滅びの足音
▼滅びの足音▼
第二次連合戦争の翌日。
「おはよう。よく眠れたか?」
「いえ……まだ実感がありません」
ある田舎町のマンションの一室だ。リビングで珈琲入りのマグカップを傾けていたティアマットは、手元の映像術式から起きてきたシーグヴァイラに興味を移した。彼女が眼の下に隈を作っているのは夜遅くまでティアマット越しに第二次連合戦争の推移を見守っていたからであり、拠り所を失ったからでもある。
「冥界は……建て直せないでしょう。魔王を含めて戦後復興を指揮すべき首脳部が軒並み戦死したのですから。政府機能を喪失し、更には残された者が内政のノウハウを持たない以上、もう滅亡は避けられません。私のように人間界に避難している悪魔は戦争に関わらないまま生き残ったでしょうが……誰も好んで泥船に乗ろうとは思いませんから」
「ベネムネの発表によると″神の子を見張る者″は天界や教会と共に今後も活動を続けるようだ。しかし悪魔勢力からの声明は無い……いや、出せるだけの人材がもういないんだ」
三大勢力連合軍は大敗し、将兵だけでなく民間人や政府関係者までも動員した二十万の軍勢はその殆どが戦死。堕天使は臨時で繰り上がった新総督ベネムネの下で辛うじて活動再開の目処が立っており、かつての同胞の温情に縋る形で天界もそれに合流したものの、指導者も後継者も統治機構そのものすらも一気に失った悪魔勢力の歩む未来は悲惨の一言に尽きる。
「通常、このような場合は速やかに臨時魔王や閣僚を決めて復興に務めるのが筋だろう。ところが用意周到なことに、御輿になりそうな貴族当主や隠居達まで前線に投入されていたからな。リゼヴィムめ、ベリアル家やベルフェゴール家のような前魔王との血縁を理由にできそうな家柄からグレモリー家のような没落寸前の貴族までお構い無しだ」
「……きっと、その中に私のお父様やお母様も」
「アガレスだけ残す理由は無かろうさ」
戦場で背を預けたからだろう、既に彼女達は気の置けない友人となっていた。そんな仲だからこそ、ティアマットは誤魔化すことをせずに告げた。
「彼が憎いだろう?」
「憎くないと言えば嘘になりますね。家族と故郷を奪われてしまったのですから。それはそれとして覚悟はしていましたし、一誠が凶行に走った理由も理解しています。少なくとも復讐を考える程に現状を見失ってはいないつもりです」
「それを聞いて安心したぞ。もし仇討ちを狙うようなら全力で止めるところだった。兵藤一誠に挑んでも殺されるだけだ。少なくとも主神クラスの実力者を用意しなければ戦いにもならん」
そこで言葉を区切り、ティアマットは映像術式に視線を移す。四大神話の連名で発表された緊急声明によると、主だった神話勢力は一誠からの宣戦布告を受け入れたようだ。
戦後を見据えての牽制も含まれているとはいえ、裏を返せば、神話連合軍の結成は神仏ですら徒党を組まなければ危ういと暗に伝えているに等しい。
「もう悪魔でもドラゴンでもない。あれは……正真正銘の怪物だ」
加護か禍か、一誠は無限に到達してしまった。その絶大な破壊力には予め知っていた彼女でさえも身震いが止まらない程だったが、大いなる力には往々にして大いなる代償が求められる。
「赤龍帝を宿すとはいえ、転生悪魔の身に無限はあまりにも強大な力だ。オーフィスでもあるまいに。過ぎた力は身を滅ぼすが、未だ健在ということは相応の維持費を支払っているに違いない。無限を背負う対価は生易しいものではないんだ。寿命は勿論、最終的には存在そのものが消滅するだろうな」
「そんな……」
「それが証拠に彼は宣戦布告している。相応に心身を磨耗したのだろう。だから回復するまでの時間稼ぎとして日時や場所を指定したのさ。先に挑発を織り交ぜることで神仏が条件を受け入れるように仕組んでな」
「本当にそれだけでしょうか?」
二人の会話に割って入ったのは、起床したばかりのゼノヴィアだ。額に包帯こそ巻かれているがジークフリートとの戦闘で負ったダメージは治りつつあるらしい。
「私は映像をまだ拝見できていませんが、第二次連合戦争は世界中から注目されていました。神々も秘密裏に監視を送り込んだでしょうし必然的に兵藤一誠の意図にも気付いたと思います。ですが……その点は彼自身も把握していた筈です」
「つまり……狙いは別にあったと?」
「はい」
今でもティアマットやシーグヴァイラが一誠に対して友好的或いは憎悪しきれないのに対して、ゼノヴィアの評価は客観的なままである。だからこそ一誠の目的を見抜くことができた。
「恐らくメッセージかと推測しています。ルーマニアに……リゼヴィムに宛てた意思表示でしょう。あの国にはオーフィスが捕らえられていると兵藤一誠から聞きました」
「まさか奪還のために乗り込むつもり……!? そんなの無茶苦茶だわ!! だって消耗も完全には回復してないでしょうに……!!」
「だが、リゼヴィムは次に何を仕掛けてくるか分からない男だからな。奴をルーマニアに釘付けにするなら良策だと思うぞ。あの男なら大喜びで待ち構えるだろうしな。それにタイムリミットを考慮すれば一刻でも時間が惜しいのも事実。それこそ今日にでも行動に移すかもしれん」
「……ルーマニア?」
「おはよう、ギャスパー。体調はどう?」
主君からの挨拶も、最後に起きてきたギャスパーの耳には入らない。それはまだ夢の世界を旅しているのではなく、ゼノヴィアが口にした内容に思うところがあったからだ。そして会話の意味を理解するや否や、血相を変えてリビングから飛び出す。
「ごめんなさい……僕、行かなくちゃ!」
「ちょっと待ちなさい!? そんなに慌てて、どこに出掛けるのよっ!?」
「ルーマニアは僕の故郷で……! あの国には命の恩人がいるんです!! 助けないと!!」
恩、愛情、大義。様々な目的が交差し、それらに駆られて各々が歯車のように動き始める。そうして世界は一個の生物のようにうねりを持って活性化していき、誰にも止める術は無い。
「うひゃひゃひゃひゃ♪︎ いいねえ、遂にイッセーきゅんとのハート踊る直接対決か!! ドキのムネムネが止まらねえぜ!! どんなビックリドッキリDONDONなサプライズで出迎えてやろうかな!」
「演出を凝るのは構わんが……俺達の戦いの邪魔はするなよ? 奴は俺の獲物なんだ」
「分かってるって! 伝説のドラゴンのバトルに水を差すような無粋な真似はしねえって約束するよ! でもでも玉座に来るまでに幾つかの罠は設置しちゃっても大丈夫だよね? 妨害ゼロのストレスフリーで即座にバトル開始ってのもつまらないしさ!」
「好きにしろ。その程度の壁を乗り越えられんような弱者に興味は無い」
そして、深い霧の深奥で待ち受ける悪意がある。
「ユーグリットきゅん、あのバカ孫に全部隊を預けて待機させといてよ! 旧魔王派の残党共も英雄派も魔法使い派もヴァーリチームも全部! それから聖杯で家畜連中の四肢を生やしてやるついでに爆弾に改造するからさ、それも持たせてやってね!」
「了解しました。ところでオーフィスとリリスの処遇は如何なさいますか? 今はフェニックスの小娘の安全を餌に大人しくさせていますが」
「拐われたお姫様ってのは魔王の城で勇者を待つもんだと相場が決まってる。普通なら夢幻か666でもなければ無限を抑えることは不可能だが……出産直後で力が落ちた今なら″絶霧″と″魔獣創造″をミックスしたウルトラスーパーデラックスな枷も充分に通用すると思うんだよね!! うひゃひゃひゃひゃ♪︎」
かくして母娘を入れた禍々しい檻が玉座に運び込まれ、それを守るようにしてクロウ・クルワッハとユーグリット、そしてリゼヴィムが一誠の登場を待ち構える。
肝心の人質に逃げられないようにするには成程、合理的な作戦だといえるかもしれない。
しかし赤龍帝を迎撃するという意味において最善の作戦ではなかった。
「……このオーラっ!? マジかよ! もうイッセーきゅんが来たってのか! まだ早朝だぜ!?」
「映像で見るよりも……とんでもないな。これは久々に楽しめそうだ」
「──南西416ブロックを巡回中の国境警備隊より緊急連絡です! 同ブロックの森林地帯に兵藤一誠が出現しました! 現在は警備隊が全力で応戦していますが……」
「んなこたあ知ってるっての!! さっさと付近の監視術式をモニターに回せ! バカ孫を増援に送り込んで……あれがイッセーきゅんだよな? 俺ちゃんの眼がぶっ壊れたわけじゃないよな?」
モニターが繋がった瞬間、玉座内に飛び交っていた怒号混じりの指示が止まる。それは画面狭しと警備隊を蹂躙する紅蓮の暴風雨が全員の予想を越えていたからであり、
「Aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!!!!」
「なんで……兵士共を喰ってるんだよ」