もしも赤司が疲れ目になったら   作:蛇遣い座

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「眼を使わずに勝てるとでも」

パチリと盤上に響くように駒の音が鳴った。ここは将棋部の部室。僕は将棋盤の前に正座して、対局を行っていた。相手は将棋部の部長をしている先輩である。

 

「おい、マジかよ……部長が押されてる?」

 

表情を曇らせて長考する対戦相手の先輩。それを腕を組んで眺めながら、僕は部室の外の非日常の光景に目をやった。

 

今日は洛山高校の文化祭。窓の外は年に一度のお祭りでにぎやかな喧騒に満ちている。中庭には屋台が立ち並び、校庭の野外ステージでは生徒達のバンドの音楽が鳴り響く。しかし、この将棋部は対照的に緊迫した静寂に包まれていた。

 

洛山将棋トーナメント。

 

そう題して開かれたのが、この自由参加型の将棋大会である。腕自慢の生徒や保護者から、将棋部のOBまで幅広く参加したこの大会のレベルは想像以上に高いものだった。アマチュアの有段者までもが含まれているのだから推して知るべしだろう。そして、現在行われている対局が決勝戦なのだが、もちろん僕が押されるはずも無い。というか、『天帝の眼』が使用不能になったために、バスケットでこそ敗北が板についてきているが、こと他の勝負に関して言えば僕の無敗記録はいまだに続いているのだ。

 

――見えているよ

 

文化祭であるために、対局の持ち時間は極端に短い。局面を読みきれず、苦し紛れに相手が指した手に、ノータイムで急所に指し返す。すでに相手の持ち時間の内に思考は終わっていた。盤面を見通し、対局者を見透かし、最善手を見抜く。いまだ中盤戦ではあるが、僕の目には自身の勝利が見えていた。

 

「……強すぎる。こんな奴がうちの学校にいたのかよ」

 

「しかも、これで1年だろ……?うちに入部すれば、団体戦で全国狙えるんじゃね?どうにかして入れようぜ」

 

「いや、無理だろ。知らねーのかよ、お前ら。こいつ、バスケ部の主将の赤司征十郎だぜ?あの有名人の。とても将棋部には入れねーよ」

 

「ああ、そういや全校集会で表彰されてたな。くっそー、全国の野望が……」

 

対局者の邪魔にならないよう、部屋の隅の方でコソコソと話す将棋部の部員達。もちろん、僕の鋭敏な聴覚はそれを捉えている。

 

「くっ……」

 

眉根を寄せて少しの間、相手は考え込む。その後、決死の覚悟で飛車を前線へと移動させた。最後の攻撃に望みを託すつもりだろう。パチリパチリと互いに駒を動かしていく。一気にこちらの陣地を侵略する敵の軍勢。しかし、僕の心にまったく焦りはなかった。

 

盤面に意識が這入り込み、対局者の意識に同調する。相手の心に共感し、同調する新たなスタイル。その恩恵がここにもある。かぶりを振って、僕は小さくつぶやいた。

 

「半年前の僕だったら、あるいは少しくらい苦戦したのかもしれないね」

 

だけど、感じるよ。キミの攻めるときの息遣い。鼓動。リズム。意識の流れまでも――

 

甲高い駒音を鳴らし、僕が指したのは相手の攻めの急所であり、意識外の死角であった。相手の攻めの息遣いを感じ取れるということは、逆にその息遣いを乱すことも、そこから逃れることもできるということだ。まるで川の濁流の中に生まれる空白のような、決死の攻めの間隙を突いたこの一手に相手は戦意を喪失した。

 

「……っ!?…そんな、これは……あ、ありません」

 

「ありがとうございました」

 

放心した様子で呆然と盤上を眺める相手を横目に、僕は駒を片付ける。自分の腕時計に目をやると、時間は午後1時。ちょうどいい頃合だな。そろそろ戻ろうか。

 

「あいかわらずだな、赤司」

 

聞きなれた声。振り向くと、そこには小振りな花瓶を抱えた眼鏡の男の姿があった。手に持ったそれはラッキーアイテムだろう。占いで示されたアイテムを常時携帯するところは、中学時代と変わらないな。それはかつての仲間――緑間真太郎だった。

 

「やあ、ひさしぶりだね。真太郎。よく僕の居場所がわかったね」

 

「そのくらいは予想できるのだよ。中学時代も同じことをやっていただろう?」

 

なぜこの高校に真太郎が来ているのか、それを僕は知っている。だが、久しぶりの旧友との邂逅に僕は両手を広げて歓迎を表した。

 

「それにしても残念だったね。真太郎とも全国でやりたいと思っていたんだが」

 

「ふん。結局、一度も全力を出さなかったクセによく言うのだよ。眼を使わずに全国を制覇できたのは驚いたが、しかしオレのチームをそれで倒せるとは思っていないだろうな?」

 

そう言って、真太郎は目を細めた。それに対して僕は軽く肩を竦めてみせる。

 

「それは今日の試合で確かめてみるといいさ。だが、僕は眼を使う必要はないかもしれないと思っているよ」

 

「その言葉、撤回してもらうぞ」

 

「できるものなら」

 

久しぶりの再会だが、刺すような緊迫した空気の中で僕と真太郎は別れた。それも当然だろう。本日の文化祭。バスケット部の出し物は公開練習試合。その相手は『キセキの世代』最優の3Pシューター、緑間真太郎を擁する――

 

――秀徳高校である

 

 

 

 

 

 

 

そして、数十分後。全国優勝を果たしたバスケ部を一目見ようと、多くの生徒達が体育館に集まっていた。その注目の的は、ちょうど月刊バスケットマガジンの最新号に掲載されていた『キセキの世代』、僕と真太郎の二人である。小太郎のやつが悪ノリして宣伝しまくったのだ。なので、本来、バスケットに興味の無い連中も有名人見たさのミーハー気分で満員御礼となっている。せっかくなので便乗して文化祭の出し物という扱いにはなったが、もちろん僕達としては真剣勝負である。

 

「一般人ばかりの会場というのも新鮮だな」

 

「まあ、中学や高校の試合なんて、選手達かバスケファンしか見学に来ないからね。真太郎のシュートは素人にも分かりやすいだろうから盛りあがりそうだ」

 

「観客達には悪いが、母校の敗北を見せることになりそうだな。オレのシュートがただの派手なエンターテイメントではないことを教えてやろう」

 

ジャンプボールの始まる直前、僕と真太郎は辺りを見回してそんなことを話していた。今更、緊張などするはずもない。互いに場数を踏んだ百戦錬磨。そして、いまの真太郎からは鬼気迫るほどの集中力を感じていた。

 

地区予選でテツヤの誠凛高校に敗れたせいだろうか。手負いの虎のような、こちらの肌がヒリつくほどの勝利への渇望。埒外の才能に加え、執念までも兼ね備えた緑間真太郎は今後の大会では脅威となるだろう。

 

「それでは、洛山高校と秀徳高校の試合を始めます」

 

互いに向き合い、礼をするとジャンプボールの準備に入る。

 

 

 

 

 

試合開始だ。ジャンプボールに出るのは『無冠の五将』根武谷永吉。しかし、センターとしての高さは相手の方が勝っている。ボールを保持したのは秀徳高校、1年PGの高尾。

 

「させないわっ!」

 

「よっしゃ、行くぜ……なんてなっ!」

 

ドリブルで速攻を仕掛けようとする高尾を止めにかかる玲央。しかし、それを見越したようにボールは後方へ投げられる。それを受け取ったのは、『キセキの世代』最優のシューター、緑間真太郎。

 

「――させないよ、真太郎」

 

立ち塞がったのはこの僕、赤司征十郎。『キセキの世代』同士の対決に会場中が期待にどよめく。そして、同時に相手の顔色が変わる。なぜなら、僕を除いた他の全員が自陣でゾーンを敷いていたからだ。

 

「ボックスワン――まさか自分ひとりでオレを止めるつもりか?」

 

大きすぎる身長差。高さが圧倒的に足りていない。シューターに対してブロック不可能とはあまりにも不利なマッチアップである。通常ならマンマークなど成り立つはずも無い。だが、それでもこの試合は真太郎に対しては常に僕がつくことになっている。

 

「眼を使うつもりだな。――面白い。勝負だ、赤司」

 

気迫の篭った真太郎の呼吸を感じながら、僕は試合前のミーティングを思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

「次の練習試合の相手は秀徳高校。『キセキの世代』緑間真太郎を擁する古豪だ。僕達にとっては青峰大輝、黒子テツヤに続く三人目になるな」

 

「たしか、全国には出てなかったよな。誠凛に負けたんだったか?」

 

「ああ、そうだ。だが、当然だが実力は全国でもトップクラス。『キセキの世代』以外では相手にならないだろう。フォームを崩されない限り100%入る真太郎の3Pは、間違いなく人智を超えている」

 

僕の言葉に、皆は一様にゴクリと息を呑む。特に中学時代に帝光中と戦ったメンバーは苦々しげに口元を歪めた。

 

「って言っても、こっちには赤司がいるわけだし。あのオレを抜いた新技があれば楽勝っしょ」

 

場を明るくしようと小太郎があえて軽い調子で声を出すが、僕は左右に首を振って答えた。

 

「残念だが、それは過大評価だ。僕のスタイルは無敵なんかじゃない。むしろ、弱点だらけと言ってもいいくらいだ」

 

「そうなの?というか正直、私にはよく理解できていないのだけど。どういう理屈の技なわけ?」

 

首を傾げる玲央に他の仲間達も頷いた。

 

「そうだね……。お前達、イタコというものを知っているか?」

 

「イタコって、あれでしょ?恐山とかの、死者の霊を口寄せするとかっていう……」

 

「ああー、漫画とかによく出てくるやつね」

 

「そう、それだよ。僕の新たなスタイルは、それによく似ている。知っているかい?イタコというのは元来、盲目かあるいは弱視の女性が生業としているんだ」

 

「弱視……眼が見えないからこそ、分かることがあるってこと?」

 

胡散臭そうに玲央が疑問を口にした。他の部員達も半信半疑の目でこちらを見ている。だが、決して超常の力などと言いたい訳ではない。むしろ、その逆。彼女達の仕組みはイメージとは違って現実的だ。死者を口寄せするというイタコの能力。

 

――その真髄は『読心術(コールドリーディング)』と『変性意識(トランス)』にこそある。

 

「それは聞いたことあるぜ。死者と交信できるって霊能力者は、依頼人に質問することで知らず知らずのうちに情報を引き出してるってやつだろ?それで死者になりきることができるってテレビで言ってた」

 

相手に悟られないように死者の情報を引き出す読心術(コールドリーディング)。それは、会話の中の質問に対する相手の反応を、声の調子やタイミング、息遣いから読み取る非常に高度な技術である。そして、自身と同一化するほどに死者のイメージに入り込む『変性意識(トランス)』。この二つの技能によって、イタコは死者を口寄せすることが可能となるのだ。

 

僕の『相手の隙を感じ取る能力』はそれと似ている。人間の生命の根幹である呼吸を合わせることで、相手と心までをも同一化させる。目の前に実際に成りきる対象がいるのだ。そのため、死者の生前を想像するしかない口寄せよりも深くまで意識を入れ込むことができる。

 

もちろん、『天帝の眼』の所有者であり、人間の生体構造や反射行動を熟知している僕だからこそできる芸当ではあるが。

 

「なるほどね。アナタの新たなスタイルとはつまり、相手の人格に成りきること」

 

『変性意識(トランス)状態』とはつまり、無意識のレベルで相手の行動や思考を処理している状態のこと。取得した膨大な情報を脳内でシミュレートし、それが自然と相手の視界として幻視されるのだ。

 

「それって『天帝の眼』と同じじゃん。すごすぎだろ、それ」

 

「いや、言ったはずだよ。これには欠点があると。それも非常に致命的なものがね」

 

小太郎の言葉に小さく溜息を吐く。無意識のうちに相手の全てを高精度でシミュレートすることのできる『変性意識(トランス)状態』。本気の小太郎のドリブルすら止められる技能ではあるが、しかし、その発動条件はシビアである。

 

「気心の知れた仲間が相手ならばともかく、それ以外の選手と心を合わせるには時間が掛かるんだよ。おそらくは2Q、マンマークで呼吸読みに専念したとしても前半一杯は費やさないとならないはずだ」

 

「最低で2Q……長いわね」

 

「ああ。だが、今回の試合ではそれを試してみたい。真太郎のマークには僕がつく。できるだけボールを回さないようにしてくれ」

 

とにかく前半を少ない点差で抑えること。『キセキの世代』相手にそれは限りなく難しいだろうが、そこが勝敗を分かつ鍵となるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

第3Q、後半戦が始まり、体育館の中に集まる観客の視線はひとりの男に注がれていた。PGの高尾にボールが渡ると、会場中が一気に盛りあがる。

 

「秀徳ボールだっ!」

 

「じゃあ、また緑間が来るぞ!」

 

前半の得点は32-49で洛山の17点ビハインドである。全国最強チームを秀徳が圧倒的に押している理由、それは言うまでも無く『キセキの世代』緑間真太郎だった。

 

「そう簡単にボールを持たせないっ……!」

 

ボールを持たせれば身長差によって止めることは困難。だからこそ、マークを外させないことに僕は集中する。密着マークでボールを回す隙を与えない。呼吸を合わせ、相手の動作を読みながらディナイディフェンスに専念する。背後から人の足音が聞こえる。進行方向から考えると――

 

――スクリーン

 

「バレバレだよ」

 

スクリーンを利用して僕を止めようとするが、僕の耳は欺けない。音源感知によって、寸前で壁を避けて逃げる真太郎を追う。

 

「なっ……完全に死角だったはずなのに。何て視野の広さだ……」

 

だが、スクリーンを抜けるための一瞬のタイムロスが、真太郎へとボールを回させた。しまった……。

 

「うおおおっ!出るぞ!超長距離(スーパーロングレンジ)3Pシュート!」

 

「すっげええええ!何で入るんだよ、あれ!」

 

ハーフラインにもかかわらず、シュートモーションに入られる。その時点で勝敗は決まった。フリーではないが、僕の身長では跳び始めた真太郎には届かない。異様なまでの高さに投げ上げられたボールは、当然のようにリングに吸い込まれていった。

 

 

――コート中のどこであろうと、100%の精度で決められる超精密3Pシュート

 

 

これが『キセキの世代』最優のシューター、緑間真太郎。

 

「いつまで手抜きを続けるつもりなのだよ、赤司。まさか、眼を使わずに勝てるとでも?」

 

射抜くような鋭い視線でこちらに声を掛ける真太郎。それに対して、僕は余裕ぶった表情で答えてやる。

 

「勝負はまだこれからさ」

 

「もしも勝てると思っているのなら、それは慢心だ。それゆえに負けるのだよ。かつて、中学時代に言ったことがあったな」

 

 

――オレが敗北を教えてやると

 

 

真太郎には虚勢を張ってみたものの、これはマズイ……。すでに20点差がつけられてしまった。しかも得点の7割が真太郎の3P。完全に身長のミスマッチを突かれた形だ。とはいえ、そういった焦りは心を合わせるには逆効果。平静を保ちながら、呼吸合わせによる『読心術(コールドリーディング)』に専念する。

 

「おらあっ!」

 

その間にも洛山の仲間が点を取り返していた。センターとしての実力は、やはり永吉の方が上だ。相手のブロックの上から豪快なダンクを決める。

 

「だが、結局のところオレを止められない以上は無駄なことなのだよ」

 

再びマークを外した真太郎にパスが渡る。いくら僕達が点を取ったところで、相手は3点ずつ追加されていくのだ。真太郎を止めない限り、永遠に点差が詰まることはない。しかし――

 

 

――相手の視界が幻視される

 

 

「ようやく入ったか……。『読心術(コールドリーディング)』による情報収集は終わりだ」

 

相手の呼吸だけでなく、視界や、心ですらも一つに同一化する錯覚。身体反応や思考すらもほぼ絶対の精度で感知できる。待ちわびたよ。

 

 

――『変性意識(トランス)状態』

 

 

真太郎の心の隙が手に取るようにわかる。相手の全てと共感し、同一化した僕から逃れることは不可能だ。ボールを持った真太郎は勝利を確信したように腕を持ち上げようとする。それを僕の掌は完璧なタイミングで弾いていた。

 

「なっ……赤司!?」

 

動作から動作の間の一瞬の意識の空白。心の隙。それを僕は見逃さない。

 

「逆襲開始だよ、真太郎」


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