もしも赤司が疲れ目になったら   作:蛇遣い座

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「それでは面白くもなんともない」

――どうしてこうなった?

 

インターハイ決勝後、僕と監督は控え室近くの廊下に立っていた。周囲には四、五人ほどのカメラマンや取材関係者。中学時代にお世話になったことのある月間バスケットマガジンの記者の姿もある。

 

「それでは、次は優勝した洛山高校の主将である、赤司征十郎くんにお話を伺います。よろしくお願いします」

 

そう言ってレポーターは僕にマイクを向けた。試合に出ていない僕に。

 

「インターハイ優勝おめでとうございます。どのようなお気持ちですか?」

 

「そうですね。とても嬉しいです。これまでの練習の成果を発揮できたと思います」

 

「では、もう一つ。今大会は『キセキの世代』と呼ばれる帝光中学の選手達が大活躍していましたね。赤司くんは洛山高校の歴史上、唯一と言える一年生キャプテンですが、どうして準決勝、決勝の試合には出場しなかったのでしょうか?出場していれば、もう少し楽に勝てたのでは?」

 

その質問に、僕は目に見えないほどかすかに頬を引き攣らせた。

 

――準決勝の前日に疲れ果てて帰ってきたペナルティだよ

 

氷室との特訓で疲れきった僕は、監督に叱責を受け、その罰として準決勝と決勝は謹慎させられたのだ。実際、僕はスタメンではなかったし。だが、もちろんそんな情けないことは話せない。堂々とした様子で僕は肩を竦めて見せた。

 

「それでは面白くもなんともない」

 

たった一言。傲岸に、不遜に、そう答えてやった。

 

 

 

 

 

 

 

後日、洛山高校。

 

「あはははははっ!何だよ、赤司。あのインタビューは!」

 

「……うるさいぞ、小太郎。あと、引っ付くな」

 

肩に腕を回して楽しげに笑う小太郎を、うっとおしげに振り払う。

 

「いやー、昨日テレビの録画見てマジで笑ったぜ。何が『それでは面白くもなんともない』、だよ。ただのスタメン落ちじゃん」

 

キリッとした決め顔で昨日の僕の言葉を茶化す小太郎。おい、まさかそれは僕の物真似のつもりか?

 

「ふふっ……でも、本当に昨日のあれは面白かったわよね。あんな格好良い負け惜しみ、初めて見たわ」

 

「だよな。お前ただのベンチだろーがって笑いが止まらなかったぜ」

 

玲央や永吉も吹き出すように笑い出す。ここまでコケにされるとは……。小太郎、許せないな。

 

「あ、あれ……もしかして、赤司、怒ってる?」

 

「……小太郎、ボール持ってこい」

 

「や、やだなー。冗談だって、冗談」

 

引き攣った表情の小太郎に、僕は優しく微笑みかける。

 

「もちろん分かっているさ。ただ、無性に1on1がやりたくなっただけだよ」

 

やっちゃったわね、と首を左右に振る玲央。それを見て諦めた風に小太郎がボールを持ってコートへと入っていった。今日は試合の疲れを取るために練習は休みだ。なので、コートは全て埋まっているわけではない。

 

「じゃあ、やろうか」

 

「つっても、赤司。悪いけど、やるからには本気でやるからね」

 

「それでいいさ。別に懲罰的な意味合いで勝負を挑んだわけではないからね」

 

ただ、試してみたかっただけだ。小太郎の軽口など、ただの口実に過ぎない。

 

「一本先取だ。僕がディフェンスをやろう」

 

「先攻がオレ?すぐ終わっちゃうぜ」

 

小太郎がボールをついた瞬間、体育館全体を揺るがすような轟音が響き渡った。

 

 

――全力(マックス)の小太郎のドリブル

 

 

手を抜くつもりはさらさらないらしい。視認不可能なほどの高速で動き回るドリブルは、もはや常人には感知することすらできないほどだ。一切の手加減も躊躇も無く。これが『無冠の五将』最速のドリブラー、葉山小太郎の本気。

 

「ここらでちょっとオレのすごさ、見せ付けちゃおうかな」

 

「やれるものなら」

 

臨戦態勢で今にも発射されようとするミサイル。そんな強烈な威圧感を前に、僕はすでに相手の呼吸を聞き取っていた。鼓膜を叩く轟音は無視。瞬時に相手と息を合わせ、心を合わせる。自然と相手の視界が幻視された。

 

「いっくぜー!」

 

相手の雰囲気が豹変する。視認することすらできないドリブル。そこからスティールするための難易度は尋常ではなく高い。いや、小太郎自身は不可能とすら断じているかもしれない。それほどに、彼の本気のドリブルは人智を超えていた。そして、ついに小太郎の身体が、爆発的な加速で発射された。

 

 

――が、その掌にボールはなかった。

 

 

「――隙だらけだよ」

 

僕の伸ばした掌に、そのボールは収まっていた。

 

「え?」

 

呆然と、目を見開いて立ち竦む小太郎。何が起きたのか分からない、という風に呆けている彼に向けて、僕は余裕の表情で答えてやる。

 

「簡単に言えばこういうことだよ。――小太郎の心の隙を突かせてもらった」

 

「な、なんで……え、マジで?」

 

「僕が何の理由も無く規則を破ったとでも思ったのか? 準決勝前日、ある協力者との特訓でね。開眼したんだよ。いや、目は見えないが」

 

当事者の小太郎だけでなく、この勝負を観戦していた全員が信じられないといった風に口をあんぐりと開けている。それほどまでに僕の勝利が予想外だったのだろう。心外だな。まあ、たしかに高校に入学してからの僕はあまりに負け続けていたから仕方ないが……。

 

「……これが、征ちゃんの言っていた新たなスタイル。――まさか本当に完成させたなんて」

 

驚いた顔でつぶやく玲央。まさか、信じてなかったのか……。どうやら僕が門限を過ぎてホテルに戻ったことを夜遊びの結果だと思っていたらしい。

 

「相手の呼吸や脈拍を聞き取り、相手の心に共感し、相手の全てを感じ取る。それが僕の新たなスタイル」

 

全力を出したことによる余裕、こちらが格下だという慢心。小太郎にできた心の隙。さらに、ストップからゴー。静から動へ意識を切り替える際に必ずできる一瞬の意識の空白。それを突いたのだ。

 

「なるほどな。じゃあ、今度は俺と勝負しろよ」

 

ざわめく仲間達の輪の中から、一人の男が静かな闘志を漲らせて現れ、僕の前に立った。予想外の乱入に僕の顔にわずかな困惑が浮かぶ。洛山高校バスケ部、スタメンPGの先輩が鋭い瞳でこちらを睨みつける。

 

「……ただの1on1じゃなさそうだね」

 

「ああ。今のお前のプレイを見てわかったぜ。やっぱり、『キセキの世代』はモノが違う。次のウィンターカップでは、まず間違いなくお前がスタメンに入るはずだ」

 

先輩は表情にわずかな悔しさを滲ませた。そして、正面から僕の目を見据えて口を開く。

 

「三年の俺にとっては最後の大会なんだ。負けたら潔くスタメンの座はお前に譲ってやるよ。ここで格付けしておこうぜ」

 

「……いいだろう。もちろんスタメンを決めるのは監督だが、ここでは僕の誇り(プライド)を賭けよう」

 

「ありがとよ」

 

そう言って先輩はセンターライン辺りでボールを手に持った。腰を落とし、僕はその前に立ち塞がる。

 

「五本先取にしようぜ」

 

先輩の言葉に僕は小さく頷く。今の小太郎との勝負を見て、それでも個人技で挑もうとは、不退転の決意が感じられるな。まずは、いつも通りに先輩の呼吸を聞き取り、呼吸を合わせていく。『無冠の五将』レベルまでなら、隙を感じ取るまでもないほどに現在の僕の未来予知の精度は上がっていた。

 

――右か

 

完全に息を合わせ、タイミングを合わせて動き出す。いまだ心までは合わせられてはいなかったが、こちらは先輩の行動パターンまで知り尽くしている。確実に捕まえられる。だが――

 

「らあっ!遅えよっ!」

 

速い……そして、巧い。想定を超えたターンの速度とテンポの変化に、僕の身体はあっさりと置いていかれた。

 

「天才じゃなくても、俺だって強くなってんだ。あんまり舐めんじゃねーぞ!」

 

「……そうだね。たしかに少し甘く見ていたようだ」

 

そうだ。相手は全国最強の洛山高校でスタメンを張っている男なんだ。そして、彼は僕の育成によって飛躍的に実力を伸ばしている。全力を尽くした程度で、息を合わせた程度で倒せる相手ではなかった。

 

「今度は僕の攻撃だね」

 

とはいえ、先ほど心を合わせなかったのは決して相手を低く見ていたからではない。こんな短時間では、相手の思考が読めるほどに没入するのが難しいのだ。小太郎のときは上手くいったが、あれは出来すぎだ。

 

だがしかし、オフェンスならば素の実力で戦える。シュートフェイクなどの細かな揺さぶりを掛けた後、全速のドライブからのレッグスルーでの切り返し。純粋なドリブル技術(スキル)においては、スタメンの先輩にも十分に通用する。そう思ったのだが――

 

 

――鋭敏な反応によって、侵入経路が瞬時に塞がれた。

 

 

「くっ……」

 

慌ててジャンプシュートに切り替えるが、マークが外れていない以上、身長差によってブロックされてしまう。

 

――強い

 

さすがは現・高校最強PG。元々の実力は恐れるほどではなかったはず。だが、『天帝の眼』による育成によって、かつての『無冠の五将』並みの脅威へと成長を遂げていた。

 

「おい、赤司。見せてみろよ!そんな程度かよ!」

 

激情と共に叫ぶ先輩。その感情は1年生にスタメンを脅かされている焦りなのか、それとも怒りなのか、それとも別の何かなのか……

 

――入った

 

相手に見えている視界が、自身の網膜に幻視された。先輩の心に共感し、同期する。ああ、なるほど。この感情は――

 

「行くぜっ!」

 

残像すら見えんばかりの高速のドライブ。小太郎を除けば、この洛山高校では最速かもしれない。それほどのキレ。僕の左側を通り過ぎようとするそれを、僕はあえて止めなかった。フルドライブであっさりと抜き去った先輩。その瞬間、安堵の感情が生まれたのを僕は見逃さない。

 

 

――隙だらけだよ

 

 

「なあっ……!」

 

完全なタイミングで半回転だけ上体を回し、指先でボールをチップ。ドライブのタイミングやコースまで読みきり、安堵で心に隙ができた一瞬を捉えたのだ。呆然と振り返った先輩の表情は、かすかに諦念が混ざっていた。

 

 

 

 

 

 

 

試合の結果は5-1で僕の勝利に終わった。

 

三年間、必死に修練を積み重ね、ようやく集大成を見せられる最後の大会。それがウィンターカップである。もちろん、先輩にとっては並々ならぬ想いがあったことだろう。だが、それでも僕が相手に共感して感じ取ったのは、感謝と期待だった。

 

――俺だけの力じゃここまでバスケが上手くはなれなかった。だから、お前になら洛山のスタメンを任せられる。

 

先輩は体育館から出て行った。悔しさはあるだろう。だが、それを押し隠して僕にそう告げた。

 

「安心しろ。ウィンターカップは必ず優勝する」

 

決意を込めて、僕はそうつぶやいた。


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