もしも赤司が疲れ目になったら   作:蛇遣い座

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「これが、僕の新たなスタイルだ」

呆然と天を仰ぎながら、僕はコート上で溜息を吐いた。

 

「あまりにも強すぎる……」

 

氷室辰也とのストリートでの対決は、当然ながら僕の惨敗であった。正統派のスタイルでありながら、『キセキの世代』に匹敵するほどの実力。幾度と無く挑んだものの、まるで相手にならない有様だった。

 

「どけよ、赤司。次はオレがやる」

 

圧倒的に敗れた僕に代わり、今度は代々が挑戦しようとコートに足を踏み入れる。とはいえ、彼も数え切れないほどに氷室という男に挑み、同じだけ敗れていた。しかし、氷室の方は飽きた様子も無く、薄く笑みを浮かべてボールを持った代々の前に立ち塞がる。

 

「今度こそ、抜いてやる!」

 

「さあ、来なよ」

 

二人の視線が絡み合った瞬間、代々は右へのフェイクを入れて左へとドライブを仕掛けた。それに対応して、氷室も先回りするように斜め後ろにステップ。進行方向を完全にシャットアウトする。それを見た代々は即座にレッグスルーで切り返しを挟んだ。

 

「へえ、やるね」

 

洛山高校バスケ部、城谷代々は一年生にして全国最強チームの一軍に所属している。体力不足でフル出場できないために、スタメンからは外れているが、その純粋な実力はまるで劣るものではない。高い身体能力やドリブル、シュート技術に加え、特に相手の動きを先読みする洞察力に秀でる。その攻撃力は十分に全国クラスと言えるだろう。しかし、その代々においてさえ、氷室辰也の前には赤子同然だった。

 

「くっ……まったく読めねえ」

 

高速での切り返しも、進行方向を読みきった氷室の前には封殺されてしまう。明らかに読み合いで代々を上回っていた。純粋な技量と読みを極めた男を前にして、代々に残された手は苦し紛れのシュートだけだった。

 

「オレの勝ちだね」

 

体勢の崩れきった代々のシュートは当然外れてしまう。そのこぼれ球をキャッチした氷室は、そう言ってボールを指の上で回して見せた。

 

「もう一度っ……!」

 

「いや、ちょっと待ってくれ。悪いけど、ちょっと用事があってさ

 

腕時計を見た氷室はすまなそうに手を上げた。

 

「というか、キミら洛山の選手だろ?これから当たるかもしれない高校の試合、見なくていいの?」

 

「え?あっ、そうか……この時間は!?」

 

「今度転校する予定の高校のバスケ部の連中に、次の試合だけは見ておけって薦められてさ」

 

ああ、そうか……。今日のインターハイの最後の試合、これは確かに見ておくべきだろう。軽く流した汗をタオルで拭き取りながら、僕も会場へ戻る準備を始めた。期待と不安に小さく口元を歪める。興味深い試合になりそうだ。

 

本日最後の対戦カードは、桐皇学園vs海常高校

 

僕にすら勝敗の予想がつかない。埒外の天才同士の邂逅。

 

 

 

――『キセキの世代』同士の衝突。

 

 

 

 

 

 

 

インターハイ準々決勝の最終試合を観戦しようと集まった満員の観客達。普段のインターハイに比べ、会場の入りが多いのは、『キセキの世代』に対する期待ゆえだろうか。しかし、会場は奇妙なまでに静まり返っていた。あまりの試合展開に誰もが固唾を呑んで見守っている。

 

「な、何だ……これは……」

 

目を見開き、呆然とした表情で氷室の口から小さく息が漏れた。一緒に観戦している二人も驚愕で言葉が出ない。あまりにも常識を逸脱した状況に、恐るべき実力をもつ氷室でさえも、口元を震わせて試合に釘付けになっていた。この静寂を作り上げているのは、『キセキの世代』の二人。

 

――青峰大輝と黄瀬涼太

 

目の前に立ち塞がる二人の敵を、信じられないほどの高速ドリブルで抜き去る大輝。仮にも全国レベルの選手だというのに、まるで木偶も同然。残像すら見えるほどの尋常ではないキレは圧巻だった。

 

「こ、この間の練習試合よりも、キ、キレてる……」

 

「あれよりも先があったのかよ……」

 

玄人と代々が声を震わせる。前回の練習試合のときよりも鋭いドライブに、見ているだけで圧倒させられていた。敵のリングへとボールを叩きつけようとする大輝。しかし、二人を抜いているわずかな隙。その間に追いついた涼太が、大輝のシュートをブロックするために跳躍していた。だが、全力を発揮した大輝にとって、ブロックなど何の壁にもならない。

 

「なっ……あの体勢から!?」

 

後ろに倒れこむがごとく、大きく上体を反らした大輝は片手で上空へとボールを放り投げる。それは涼太のブロックを遥かに超える高度まで上昇し、長い滞空時間の後、リングを通り抜けた。

 

「あんな適当に投げた風なのが入るのかよ!?」

 

常識を超えたシュート。明らかに通常のフォームではない。氷室の基本を極めたものとは真逆。その瞬間に生み出される天衣無縫のフォーム。これが『キセキの世代』最強スコアラー、青峰大輝の『型のない(フォームレス)シュート』――

 

 

 

だが、そんな埒外の天才は大輝だけではない。次にボールを持ったのは、同じく『キセキの世代』黄瀬涼太。

 

「これは……今の青峰くんとまったく同じ……!」

 

声を上ずらせてつぶやく氷室。それもそのはず。返す刀で相手を抜き去ったのは、先ほどの大輝と同じ技だったのだから。しかも、高校生の限界を超えたドリブルのキレまで完全に模倣(コピー)している。そして最後に放ったのは、上体を大きく反らして天高く投げ上げる『型のない(フォームレス)シュート』。

 

「これは僕も驚いたよ。『キセキの世代』の能力すら模倣(コピー)するとはね。涼太の才能も段違いに進化しているようだ」

 

思わず僕も感嘆の声を漏らしてしまう。『他人の技を模倣(コピー)』する能力をもつ涼太でも、同じ『キセキの世代』の技を使うことはできなかったはず。相手のもつ、反応不能なまでの敏捷性と予測不能な常識の枠外のスタイル。しかし、現在の涼太は完全に大輝と一体化していた。

 

「一つ一つの技(スキル)だけでなく、大輝のスタイルを丸ごと模倣(コピー)か。敵に回すと思うと寒気がするほど恐ろしいよ」

 

厳密には涼太は大輝よりも最高速は遅い。だが、最低速をさらに下げることで、動作のキレを同等にしているのだ。ただの猿真似ではなく、模倣(コピー)を自分自身のスタイルとして使いこなしている。

 

これが『キセキの世代』の天才性。

 

もちろん、対する青峰大輝の才能とて、バスケット選手として最高の域に達している。この『キセキの世代』同士の衝突は、すでに常人の計れるものではない。

 

「……いつまで続くんだよ、この滅茶苦茶な殴り合いは」

 

どこかで誰かがつぶやいた。信じられないことに、この最終第4Q。互いに一本も落とさず、二人は点を入れ続けている。もはや誰もがこの二人の対決に圧倒されていた。

 

「あっ……!?」

 

しかし、最後の最後、桐皇学園の選手のミスから海常高校へとボールが移る。千載一遇の勝機に会場中がどよめいた。

 

「黄瀬っ……頼む!」

 

涼太にボールが渡った瞬間、僕だけでなくこの場の全員が確信する。残り時間、点差から考えても、この二人の直接対決で試合の結果が決まるだろうと。二人の視線が交わる。

 

――ここが天王山

 

最大限の集中力で、自身の『天帝の眼』で二人の一挙手一投足まで見切る。ドリブルで突っ込む涼太に対し、どうやら大輝は読み合いを放棄したようだ。自身のパターンを知り尽くして模倣(コピー)した相手には純粋な反応速度で勝負しようという腹。右か左か、どちらにしても対応できるように、自分の人間離れした敏捷性に肉体の反応を委ねた。しかし――

 

「ここでいきなり『型のない(フォームレス)シュート』……!?」

 

すべての選手の予想を裏切り、涼太の選択は直接のシュートだった。ぶん投げるようにして放たれるシュート。しかし、大輝の反射速度はその予想外を上回る。刹那の反応でブロックに飛ぶ大輝は完全に涼太のタイミングを捉えていた。

 

――が、それも含めて全てがフェイク。

 

最後の最後にシュートをやめて選択したのは、チームメイトへのパスだった。誰一人として予想はできなかったはず。そして、先読み無しでは絶対に止めることはできない完璧なタイミング。桐皇学園の選手達の顔が青ざめる。

 

「マジかっ……!」

 

 

――しかし、そのパスを大輝は左手で弾いていた。

 

 

「えっ……?」

 

そのボールは桐皇学園の選手が奪い、速攻でゴールを決めてしまった。あっさりと止められた涼太は、意識が空白に陥ったのか呆然と立ち竦む。これにて勝敗は決した。青峰大輝と黄瀬涼太の対決は、大輝の勝利に終わったのだ。

 

「どうして……」

 

つぶやく涼太に、僕は首を左右に小さく振って内心で答える。僕の眼には先ほどの交錯における彼のすべてが見えていた。そこには、もしも大輝であれば行わないであろうフェイクが含まれていたのだ。

 

――仲間へのパスを匂わせるためのフェイク。

 

個人技のみで相手を圧倒する大輝のスタイルに、仲間へのパスなど本来絶無の選択肢。だからこそ先読みされたのだろう。

 

「涼太、お前の敗因はただ一つだよ。模倣(コピー)の使い方が――あっ!?」

 

「ん?どうしたんだよ、赤司?」

 

代々の言葉など耳に入らず、僕は思わず立ち上がった。たった今、脳裏に閃いた。視覚ではない、聴覚を使った、僕の新しいプレイスタイルを――

 

「氷室、ちょっとこれから付き合ってくれないか?」

 

「ん?ああ、いいけど……」

 

しかし、二人は慌てたように口を挟んできた。

 

「ちょ、ちょっと赤司、待てって!明日も試合なんだし、そろそろホテルに戻って休まないと……」

 

「悪いけど、試合なんかよりも大事なことなんだ。二人は先に帰っててくれ」

 

涼太のプレイを見て、僕は自身の新たな可能性を感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

僕達は再びストリートのコートへと戻っていた。ボールを氷室に投げ渡す。

 

「で、何がお望みかな?」

 

「1on1に付き合ってくれ。僕がディフェンスをやる」

 

「そうか。何を企んでいるのか知らないが、行かせてもらうよ」

 

言うやいなや、氷室の雰囲気が豹変する。チェンジオブペースからの高速ドライブ。曇った視界による一瞬の反応の遅れ。それが致命傷になった。

 

「っ……速い!?」

 

一歩も動けずに抜き去られる。そのまま、あっさりとレイアップを決められた。

 

しまった……これは僕のミスだな。ドライブが鋭かったのはたしかだ。だが、これでも僕も『キセキの世代』と呼ばれた選手である。純粋な身体能力なら追いつけたはずだった。

 

――いきなりで呼吸を合わせ切れなかったか

 

集中。

 

氷室の呼吸音に意識を集中する。そうして、相手の動くタイミングを読み取るのだ。役に立たない視覚には頼らない。聴覚に意識のすべてを傾ける。

 

「もう一度」

 

再び氷室がドライブを仕掛ける。即座に反応し、僕は左へとステップした。わずかに驚いた顔を見せる氷室。

 

「へえ、さっきと違って良い反応だ。けど――」

 

だが、突如テンポを変えてストップからの右、からのクロスオーバー。急激なリズムの変化に対応できず、完全に身体が泳がされた。二度目の対決もやはり僕の敗北に終わった。

 

 

 

 

 

 

 

それから数十分ほど、彼を相手にディフェンスをしていたが、結局ただの一度も止めることはできなかった。だが、僕は少しずつ自身のスタイルを理解し始めていたし、意外にも氷室の方も楽しんでいるようだった。

 

「本当に面白いよ。赤司くん、だったよね。初めて会うタイプの選手だよ。こんな未知のスタイルがあるなんて驚きだ」

 

「くっ……」

 

ストップからのジャンプシュート。慌ててブロックに跳ぶが、間に合わない。呼吸を合わせたものの、あと一歩のところで届かなかった。こちらの上を無情にもボールは通り過ぎる。あと少し早く動ければ届いたのに……

 

いや、そうではない。速さとか高さとか巧さとか、そういったものに囚われているからダメなんだ。改めて呼吸を氷室に合わせていく。

 

「身体能力は高い。技術(スキル)も一流だし、心理的な駆け引きも老練。まぎれもなくトップクラスの実力者。なのに、反応速度だけが異様に遅い。特に細かなフェイクには反応すらできていない。まるで目が見えていないかのように」

 

口元に笑みを浮かべ、興奮した風に続ける。

 

「しかし、なぜか初動の読みだけは抜群に巧い。勘が良いというレベルではない。キミはまさか、視覚以外で相手を捉えているのか?」

 

さすがは『キセキの世代』に迫るほどの実力者。僕の特性をきっちりと把握している。そう、僕が目指すスタイルはおそらく前例がないものだろう。黒子テツヤの『自身の姿を消す』スタイルと同じように――

 

あと一歩。しかし、最も重要なパズルのピースが欠けているのを感じていた。何だ?何が足りない?

 

長い時間の対峙で、氷室と呼吸は合わせている。初動は読めるし、切り返しの呼吸も合ってきた。だが、それだけではどうしても止められない。後手に回らざるを得ないがゆえに、どうしても読みがわずかにでも外れた瞬間に終わってしまうのだ。相手に後手で対応するのではなく、先手を取るにはどうすれば……

 

 

――前例の無いことをやるのなら、既成概念に囚われないこと

 

 

かつて、テツヤに送ったアドバイスを実践してみよう

 

「僕にできることは相手の音を聞くことだけ」

 

ならば、それに全身全霊を傾けてみよう。早く動こうなどと思うから聴覚にノイズが入ってしまうのだ。とりあえず、抜かれてもいいから氷室辰也という男の音を全て聞き取る。呼吸も心拍も、そして心の声までも聞き取ろう。

 

「雰囲気が違うね。見事な集中力だ」

 

ゆったりとボールをつく氷室。チェンジオブペースからのドライブか、それともクロスオーバーか。先ほどまでの僕ならば、そんな読み合いに脳の容量を使っていただろう。だが、今の僕はただ相手の音を聞き取るだけ。無言でただ呼吸どころか心拍までも合わせるかのように同一化していく。

 

――黄瀬涼太の『模倣(コピー)』をイメージ

 

完全に相手と息を合わせ、心拍も合わせた僕は、自然と氷室の心そのものに同化していた。自分の視界とは別に、相手から見える視界が夢想される。腰を落として守る僕自身の姿が自然と脳裏に浮かび上がった。

 

――クロスオーバーからのドライブ

 

タタンと初動から変化のタイミングまで完璧に読み切れた。いや、自然と感じ取れたのだ。一切のタイムラグ無しに氷室のドライブに追随する。あまりにも敏速な反応に彼の表情がわずかに引き攣る。

 

「なっ……だが、ここからの複合技を全て読みきれるかな」

 

視覚が鈍い僕に対しては細かなフェイクの嵐よりも、小刻みなテンポの変化が効果的だ。事実、先ほどまではただの一度として全てを読みきれたことはない。しかし、僕はそれを読もうとはしていない。ただ、同一化して感じ取るだけ。それだけに専心していた。

 

「……くらいつくね」

 

これはどういうことだ?

 

不思議な感覚に陥っていた。呼吸と心拍を合わせ、相手の視界までもイメージして同一化する。それによって僕は、氷室辰也という男の心の動きまでも感じ取っていた。初めて自身のオフェンスについてこられたという焦り。

 

 

――それが技の繋ぎに一瞬の隙を作り出した。

 

 

直感的にそれを察知して手を伸ばす。

 

「しまっ……」

 

直後、僕の手は彼の超絶技巧のドリブルを奪い取った。目を見開き、奪われたボールを呆然と見つめる氷室。初めての勝利である。僕は目を閉じ、大きく息を吐きながら天を見上げた。これで確信した。自身のスタイルの要訣を掴み取ったのだ。

 

「相手の呼吸を読み取り、息を合わせることによって自身の意識と同一化する。そうすることで――」

 

 

――相手の心の隙を読み取る

 

 

『天帝の眼』が物理的・肉体的な隙を見抜くとすれば、新たな僕のスタイルは精神的な隙を聞き取るのだ。相手の肉体を『支配』する眼の代わりに手に入れたのは、相手の精神に『同調』する耳。

 

「そして、相手に『同調』するだけでなく、相手に生まれる『心の隙』を先読みする攻撃的なディフェンス。それが僕の真骨頂なのか――」

 

これまで『天帝の眼』で数多の選手達の肉体や生体反応を隅々まで観察していた僕だからこそ分かる。息を合わせて、心を合わせれば、人間であれば必ず生まれる隙を読み取れる。僕の顔に不敵な笑みが浮かぶ。

 

ようやく見つけたよ。『キセキの世代』に対抗できる、1%の勝率を。自信を込めて僕は、誰にとも無くつぶやいた。

 

「待っていろ、お前達。――これが、僕の新たなスタイルだ」


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