はぐれ一誠の非日常   作:ミスター超合金

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オーフィス可愛い(背徳の✕テープ)


天と魔と業と

 フリードの行方不明から半日が経過した。それは彼が何者かによって殺害されてしまったことを意味しており、一誠は険しい表情でその背景について思考を巡らせる。重要であるのは彼を殺害した相手の正体だ。真っ先に考えられるのは第三勢力だ。一誠達の手足を削ぐ目的でフリードを落としたのだとすれば相手は相当の手練れである。

 

「情報が割れてるな」

 

 オーフィスを傍らに座らせ、一誠は不愉快さを隠さずに言った。長く苦楽を共にした仲間を失ったことによる精神的ダメージもそうだが、メンバーを知られているということは潜伏先も特定されている可能性が高い。そもそも旧魔王派を抱き込まれた時点で警戒すべきだったのだが。

 

「……やはり駄目でしたわ」

 

 部屋に戻ってきたレイヴェルが、沈痛そうな顔で頭を振った。

 

「そうか、先に潰されていたか」

「どうしましょう。これではオーフィス様が……」

 

 二人の視線の先には腹を大きく膨らませたオーフィスがうたた寝をしている。無論、食べ過ぎでそうなったのではない。

 オーフィスは、いよいよ出産を控えている。

 身重となった彼女の護衛役を任されていたフリードとレイヴェルだったが上述のように前者は殺害され、実戦経験に乏しい後者だけでは不安が残る。また人手と施設に乏しいこのアジトは安全な出産場所とは言えない。それ故に一誠は手を打っていたのだが、レイヴェルの反応からしてそれすらも潰されてしまったようだ。

 

 レイヴェルが連絡していたのは英雄派や魔法使い派が運営する、北欧のとある片田舎に隠された孤児院だ。

 

 曹操達とは彼らが″禍の団″を脱退する形で既に袂を別っているものの、オーフィスの出産に協力してもらえるように一誠は事前に頼み込んでおり、曹操側も赤ん坊の命を守る為にこれを承諾していた。そして時期が来ればオーフィスとレイヴェルを孤児院に避難させ、一誠は陽動も兼ねて単独で世界に全面戦争を仕掛けて戦死する算段だったのだ。

 

 ″禍の団″を乗っ取った首魁として。

 新たな家族を守る為に。

 

 ところが最後の拠り所を一気に失ったことで計画は頓挫してしまった。

 

「落ち着いてくださいまし。こうなれば善後策を練るしかありませんわ」

「……そう、だな。俺としたことが動揺しちまった。我ながら情けないぜ」

「いえ、気持ちは分かりますわ」

 

 二人の声はどことなく震えていて顔色は暗い。フリードを失い今また曹操達もとなればショックを受けるのも当然だ。とはいえ、テロリストの主犯として多くの事件を引き起こし数えきれない程の命を奪ってきた一誠に誰かの死を悲しむ資格はないのかもしれないが。長い沈黙の後に一誠は迷いながらも口を開く。

 

「……現魔王を頼ろうと思う」

 

 一誠が口にした現魔王とはディハウザーのことのみを指す。ディハウザーは今の悪魔勢力を率いる二大魔王の一角にして冥界のトップでありながらテロリストに情報を流す内通者でもある。より厳密には一誠の力添えで魔王に成り上がり遂に旧上層部に復讐を果たした同志だ。魔王自身が一誠の協力者なのだから現在の冥界は″禍の団″の支配下に置かれているに等しく、オーフィス達を匿うには好都合な状況である。

 

 問題は、もう一人の魔王ロイガンにある。かつてヴァーリと交戦した際に彼女は洗脳能力を受けているのだ。

 

「幸いにも術は解かれ、検査でも後遺症は無かったと聞いている。しかし果たしてそれは本当なのか。もしかすれば未だに洗脳下にあるのではないか。可能性を否定できない以上は迂闊に預けられん」

「難しいですわね。もし判断を見誤れば人質にされかねませんし……」

「ドライグ、産婦人科の知り合いはいるか?」

『無茶を言うな』

 

 翡翠の宝玉から溜め息が漏れた。中に宿るドライグだ。しかし彼にもオーフィス達を預かってくれる者に心当たりが無いわけではなかった。

 ″天魔の業龍″ティアマットだ。

 龍王の中でも最強と謳われる実力者であり、封印される以前のドライグは彼女からコレクションの宝具を借りるなど親しく付き合う仲であった。ちなみにドライグは封印された際に宝具を失くしてしまい宿主に干渉して逃走中の身である。しかし自身が歴代最高と評する相棒の妻のピンチとなれば隠しておくこともできず、これまで隠していた宝具の件も含めて一誠にティアマットの詳細を語った。

 

『──というわけだ。彼女なら同族のよしみで引き受けてくれるかもしれん』

「居場所は知ってるのか?」

『最後に会ったのは使い魔の森と悪魔共が呼んでいる場所だ。その最奥にある泉がティアマットのお気に入りらしくてな。傍らの洞窟を別荘にしていると自慢していたのをよく覚えている』

「そうか、あのときザトゥージさんもそんなことを言ってたっけな……」

 

 一誠は、寂しげに笑った。まるで遠い昔のように思えるがオカルト研究部での活動の記憶は脳の片隅にこびりついたままだ。

 

『辛いことを思い出させてすまない。俺の配慮が足りなかった』

「構わんさ。それよりも早速、ティアマットの本拠地に乗り込むぞ。レイヴェルはオーフィスの護衛を頼む。分かっているとは思うが」

「一誠様が戻られるまで、オーフィス様を全力で守り通すことを誓いますわ」

「すぐにティアマットを連れて戻る。それまでのことは任せるぞ」

 

 かくして一誠は転移術式の光の中に消えた。

 使い魔の森でドラゴン達の激戦が繰り広げられていたことを、彼はまだ知らない。

 

▼天と魔と業と▼

 

 平和だった筈の森で今また爆発音が鳴り響き、同時に木々の薙ぎ倒される音が幾つも重なる。特に森の最奥は爆撃に晒されたかのように焼け野原と化しており、美しかった自然は見る影もない。その爆心地付近で一体の青く美しいドラゴンが重傷を負って倒れていた。このままでは命すら危ういことは想像に難しくない。そんなドラゴンを大勢で取り囲むのは邪龍と吸血鬼で構成された異形の軍勢だ。

 

 軍勢の中で一際巨大な体躯をした、巨人型の邪龍が嘲笑った。

 

『おいおい、どうしたどうしたあ!? 最強の龍王ともあろうお前が地面に這いつくばって情けねえなあ! 今更ビビってんのかよ! それとも命乞いして油断させようって作戦か!』

「……黙れ! 黙れ黙れ!」

 

 青いドラゴンは、懸命に半身を起こしながら吸血鬼の軍勢を睨む。兵士達が剣を突きつけた先にはスライムやオークなど森の魔物達が目隠しと猿轡をされた状態で一列に並べられている。人質だ。魔物達を満足そうに眺めながらリーダー格と思しき銀髪の初老の男が言う。

 

「殺したら駄目だぞ♪︎ ティアマットは捕らえて実験台にするんだからさ! それにしても大勢でいきなり押し掛けてゴメンねー。計画の為にちょっと丈夫な母胎が欲しくってさ。確認するけど妊娠中とかってわけじゃないよね?」

「ふざけるな……そんなくだらん計画に生命の神秘を利用するなど許されるものか!」

「だって俺は悪魔だもん。命だってアメンボだって利用するっての。なんか面倒になってきたな」

 

 下品な笑い声から一転、途端にテンションを落とした銀髪の男は、「人質殺すか」と気だるげに呟いた。

 

「……ま、待ってくれ」

 

 途端に、ティアマットと呼ばれた青いドラゴンは目を見開くと頭を垂れて弱々しい声で言う。

 

「私は煮るなり焼くなり好きにしろ……どうか私の友だけは……」

「そうこなくっちゃな! 従順な母胎は長生きするぜ! んー、でも誰かさんに反抗的な態度を取られたしなー。ちょっと誠意を見せてもらわんと信用できないよねえ?」

「……誠意、だと?」

「そうだねえ、うちのヴァレリーちゃんみたいに兵隊共に貸し与える真似はしたくないし」

 

 謝罪会見かな、と銀髪の男は言った。

 

「悪いことしたら謝罪会見を開くべきだろ。俺達で動画サイトに投稿してやるからさ。歯向かってすいませんでした、って土下座して詫びたら許してやんよ」

「そんな……!?」

 

 ティアマットは思わず絶句した。ドラゴンとは誇りを重んじる種族であり、力の強い個体は特にその傾向が強い。例えるなら日本の武士に似て、生き恥を晒すなら名誉ある死を望む、といった価値観だ。ティアマットも例に漏れず誇りを重視しており、だからこそ男からの要求に驚愕の声を漏らした。自分の痴態を世間に公開されてしまうなど誇り高い彼女にとっては事実上の死刑宣告にも等しく、とても呑み込めない要求である。しかし断れば人質は殺される。

 

「……分かった。要求を呑む」

 

 究極の選択の末に、ティアマットは友の命を選んだ。

 

『ギャハハハ! これは傑作だ! あの龍王様が土下座とはなあ! ちょっと見ねえ間に随分と腑抜けちまったようだな!』

「後で首輪も嵌めろよ? これからお前はうちの大事な家畜として余生を過ごすんだからさ。それから謝罪会見ってことで」

「リゼヴィム様も相変わらず悪趣味なことで。しかしながら、それだと捕らえた魔法使い連中と同じ扱いになってしまいますよ。城を牧場にするおつもりですか?」

「あー、シンプルに忘れてたわ。そんなのまで覚えてるとは、ユーグリット君は真面目だねえ」

 

 初老の男は傍らに控える青年と楽しそうに会話をしているがティアマットにはもう抗う気力すら残されていなかった。誇りの証である翼と角と心までも折られて、どうして抗えるだろう。あまりの悔しさにティアマットは涙すら浮かべた。さりとて自害すらも許されず実験漬けの未来を悲観することしかできなかった。生まれて初めての経験だった。

 

 ──誰か、助けてくれ。

 

 ティアマットは、誰かに祈った。これもまた彼女にとって初めてのことだ。

 

 ──誰でもいい。助けてくれ。

 

 祈り続ける彼女の首にリゼヴィムと呼ばれた男が鉄の枷を宛がった。内部に逃走防止の術式が搭載されており、これを嵌めた者が魔力を行使しようとすれば爆発する代物だ。

 

「ほーれ、大人しくしろよ? こいつは家畜の証明書みたいなもんだ! これを嵌めたらお前は家畜になるんだよ嬉しいだろ? うひゃひゃひゃ♪︎」

 

 ──誰か……。

 

 果たして、願いは届いた。

 

「──胸糞悪いスカウトの手口だな。悪魔らしくて安心したぜ」

 

 戦場に舞い降りた赤い煌めきは、今まさに枷を嵌められようとしていたティアマットを庇うようにしてリゼヴィムと対峙する。

 

「……おいおいおい今日はクリスマスか、それとも誕生日ですか!? このタイミングでお前が現れるのかよ!」

「誰だ、お前?」

「お初にお目にかかる。我が名はリゼヴィム・リヴァン・ルシファー。″禍の団″を討伐するべく正義の団体″クリフォト″を結成した単なる悪魔だ。なんちゃって!」

「……質問いいか?」

 

 ″倍加″の合図を響かせながら、一誠は訊ねる。

 

「お前がオーフィスを狙ってる黒幕か?」

「そうだ、と言ったら?」

 

 それに対する返答は一つだ。

 

「──殺すに決まってんだろ」

「やってみろよ、バーカ!」

 

 直後、赤と銀の魔力が衝突した。相反する二つの魔力は衝突した瞬間に激しい衝撃と業火を孕んで弾け飛び、一帯に爆風を撒き散らした。その光景はさながらミサイルの着弾にも似ており、更に数秒遅れて熱風が駆け巡る。焦熱地獄に揺れる煙を割って半透明の障壁に包まれたリゼヴィムが現れた。

 

 巨大な障壁の中にいたリゼヴィムに目立った傷は見られない。衝突の直前に幾百もの防御魔法術式を展開したからであり、リゼヴィムだけでなく軍勢を丸ごと庇うように展開されたその術式は衝突時に発生したエネルギーから彼らを守り抜いてみせた。しかし衝突から顔を見せたのはリゼヴィム達だけではない。

 

 薄れていく煙を切り裂くように煌めいた赤い光の正体は一誠だ。代名詞である″赤龍帝の鎧″を身に纏い、痛々しい程の波動を漲らせながら戦場へと降り立つその姿はまさにドライグそのもので、彼の一睨みだけで雑兵の大半が戦意を摘まれその場に座り込んだ。

 

「噂とは違って随分な甘ちゃんだな」

 

 リゼヴィムは口角を吊り上げた。彼の視線の先には赤龍帝の魔力の繭に守られるティアマットの姿があった。

 

「ああ、もしや嫁が妊娠したってんで愛人に持って帰るつもりか? 若いねえ! でも残念ながらティアちゃんは俺のもんでさあ、代わりに魔法使い共をくれてやるから諦めてくれねえかなあ!」

「遺言はそれでいいか?」

 

 一誠は、苛立ちを隠さずに言った。オーフィスが絡むと途端に沸点の低くなる愛妻家が激怒しない筈がなかった。

 度し難いのは、そうと知りながら自ら地雷を踏み抜きにいったリゼヴィムの言動だ。自殺志願者の類ではない。挑発によって相手の攻撃を誘う戦い方は彼が生来得意とする十八番の戦法である。

 

 そうして怒りに駆られて突撃してきた相手の対処は容易い。

 

『グハハハハッ!! オレ様を無視すんなや、お礼参りしてやっからよお! リゼヴィムは手を出すなよ!』

「はいはーい。しばらく遊んどいてよ。俺ちゃんは少し準備もあるし」

 

 視界と理性の外を縫うように飛び込みながら右の豪腕を振りかざすグレンデル。一誠は頭上から迫る拳を難なく受け止め、ドライグを模した赤い兜越しに睨んだ。翡翠の瞳が強く瞬き、″倍加″の音声が響く。

 

 既にドラゴンそのものと化した紅蓮の右腕で一誠は容赦なくグレンデルの腕を引き千切った。

 

 右肩から先を失ったグレンデルは、それでも即座に腕を再生することで次の猛攻へと移ろうとした。崩しかけた体勢を強引に整えると一誠目掛けて勇ましく跳躍する。巨人型のドラゴンであるグレンデルは並外れた巨躯を誇っているが、巨大というのはそれだけで一つの武器である。ましてや硬質な鱗に覆われているのだ。仮に押し潰されれば並の相手は一溜りもないだろう。並の相手であれば。

 

 飛び掛かったその顔面に、重たい衝撃とせめぎ合う音が走る。

 

 グレンデルは吹っ飛ばされながら、引き千切られた自分の腕を一誠が握ったままであることに気付いた。自慢の硬質の鱗に覆われたそれを即席の打撃武器にしたのだ。以前にも見せた戦法だがリーチの差を埋めるには有効な手段である。今度は一誠の方から踏み込み、掴んでいた浅黒い鱗の右腕を持ち主に向かって放り投げた。

 

 超高速で、質量の塊が飛ぶ。

 

 グレンデルは冷静に着地すると、ミサイルと化したそれを睨む。回避もしくは迎撃。その選択を邪龍は悩まない。クロスさせた両腕に魔力を滾らせ、一転に集めた魔力は鱗と合わさって鉄壁の強度を誇る盾となる。金属の擦り合う鈍い音が響いた直後、抑え込むべく軌道を逸らすようにして両腕を振り下ろした。ミサイルは凄まじい速度で足元の地面を掘り進んでいき、周囲一帯に土砂を撒き散らす。

 

『──Transfer!!!!』

 

 背後から響いた聞き覚えのある音声にグレンデルは咄嗟に反応できなかった。

 

「邪龍如きが俺の邪魔をするな」

 

 突如、グレンデルの身体が内部から破裂し、肉片の雨を降り注がせた。″譲渡″によって数十倍にまで膨張させられた体内の魔力が器である肉体を自壊させたのだと気付き、頭部だけとなったグレンデルは『やるじゃねえか』と自分を見下ろす一誠に嬉しそうな声で言った。

 

『覚えとけ。今度はリベンジしてやるよ』

「腰が入ってねえんだよ。走り込みからやり直せ」

 

 そうしてグレンデルは塵となって消えた。その塵すらも踏み越え、一誠は再びリゼヴィムへと肉薄すべく爪先に力を込める。

 

『待て、相棒』

 

 跳躍しかけた一誠を、左手の甲に埋め込まれた翡翠の宝玉が制止した。内に宿るドライグだ。歴戦の猛者である彼はリゼヴィムの持つ固有能力についても既に把握していた。そして一誠とは致命的に相性が悪いことも。

 

『あの男は″神器無効化″という特殊な能力を有していると聞いたことがある。神器に由来する特性や効果を無効にするらしい』

「おい、マジかよ。すると、どれだけ″倍加″を重ねようとも無意味ってことか」

「ピンポーン♪︎ だって俺ちゃんはちっぽけな悪魔に過ぎないしさあ。メチャメチャ強い邪龍だってぶち殺す勇気とパワーなんて恐ろしいだろ? だったら無効化するに決まってんじゃん!」

 

 小声での会話だったがリゼヴィムには筒抜けだったらしい。というよりも一誠の焦燥から内容を察したというべきか。ドライグが説明したように″神器無効化″は神器が持つ特性や能力は勿論、それによって高められた力も触れた瞬間に問答無用で機能停止に追い込むという、神器を用いる相手には無類の強さを発揮する異能力である。初代ルシファーの息子であるリゼヴィムに発現した理由は分からない。

 

 赤龍帝の兵藤一誠は、抗う術を持たない。

 分かることは、それだけだ。

 

「──撤退だ」

 

 それを聞いた一誠の決断は迅速だ。今回の目的はあくまでもティアマットを連れ帰ることであり、リゼヴィムや軍勢との正面衝突ではない。優先順位を間違えるような真似をすれば愛する妻の出産に間に合わなくなってしまう。

 

「もう帰るのかよ。そんなに嫁が心配か?」

 

 転移術式の淡い光に包まれる一誠とティアマットを眺めながらリゼヴィムは嘲笑った。

 

「新たに愛人を囲うなんざ愛想を尽かした嫁に出て行かれても知らねーぜ? ああ、自力じゃ無理か」

「……は?」

 

 リゼヴィムは笑みをより一層深めながら、髪と同じ色をした髭を撫でる。

 

「グレンデルがただの囮ってことに気付かないか? その間に俺は何をしてたと思う?」

 

 一誠の決断は迅速且つ的確で理にも叶っているが、それはある一点を除いた場合である。

 

「身重の腹を守りながら戦うのは不可能だよな」

 

 即ち、既に手遅れである場合だ。

 

 

 一誠の私室の扉が唐突に蹴破られ、その破片が室内に散らばった。音に気付いたオーフィスが目を覚まして入口のある方向に視線を向け、傍らに控えていたレイヴェルが素早く炎の翼を生やして臨戦態勢に移る。

 

 突入してきた兵士達の群れを割って、黒いコートを羽織った男が悠然と姿を現した。金と黒の入り交じった髪と、やはり黒と金の双眸が特徴的なその男は、今にも飛び出そうとする兵達を制してからオーフィスに向けて口を開く。

 

「久しいな」

「……クロウ・クルワッハ?」

 

 オーフィスは、かつて思いがけず交戦した漆黒の邪龍を思い出して言った。彼が邪龍の筆頭格であることは後で知ったことだが、それを抜きにしてもクロウ・クルワッハの実力は覚えていた。一誠と出会うよりもずっと昔の、静寂以外に興味を示さなかった頃の出来事を覚えているのだからそれだけ深く印象に残っている証拠だろう。

 

 彼女が疑問に感じたのは、その邪龍筆頭格のドラゴンが兵士達を率いている理由である。背後の連中の正体は、感じ取れる魔力こそ歪にねじ曲がっているが恐らくは吸血鬼だ。彼らは閉鎖的な性質をしており、そのプライドの高さ故に他勢力と手を結びたがらないことは有名な話である。よしんば組んだとしても、それは彼らからすれば同盟ではなく隷属関係に等しい。クロウ・クルワッハが筆頭格として名を知られていようと吸血鬼と轡を並べられる筈がないのだ。

 

「そこを退け、不死鳥の小娘」

「いいえ、一歩たりとも退くつもりはありません」

 

 クロウ・クルワッハの言葉に、レイヴェルは声と身体を震えさせながらもオーフィスを庇うようにして立ち塞がった。自身に向けて放たれたドラゴンの威圧感に心臓を鷲掴みにされるような感覚に陥っても冷や汗を流しながら対峙する。

 

「……もう一度、言う。大人しく退け。そうすれば命だけは見逃してやる」

 

 その声には先程よりも強い気迫が混じっていた。彼からすればレイヴェルは片手間で始末できるような相手であり、路肩の石ころと変わらない。目的を果たすだけなら殺害すべきなのだ。律儀に警告を重ねたのは、わざわざ弱者を相手にするまいというクロウ・クルワッハの矜持故だ。自分の前に立ちはだかったレイヴェルの心の強さに敬意を表してのことである。とはいえ、彼女があくまで信念を貫こうとするのなら踏み潰すだけだ。

 

「女子供に手荒な真似をするのは好かんが、一端の戦士であるなら話は別だ」

 

 クロウ・クルワッハが双眸を瞬かせた瞬間に、レイヴェルはその場に縫い付けられた。殺したわけではない。レイヴェルには息も意識も残されている。一度に多量の威圧感をぶつけられたことで肉体が極度の緊張状態に陥っただけだ。擬死状態或いは金縛りに近いかもしれない。相手に戦う価値があるかどうかを見定める彼なりの洗礼だ。

 

「一緒に来てもらうぞ、オーフィス」

 

 クロウ・クルワッハの言葉に、オーフィスは「無理」と即答した。

 

「……我、既に一誠と家庭を形成している。故に我はお前のナンパには応じない」

「そういう意味じゃない。今からお前を我々の拠点に拉致するんだ」

「……それこそ、無理。我には勝てない」

 

 守役のレイヴェルが倒れ、室内を吸血鬼の兵士達に制圧されてしまったこの状況でも余裕でいられるのは、オーフィスが世界最強に最も近い″無限の龍神″であるからだ。夢幻を司るグレートレッドが出現したならいざ知らず、妊娠したからといって有象無象の集団に敗北する道理はない。ましてや吸血鬼崩れの寄せ集めなど億の単位を用意したところで掠り傷一つすら負わせられないだろう。ただし、クロウ・クルワッハとて埋め難い戦力差は承知の上で乗り込んだのだが。

 

「そうか。ならば不死鳥の小娘を殺す」

 

 彼からの目配せを受け取った兵士達が、レイヴェルの首筋に剣を突きつけた。

 

 フェニックス家の最大の特徴は肉体欠損すらも補う強大な再生能力だが、しかし弱点はある。例えば悪魔が苦手とする聖水や聖剣などで負ったダメージからはフェニックス家といえども逃れるのは容易ではなく再生にも相応の時間を必要とする。そしてもっと単純に、許容範囲の限界を超える程の重傷を一度に負った場合も再生能力が追い付かないまま死に至るし、何らかの要因で精神をへし折られても能力が上手く発動できなくなってしまう。

 

 フェニックス家の再生能力が無敵でないことは他ならぬ兵藤一誠が既に証明しているのだ。

 

 一誠は聖水を用いることでライザーを敗北寸前にまで追い詰めたが、前述したようにクロウ・クルワッハなら魔力の塊を放つだけで片付く。それこそ生かしたままルーマニアの拠点に連れ帰ればリゼヴィムが嬉々として玩具にするだろう。そこに一切の人権や尊厳は含まれず、五体満足で死ねればマシな方である。

 

 つまりレイヴェルの末路はこの時点で確定しているのだが、純真無垢なオーフィスには駆け引きの類が分からなかった。

 

 オーフィスにとってレイヴェルは身重で動けない自分の世話を引き受けてくれた心優しい少女であり、大切な友人だった。そんな彼女を見捨てたとなれば戦いから帰ってきた一誠は酷く悲しむだろう。彼のそんな顔を思い浮かべるだけで胸が張り裂けるように痛い。

 

 そして遂に胸の痛みに堪えきれず、オーフィスはゆっくりと頷いた。

 

 白い頬に伝う一滴の雫。

 それは″無限の龍神″が初めて見せる涙だった。

 

「……我、お前についていく。その代わりに、レイヴェルには手を出すな」

 

 オーフィスは、前に一誠と共に眺めた刑事ドラマを真似て小さな両手を差し出した。とはいえ、その意味まではあまり理解していない。ただ、悪事を働いた者がどこかに連れていかれる際にその行為を行うのだろうと解釈しただけだ。意外にも、クロウ・クルワッハは大きく腹の膨らんだ彼女をそっと自ら抱き抱えると、兵士達には指一本も触れさせなかった。同族として思うところがあるのかもしれないが彼は口を閉じたまま何も言わない。

 

 床に、黒色の転移術式が紡がれる。

 

 クロウ・クルワッハは側にいた兵士に合図を出してから転移術式を潜った。続いて意図を察した兵士達がまだ動けないでいるレイヴェルを拘束すると彼の後を追って消えていく。

 

 彼らにとって幸運だったのは一誠達がアジトを移動させていなかった点だ。既に組織に取り込んだ旧魔王派の残党から詳細を聞き出すことで座標の特定には成功したものの、それを悟った一誠がアジトを移す恐れがあった。特にオーフィスの出産には細心の注意を払うだろう。それ故に、リゼヴィム主導で各地に点在する元″禍の団″系組織の強襲と殺害を繰り返すことで一誠が下手に動けなくなるように仕組んだ。

 

 リゼヴィムからの連絡が、策の成功を意味する。

 

 オーフィスの出産に立ち会ってくれる者を探し求めたのか、一誠はティアマットが暮らす森を訪れたという。リゼヴィム達との交戦は予想外だが、彼が出撃したのならオーフィスの周辺には世話役のレイヴェルしかいない。しかしそのレイヴェルは人質に最適だ。即ち、最初から最後まで一誠はリゼヴィムの掌の上で足掻き続けていたのだ。

 

 それから数分後、愛する少女を求める少年の悲しげな咆哮が室内に響いた。

 その双眸は、憎悪の光に満ちている。

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