響く歓声にコート上のあちこちで鳴るバッシュの音。本日は待ちに待った公式戦。インターハイ京都府予選当日である。
「赤司っ!」
その声に反応して僕はパスを出す。ゴール下の一年生、ノーマークの城谷代々へと繋がり、そのまま豪快なダンクを叩き込んだ。同時に鳴り響く試合終了のブザー。
「試合終了!116対12で洛山高校の勝ち!礼っ!」
インターハイ地区予選、初戦は僕達の圧勝に終わった。
「うぉおおおお!すげえ!さすが全国最強チーム!」
「あまりに圧倒的じゃねーか!」
「しかも今年はあの『キセキの世代』が入ってるし。あれだろ?後半から出てきたやつ」
「ああ。全然本気出してなかったみてーだな。底知れない実力だぜ」
だいぶ注目を集めていたようだ。試合終了と同時に興奮した様子で観客達が騒ぎ出す。仲間達と廊下を歩いていくが、だいぶ注目されているようだ。コートから出た僕達を遠巻きに見つめる目ばかり。どの高校もこちらへ好奇の、あるいは警戒の視線を向けていた。
「ひゅー、ずいぶん目立ってるじゃん。特に赤司なんてメチャクチャ注目されてるし」
「気にするな。試合を分析されようが関係ない。一通りの試合には目を通したが、相手になるチームは特に無さそうだよ」
周囲からの無駄なプレッシャーなど気にする必要は無い。口笛を吹く小太郎にそっけなく返すと、楽しげな顔で僕の首に腕をからませる。
「みんな赤司の噂してるぜー。手の内を隠してるとか、底知れない実力とか」
「そうね。当然だけど征ちゃんの話題で持ちきりみたい。さすがは『キセキの世代』のネームバリューね。さっきの試合もかなり評価高いみたい。ま、敵の実力も見抜けないボンクラってことよね」
辛辣な言葉を吐く玲央。だが、僕も同意見だ。手の内も実力の底も、すべてを曝け出したっていうのに、それを見抜けないようじゃね。結局のところ、この会場に集まった選手のレベルは二流以下だということだ。
「実際は控えだしなー」
小太郎が笑いながらそう言った。そう、現在のところ僕はPGの二番手に甘んじているのだ。
先月の『キセキの世代』黒子テツヤを擁する誠凛高校との練習試合。そこで活躍した僕だったが、あれは単に彼との相性がよかっただけで、決して僕自身の実力が上がった訳ではない。音源感知を主要とする僕には視線誘導(ミスディレクション)が通じないというだけ。
そのため、レギュラーの座を奪うことがいまだにできないでいた。ちなみに、同じく一年の城谷代々と今野玄人は、試合での活躍を認められて一軍へと昇格を果たしている。
予選では試合の前半がスタメン、後半が一軍の控えといった風に出場機会を与えられていた。これは体力温存のためだけでなく、控えメンバーに試合経験を積ませるためでもある。レギュラーになりたければ、これからの予選で結果を残せということだ。
「まあいい。午後からの試合の前にミーティングだ」
行くぞ、と騒がしい周囲を無視して廊下を先導する。初戦で相手が弱いからといって、反省材料が全くないわけではない。いや、格下が相手だからこそ、課題をもってこの試合に臨んでいた。
「さてと、ではミーティングを始める」
体育館から出た先の広場。そこに集まった僕達、一軍メンバーは円になるように腰をおろしていた。監督からの訓示はすでに試合後に済んでいる。なので、ここでは前回の振り返りと、午後からの試合に対する課題を告げることにしよう。
「ってか、赤司の課題ムズすぎっしょ~」
小太郎の声にうんうんと頷くメンバー達。格が違いすぎる相手と普通に戦ったところで得るものなどほとんどない。現在のところ、まだ彼らには『キセキの世代』に対抗する力は備えていないのだ。すでにインターハイ予選ではあるが、その試合中にも進化をしていかなければ、とてもあの天才達に勝つことなど不可能だろう。
「今回の結果だが、まずはスタメンの5人。前半の2Qに出場で得点は69-12。目標は達成できているな」
その言葉を聞いて、安心したように一息を吐くスタメン陣。無名校で圧倒的に格下とはいえ、全身全霊で勝負に挑めたようだ。油断したりしないよう、前半だけで50点以上の点差をつけることを今回の課題にしてあった。短期間で相手と点差を引き離すための追い込みの練習である。
「多少、強引でも構わない。とにかくなりふり構わず攻め込むこと。速攻とスティールを積極的に行う勝負所の追い込みは、今後のためにも必要な技能だ」
「そりゃそうだな、赤司。それだけならいいんだよ。だが、もう一つの課題の方がオレとしてはキツかったぜ」
「そうそう!条件ムチャクチャすぎ!」
『無冠の五将』のひとり、永吉は筋骨隆々な肩を竦めて溜息を吐いた。小太郎の方は面白がった様子で追従する。二人とも本当に不満に思っている訳ではないことは知っている。なので、あえて僕は当然と言った風に続ける。
「なんだ、少し条件を付けただけだろう?お前達が得意なプレイができるように配慮してやったんだしな」
「んなわけあるか!得点条件がロール後のダンクのみってどういうことだよ!」
「そうよね。私も3P以外のシュート禁止だったし」
「だよなー。オレも相手の右側からしか抜くなって言われたとき、どうしよーかと思ったよ」
口々に呆れたような声が漏れる。今回の試合では、全員のプレイに縛りを入れていた。要するに各々の得意パターン以外を禁止したのだ。
「何回も繰り返すから、もう完璧に右から行くって敵に読まれちゃってさー。抜くのにメッチャ苦労したよ」
「だな。ジャンプシュートのフェイクとか、速攻を利用したりとか、頭使いすぎて痛くなってきたぜ」
だが、口ぶりとは裏腹に彼らの表情は明るい。次のプレイを相手に読まれた状況で、それでも捻じ伏せるための方法論。その一端を彼らは、この試合で掴みかけていた。
「ボールを持ったときには幾つかの選択肢がある。玲央、お前の場合は、ディフェンスが離れていれば3P、近ければカットイン、難しければパス。大まかに分けるとこんな感じだろう」
そうね、と玲央は頷く。
「だが、勝負所でディフェンスが密着マークをしてきたとき、3Pを打てないからカットインで本当にいいのか?持ち味のプレイをそんなに簡単に封印されて、シューターだと言えるのか?密着マークをされても、3Pを打つという選択肢が残っているからこそ、相手の脅威となるんだ」
「たとえ読まれていても、それでも3Pを打たなければならない場面って必ずあるものね。カットインやパスのフェイク、スクリーン、マークを振り切るための位置取り。3Pを狙うという、たった一つの選択肢。その中にもさらに多くの選択肢があるのよね」
たとえば『キセキの世代』のシューター、緑間真太郎。3点ずつ得点を決めていけば絶対に負けることはないと豪語する彼は、3P以外を狙うことは滅多にない。どれだけ密着マークをしようとも、ダブルチームにしようとも変わらない。3Pを打つということのみに特化したSGなのだ。
「どんな状況下であろうとも選択肢に残しておけるほどに得意なプレイ。言うなれば必殺技か。それをこの予選で磨いていけ」
そう、僕が告げると全員が真剣な表情で大声で返事をした。同じく後半の2Qに出場した一軍メンバー、つまりは僕や代々や玄人など、に対する評価を行ったあと、次の試合についての打ち合わせに入る。
「次の試合だが、特筆すべきチームではない。初戦と同じく前半はスタメン組、後半はそれ以外のメンバーだ。そして、前半は初戦と同じく50点差をつけろ。これが課題だ」
静かに僕の言葉に耳を傾ける仲間達。ちなみに、この目標得点を考えるのには結構苦労しているのだ。去年のデータなどに目を通し、今年のメンバーの実力をシミュレートし、試合の予想得点を考える。そして、各々の課題を加味して、ギリギリで達成できる得点差を発表していた。
スタメン組は以前、『キセキの世代』の青峰大輝を擁する桐皇学園にこっぴどくやられている。その自信を回復させるためにも、全力でやれば何とかクリアできる課題にしなければならないのだ。小さな課題を何度も達成していくことで、失った自信を回復させ、全国大会で最良の精神状態に持っていこう。
ふぅ……こういった精神面のケアは僕の仕事ではないと思っていたんだが。
「それぞれの課題について発表する。今回とは逆、得意プレイを禁止とする。基本的に、先ほどの試合の縛りがそのまま禁止条項となる」
「ってことは、オレの場合は右側からのドリブル突破が禁止かー」
「小太郎はさらにクロスオーバーも禁止だ」
「えーっ!マジかよ!レッグスルーとかロール苦手なんだよなー」
頭に手を当てて天を仰ぐ小太郎。さらに僕は玲央と永吉にも続ける。『無冠の五将』には厳しめに課題を与えておくことにする。
「永吉はロールとターン禁止。玲央は3Pと3Pラインより外でのパス禁止。ボールを持ったら必ずカットインするように」
そんな、と頭を抱える二人。だが、知恵を振り絞ればこの課題は突破できるはず。一通りの予選出場チームには目を通しておいたが、洛山が圧倒的に地力で突き抜けている。インターハイ予選の相手校は練習台として活用することにしよう。
――こうして、僕達の洛山高校はインターハイ本選への出場権を獲得した
インターハイ本選。
何の波乱も無く、トントン拍子で勝ち抜いてきた僕達だったが、それはこの本選でも同様だった。今日の準々決勝でも、それは変わらない。
だが、明日からはそう簡単には事は進まないだろう。『キセキの世代』との衝突が始まるからだ。準決勝は紫原敦を擁する陽泉高校。そして、決勝で当たるであろう桐皇学園か海常高校。青峰大輝を擁する桐皇学園、黄瀬涼太を擁する海常高校。僕のシミュレートでは、どの高校と当たったとしても20点差以上を付けられて大敗する未来しか見えない。
「敦にメールを送っておくか」
携帯電話から敦のアドレスを探しながら、しかし、こんなことは根本的な解決にはならないと溜息を吐いた。
「どうしたんだよ。せっかく準々決勝が終わったってのに、ずいぶんテンション低いな」
「いや、何でもないよ」
全国大会のために東京を訪れている僕達だったが、他のメンバーは午後からの試合の見学である。だが、僕は少し落ち着いて明日の作戦を考えたいということで別行動を取っていた。念のため、付き添いで代々と玄人の二人が来ていたが。
「僕はPCで他のチームの映像を見てるから、二人は適当にやっていてくれ」
「わ、わかったよ」
「おう、じゃあ1on1やろうぜ」
以前、訪れたこともある近くのストリートバスケットのコートで暇を潰すことにした。いや、暇なのは二人だけだが。持ってきたボールで勝負し始め、僕はそれを意識の外に追い出してデータの収集を開始する。
――やはり『キセキの世代』を止めるのは至難
これが僕の出した結論だった。中学生時代ならまだしも、体力のついた現在の彼らを止める手段などあるのだろうか。あの埒外なまでの攻撃力をフルタイムで発揮されては、まるで凡人には打つ手がない。敦には別の手を打ってはいるが、決勝の大輝か涼太とは正面から戦う必要があるのだ。
トリプルチームで抑えるか?いや、大輝に対してどころか、涼太にすら通用するかどうか微妙なところだ。それに、たとえエースを抑えたとしても、全国区のチーム相手に2対4はさすがに無謀。
ファウルトラブルは?5ファウルで退場させれば勝ち目はある。だが、『キセキの世代』相手にファウルを5つも取るのは、それはそれで至難の業だ。ファウルせざるを得ないほどに追い詰めなければならない。逆説的に『キセキの世代』級の実力が必要となる。
どうしても勝ちの手順が想定できない。結局のところ、『キセキの世代』を止めない限り、得点が順調に足されていく限り、彼らに勝つことはできないのだ。3Pを中心に攻めようとも、3Pプレイで返されるのは目に見えている。
打つ手無し。絶望的な気分に陥りながら、額に手を当てて大きく息を吐いた。だけど、こんな気分も悪くない。勝ちの道筋も見えない圧倒的な力の差。だが、それゆえに胸のうちから密かな高揚感も湧き上がっていた。もうちょっとだけ、あがいてみるか。
「Hi」
流暢な発音で耳に届いた英語に振り向く。そして、その声の主を見た瞬間、驚愕に目を見開いた。
――こいつ……『キセキの世代』級!?
「おっと、ごめんごめん。日本語で挨拶すべきだったね。ちょっと外国から戻ってきたばかりでさ」
「あ、あなたは……?」
「ああ、オレは氷室辰也という。こっちにもストリートのコートがあるんだね。珍しいと思って見学させてもらってたんだよ」
驚きの表情で固まった僕に小さく謝るのは、右目に泣き黒子のある長身の青年。だが、『天帝の眼』にはバスケに必要な筋肉だけが極限まで鍛え上げられているのが見えていた。潜在能力は『キセキの世代』に匹敵するほど。
「おっ、こんにちは。アンタも一緒にやるか?」
「ありがたいね。混ぜてもらえるかな」
涼しげな様子でコートに入る氷室という男。だが、代々からボールを受け取ると、その雰囲気は一変する。寒気がするほどに鋭利な闘争心。ボールを持った姿を見るだけで理解させられる。超一流の剣豪にも似た、斬るか斬られるかの張り詰めた緊張感。
「玄人、本気でやれ。誠凛の火神と同格と想定してやれ」
「そ、それほど……?さ、最大級の警戒じゃないか…」
「それ以上の可能性もある」
引き攣った表情で頷く玄人。その清流のような澄み切った空気感は『キセキの世代』に勝るとも劣らない。
……まだ日本にこんなやつがいたのか。
「あれ?そっちのキミはやらないのかい?相当できそうだけど……」
「もちろんやるさ。だけどその前に少し、見せてもらおうと思ってね」
試すようにこちらへ声を掛ける男に、僕はベンチに座ったまま答えた。
「そう。ま、でもこっちのキミも良いディフェンスしてるね。日本のバスケも捨てたもんじゃなさそうだ」
「ど、どうも……」
僕の言葉に警戒感を上げた玄人が立ちはだかる。それに対して、口元に笑みを浮かべながらゆっくりとドリブルをつき始める氷室という男。
「じゃあ、行くよ」
マンマークの専門家、玄人のディフェンス能力は洛山高校の中でも五指に入る。入学以降も守備面のみに特化した育成を行ってきたのだ。それゆえに、『キセキの世代』を除外すれば、他校のエース級の相手を封じる実力は十分に備えている。だというのに――
「……っ!?」
パサリとネットが揺れた。シュートを打った体勢の氷室に僕の眼は釘付けにされる。火神クラスだなんて、冗談じゃない。明らかにそれ以上の、僕達『キセキの世代』に迫るレベルの選手だ。
――まるで芸術作品を鑑賞したかのようだ
ゾクリと背筋に寒気が走る。一目見るだけで理解した。凄まじく鍛錬の凝縮された技術。僕や代々だけでなく、当事者である玄人でさえも呆然とその動作を眺めさせられた。あまりにも美麗で、あまりにも滑らか。まさしく超絶美技。教科書通りの技術を極めると、ここまで美しくなるのかというほどに、氷室のプレイは完成していた。
「面白い。次は僕とやろう」
『キセキの世代』赤司征十郎と氷室辰也の、見るものが見れば垂涎ものの対戦カードがここに成立した。