″禍の団″が多種多様な目的を掲げる集団の寄り合い所帯であったように、対外的には国際テロリストの討伐を名目として結成された″クリフォト″も決して一枚岩ではない。それは長であるリゼヴィムの人望の無さも一因だが、″禍の団″と同じように、各々が異なる目的を内に秘めている点も理由の一つだ。
亡き
標的に彼を定めたのは悪魔よりも悪魔らしいその快進撃に好奇心を擽られたからであり、永劫に近い隠居生活の中で生きる屍と化していた自身に夢を与えてくれたことに対する恩返しであり、互いの間に共感と宿命を見出だしたからでもある。
目的のためなら世界の破滅すらも許容する両者は奇しくも鏡写しのようによく似ており、それ
邪龍達は、生来の闘争本能や衝動に従った結果として″クリフォト″に身を寄せた。
元より彼らは戦闘のためであれば己の命すらも嬉々として投げ捨てる、頭のネジ穴がそもそも埋め立てられているような連中だ。その価値観から一切の善悪が欠如している以上、新たな戦場さえ用意してくれるのであれば一応の飼い主が外道だろうが破滅主義者だろうが関係無いのだ。
そんな彼らだが、しかしドラゴンの誇りを忘れたわけではなく、行動を共にする間に独自の仲間意識も覚えるようになった。かつてのような単独行動ではなく、″クリフォト″という同じグループに属していたが故の変化だろう。
ただし、その筆頭格として知られるクロウ・クルワッハは他の邪龍とは明らかに異なる行動原理の下に活動していた。
オーフィスへの感情だ。
敗北の苦い記憶は無意識ながらも彼女への想いに羽化を遂げ、筆頭格のプライドが抱いた感情に蓋をした。オーフィスが一誠と添い遂げたと知った際には深い衝撃を受けながらも、新たな天に至りさえすれば振り向いてくれるだろうと決意した。
悲願は叶わず、左腕と夢を失った彼は同胞達に介抱されている途中だ。しかし再起の機会が残されているだけマシな末路である。
彼らとは逆に、マリウス・ツェペシュ率いる吸血鬼勢力はさしたる夢を持たない。優秀な自分達こそが全世界を支配すべきだと本気で信じているからであり、彼らからすれば活動範囲をルーマニアに留めていたこれまでの方が異常なのだ。
強いて挙げるなら、実質的に政権を簒奪したリゼヴィムへの反感だろう。ルーマニアの閉鎖的な土地柄や相応の兵力を欲した彼との利害一致により実現した同盟だったが、対等である筈の立場はやがて暗黙の主従関係に変化し、挙げ句には尖兵も同然の扱いだ。尤も、それでなくとも純血・貴族主義を掲げる彼らが不満を持たない筈がなかった。
とはいえ、聖杯による恩恵を含めても互いの間に横たわる実力差は覆せない。またマリウスにはそのようなカリスマ性も欠けている。
故に、今はリゼヴィムを利用してやっているに過ぎない、とマリウスは己に言い聞かせ続けた。そして皮肉なことに、自分達はあれだけ忌み嫌っていた
このようにして、″クリフォト″の中で幹部と目される者達が異なる最終目的を抱えている以上、遅かれ早かれ組織は瓦解していたことだろう。奇しくも討伐対象である″禍の団″と同じように。
では、残る一人はどうだろうか。
明星に仕えるルキフグス家の末裔であり、冥界を二分した内乱を生き残った古の最上級悪魔であり、そしてリゼヴィムに一誠の情報を流すことで彼に一連の暗躍を決意させた全ての元凶は、果たしてどのような願いを秘めていたのか。
「私は姉さんが好きだ。私は姉さんが好きだ。私は姉さんが大好きだ」
その答えは彼の傍らに佇む、元″女王″を模した花嫁衣装の人形が何よりも如実に教えている。
▼Iの彼方に▼
「銀髪が好きだ。瞳孔が好きだ。鼻が好きだ。声音が好きだ。鎖骨が好きだ。両肩が好きだ。乳輪が好きだ。ヘソが好きだ。陰毛が好きだ。女性器が好きだ。尻が好きだ。太ももが好きだ。爪先が好きだ。姉さんのありとあらゆる部分が大好きだ」
「……???」
唐突に現れたと思いきや、自分達を無視してベラベラと語る銀髪の男に、シーグヴァイラ達は頭上に幾つものクエスチョンマークを浮かべた。それは隙あらば小鳥のように愛を囀ずるバロールですら例外ではなく、目の前の理解し難い変態に後退りしていた。それから、既視感から自分を見つめてくる女性陣には後で抗議しようと決めた。あんな変態と一緒にされては堪らない。
五人が困惑している間にも、ユーグリットは恍惚の笑顔すら浮かべながら持論を並べ立てていく。
「年を重ねても色褪せることのない茶目っ気で昔のように悪戯をして困らせてくるのが好きだ。それでいてバレれば無邪気に誤魔化そうと笑顔を浮かべるときなど心が踊る。おやつに砂糖とバターをたっぷり使った動物の形のクッキーを焼いてくれるのが好きだ。しかも食べやすいように半分に割ったら首を折ってしまい少し落ち込んでいるときなど心がすくような気持ちだった。いつまでも私を子供扱いして風呂に入ろうと誘ってくるのが好きだ。すっかり身長を追い抜かれちゃったねと笑いながら背中を洗ってくれるときなど感動すら覚える。クールなイメージに似合わないピンクのパジャマで一緒に寝ようとねだってくるときなどはもうたまらない。私を欲情させるだけさせて自分は安心して寝息を立てているのも最高だ。寝惚けた振りをして巨乳に顔を埋める私を逆に抱き締めてくるときなど絶頂すら覚える」
そうして喋り尽くした彼は、しかし荒い息を溢しながら直前までの歓喜を憤怒一色に染めていく。親の仇を発見したかのような形相だが、その矛先は侵入者であるシーグヴァイラ達に向けられたものではなく、自分から最愛の姉を奪ったばかりか子供すら孕ませた紅髪の男へと向けたものだ。
元魔王であるその男は兵藤一誠に討たれ、姉を奪還される可能性に怯える必要も無くなった。行き場を喪失した復讐心は強固な呪縛と化して跳ね返る。
「信じて戦場に送り出した姉が敵軍の男の甘言に乗せられアへ顔ピース結婚報告を送ってきた様はとてもとても悲しいものだ。そんな奴の率いる部隊に追いまわされ害虫のように地べたを這い回るのは屈辱の極みだ。私は最前線を駆けていた頃の誰よりも強い姉さんも望んでいる」
そこで初めて、侵入者は何を望む、とユーグリットは訊ねた。リゼヴィムの側近としてシーグヴァイラ達の目的を把握しておきたかったのではなく、最愛の姉を守護する弟として彼女達の目的を確認したかった。愚かしいことだが、これがルーマニアの解放であるとか或いはリゼヴィムの首級であったなら彼は見て見ぬ振りを貫くつもりでいた。悲願を叶えた今となっては不要なものだからだ。
唯一、
寧ろ、魔力供給を行うだけで思うがままに操作可能な点をユーグリットは気に入ってすらいた。もう姉と引き離されることも無いのだから。
「
対して、バロールもまた苛立ちを隠そうともせずに言った。無類の女好きとしてグレイフィアを否定するような真似はしないが、それはそれとして、まるで押し売りのような長台詞での姉自慢に思わず反論したくなったのは当然だろう。つまり、彼は先の質問への回答を告げると同時に、世界で一番美しいのはヴァレリーなのだと言外に宣戦布告したわけである。重度のシスコンであるユーグリットがその意図に気付かない筈もなく、
「よろしい。ならば戦争だ」
「──
片やシスコン、片や女誑し。悪魔と魔神らしからぬ二人が正面衝突した。バロールに続いて突撃を試みるシーグヴァイラ達の前にはグレイフィアが立ち塞がる。逐一命令を与えずとも自立行動できるだけの高度な思考回路を彼女は与えられていた。
ただし、かつてセラフォルーと女性悪魔最強の座を競った″女王″といえど、アガレス家とフェニックス家の才媛にデュランダルの担い手、加えて五大龍王の一角を単騎で足止めするのは至難の技だ。戦闘経験の欠落した複製なのだから尚更に。
必然的に、ユーグリットには素早くバロールを倒した上で姉に合流する必要があった。聖杯による強化を抜きにしても、ルキフグス姉弟が揃えば無敵なのだと彼は信じて疑わない。
「私達は満身の力をこめて今まさに振り下ろさんとする握り拳だ!! だが、この暗い闇の底で幾百年もの間を堪え続けてきた私にただの戦争では足りやしない!! 大戦争を……一心不乱の大戦争を!」
内乱に敗れた旧魔王派は政権の全てを剥奪され、冥界の痩せた僻地へと隔離され、されど憎悪だけは守り抜いてきた。それは先代ルシファーの側近として仕えたルキフグス家も例外ではない。
「我らを忘却の彼方へと追いやり、何食わぬ顔をして栄華を貪っている連中を叩き起こそう!! 玉座を掴んで引きずり降ろし、奴らの眼を開けさせ思い出させてやろう!! 姉さんを陥れた連中に戦いの味を思い出させてやる!! 連中に我ら姉弟の軍靴の音を思い出させてやる!!」
親友は破壊工作完遂の
しかしそんなことは最早どうでもいい。
最愛の姉を奪われてしまったあの日から、ユーグリットの願いはただ一つ。
「姉さんと私の間には、貴様らの哲学では思いもよらない絆があることを思い出させてやる」
修復不可能なまでに崩壊した精神。やがて暴走したそれは生命を維持するために以前の人格のパーツを寄せ集めることで新たな仮面を形成した。
とどのつまり、彼はユーグリットでありユーグリットではない。
「我らは落ち延びた姉弟が二人! 奇跡的に戦死しなかっただけの敗残兵に過ぎない!! だが、ルキフグスの末裔は旧魔王派のみならず冥界でも一騎当千の古強者だと私は確信している!! ならば我らは姉さんと私で総兵力二千の軍集団となる!!」
積年の憎悪を乗せた絶叫がどす黒い魔力の渦を巻き起こし、バロールを強襲する。恐らくは聖杯によって強化を施されているのだろう、単純な出力だけなら魔王にも匹敵する程の猛攻だが、激情任せの稚拙な攻撃などバロールに通じる筈もない。
よしんば受け身を取れないまま直撃したとしても同じ結果に行き着いたことだろう。愛の果てた悪魔が愛に果てた魔神に勝てる道理などあるものか。
「……だったら俺は
ヴァレリー・ツェペシュ。最愛の妻に瓜二つな吸血鬼の少女。この世への帰還を叶えてくれた最大の恩人。彼女に報いるためならば非道にも喜んで手を染めてやろう、とバロールは決めている。
「侮るなよ! ルキフグスより前線に展開している全部隊へ告ぐ! 魔力弾を一斉発射せよ! 革命派の戦列を蹂躙せよ! 逃亡兵も捕虜も街灯上に吊し上げろ! 更なる戦争を望め! 情け容赦のない戦争を! 第二次内乱を開始せよ!!』
ユーグリットは既に青年の形を保っていない。体躯はそのままで、黒山羊の頭と脚を有する異形の獣へと変貌を遂げてしまった。姉を取り戻すためにリゼヴィムを利用してきた彼だが、自分はそうではないと信じて疑わなかったのは油断が過ぎた。
『戦争!! 戦争!! 戦争!!』
「……亡霊め。兵藤一誠に滅ぼされたことを知らないわけではないだろう」
グレイフィアを床に組み伏せながら、ティアマットは吐き捨てた。旧魔王派どころか冥界政府そのものが崩壊している現在、彼が声高に戦争を訴えたところで叶うことはあり得ない。そもそも手段と目的を混同している。
直前の叫びから察するに、彼が戦争を目論むのは姉の復讐なのだろう。姉を捕縛した張本人であるサーゼクス、実質的に彼女を見捨てた旧魔王派の同胞達、そしてグレイフィアを守れなかった自分自身への復讐だ。
「貴方、もう気付いてるのよね?」
シーグヴァイラは、敢えて最重要の主語を抜いた上で指摘した。
思惑はともあれ、リゼヴィムの傍らに控えてきた彼も一誠の快進撃を見てきた筈だ。二度に渡る連合戦争と、その結末に至るまでの全てを。肝心のグレイフィアは第二次の戦場において、サーゼクスの放った滅びの魔力に巻き込まれて戦死した。
その性質上、″幽世の聖杯″は滅びを受けた者を蘇生できない。
必然的に、ユーグリットが姉を奪還する機会は永劫失われたことになる。
「彼女はグレイフィアではない。″魔獣創造″で生み出されたモンスターなのか、適当な相手を聖杯で改造したのかは知らないけど……わざわざ姉の容姿に似せて、しかも花嫁衣装まで着せるなんて。貴方は本当に姉が大好きなの? その尊厳を破壊してるのは自分自身なのに?」
『……それがどうした。私にとっては世界で一人だけの姉さんであることに変わりはない。私は姉さんを愛している! 内乱を知らない小娘などに我らの絆を理解されてなるものか!』
「……でも、貴方はティアマットに抑えられているグレイフィアを今も助けていない。こうして私とのお喋りに興じている。本当に姉のことが好きなら会話よりも救出を優先する筈だわ」
「それに旧魔王派はとっくに滅びてるし、内乱というのも数千年も昔の話だろう。それを今更になって蒸し返されても困る」
「元人間の転生悪魔と純血悪魔の価値観の相違ということで納得してくださいまし。人間とは違って当事者が今も生きていますから、世代交代によって憎悪を濾過するには難しいのですわ」
『黙れ……黙れ黙れ!!』
矛盾点を指摘されたユーグリットは、苦しそうに顔を両手で抑える。不安定なアイデンティティを確立させるべく脳内の片隅に埋めていた内乱時代の記憶をも貼り付けたのだが、パーソナルアイデンティティを成り立たせる三つの要素の方向性があまりにも合致せず、それによって発生した強烈な違和感が自己矛盾による崩壊を促進させたからだ。
『……そうだ、彼女は待ちに望んだグレイフィア・ルキフグスだ。私は姉さんを約束通り連れ帰ったぞ。この懐かしの戦場へ。この懐かしの戦争へ。私はこの子の姉のグレイフィアです。捕虜とするなら私がなります。どうか弟だけは見逃してもらえますか』
涙を浮かべて歓喜する姿は迎えに来た母の胸に飛び込む幼子に似ている。遂に演技という形で姉の再現を図る姿はあまりにもいじらしい。ユーグリットの戦争はまだ続いている。半端に複製を製造してしまったがために、姉を取り戻すための戦いは終わらなくなってしまった。
実姉が恋しい。
孤独が寂しい。
愛情が欲しい。
とうとうその場に踞るユーグリットを、バロールは冷たい眼差しで見下ろしていた。欲しいのであれば理解も納得も共感も同情もくれてやれるが、彼を見逃す理由にはならないからだ。誰よりも愛深き魔神の王だからこそ、闇の大剣をユーグリットの首筋に宛がう。
「これからお前を殺す。報復を目論む虐殺者ではなく、統制を図る独裁者でもなく、一人の王として目の前の哀れな囚人を断頭台に送る。故にユーグリット・ルキフグスに極刑を言い渡す。愛によって敵対の咎を許そう。情けによって安らかな眠りを与えよう。もう古き時代の鎖に囚われる必要は無い。安心して死ぬがいい」
滅びを迎えて久しい己がそれを口にする皮肉に自嘲しながらも、バロールは刃を振り下ろした。ユーグリットも一切の抵抗をせずに受け入れ、そうして床には幾ばくかの鮮血と肉と、その上に満足そうに眼を瞑る山羊の頭部が転げ落ちた。主人からの魔力供給を絶たれたグレイフィアも呼応するように全ての動作を停止させ、微動だにしない。
ある姉弟の結末を前に、シーグヴァイラは思わず疑問を口にする。
「……本当の愛って、何なのかしら」
愛のために自己犠牲を選んだ者がいる。愛のために救出に動く者がいる。愛のために周囲の目を盗んででも埋葬した者がいて、愛のために複製を製造した者がいる。
形は違えど、その手段が間違っているとしても、そこには確かな愛が存在している。
「
「あら、魔神様にしては随分と詩的ね」
「惚れ直したか?」
「残念ながら相手がいるのよ。とってもしぶとくてしつこくて、いつまでも私の心に居座ってるエセ神父がね」
「それも愛だ」
かくしてルキフグス姉弟を倒した一行は遂にヴァレリーの囚われている部屋へと辿り着いた。しかし五人の眼前に聳えるのは道中幾度も通り過ぎた粗末な木戸ではなく、豪華絢爛な装飾の施された重厚そうな鉄扉である。最高権力者のために特別に拵えられたのであろうそれが玉座の間の入口を示していることは明確だ。
そもそも側近ですら平然と合成獣に改造するような男が、切り札たる″幽世の聖杯″を手元から離す筈がなかったのだ。それは鉄扉の向こうから微かに無限の魔力を感じ取れる点からも把握できる。自分自身こそが最大最強の番人だとリゼヴィムは主張しているわけだ。
しかしバロール達が決死の覚悟で突入しようとする矢先、壁を破壊する轟音が響いた。
リゼヴィムの最大の失敗はオーフィスを拉致したことだ。それは二天龍という名の厄災を自ら呼び寄せてしまったに等しい。
『久し振りだな、リゼヴィム。そして未来永劫にさよならだ。貴様は我らが花嫁を誘拐した……生きて再び暗躍できると思うなよ』