既に悪魔である女
あの日からリアスを憂鬱が蝕んだ。自慢の眷属である一誠を救えなかったことが原因だ。
婚約発表終了後、リアスは実家に呼び出された。行ってみれば、そこには深刻な表情をした実兄と上層部の悪魔達が待ち受けていた。
彼らの話によると政府上層部は一誠の殺害をサーゼクスに迫ったらしい。老害達が相当に面倒な存在だというのは若いリアスも理解していたが、こんな強引な手を使うとは予想していなかった。
サーゼクスがそれを許可したことも、だ。
その途端、黒い笑みを浮かべながら去っていく上層部を尻目に、リアスはサーゼクスを問い詰めた。しかし彼の返答は「仕方なかった」の一点張り。
嫌な予感がした彼女はオカルト研究部の部室へと転移するも既に遅く、部室は血塗れになっていた。
腕やら足やらが散乱した部室。細かく解体された悪魔の死体。
無惨な光景を見慣れた彼女でも吐き気を覚えたその場所に、赤い龍の双腕を持つ一誠が立っていた。おぼろ気に天井を見つめていた彼だったが、リアスに気付くと視線だけを動かす。
『──部長も俺を狙うのか?』
違う、とリアスはハッキリ言いたかった。だが、言えなかった。
彼に恐怖したからだ。
酷く透き通っている眼差しをした彼が、どうしようもなく恐ろしかったのだ。知らず知らずの内に一歩後ろに下がってしまったことを悟り、リアスは自分が情けなくなった。
さんざん可愛い眷属と言っておきながら今は彼に恐怖している。リアスは初めて、自分の醜悪さを見せつけられた。
『……襲ってきた奴が言ってたよ。負けた俺は役立たずだから、ドライグを引っこ抜いて殺すんだとさ。魔王サーゼクスや偉い連中の許可を得て、な。どうせ部長も賛同したんだろ?』
『違う、違うの……』
『その割には後退りしてるよな? やっぱり後ろめたいことがあるからだろ?』
靴裏のゴムと床が擦れる音が耳を襲った。言い訳しようのない証拠を突きつけられて、それでもリアスは抗う。
認めたくないのだ。
情愛に深いグレモリーの次期当主が可愛がっていた眷属に恐怖を抱いたなどと、所詮は上辺だけの愛であったなどと、結局は上級悪魔の一員である彼女は認めたくなかったのだ。
一誠は興味を完全に失った眼でリアスを刺し貫いた。どこまでも黒い眼球が逃げようとする彼女を直視した。
『認めろよ、情愛は嘘だったと。リアス・グレモリーは、魔王サーゼクスは、お前ら悪魔は──俺を見捨てたと認めちまえよッ!!』
『違う……!! お願いだから、放して!! 話を、聞いて……っ!』
リアスは飛び起きた。ベッド近くに置かれた時計は丑三つ時を指していた。何時も見る、あの日の夢だ。
この後の展開も同じ。サーゼクスや朱乃達が間一髪で駆けつけ、一誠は逃走する。そしてSSS級はぐれ悪魔に指定されるという夢だ。
二度寝する気も起きないまま、水を飲みに一階に降りた。そしてリビングの片隅にポツンと置かれている仏壇が目に入った。遺影は一誠のものだ。
一誠と関わった者の記憶は操作され、ライザー戦の後に交通事故で死んだことになった。リアスやアーシアが今も居候している兵藤家も例外ではない。
一誠の両親も普段は無理して作り笑いをしているが、仏壇の前で泣いていることを二人は知っている。そしてその度に罪悪感が襲い掛かるのだ。
あのとき、本当に助けられなかったのか。無理してでも助けるべきだった筈だ、とリアスは苦しむ。それが主君たる者の責務なのだから。
そして今夜も泣き声が聞こえる。悲痛な声を聞いているとますます眠れなくなる、と逃げるようにリアスは部屋に閉じ籠った。布団を頭から被ったが、しかし視界は隠せても泣き声は消せない。
罪とはそういうものなのだ。
リアスは朝になると起床し、支度をして、アーシアや一誠の両親と共に朝食を食べて学校に向かう。食事も通学も彼という存在が足りなかった。
それでも学校生活に支障をきたすわけにはいかなかった。ライザーや実父に無理を言って学校に通学させてもらっているのだから。故に部活もこれまで通りに行わなければならない。
とはいえ、今日の部活は騒動から始まったが。
「堕天使総督が私の縄張りに侵入したばかりか私の眷属に接触していたなんて! 冗談じゃないわ!」
木場からの報告にリアスは激昂した。悪魔と敵対関係にある堕天使の親玉が無断で眷属に接触したのだ。どうしたものかと思案していると部室に魔法陣が浮かび上がった。
現れたのはサーゼクスとその妻、グレイフィア。すかさず跪く一同だが、サーゼクスは手を振って制する。
「今日はプライベートだ。楽にしてくれたまえ」
「……お兄様はどうしてここへ?」
スーツ姿で余裕のある表情を見せるサーゼクスに、リアスはわざとトゲのある言い方をした。
「授業参観に参加しようと思ってね。妹の勉強姿を間近で見たいのさ」
「……魔王たる者が、いち悪魔を特別視されてはいけませんわ」
リアスは淡々と告げたがサーゼクスは動じず、平然と言葉を続ける。
「いやいや、これは仕事でもあるんだよ。首脳会談をこの学園で行おうと思ってね。今回はその下見に来たというわけさ」
サーゼクスは上着のポケットから綺麗に折り畳まれた書類を取り出した。そこにはハッキリと三大勢力会談の六文字が記されており、リアス達を驚かせるには充分だった。
リアスは書類に目を通しながら呟く。
「天使や堕天使と会談するですって。結果によっては戦争が起きるのかしら」
「いや、先のコカビエルの一件についてだよ。あれは三大勢力の全てが関わったからね。これを機会に首脳陣が話し合いをすることになった」
コカビエルの起こしたエクスカリバー強奪事件は歴史の重要な節目の一つである。
そしてリアスにとっては圧倒的な格の差と、白龍皇の強さを見せ付けられた事件でもあった。
堕天使随一の武闘派幹部として知られるコカビエルの実力は戦争当時より決して劣っておらず、若きリアス達が相手にするには不足だった。それは彼女も充分過ぎるほど身体に叩き込まれたし、だからこそ今代の白龍皇の強さが異次元であることも理解した。
ヴァーリが現れなければ全滅していただろう。リアス達にとっては嫌な思い出でしかない。
彼女達が若干震えていることを察したサーゼクスは話題を変えるべく、リアスの背後に控えているゼノヴィアに向き直った。
「やあ、君がゼノヴィアだね。デュランダルの使い手が眷属になったと聞いたときは驚いたよ。是非とも妹の助けになってほしい」
「……承知しました、魔王サーゼクス様」
ゼノヴィア。コカビエル事件の折にエクスカリバー奪回の名目で送り込まれた教会戦士にして、デュランダルに選ばれた剣士だ。神の不在を知らされてしまったが為に追放されてしまった彼女は自暴自棄でリアスの勧誘に乗り、現在は彼女のコネで駒王学園第二学年に所属している身であった。
不本意な形で悪魔になってしまったために主であるリアスやクラスメイトにも心を開かないでいる彼女だが、戦闘においては頼りになる存在であり、サーゼクスもその腕を見込んでいた。
だからこそ根回しも含めて彼直々に、今や一介の下級悪魔に過ぎない彼女を見に来たのだ。
「これで用件は終わりだ。公務がまだ残っていたね」
「はい。書類が山ほど残っております。少なくとも二日間は徹夜です」
予定がぎっしりと書き込まれた手帳を捲りながらグレイフィアは肯定し、冥界へと繋がる転移術式を展開する。
術式に呑み込まれながら、サーゼクスはリアスを視界に入れた。
「早く帰ってきたまえ。父上が心配している」
「……私はもう帰りたくありません。高校卒業までは兵藤家で生活します」
転移していった実兄を見送ったリアスはソファに座り込んだ。立場を考えてのことだった。リアスは今現在、兵藤家に居候している。崩壊しつつあるアーシアの精神をケアする名目だった。
彼女はエクスカリバー強奪事件にて神の死亡を知ってしまった。悪魔に転生してからも信徒として神を敬っていたアーシアは絶望し、口数が極端に少なくなり笑顔も見せなくなった。このままでは日常生活に支障が出る恐れもあるため、主であるリアスが付き添うこととなったのだ。
そしてリアスにはもう一つ、居候の理由があった。それは冥界にいたくなかったという点だ。
勝手に婚約を進めた両親と実兄。
一誠の殺害を計画した上層部の老害。
彼らと同じ空気すら吸いたくなかったから兵藤家に転がり込んだのだ。
しかし、本人は頑なに認めない。一誠の仏壇に手を当てては涙を流す日々が単なる言い訳だと認めない。心の片隅で一誠の報復を恐れているなどと言えない。
つまりリアスも貴族の多分に漏れない立派な悪魔だったのだ。幼い頃から上級貴族の令嬢として育てられ不自由の無い生活と未来を約束された彼女は、表向きは情愛を語りながらも内側はやはり悪魔なのだ。
普段から嫌っている醜い上層部と根は同じ。
どこまでも醜く、どこまでも利己主義で、どこまでも他種族を忌み嫌う集団。それが悪魔だ。
ソファに身体を沈ませながら、リアスは泣いた。とことん同じであった事実を許せないでいた。悪魔という種の根本と、それに気付いてしまった自分を嫌悪するしかなかった。
「あらあら、お疲れなのかしら。お茶を持ってきますわね」
親友であり″女王″でもある朱乃が簡易キッチンに姿を消し、後に残った眷属は心配そうに自分を見てくる。その目が痛くてたまらない。
吐き出したい。眷属に一誠が恐いと吐き出してやりたいのだが、それもまた恐ろしくて仕方ない。
自分の眷属は全員が重たい過去を抱えている。そして一誠も殺された過去を抱えていた。
もし自分の内側を知られたら離反されるかもしれない。軽蔑されるかもしれない。長い付き合いである朱乃でさえ、その優しい笑顔から一転して険しい表情になるかもしれない。
勿論、そんなことはリアスの思い込みだろう。だが、あり得るかもしれないと執拗に信じた。しかしそれがまた、自分は眷属を信じていないのではないか、という妄想を呼ぶのだった。
「部長、震えていますよ?」
「風邪でしょうか……?」
木場や小猫が話し掛けてくるが聞こえない。そんな状況ではない。それすらも恐いと感じる彼女にとって心配という好意は逆効果をもたらす。
何という皮肉なのだろう。
追い出された兵藤一誠は今の生活に多少なりとも幸福と安心を感じているのに、リアスにはジレンマと恐怖しか残らない。これほど滑稽な話があるだろうか。いや、存在しない。
今のリアスは一人だ。