少女は逃げた。つまづき、無様に転びながら、時には車の影に隠れ、道に設置されていたゴミ箱を盾にして、そして何とか身を隠すことに成功した。
自らの血で汚れた足を押さえて蹲っている彼女を心配するように犬、太郎丸はくぅんと鳴く。
「ううっ、ぐすっ。痛いよ、太郎丸…」
彼女、圭の左足は抉れていた。クレー射撃用の小さな散弾がゴミ箱を貫通して幾つも突き刺さったのだ。歩けない訳では無いが地面を踏むたびに骨にまで響く痛みが左足を支配する。
いままで逃げてこられたのは銃を向けられていて蹲っている暇が無かったのとアドレナリンの過剰分泌で一時的に痛みを感じなかったからであって、もう彼女に両足で歩き出すような気力は無い。
彼女にとっての幸運はゴミ箱という障害物のおかげで散弾の威力が低下していたことと、立て籠もれる場所を発見できたことだ。そしてここでラジオ電波を発信できたことだろうか。
ラジオを聞いている人が居るとは限らないし、その上で助けに来てくれる人が来ることなど奇跡でも起こらないと無理だろう。それでも縋らずにはいられなかった。
痛みが少し落ち着いたのを感じた圭は再びマイクの電源を入れる。先ほど発信した情報は混乱していたせいもあり滅茶苦茶であったと自覚しているので、今度は深呼吸して落ち着いてから発言をした。
「私は圭、……何者かに足を撃たれて、巡ヶ丘駅の駅長室に立てこもっています」
発言は多少前後しているものの、内容は先ほどとほぼ同じ。
「怪我が酷くて、走るのはもう無理。歩くのも苦しいくらい」
圭は自分の足を見た。左足は靴下まで血で汚れていた。
「襲われる危険があるのは判ります。でも私の力じゃどうにもならない」
涙を流し心からの吐露を言葉に乗せる。
「誰か、助けてください」
■■■
「ば、化け物っ!」
手錠を引きちぎった私は男に組み付いていた。男がピストルのようなものを取り出したので手で払い、叩き落とす。
その際に脇腹を一度殴られた。私も負けじと頭突きで返すと男は鼻血を噴きながらのけ反った。
「ぐえっ!?」
男がひるんで距離が開く。私は構わず男を押して転ばせ、足元に転がってあったピストルを拾って男に向けた。それに気が付いた男はたじろぎながら燃える車を背にして後ずさりを始める。
「へ、へへ。止めろって、なあ?俺たちゃ人間だろ?協力しよう、な?」
ずりずりと不恰好に後ずさりを続ける男。私は構わずピストルを構え続けた。
「あんたに協力する!だから撃つなって!頼む!」
後ずさりを続けていた男の動きが止まった。背後の炎に気が付いたようで焦りは一層強くなったようだ。
……男が後ろ手で何かをつかんだのを見た。おそらくくるみさんのシャベルだ。
「くるみさんの居場所を教えるのなら撃ちませんよ」
私がそう言うと男は笑いを押し殺したような安堵の顔で私の背後を指さした。
「あのガキは駅の方だ!」
「そうですか」
私がつられて駅の方を見る。すると男が急に立ち上がり、シャベルを振るった。
その顔は勝ち誇ったように笑みを浮かべている。
「マヌケが!死ね!」
「撃ちはしませんよ」
「ぬがっ!?」
シャベルを握ったあたりから行動は読めていた。私は身をかがめて足を払うと男は簡単にバランスを崩してシャベルを杖にその場で踏ん張る。
だから私はシャベルを奪って男を蹴飛ばしてやった。
「撃たないだけです」
男は炎で包まれた私の愛車に後頭部をぶつけるように転んだ。そして全身が炎に呑まれる。
「ギャアッ!グゲ……ガ……!」
不幸な事故に遭った男は喉が焼けたのか叫びはすぐに小さくなり、踊る炎人形はやがて地面を転がり、そして動かなくなる。
興味を無くした私は死体の山に目を移し、ごめんなさいと目を伏せた。
その中にはまだ真新しい、左足と頭を撃たれた巡ヶ丘高校の制服を着た少女の死体が混ざっていたのだ。ラジオの少女かどうかは知らないが、私が救いたかった子供で、そしてさっきの男共に殺された人。
ふと手元にあるピストルに目をやる。それは警官が持っているようなリボルバーピストルで、シリンダーを開けると弾が三発だけ残っていた。
国民を守るための銃弾が二発も無辜の人間に放たれている。その事実を確認した私はあの男たちに容赦など必要ないと、震える腕を押さえながら自分に言い聞かせていく。
そうだ、震えた手では生徒を満足に救えない。私は教師であり、子供を守り、導く義務がある。
従軍経験のある私のお兄さんは銃の撃ち方を教えてくれた時に、口癖のように「まあ、人を撃った事はないがな」と言っていた。それもそうだ、こんな状況でもなければ人を殺すことなんて到底出来るものでは無い。ゲームのように人を簡単に撃ち殺せることなんてあり得ないのだ。
だから私は『覚悟』を決める。
すべて救うなんて夢物語だ。だから私は手の届く範囲で救える者だけ救う。それがたとえ、誰かと殺し合う結末へと続いているとしても。
私はシャベルを背中に背負い、ピストルを構えて駅に入った。耳を澄ますといくつかの走るような足音が遠くから聞こえてくる。私はその音を頼りに駅を歩いて行った。
道中ゾンビには出会ったが、その殆どが撃たれていたか刺されていたかで動くことは無かった。
「出てこいオラァ!」
男の一人がしびれを切らせたのか発砲する。鋭い反共音が響いたが、それは彼らの位置を知らせる狼煙と成り得た。音の聞こえた改札まで忍び足で行くと、二人の男が辺りを見回すようにくるみさんを探していた。
このまま野放しにしているとくるみさんが危険だ。私は自動販売機に背を預け、息を落ち着かせる。ピストルを握り直し、ハンマーを上げて照門と照星が正しく覗けるのを確認して、大きく息を吸ってから身を乗り出した。
「動かないで!」
私は自動販売機から体を出し、大声で叫びながらピストルを二人に向ける。それにとっさに反応したのか、散弾銃を持ったサングラスの男が銃をこちらに向けてきた。
「くっ!」
二発発砲。撃った弾は男の右胸と右肩に当たった。サングラスの男は散弾銃を取り落しながら血しぶきを上げて倒れ、そのまま動かなくなった。もう一人のモヒカン男は近くにあったトイレの中に飛び込んだようだ。
「フーッ、フーッ」
興奮が収まらない。極力頭を冷やそうとしているのに呼吸は荒く、手がまた震えだす。
人を殺す罪悪感、恐怖。くるみさんを助けるという義務、使命感。そう言ったものがぐるぐるとないまぜになり足が凍りついたように硬いが、足を無理やりに動かした。
「おおっと、動くんじゃあないぜ!」
その時、モヒカン男が入って行ったトイレの中から声が響いた。そしてゆっくりと姿を現したのは顔面蒼白であるくるみさんを盾にしたモヒカン男。その右手には私と同じピストルが握られ、くるみさんのこめかみに押し付けられている。
「ハハ、まだツキは残ってるみてえだ。まさかたまたまトイレに居るなんてよお?」
男が勝ち誇ったように言う。そしてピストルがくるみさんのこめかみから私の頭にゆっくりと向いた。
私の残弾は一発、外せば二人とも死ぬ。震える手を力で抑え込みながら、私は引き金に力を込めた。
■■■
「何か聞こえた」
巡ヶ丘高校で自習していた由紀が不意に顔を上げた。彼女は立ち上がり窓枠に手を掛けて遠くを見る。しかし駅の方から黒い煙が立ち上っている以外は何も見えるものはなく、由紀は再び耳を澄ませた。
再び由紀の耳が何かの音を捉えた。それはパーティークラッカーのような破裂音であり、今の時勢にはいやに似つかわしくはない。
不安を感じた由紀はブルリと体を震わせ、元の自分の席に戻る。
「めぐねえとくるみちゃん、無事に帰ってくるよね」
それは自分に言い聞かせるような言葉だった。彼女自身、これ以上何かを失ったら壊れてしまう自覚があるだけに。
そういえば、と由紀が視線を巡らせる。そういえばりーさんトイレから帰るの遅いなと考えながら。
そしてその瞬間、由紀の背中に氷柱を入れたような悪寒が駆け上がった。
彼女の『イヤな予感』というものだ。
由紀は元々五感が優れていた。それ故に未来予測が正確で、そういった情報は『勘』や『予感』として現れる。
彼女はすぐさま立ち上がり教室から駆け出す。その掲示板では「廊下は 走らない」という張り紙がもの悲しく揺れていた。