ろうと動くのも夫としての責務を果たす以上に、大切な誰かを二度と失いたくないという恐怖心がそうさせるのだ。その結果、一誠は自分の身体を省みることをしなくなってしまった。それが妻子を失うまいとする決意の表れなのか或いは無意識の贖罪なのかは定かではない。
「俺は……結果的に戦闘を選んだ。グレンデルとヴァーリは撤退していった……」
「……うん」
「その選択が間違ってるとは思わない……けど、結果だけ見ればさ……俺のお陰で大勢の悪魔が救われてしまったんだ……」
「……うん」
仮に一誠の乱入が無ければ、グレンデルは迎撃したディハウザーやファルビウムを簡単に叩き潰し、冥界全土を火の海にして回った筈だ。当然、その範囲内にはグレモリー領──復讐対象のサーゼクスやリアスも含まれている。
もし彼らが殺されれば果たして何の為に血の滲むような努力に身を沈め、そうと知りながら大量虐殺同然の超長距離砲撃を実行し、世界中の敵になる道を選んだのか分からなくなってしまう。それを焦っての戦闘介入は、しかし忌み嫌う悪魔達を助けてしまう結果となってしまった。悪魔への復讐を掲げる赤龍帝が悪魔を救わされるなどこれ程に皮肉な話は他に無いだろう。
その事実に気付いたとき、遂に一誠の心はミシリと音を立てて軋んだ。オーフィスが唐突に授乳プレイを強要したのも一誠の精神状態が危ういことを察し、彼女なりに励まそうとした結果である。
こういう場合、とオーフィスは彼の頬に白く小さな手を添えながら口を開く。
「……我、どういう言葉を送るのか、知ってる。赤龍帝へのエール、ちゃんと考えた」
世界最強の座に最も近いオーフィスから見て、当初の一誠の実力は地面を伝う蟻の列と同義、つまり有象無象の一人でしかなかった。しかし蛇を拒絶した彼はオーフィスとの特訓の果てに今や世界にその名を知られる強者にまで上り詰めた。もし全勢力の実力者ランキングを作成するとすればトップ10入りは確実な程に。
自力で神仏の領域に片足を踏み入れたのは間違いなく本人の努力の賜物だ。
「……お疲れ様、よく頑張ったね」
それを誰よりも近くで見てきた彼女だからこそ、
「……兵藤、一誠」
その言葉はどんな美しい歌にも勝る、最高の癒しとなるのだ。
「え……」
「……どうだった? 一誠、元気出た?」
エヘン、と発展途上の胸を張るオーフィス。そんな彼女が誰よりも愛しくて、「オーフィス!」と叫びながら一誠は妻のおっぱいにすがり付いた。そして彼女の名前を呼び続けながら、一誠は泣いた。
「……あっ、くすぐったい」
「オーフィス、オーフィスオーフィス……」
「……一誠、可愛い。大きな子供ができたみたい」
オーフィスは薄く微笑んだ。それから、自分が揺り篭になったような気分で一誠の頭を撫でた。