▼覚醒▼
激痛に誘われ、一誠は意識を取り戻した。
その途端に嘔吐した赤黒い血と肉片は刻一刻と侵食を続ける無限の影響だけでなく、暴走時に貪った吸血鬼共やかつての仲間のそれであることを、内に宿るドライグは敢えて指摘せずにいようと決める。
とはいえ、ドライグが口に出すまでもなく、他ならぬ自分がヴァーリ達を生きたまま補食したのだと一誠は悟った。
「俺が……殺した……」
右手の甲に埋め込まれた白い宝玉。それが″白龍皇の光翼″を所有する証なのだと彼は直感的に把握していた。
神器を移植する方法は数こそ少ないながらも既に理論化されている。アーシアのそれを奪い取るべくレイナーレが用意したように専用の術式を構築する方法か、もしくは神器と密接に繋がる所有者の魂そのものを喰らう外法だ。
″幽世の聖杯″の恩恵に預かっているとはいえ、発狂状態に陥りながら無限のオーラを撒き散らしていた一誠を抑え込むだけの実力をヴァーリ達が持つとは考えにくい。そして口内と胃の中に広がる血の香りや嫌悪感が、彼らの辿った末路を教えているのだ。
『意外だな。簡単には割り切れんか』
「当たり前だ……! 袂を分かったものの、俺達は仲間だったんだ……っ!!」
アルビオンの言葉に一誠は反論したが、続けざまにぶつけられた『三大勢力を滅ぼした男がそれを叫んでも無意味だろう』という指摘に押し黙った。
復讐を掲げた彼は、超長距離魔力砲撃による大量虐殺を皮切りに様々な破壊活動・違法行為に手を染めてきた。犠牲者の数は計り知れない。そんな歴史上最悪の凶悪犯罪者に元仲間を殺害してしまったことを悔いる権利など存在しないのだ。
それに、悔いている時間も今の一誠には残されていなかった。
『……ざっと半日は寝坊したぞ、相棒。神話連合に予告した日時までは残り一日だ』
「そうか。だったら早くオーフィスを助けないといけねえな。こんなところで立ち止まってたらヴァーリ達に怒られちまう」
濡羽色の鱗の隙間から闇が漏れる。補食したアポプスから獲得した力であり、本来であれば頑強を誇る筈のドラゴンの肉体に限界が訪れている証拠でもあった。
ドライグの補助もあり、一誠はゆっくりと立ち上がりながら周囲を見渡す。
そして巨大隕石が落下したかのように思えるこの更地が、冤罪を擦り付ける目的でグレンデル達によって滅ぼされた辺境の指定区域だということに気付いた。情報によれば混血児など被差別階級の吸血鬼達が暮らしていた地域だ。
「ここから首都までの距離は……面倒だ、飛んだ方が速いな。ドライグ、アルビオン、悪いがサポートを頼む。対価は後払いだ」
『『承知した』』
そう言って飛行の補助に徹する彼らの間に、これまでの敵対的な雰囲気は微塵も感じられない。かといって正式に和議を結んだのではない。
アルビオンが協力的な理由には、やはり感謝の面が大きかった。そもそも憎き三大勢力を自分達の代わりに滅ぼしてくれただけでも頭が上がらないというのに、それだけでなく無限の侵食を利用して忌々しい神器から解放してくれるのだ。口ではああ言ったが、双翼の制御など頼まれずとも引き受けるつもりだった。
対して、長い付き合いのドライグの心境は一言では表すことが難しい。
『……なあ、相棒』
「どうした?」
『俺はこれまで多くの所有者を見てきた。その殆どが悲惨な運命から逃れられなかった』
そうしてドライグは淡々と語る。
迫害の果てに神を呪いながら野垂れ死んだ初代所有者、守ろうとした民衆に裏切られたエルシャ、最愛の妻を図らずも自らの手で殺害してしまったベルザード、……。
二天龍を宿した者はただ一人の例外無く無惨な結末を迎える。そして最後にして最高の所有者までもが破滅の道を進んでいる現実を前に、ドライグは言葉を紡がずにはいられなかった。
『ふと思うのさ。俺を宿さなければ相棒は今も人間界で平穏に暮らせていたのではないか、とな。はぐれ悪魔に身を堕とすこともなく、虐殺者として負の歴史に名を刻まれることもなく、そうだな……ただのスケベ小僧の兵藤一誠として生きられただろう』
「……」
『なのに俺を宿してしまったばかりに、俺自身のせいで歴代最高の宿主が命を失おうとしている。それがどうしようもなく悔しいのさ。矛盾しているようだがな。ああ、どうにも上手く伝えられないのがもどかしいな』
彼の独白に、一誠は言葉を返さないまま無言でルーマニアの紫の空を眺めた。
思うところがあるのは、ドライグだけでなく一誠も同じだった。
実際に神器越しに会話を重ねるようになったのはここ一年の間とはいえ、相棒と称するまでに親しくなった宿主を喪失することがどれだけの苦痛であるのか、またそれを強いてしまうことがどれ程に残酷な行動なのかは嫌でも理解できる。自分も家族を失った身であるが故に。
「……悪いな。最後の所有者が、こんな虐殺だけが取り柄のテロリストで。それに頼み事まで引き受けてもらっちまった」
『構わん。相棒の家族なら俺にとっても同義だ。あらゆる脅威からも守り抜くことをドラゴンの誇りにかけて誓おう』
『……誇りにかけて、か。それ程までに言うのなら俺は何も言わんぞ。しかしオーフィスに護衛は必要なのか?』
「これは俺の責任というか……生憎と守るべきは彼女だけじゃなくてな」
子供がいるんだ、と彼はまだ見ぬ我が子に思いを馳せながら言った。
両親の死をトリガーに、オーフィスまでも失うことを恐れた一誠は彼女を隣に繋ぎ止めようと強引に犯した。彼女の無知を利用した形だ。
そのとき既に感情を宿していたこともあり、オーフィスは敢えて抵抗せずに身を任せた。そうしてまだ年若いこともあり一誠はますます彼女に依存していき、呼応するように彼女もまた生殖器や乳腺を備えた肉体に変化させ、遂には妊娠したのである。
一誠の体内に無限の魔力が侵入したのは、性行為中の粘膜接触を経てのことだ。
そういえばヴァーリがディハウザーとの会話で挙げていたな、とアルビオンは思い出した。
『もしかして、リリスか?』
「誰だ、それは」
『オーフィスとお前の娘に決まってるだろう。リゼヴィムが名付けたらしい』
「おいおい……俺達の子供を変な名前で呼ぶなって。父さんみたいに徹夜で考えてたのによ」
忌々しげに一誠は舌打ちし、それから爬虫類に似たドラゴンの瞳を瞬かせる。前方に二つの巨影と、その下に立つ幾つかの人影を捉えたからだ。ゲームにおけるボスラッシュなのだろう、とリゼヴィムの目論見を悟った。
「──久しいな、赤龍帝」
「お姉様の復讐をさせてもらいます」
仕掛人らしい悪趣味さ全開の配置に一誠はうんざりしたような態度を隠さない。
「誰かと思えばサイラオーグにソーナじゃねえか。わざわざ眷属共や聖杯製の化物を連れてお礼参りに来たのかよ」
「″幽世の聖杯″に呼ばれてな。恩恵に頼らなければ戦闘にもならないのは恥だが、貴様を倒すためならば俺はどのような屈辱にも堪えよう」
「私は……お姉様を殺されて黙っていられる程に大人ではありませんから。同じ穴の狢と思って、どうか復讐されてください。それだけを目的に生きてきたのです」
「御託はいい。とっとと道を開けりゃ命だけは見逃してやってもいいぜ?」
そう言いつつも、ソーナはいつの間に配下に加わったんだ、と一誠は内心で首を傾げた。第一次連合戦争後に行方を眩ませたところまでは把握していたのだが。サイラオーグの眷属達も同様である。
実は両親の手によって戦争勃発直前に駒王町へと避難させられたソーナ達は、一誠討伐を目的に活動しているというリゼヴィムに勧誘された。タイミングを見計らったかのような登場に彼女は怪しんだものの、故郷が滅ぼされ家族とも死別した彼女には他に行き場も無かった。
そうしてルーマニアに身を寄せたシトリー眷属を待ち構えていたのは、
──やだ、助け……っ!!
──おいおい、お前みたいな小娘がどうしてスカウトされたと思う? まさか一端の戦力扱いされるとでも考えてたのかよ。これだから戦争を知らないガキはお気楽でいいねえ! うひゃひゃひゃ♪︎
ソーナは眼を伏せ、脳裏に過った記憶から逃避しようと唇を噛む。魔獣の番にされたなどと誰にも言えるわけがなかった。
「……よう、兵藤一誠。最低最悪の犯罪者」
「匙か。見ない間に随分とやつれたな。実験動物にでもされてたのか?」
「俺から志願したんだ」
匙は左手を翳し、禍々しく変異した″黒い龍脈″を顕現させる。俗にヴリトラ系と称される神器を全種類移植し、更に聖杯で強化を施した結果だ。地獄のような苦痛を乗り越えることができたのは、主君や同僚を守りたいという確固たる意志の賜物といえる。
自分が隔離されている間に彼女達が魔獣の檻に放り込まれていたとも知らずに。
「やめとけよ。また主君の前で失態を晒すか?」
「ほざけ。あの頃の俺とは違う」
不敵な態度は油断や過信ではなく、彼なりに勝算を見出だしてのことだ。
三大勢力の敗因は戦争を選んだ点にある。個の戦闘能力における世界最強候補に対して正面から勝利しようなど、思い上がりも甚だしい。
故に匙は別の視点から作戦を編んだ。純粋な力ではなく、主君譲りの搦め手であれば──
「──″禁手化″」
無限の怪物にも勝てる。
内に宿るヴリトラを模した漆黒の全身鎧──″罪科の獄炎龍王″が噴き出す呪いの焔に焼かれながら、しかし匙は確信する。
「俺はお前を越えていく……!!」
「これまでの報いを受けてもらうぞ」
「覚悟してください」
三人を筆頭に全員が魔力を迸らせる。以前とは比較にならない程の強化を受けた彼らを目の当たりにしても、一誠の視線は冷めたままだ。
「今は時間が惜しいんだが……俺の甘さから出た錆だと思えば殺してやるのが道理だろう。生憎と本調子ではないが……本物の地獄ってやつを見せてやるよ」
『Welsh Dragon Balance Breaker!!!!!!!』
『Vanishing Dragon Balance Breaker!!!!!!!』
莫大な、それでいて純粋なドラゴンのオーラが解き放たれる。
「なんだよ、その形態は……!?」
「まさか切り札を隠していたのですか!?」
動揺する一同。無限ではない、赤龍帝だけでもない、まったく未知の力を前に、驚愕と恐怖が混ざりあった表情で身構える。
そんな彼らを他所に、一誠という名の濡羽色のドラゴンが詠唱の中で変異を遂げていく。
胸部に埋め込まれた一際大きな紅蓮の宝玉から根のように光のラインが張り巡らされていき、やがて両腕と両翼に到達したそれらは赤と白の二色に染まる。
呼応して腕と翼もその形を歪め、各々が″赤龍帝の籠手″と″白龍皇の光翼″を彷彿とさせる、しかし鱗の隙間に対応する色の小さな宝玉が散りばめられた、禍々しくも神秘的な姿に変質した。
「……これまで二天龍が轡を並べることはなかった。幾百幾千もの年月を、互いの宿主を通して争ってきた。しかしそれも今日までのこと。アルビオンはヴァーリから受け継いだものだ。だから、赤龍帝でもあり白龍皇でもある俺が誕生した。運命、奇跡というものがあるなら……俺のことかもしれない」
「そんな……嘘だろ……」
「事実だ。俺は過去現在そして未来永劫において最強最悪最後の二天龍なんだよ」
誰かの絶望したような呟きにも、一誠は敢えて律儀に返した。
それは彼なりの餞別である。これから開始するのは戦闘にもならない一方的な蹂躙なのだと暗に彼らに伝えているのだ。
『″
我ら、目覚めるは
真の理に到達せし二天龍なり
無限を想い、刹那を憂う
我ら、龍の天頂を極め
終たる汝に紅蓮と白銀を授けよう