もしも赤司が疲れ目になったら   作:蛇遣い座

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「高校最強を倒してみたいとは思わないか?」

全国大会の翌日、僕は市内の総合病院を訪れていた。

 

先日の原因不明の視力の低下について診察してもらうためだ。そして、そこで医師から告げられたのは絶望的な言葉だった。

 

おぼつかない足取りで通路を歩く僕の頭には、先ほどの宣告が木霊していた。

 

「あれ?赤司くん、どうしたの?」

 

「……桃井か?奇遇だな。そっちこそどうして病院に?」

 

診察室から出てきた途端、聞き覚えのある声が耳に届いた。振り向くと、マネージャーの桃井さつきが驚いた風にこちらを見つめている。

 

「わ、私はほら、昨日の試合の帰りに足をひねっちゃった子がいたから、その付き添いで」

 

「ああ、そういえば打ち上げではしゃぎすぎた1年がいたな」

 

「それより、赤司くんはどうして?」

 

心配そうに尋ねる桃井に、僕ははぐらかすように肩を竦めて見せた。

 

「僕も同じだよ。昨日の試合で手首の調子が悪くなってね。ただ、診察を受けたところ、問題ないそうだ」

 

「……それ、嘘だよね。だって、いま出てきたのって神経内科じゃない」

 

……失敗した。やはり内心では相当参っていたらしい。こんな分かりやすい嘘を吐いてしまうとはな。やれやれと首を振ると、小さく溜息を吐いた。

 

「ねえ、どうしたの?そういえば昨日の試合中もどこか変だったし……。本当に大丈夫?」

 

「……外に出よう」

 

 

 

 

 

 

一人で抱え込むには大きすぎる問題を、誰かに共有してもらいたかったのかもしれない。チームメイトに弱みを見せることはプライドが許さないが、桃井になら構わないだろうと妥協したというのもある。とにかく、誰かに話してこの絶望的な気分を解消したかったのだ。

 

「そんな……視力の低下!?」

 

「ああ、これが僕ら『キセキの世代』の弱点だ。強大すぎる才能に肉体の方が追いついていない」

 

歩きながらポツリポツリと医師から聞かされた言葉を反芻する。青ざめた顔で桃井が息を呑んだ。

 

「まあ、他の連中のケースとは違うがな」

 

――『天帝の眼(エンペラーアイ)』の反作用

 

「赤司君の眼が取り込む常識を超えた情報量。その処理に脳が追いつけないなんて……」

 

「普段の生活は大丈夫なんだが、運動などで五感から届く情報量が閾値を超えるとダメなんだそうだ」

 

まるでブレーカーか飛ぶように、処理能力の限界を超えた僕の脳は、視覚の大部分をカットするのだ。

 

「たしかに最近、眼の精度がこれまでになく上がってきていたのは感じていた。だが、皮肉なものだね。未来をも見通すこの眼が、その強力さゆえに現在すら見通せなくなるなんて」

 

「運動中に見えなくなるって、それは……」

 

「そうだな。選手生命の終わりだ」

 

今にも泣き出しそうな表情で桃井は声を詰まらせる。それに対して、僕は努めて何でもない風に言葉を締めた。それは最後のプライドだった。

 

「それに、高校でもバスケをやめるつもりはない。洛山に推薦入学が決定しているしな」

 

しかし、それはこれまでのように全戦全勝ではいられないことも表していた。どころか、今の自分では名門、洛山のレギュラーを取れるかすら危うい。悲しそうな瞳で桃井は口を開いた。

 

「ねえ、私に何か手伝えることってある?」

 

「なら、このことは誰にも話さないでくれ。あいつらに同情されるなどごめんだからな」

 

そして、鞄からメモ帳を取り出すと、そこに十数人の名前を書き出し、桃井に手渡した。受け取ったメモに視線を落とす。

 

「それとひとつ頼みがある」

 

「これって……?」

 

「今年、洛山に入学する予定の選手だ。彼らの出場している試合のビデオを探してくれ」

 

プレイヤーとしての実力は凡百のレベルにまで堕ちた。だが、決して負け犬でおわるつもりはないさ。

 

 

 

 

 

 

 

それから数週間後、僕は洛山高校のバスケ部の見学に訪れていた。さすがは全国トップの高校だけあって、練習も厳しそうだ。帝光中学と同等以上の密度と量。だが――

 

――そんな選手でも僕の眼からは逃れられない

 

「やはり、運動中以外なら天帝の眼は使えるか……」

 

どころか、これまでよりも高精度になっているようだ。この距離からでも選手達の呼吸・心拍・筋肉の動き、その全てが手に取るように分かる。

 

とはいえ、さすがに中学時代の敵に比べればレベルは高そうだ。それに、『無冠の五将』と呼ばれた五人の天才たち。このチームに三人存在する彼らの動きは高校でもトップクラスだろう。『キセキの世代』には劣るが、上手く使いこなせば全国優勝も十分に狙えるチームである。

 

「そのためにも、まずは僕がこのチームを掌握することだな」

 

小さくつぶやき、練習中の選手達を鋭い瞳で観察する。それぞれの長所・短所、プレイスタイルから癖まで全てを解析していくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

休憩時間に入り、見学している僕の近くに数人の先輩がやってきた。さすがは名門校。全国大会の試合で対戦した連中も多いな。

 

「あら?きみ、練習には参加しないのかしら」

 

女性的な言葉遣いの男がこちらへ向けて軽く手を上げる。彼は『無冠の五将』の一人、実渕玲央。中学時代、幾度となく戦ったこの男のことはよく覚えている。

 

「ああ、軽い故障明けでね。カントクにも話は通してある」

 

「そう、残念ねえ。せっかく中学時代の雪辱を晴らせると思ったのに」

 

「ふふ、そう遠くないうちにプレイすることができるさ」

 

「先輩相手だっていうのに、あいかわらず態度が大きいわねえ」

 

軽い口調とは裏腹に、その視線は鋭い。内心では中学時代に負け続けた僕ら『キセキの世代』に対して思うところがあるようだ。

 

「おーっ!本当に来てるじゃん!」

 

「へえ、こりゃいいぜ。俺のこと覚えてるかよ?」

 

ワラワラと人が集まってくる。その中には忘れられない顔もいくつかあった。特にこの二人。立ち振る舞いを見ただけでも分かる、しなやかな筋肉と体躯の軽薄そうな男。そして、プロレスラーのごとき威圧感と恵まれた体格を持つ筋骨粒々の色黒の男。彼らが『無冠の五将』、葉山小太郎と根武谷永吉。

 

「ああ、覚えているよ。懐かしい顔だね」

 

「あの『キセキの世代』がチームメイトとは心強いな」

 

「だよなー。ま、これからヨロシク頼むよ」

 

しかし、こちらも台詞とは真逆の挑むような目付きだった。やはり『無冠の五将』、そう簡単に御せる相手ではなさそうだ。苦々しい思いを内心に押し隠す。

 

『天帝の眼』さえ使えれば、実力で黙らせることができるのだが……。

 

「なー、1on1しようぜ!一年前と同じと思われちゃ困るしね!」

 

「ほらほら、小太郎。もう休憩時間は終わりよ。練習が終わってからになさい。というか、彼は今は休養中だそうよ」

 

「マジかよー。来年の新入生も練習に参加してるけど、やっぱ勝負できる実力じゃないんだよなー」

 

辺りを見回すと、僕と同じく十数人の中学生らしき生徒がいた。誰もが疲労困憊でコートにへたり込んでいる。先ほどから練習を眺めていたが、やはり大したことのない性能(スペック)だ。

 

「じゃあ、しっかり見学してってくれよ」

 

すでに疲労は回復したという風に、ピンピンした様子で葉山小太郎は声を掛けて戻っていった。

 

 

 

「さて、観察を再開しようか」

 

新入生の体験ということで、本日は中学生たちも一軍の練習に混じっていた。ただし、ウォーミングアップ程度の基礎練習にも関わらず、高校生との差は歴然。全国大会にも出場したであろう中学生の猛者達が、まるで赤子扱いだ。今日の合同練習会の一番の目的は来年入学する新入生の実力を見ることだったのだが――

 

――やはり、五将クラスどころか、一軍レギュラーにすら勝てそうにない選手ばかりだ

 

それも当然の話。『キセキの世代』のフルメンバーならば余裕で倒せるレベルとはいえ、ここは高校最強のチーム。新入生とはまるで格が違う。

 

「おらっ!外しすぎだぞ!真剣にやれっ!」

 

先ほどからシュートを外し続けている新入生に怒声が浴びせられる。そして、コートの隅にはウォーミングアップの段階で倒れてしまった顔色の悪い長身の男。そんな劣等生ともいえる二人の中学生を観察しながら、小さくつぶやいた。

 

――使うとしたらあの辺りか

 

 

 

 

 

 

練習の後、帰り際に僕はその二人に声を掛けた。帰り道の公園のベンチへと腰を下ろす。

 

「な、何の用ですか……?『キセキの世代』の赤司くん、ですよね」

 

長い前髪に目を隠し、おどおどとしゃべるのが、シュートを外しまくっていた方。名前は今野玄人。

 

「おいおい、まさかあの有名人に声を掛けられるなんて思わなかったぜ」

 

こちらの長身で二枚目の男が、ウォーミングアップで早々に音を上げていた方だ。名前は城谷代々。

 

「ああ、君達に話があってね」

 

対照的な二人の選手を観察しながら、僕は桃井の調査結果を思い返す。

 

「今野玄人。中学時代はマンマークの名手として名を馳せていた選手よ。恐ろしく執念深い性質で、担当の選手に対する執拗なまでのディフェンスは全国レベルみたい」

 

「たしか、一度だけ対戦したことがあったような気がするな。二年の夏だったか、一回戦あたりで」

 

「当時は大ちゃんのマークについたんだけど……。あはは、あっさりとやられちゃったから、みんなも覚えてないと思う」

 

それに、と曇った顔で桃井は続けていた。

 

「レギュラー選手だったにも関わらず、一試合での平均得点は0.7点。完全に守備偏重型の選手みたい。あまりにも攻撃への参加を度外視してマンマークにつくせいで、チームとしては最高でも全国大会で二回戦までしか進めていないわね」

 

そんな桃井の見解だったが、僕の眼で数少ない彼のシュートを見る限り、攻撃に参加しなかったのは守備への専念が半分、攻撃力が無いからというのがもう半分だろう。

 

そして、もう一人。

 

「城谷代々。レギュラー選手ではなく、控えの選手ね。ただ、重要な場面で必ず起用されているから、控えの切り札といった感じかな。全体的に優れた身体能力を持っているし、オフェンス技術も高い。何よりも一対一での読み合いに秀でた選手みたい。その爆発的な得点力は、大抵の中学ならエースになれる実力よ」

 

「それは期待できそうだな」

 

「うーん。あまり期待しない方がいいかも。なぜかというと、彼には大きな弱点があるの。それは体力不足。彼が2Q以上出場している試合はないし、1Q目の後半には足が止まってきてる。それがレギュラー選手になれなかった理由よ」

 

その後も桃井から調査結果を聞かされたが、日本一の洛山高校の正選手と、かろうじてマッチアップできそうな面子はこの二人だけだった。

 

 

 

 

 

 

「なあ、話ってのは?まさか愛の告白って訳じゃないだろう。さっさと済ませてくれよ。練習で疲れてんだからさ」

 

「そ、そうだよ……。ぼ、僕も早く帰って…休みたいし」

 

困惑した様子の二人を強い意志を込めて見つめる。一拍置いて僕は口を開いた。

 

「お前達、高校最強を倒してみたいとは思わないか?」

 

攻撃力皆無の盾と時間制限付きの矛。裸の王様の持ち駒に相応しい貧弱ぶりだ。

 

まさに飛車角金銀落ちに等しい。だが、選手としては終わった僕だが、支配者としてはまだ終わっていない。一軍相手に勝負さえ成り立たせれば。そこからは指し手次第で盤面を変えられるはずだ。

 

 

――ここから、再び全国の頂点へ立つための戦いが始まる。


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