ある深夜のホテルの一室。そこで僕は海常vs福田総合の試合映像を眺めていた。隣のソファには桃井が腰掛け、テレビ画面を注視している。
「ふぅ……少し休憩しようか」
一時停止ボタンを押すと、テーブルに置かれたコーヒーを口元に運んだ。桃井も両手を上げて大きく伸びをする。
洛山高校の二回戦は三日目の昼からだ。そのため、明日の二日目は休養日になる。京都から来ている僕達は、東京のホテルで一泊することになる。
大輝の桐皇学園の試合は明日。そのため、桐皇学園の面々は開会式のあとは解散していた。東京在住の生徒なのでホテルはいらないのだ。なので、桃井には部室から過去のビデオを持ってきてもらい、今晩のうちに二人で対策を立てようと考えていた。
「赤司君、どう思う?」
「……やはり涼太の『模倣(コピー)』は、僕の『変性意識(トランス)状態』の天敵のようだね」
「そう、まあ予想はしていたけど……」
『キセキの世代』黄瀬涼太。その天才性は、他人の技をひと目でコピーできることにある。一度見れば、大抵の技は使いこなせる。そして、問題は技だけでなく、対象者の呼吸やリズムにまで涼太が同一化することにあった。
「同一人物でありながら、全くの別人に成り代わる涼太の模倣(コピー)。精神面までも一変させるその能力は、意識を同化させる僕にとっては最悪だ」
「そうなるとやっぱり、一対一での勝負は無謀よね。『変性意識(トランス)状態』に入れなければ、はっきり言って赤司君に勝ち目はないわ」
桃井には僕の能力について、すでに話してある。海常の対策を立てるに当たって、僕達のデータは必要不可欠だからだ。決勝で当たるであろう強敵に仲間達の情報を漏らすのは苦渋の決断だったが、それほどまでに僕は海常高校を警戒していた。
「これまでの戦い。結局のところ、赤司君が相手チームのエースを攻防共に完封することで勝ってきたのよね。たった一人で試合の勝敗を左右する『キセキの世代』を相手にするには、それが最善手だった。だけど、きーちゃんにだけはその戦略が通用しないわ」
「……逃げではあるが、おそらくこの策しかないだろうな」
自嘲するように小さく肩を竦めて見せた。あまり好きな戦術ではないし、それだけで抑えられるチームでもないだろうが。
「涼太以外のところから攻める。オフェンスにおいてはそれしか点を取る方法はない」
「ま、そうよね。でも、オフェンスはそれでいいにしても、問題はディフェンス。向こうはきーちゃんにボールを集めてくるはずよ。だって、洛山高校のメンバーは埒外の天才『キセキの世代』と『無冠の五将』の混成チーム。総合力では完全に負けてるんだもん」
洛山の守備は基本的にマンツーマン。だがそれは、地力で負けている箇所があれば、そこから崩されるという弱点がある。実力の突出する選手を相手に、マンツーマンは少し使いにくいのだ。だからといって、ゾーンもまた厳しい。
「基本的にインサイドに切り込んでくるタイプだから、ゾーンで守れれば一番良いんだけど……。海常には3Pシュートを撃てる選手が二人もいるのよね」
「主将でPGの笠松と、SGの森山か……。トライアングルツーでは抑えられないだろうな。バランスは悪くなるが、マンツーマンでダブルチームにした方がいいか」
「二人とも、フリーであれば7割近くは入れてくるからね。じゃあ、まずはその辺りから調べてみようか」
桃井がペンで丁寧に書き込まれたノートのページをめくる。
「SG、森山由孝。彼は典型的なシューターね。ドリブル突破は苦手で、プレイスタイルはマークを外しての3Pがほとんど。たぶん撃ちやすさを最優先にした型なんでしょうね。その独特のシュートフォームに、相手のブロックはタイミングを外されるみたい」
さらに、そのシュート精度はかなり高い。玲央ほどではないが、それでもフリーで撃たせ続けるにはリスクが大きそうだ。だが――
「――弱点は見えたよ」
実際の試合に加え、映像とはいえこれだけ観察したんだ。『天帝の眼』ならば、その弱点を見透かすことは十分に可能。
「まずシュートのタイミング。独特の腕の振りのせいでテンポを乱されるが、体幹の動きは通常のシュートと変わらない。腕ではなく、上体を見て跳び出しのタイミングに合わせればいい」
あごに手を当てて、観察結果を思い出しながら口に出していく。
「あと重要なのがリリースポイント。ジャンプシュートは目線とゴールとの線上でボールを離すが、彼は打ちやすさを最優先にしたためか通常のシュートに比べて、ボール半個分だけ離れが右にズレている」
タイミングとリリースポイントの微妙な目測のズレ。それが彼のブロックしづらいシュートの仕組みなのだ。基本性能は玲央の方が優れている。ならば、あとはそのズレを修正すれば3Pを封じることができるだろう。
「へえ、さすがね。じゃあ、次は主将の笠松幸男さん。高速ドライブで切り込むことも、ロングシュートで自ら決めることもできるというバランス型ね。ドライブの速度は今大会でも屈指のレベルだけど――」
ここで桃井は言葉を止め、無駄なことを話したと言いたげに小さく首を振った。
「――赤司君がマッチアップする以上、何も問題はないわね」
「そうだな」
これで話は終わりだ、というのが二人の共通認識だった。涼太に『変性意識(トランス)状態』を使えないのだから、マッチアップ相手の彼に使うことになるだろう。笠松はエースではないが、PGを封じることで何らかの歯車のズレが起こるのを期待したい。まあ、望み薄だろうが。
「ええと、赤司君は4番の笠松さん。実渕さんが同じくSGの森山さんをマーク。他はどうする?きーちゃんにダブルチームは必須。っていうか、むしろ足りないくらいよね」
「ポジション的には小太郎、さらに守備専門の人員を加えて二人にする。負担は大きいが、残りは永吉に任せるしかないだろう。幸い、海常はゴール下はそれほど強くない。どうにかしのげるはずだ」
こんなときのために、守備に偏重した選手を一軍に入れてある。同級生の今野玄人だ。入学以来ディフェンス、特にマンマークに特化して能力を伸ばしてきた。このダブルチームならば、いくら涼太といえど簡単には突破できないだろう。少なくとも体力は消費させられるはずだ。
「大体の方針は決まったわね。この試合、赤司君の個の力だけでは勝てない。相性の問題として、エース対決で勝てない以上、周りを生かした総合力で挑むしかないわ。きーちゃんとの勝負を避けるという一点に専念すべきね」
ノートを眺めながら、冷めた声音で桃井は言い放った。何だかんだ言っても、彼女も勝利にはこだわる人間である。かつての仲間が相手であろうと、何のためらいもなく涼太を無視する作戦を立てられるのだから。
「オフェンス時には、きーちゃんのマーク以外からの攻めを徹底。ディフェンス時はとにかくボールを持たせないように。赤司君がPGの笠松さんを封じれば、おそらくパス回しにも齟齬が出てくるはずだから」
「そうなると、一番の不安要素はこれか……」
僕はビデオのスイッチを入れ、映像を再生させる。本日の海常対福田総合の試合である。
勝者は海常高校。元帝光中レギュラーの灰崎が相手であったが、当然ながら涼太には及ばなかった。だからこそ、用済みとして中学時代バスケ部から追放したわけだが。
「灰崎が勝っていれば楽だったが、さすがに才能が違いすぎたな」
「うーん、惜しいところまではいったんだけどね」
「相手の技を見取り、テンポやリズムを我流に変えて『奪い取る』。たしかに恐るべきではあるが、それならば僕の敵ではなかったのに。残念だよ」
それこそが灰崎の才能。だが、テンポやリズムを我流に変えるということは、つまり自分自身の意識が残っているということ。ならば、灰崎には僕の能力が通用したということだ。まあ、弱い方が勝ち上がるはずもなし。そんな番狂わせには期待していなかった。
画面には灰崎が海常の選手の技を奪って得点を重ねているシーンが映っていた。事前の僕の予想に反して、福田総合の優勢で試合は進む。
その理由は二つ。ひとつは、『キセキの世代』で唯一、灰崎が技を奪える涼太が相手であること。他のメンバーの技は灰崎の実力ではコピーすることができないのだ。そして、もうひとつが――
「やはり足の故障――後半に進むにつれて、明らかに動きが精彩を欠いている」
「オーバーワークね。たぶん、インターハイで私達と戦ったときの後遺症。『キセキの世代』のみんなは、その才能に身体が追いついていないのよ。まあ、赤司君の場合は脳が、だけど」
かつて、僕達は練習においてさえ、全力を出すことを禁じられていた。あまりにも強大すぎる才能に、中学生の未完成の身体は耐えられないのだ。その禁断を破ったがゆえに、僕は眼の能力を制限され、涼太や大輝は肉体にダメージを負った。真太郎も超長距離シュートは、筋肉の疲労で無制限に打ち続けることはできない。
「だが、制限を外した際の彼らの才能は、常軌を逸している」
――涼太の動きが変わった
コート中央以前から放った超長距離ロングシュート。リングにかすることすらなく決まったそれは、『キセキの世代』緑間真太郎のフォームに瓜二つだった。
目を見開き、驚愕する灰崎。これだから彼らは恐い。追い詰められた『キセキの世代』の異常なまでの進化速度。試合を実際に観戦していたとき、僕はあまりの脅威に戦慄したのを思い出す。
「――まさに『完全無欠の模倣(パーフェクトコピー)』。いまの涼太は、僕達の能力すら模倣する」
大輝を彷彿とさせる埒外の敏捷性。超高速でのドライブに、ゼロからトップスピードへと移行する切り返し。その恐るべきキレは、灰崎にすら反応を許さない。そして放たれる『型のない(フォームレス)シュート』。
「あまりにも強すぎるわ……。もうこれ、無敵としか言い様がないじゃない」
桃井も口元を引き攣らせる。『キセキの世代』の全員を模倣できる。それはつまり――
勢いに乗った海常の速攻。涼太が高速で灰崎にドリブルを仕掛ける。当然、灰崎の身体能力、ディフェンス能力は高校バスケット界でもトップクラスに高い。
だが、涼太の『完全無欠の模倣(パーフェクトコピー)』はそれを嘲笑う。ワンフェイクを入れてのドライブ、そこからタイミングを計った切り返しのレッグスルー。
「……やってくれるじゃないか」
突然の切り返しによって重心を変化させられ、無様に後ろに倒れる灰崎。腰をつく彼を見下ろす涼太。これは帝光中学時代の僕の得意技。
――アンクルブレイク
『天帝の眼』をもってしか為し得なかった絶技を、彼はあっさりと再現して見せた。
もはや勝敗など誰の目にも明らかだ。結局、涼太の痛めた足を踏みつける程度の足掻きしかできず、灰崎は敗北した。格が違う。最終的には、そうとしか言えない試合内容だった。
「すごいわね……。前に対戦したときに片鱗は見せていたけど、まさか全員の能力を模倣(コピー)できるなんて」
完全に僕達と同一ではない。足りない要素は確実にある。たとえば僕のアンクルブレイクだが、『天帝の眼』による未来予知の代替に、おそらく洞察眼や経験則を使ったのだろう。僕のものとは違うが、それでも技の効果は極限だ。
「足りない要素を補填したとしても、そう簡単に僕達の能力は模倣(コピー)できるものじゃない。やはり、底知れぬバスケットセンスだ」
腕を組んで目を閉じる。この『完全無欠の模倣(パーフェクトコピー)』だが、弱点もある。
「まずはひとつ。この涼太の能力、あまりにも強力だが、それゆえに反動として大量のスタミナを消費するようだ。僕の眼によると、おそらく通常の試合展開であれば、使用は5分が限度。それ以上は体力が保たないはずだ」
「自身の限界を超えた能力を再現するための必然ね。肉体のリミッターを外して、極度の集中を合わせることで、無理矢理みんなの技を使いこなしているのかも……」
「だが、アイツのことだ。使用制限などあっさり超過してくるかもしれない。慣れてくれば、模倣の効率も上がるだろうからな」
事前の情報を信じすぎるのも良くない。特に『キセキの世代』の仲間達の爆発力は想像を遥かに超えてくる――
「もう一個、見つけたわ。弱点っていうか、傾向だけど」
ビデオで早送りや巻き戻しを繰り返しながら、桃井がつぶやいた。
「……やっぱりそうだ。基本的にエリア外でボールを持ったら、ミドリンでの3Pをまず狙ってるわ。ノーマークであれば必ず撃ってくる」
「なるほど……たしかにそうだな。得点効率的に考えても、確実に3点取れる真太郎を使うのが最善だ」
納得しながら僕は深く頷いた。たしかにリスクを犯してドリブルで切り込むより、絶対に入る3Pをまず狙うのは当然。確実に3点取れるという、真太郎のシュートのおかしさについては気にしないとして。
「なので、最優先で気をつけなきゃなのは、きーちゃんにロングシュートを撃たせないこと。それさえ防げば奪われるのは2点で済むわ。ファールで止めるのは厳禁ね」
どうせ止められないのだから、3Pプレイになるディフェンスファウルだけは避ける。5分間は好きなだけ点数を取らせてやるというのが、涼太に対する桃井の対策だった。取られた分は、涼太の守備範囲外から取り返せばいい。とにかく張り合わないことが重要なのだ。
だが、それでも『完全無欠の模倣(パーフェクトコピー)』の攻略法は探さなければ。
「で、オフェンス時なんだけど、ドリブル突破のときは大ちゃんと赤司君の二択よね。ただ、とっさの場合は大ちゃんを使用する確率が高いわ。たぶん、一番使い慣れてるんでしょうね」
「大輝を相手にダブルチームではまるで足りない。トリプルチームも視野に入れるべきかもな」
「でも、大ちゃんと違ってパスもあるんだよねー。ある意味、本人を相手にするよりも厄介かも」
困ったように笑う桃井に、僕は薄い笑みを返す。最悪の場合の作戦も考えておくべきだね。あまり趣味ではないが備えだけはしておかなければ。
「とりあえず、これで作戦の方針は決まった。あとは明日までに桃井の未来予測DFを身体に覚えさせておくよ」
「そう?まあ、これ以上はデータの分析は難しそうだしね」
「ああ、助かったよ。こんな夜遅くまで付き合わせて悪かったな」
「ふわぁ~。ううん……緊張が解けたと思ったら眠くなっちゃった……」
ぶっ続けでこんな深夜までビデオを分析していたのだ。桃井も眠そうな目を擦っている。
データ分析に付き合わせてしまった礼に、今夜は隣の部屋を事前に予約してある。僕達の試合は終わったが、明日は桐皇学園の一回戦があるのだ。そろそろ部屋に戻らせるべきだろう。
「では桃井。自分の部屋に戻っ……って、もう寝たのか!?」
「むにゃ……すぅ…」
「ちょっと待て。おい、起きろ……!」
ソファの上で横たわった桃井。困ったな、全然起きる様子がないぞ。小さく溜息を吐くと、仕方なく僕は隣の部屋で就寝しようとドアを開いたのだった。
翌日、僕の部屋から出てくる桃井の姿を見られ、小太郎あたりに執拗にからかわれたのは別の話。