ルーマニアの裏側はその広大な国土の大半を霧と森林が支配しており、侵入者を拒絶するカーテンの役割を果たしている。強者揃いのヴァーリチームさえ翻弄されたことを覚えている読者もあるだろう。吸血鬼が他勢力からの干渉を受けずに鎖国政策を継続できた理由でもある。
欠点を挙げるとすれば、自然の猛威は標的を選り好みしない点だ。故に霧の迷宮は本来なら加護対象である筈の吸血鬼にも容赦なく牙を剥いていた。
「……何人、死んだ」
「416警備隊は俺と隊長を除いて全滅っスわ。近隣のブロックから派遣された部隊も逃げたか死んだか喰われたかって始末でござい」
「ふざけるな……!! 我々は聖杯の恩恵で弱点だった日光や十字架を克服したのだ!! もう我らを止められる者は誰もいない! あらゆる種族の頂点に君臨すべき存在なのだぞ! それがどうして……穢らわしい元人間のドラゴンを前に敗走せねばならないんだ!? あんな醜悪な怪物に負けるなど!!」
「どちらにせよ今は早急に離脱すべきっしょ。こんな状態で兵藤一誠に発見されれば俺らも二階級特進の大出世っスよ」
「分かっている! だが……」
かつて416警備隊を率いていた女は部下からの報告を区切るように荒い口調を投げようとして、しかし絶望に溢れた瞳で周囲を見渡した。一帯を覆う晴れることのない霧が視界を奪い、草木の葉が鋭利な刃の群れと化して彼らの退却を阻んでいるのだ。
救援を含めた四部隊合計八十名の精鋭からなる部隊は壊滅し、逃げ遅れた者はその尽くが生きたまま捕食され、命からがら撤退に成功した面々も霧の迷宮に進路を欺かれてしまい離散してしまった。
死者及び行方不明者が合わせて七十八名。生き残った自分達も多かれ少なかれ負傷が目立つという有り様に隊長は苦虫を百も千も噛み潰す。それは言い逃れできない失態を晒してしまった自分自身への怒り以上に、誇り高き吸血鬼ともあろう者が惨めに敗走しなければならないことに対する屈辱の要素が大きかった。聖杯はそれを許容できるだけの強さを彼女に与えていない。
「こうなれば強行突破するしかない。リゼヴィム殿なら我々の危機を救ってくださる筈だ。次の救援と合流さえできれば善後策を講じることも再戦を仕掛けることも可能だろう」
「……死にたいんスか? ま、このまま逃げ帰ったところで全責任を取らされて処刑コースは変わらないんでしょーけど。つまり自爆特攻するしか道は無いってわけザンス」
「怖いなら逃げても構わんぞ」
「嫌っスよ。まだ隊長と結婚してそのご自慢の爆乳ちゃんを揉みまくる野望を果たしてねーのに」
「物好きな奴め。こんな筋肉女のどこに欲情する要素があるのやら……長い付き合いだが最期までお前の趣味は理解できんな」
「でも悪い気はしないっしょ?」
「バカ」
軽口もそこそこに、二人は頷き合うと白い霧の迷宮へと脚を踏み入れる。しばらくして二人の進んだ方向から地や木々を揺さぶる轟音と魔力を放つ発射音が散発的に響き、やがてそれは少しの沈黙を経て咀嚼音に変わった。
第416国境警備隊が全滅するまでの一部始終を眺めていたリゼヴィムは、このイレギュラーな降臨に対して全戦力をぶつけることを即決した。
「うひゃひゃひゃひゃ♪︎ 兵士共を生きたまま喰らうなんざ正気の沙汰じゃねえ! マジで狂ってる! 愉快に素敵に狂っちゃってるよ~! どこぞのクソ孫にも見習ってほしいもんだ!」
「どうします? マリウスに討伐部隊を編成させていますが、あれでは焼け石に水でしょう。流石のヴァーリチームとて分が悪いかと」
「出撃させろ。魔王ごっこしてるバカ孫とその仲間だけなんて生温いことは言わない。全部隊だ」
彼の思い浮かべる戦力にはルシファー家の威光を用いて秘密裏に吸収した旧魔王派残党だけでなく、英雄派やヴァーリチームなど殺害を経て聖杯の蘇生能力で支配下に置いた元″禍の団″系組織も多く含まれている。先の三大勢力連合軍と比較して量も質も劣る彼らを悪戯に消費するのは、その立場故に表には出せない面々の尻尾切りだ。テロリストの肩書きは他神話と手を組む際の足枷になる。
「奴隷共の件と合わせて、直ちに手配します」
「よろしく頼むぜユーグリットきゅん。それでクロウ・クルワッハはどうする?」
「興が削がれた……獣を狩る趣味など無い。アポプスにでもくれてやる」
リゼヴィムの問いにクロウ・クルワッハは鼻を鳴らし、オーフィスやリリスの捕らわれている檻へと踵を返す。産まれたばかりの赤ん坊を大切そうに抱える母親の姿からは、かつて思いがけず交戦したときの面影は微塵も感じられない。あの夜の惨敗は彼にとって苦い記憶だ。
「オーフィス……」
「……どうして、怒っている? 我、分からない」
「″無限の龍神″ともあろう存在が随分と弱くなったようだな」
「……我、出産直後。故に力が落ちた。この檻から出られなくなった」
「そうじゃない。昔のお前は怪物だった。夢幻以外の如何なる存在にも興味を示さず、勧誘した勢力は虫けらを潰すかのように等しく蹂躙した。かくいう俺もお前に敗北した者の一人だった。だからリベンジを誓い必死に実力を磨いてきたというのに……しかしお前は腑抜けてしまった。そんな赤ん坊を産んだがために捕獲されてしまうぐらいにはな」
命を見逃されたという屈辱を抱えながら彼は旅をしてきた。そうして幾百幾千年もの時間を修行に投じ、遂にはかつての二天龍をも越える至高の領域に到達した。それなのに肝心のオーフィスは元人間の男に絆されてしまったではないか。
「どうして……兵藤一誠を選んだ。何故、俺ではなかったんだ」
最初に噂を耳にしたときは冗談だと思った。オーフィスが一誠と共に駒王会談の場に乗り込んだ映像を眼にした際も彼女なりの暇潰しだろうと気にもしなかった。しかしリゼヴィムの勧誘に乗ったのは、あくまで噂を確かめるつもりだった。
「あの男と俺と、何が違うというのだ……!!」
今は、この感情を抑えきれずにいる。
「いたいた。へいへーい、そんなとこに突っ立って何してんのよ。討伐会議を始めるからさ。出撃しないにしても話だけでも聞いといてちょーだいな」
「……じゃあな、オーフィス。さて、兵藤一誠を倒す策はあるのか? 少しはできる者も混じっているようだが、テロリスト連中では荷が重かろう」
「そう言うと思って邪龍軍団をシャバに再復活させましたー! グレンデルにラードゥン、それにニーズヘッグ! 伝説に名を残したドラゴン達が揃い踏みとは豪勢だねえ! うひゃひゃひゃひゃ♪︎」
『グハハハハ!! 随分と面白そうなことになってるみたいじゃねえか! あの赤龍帝が暴走しながら向かってきてるって!?』
『前回は手酷くやられましたからね。リベンジの機会を貰えるとあれば喜んで参戦しましょう』
『おでも!』
「黙れ負け犬連合」
『『『……』』』
クロウ・クルワッハの辛辣な言葉にグレンデル達は押し黙る。聖杯の強化を受けて敗北したのでは邪龍の面汚しだ。
「確かに、粗暴なだけの者には任せられない」
闇と共に音もなく姿を現したのは、黒い祭服に身を包んだ褐色肌の美少年だ。エジプト神話における悪の化身にして邪龍筆頭格の一角に数えられるアポプスである。
「戦いとは互いに全力でなければならない。しかし品性を欠いてもならない。両立しなければならないのが辛い点だが、粗暴粗野な貴様らにそれができるとも思わない」
『なんだとテメエ! 朝っぱらから喧嘩売るってんなら喜んで買うぞ!!』
「そういうところだぞ」
グレンデルの抗議を意に介さず、アポプスはモニターに映し出された一誠を睨む。
飢餓に任せて兵士達を捕食する姿は彼にとって到底受け入れられるものではなかった。故に少しでも早くこの目障りな存在を排除しようと考えたのも必然だった。
「クソ孫達はもう出撃したが、どうする? 戦いたいってんならそこの邪龍トリオを連れていってくれても構わねーぜ? うひゃひゃひゃひゃ♪︎」
「行こう。あの下劣なカスをぶち殺してやる」
そうしてアポプスが一誠との戦いを決意した頃、霧の中で対峙する影があった。
「随分と成り下がったものだな。俺の知っている赤龍帝はそんな化物ではなかったぞ。誰よりも強く、誰よりもドラゴンらしく生きていた」
元同僚を率い、六対十二枚の白翼を展開するヴァーリは異形と化した一誠に憐憫の視線を向ける。
ヴァーリにとって、目の前に佇む彼は常に自分の先を進む最大のライバルだった。嫉妬を覚えないわけではなかったが、切磋琢磨できる好敵手に恵まれたことに感謝してもいた。否、彼だけでなく他の面々にとっても一誠は目映い存在だったのだ。
だからこそ、自分達の末路を悟っていたとしても彼らは挑む。
「眼を覚まさせてやる……兵藤一誠!!」
「……」
旧魔王派、英雄派、魔法使い派、そしてヴァーリチーム。″禍の団″を構成していた諸派閥が団結する。
それは有象無象の寄せ集めであるが故に組織として纏まりの無かった彼らにとって最初で最後の共同戦線であり、あまりにも皮肉な抵抗だった。
▼Cross × Crisis▼