もしも赤司が疲れ目になったら   作:蛇遣い座

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「見せてやるよ」

「……本当に驚かせてくれるよね、赤司君って」

 

次に試合を控える私達、桐皇学園の眼前で繰り広げられる別次元の戦いに小さく溜息を吐いた。つぶやきと共に左右に首を振る。まったく、さすがね。この大一番で進化を遂げるなんて。

 

「『ゾーン』に対するカウンター『ゾーン』。他人の意識に共感して同調する。たしかにこれが『変性意識(トランス)状態』の進化形、いえ完成形ね」

 

全てにおいて圧倒的。歴史上においても稀にしか見られないだろう『ゾーン』同士の埒外の衝突は、明らかに次元の違うものだった。火神君がゾーンに入ったのにも驚いたけど、何よりも厄介なのが赤司君のカウンターゾーン。『ゾーン』中の精神状態に呼応してゾーンに入るその特性は、まさに大ちゃんにうってつけの切り札だった。

 

「ったく、何てやっちゃ……。観てるだけのこっちまで寒気がしたわ」

 

「ハッ!いいねえ、最高じゃねーか。赤司と火神まであの領域に来やがるとはよ。マジで練習してきた甲斐があったみてーだな」

 

だが、そんな脅威にも関わらず大ちゃんは嬉しそうな、獰猛な笑みを浮かべる。さっきの究極の試合を見せられても、その顔には一片の曇りも窺えない。傲慢なまでの自信。自分が負けるはずがないという。

 

「ま、公式戦でリベンジ果たすせっかくのチャンスや。相手があんまり弱くてもつまらんやろ」

 

主将の今吉さんも、他の選手の顔にも不安の色はない。ただ、勝利への確信だけがあった。敗北など想像すらできないほどの。それはエースへの絶対的な信頼だった。

 

 

 

 

 

 

 

準決勝第二試合、桐皇学園vs秀徳高校。入場した大ちゃんは、試合が終わって観客席に陣取った赤司君の方に視線を向けた。

 

「見せてやるよ、赤司。オレの本気ってやつをよ」

 

試合開始と同時に始まったのは、『キセキの世代』同士の対決では必ずと言っていいほど起こる展開。つまり、両エースによる蹂躙である。

 

「おらよっ」

 

静と動、加速と減速の落差によるキレ。大ちゃんの埒外なまでの敏捷性(アジリティ)による緩急は、ただのドライブでさえ一撃必殺となる。相手はまるで棒立ちの状態で置き去りにされる。涼しい顔で下から放り投げたそれは変幻自在の『型のない(フォームレス)シュート』。

 

「うおおおおっ!何だあのシュートは!」

 

無造作に放られたボールは、当然のようにリングの中に叩き込まれた。

 

 

 

 

だけど、相手は同じく『キセキの世代』。もちろんミドリンも黙ってなんかいられない。反撃のカウンターは得意の、超長距離高弾道の3Pシュート。もう落ちてこないんじゃないかと錯覚するほどの長い滞空時間ののち、リングにすらかすらずネットを揺らす乾いた音が鳴る。

 

直後、湧き上がる観客の歓声。高校生の限界を明らかに超えた殴り合いに、会場中のボルテージが早くも上がっていく。

 

「今度は緑間の長距離3P!」

 

「何であれが入るんだよ!ありえないだろ!」

 

3Pラインどころか、ハーフラインよりも手前。今のシュートは、あろうことか自陣から放たれていた。ミドリンもまた、前人未到の領域に足を踏み入れているわね。

 

「青峰、試合前はずいぶんと赤司のことを気にしていたようだが。気が早すぎるのだよ。――オレを甘く見るな」

 

眼鏡の位置を指で直しながら、鋭い眼光でにらみつけた。それに対して大ちゃんは嬉しそうに笑う。ここにきて本当に強敵と認めたかのように。

 

「ああ、悪いな。実はあんま期待してなかったんだが。謝るぜ。テメーもオレを楽しませてくれそうじゃねーか」

 

 

 

 

 

 

 

第1Q終了後のインターバル。桐皇ベンチはいつもの作戦会議の時間である。序盤の攻防は互角。だけど、『キセキの世代』同士の衝突は五分の結果に終わった、とは言えないわね。私達の間に流れるわずかに弛緩した雰囲気がそれを物語っていた。

 

「どや、青峰?あちらさんのディフェンスは」

 

「……正直、ぬりいな。次からも余計なことしねーで、ボールは全部オレに回せ」

 

今吉さんの確認に、大ちゃんは余裕を持って答えた。うわぁ、横で若松さんが青筋を立ててるよ……。

 

「ま、第1Qで青峰を止められるやつ一人もおらんかったしな。得点率100%のエースにこの試合任せるわ」

 

そんな主将の言葉を否定する部員はいない。なぜなら、大ちゃんに渡せば必ず得点できると理解しているからだ。秀徳はミドリンの3Pでどうにか喰らいついてるだけで、弾数制限の関係上、このペースでは後半のガス欠は避けられないわ。

 

「縦横無尽にコート全域で撃ちまくる3Pの奇襲は確かに脅威だわ。だけど、スペースの少ないハーフコートの攻防ではマークを外すのに苦労してるみたい。これならダブルチームでミドリンを封殺できるわ」

 

監督の指示は、秀徳の生命線である3Pシュートを止めること。そして、私のデータによる未来予測は皆に伝えてある。計算では第2Qにおけるミドリンの得点は6点以内に抑えられるはずよ。そして、ミドリンを欠いた秀徳に大ちゃんを止められる者はいない。

 

「緑間はワシらで何とかする。インサイドは頼むで、青峰?」

 

「誰に言ってんだよ。こっちもようやくテンションが上がってきたんだ。オレをまさか、攻撃だけだと思ってんじゃねーだろうな」

 

「なら安心したわ。今日は調子悪いんかと思ての」

 

単独で五人抜きを果たした大ちゃんを見てそんな言葉が出るのはこのチームだけでしょうね。通常時のきーちゃんですら容易ではない、常軌を逸した偉業だっていうのに。

 

「ミドリンには悪いけど、緊張感を持って試合を見学できるのはここまでね。これ以降は大ちゃんの独り舞台になりそうだもん」

 

もはや予知と言えるレベルでの残酷な自身の未来予測に、目を閉じて軽く首を左右に振るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

第2Q開始と同時にミドリンへと二人の密着マーク。ボールすら回さないという強い意志が感じられるわ。だけど、彼の顔に焦りの色はない。

 

「ふん、妥当な作戦だな。だが、そんなもので止められるようならば――シューターなどやっていないのだよ!」

 

秀徳の選手がディフェンスの死角から音も無く忍び寄る。

 

「スクリーン!」

 

ボールをもらえないならば、仲間を利用してマークを外す。一対一のドリブル勝負に特化していないシューターにとって仲間との連携、スクリーンは必須技能でもあった。だけど――

 

「それ、読めとるで」

 

スクリーンを利用して、ディフェンスを置き去りにするつもりみたいね。でもマークマンの桜井君にそれは通じない。背後の死角に陣取った壁を、一瞥もせずにかわして追いすがる。

 

「何っ……後ろに目でも付いてんのかよ!?」

 

フリーのミドリンにパスを出そうとしていたのだろう。PGの高尾君が焦った声を漏らした。マークが外れていない。予想外の展開にミドリンも苦々しげに唇を噛む。

 

「……しゃーねー。宮地さん!」

 

「そりゃ甘ぇだろ」

 

攻め方を変更して出したパスは、恐るべき敏捷性で反応した大ちゃんによってカットされた。瞬間移動でもしたかのようにボールを弾き、そのまま反撃のワンマン速攻。

 

「なんて速さだよ……現在地は確認してたってのに」

 

これまでは守備に興味が薄かったため、その威力を試合で発揮することは少なかった。だけど高校最速を誇る大ちゃんの守備範囲は、ムッ君と同様に3Pライン以内の全域である。

 

「は、速すぎる……!」

 

「人間かよ、マジで」

 

赤司君との試合以降、大ちゃんは昔みたいにバスケの練習をすることが多くなった。あの対決を自分の中で反芻し、指摘された弱点や隙を少しずつ消していく。それは大ちゃんの弱さをさらに削ぎ落とし、より純度の高い強さへと昇華させる。すでに中学時代から最強のプレイヤーではあった。だけど、現在の彼ほどに『完全』の形容詞が似合う選手は歴代にも存在しないでしょうね。

 

攻防共に弱点が存在しない。そんな相手にどうやって勝てるって言うの?

 

「ったく、もうちょっと粘れよ」

 

ただのチェンジオブペース。最高速からの減速とそこからの加速だけで、全国準決勝まで勝ち残った選手達がまるで木偶の坊だわ。誰も大ちゃんの歩みを止めることすらできず、あっさりと得点が決められた。

 

「凄いドリブルのキレよね。まるでナイフでスパッと切ったみたい。動作を最適化したことで、全ての身体能力と技術が軒並み上昇してるわ。本当、怖いくらい」

 

『DF不可能の点取り屋(アンストッパブルスコアラー)』――帝光中学時代の大ちゃんの異名のひとつ。この言葉が、いまの彼の実力を的確に表している。誰も彼を止められず、誰もこの重なり続ける得点を止められない。

 

「させないのだよ、青峰」

 

あ、向こうも策を弄してきたわね。大ちゃんにトリプルチームか……。誰でも思いつく作戦だけど、単純ゆえに確実性は高い。しかも、それぞれドライブだけは最優先で警戒してるわね。距離を取って抜かれないことにのみ専心してるみたい。3Pラインより内側には絶対に侵入させないよう、彼らは鉄壁と化していた。

 

「おいおい。いいのか、オレにトリプルチームで?」

 

「リスクは承知だ。だが、お前にさえ抜かれなければ、桐皇の得点力は格段に落ちるのだよ」

 

三人も付けちゃうと他がほぼフリーだけど、それは仕方ないと割り切ってるんでしょ。実際、大ちゃんにパスの選択肢はないから有効よね。

 

 

「でも、欠点が二つあるわ」

 

 

誰にともなく私は一人ごちた。

 

「全然足んねーよ。全員でかかって来い」

 

野性の獣のごとき獰猛なオーラ。試合が後半に近付くにつれ、大ちゃんは尻上がりに調子を上げる傾向にある。ようやく集中力が高まってきたみたいね。

 

「ひとつは、三人程度で大ちゃんは止められないということ。もうひとつは――」

 

「あと、オレをドライブだけのやつだと思ってねーか?何そんな下がってんだよ」

 

ヒョイっと無造作にアンダースローで投げ上げられたそれは、上空からノータッチでリングを通過した。秀徳の選手全員の顔に驚愕が張り付いた。

 

「――3Pシュート、だと?」

 

顔を青ざめさせながらミドリンが呆然とつぶやいた。口元を小さくわななかせる。

 

「自分の専売特許だとでも思ったか?最近、ようやく精度が100%になったんでな。こっからはコイツも使わせてもらうぜ」

 

「な、何だと……」

 

3Pシュートに絶対の自信を持っていたがゆえのアイデンティティの揺らぎ。ミドリンの精神に小さな、だが確実なほころびが生まれた瞬間だった。それは彼のプレイの精度を知らず知らずのうちに奪っていく。ここから私達、桐皇学園のペースが試合終了まで続くことになる。

 

 

 

 

 

 

 

最終第4Qも終盤に差し掛かり、もはや点差は逆転不可能なものとなっていた。観客の関心も大ちゃんの人間離れしたプレイのみに移っている。何とか闘志は保っているものの、秀徳の選手達の表情は陰を色濃く覗かせた。

 

「うおっ!また青峰のスティールだ!」

 

「今日、何回目だよ。信じられない超反応してるよな」

 

会場中からどよめきが起こる。超人的な反応速度によるパスカット。そのままワンマン速攻かと思いきや、この試合初めてボールを今吉さんに戻した。

 

「ん?珍しいやん。どないしたん?」

 

「ちょっと黙ってろよ。やることがある。10秒だけボール持ってろ」

 

目を閉じて息を整え始めた大ちゃんに、今吉さんは肩を竦めて見せた。コート上で立ち止まるひとりを除き、他のみんなは時間を掛けてゆっくりとパスを回す。

 

「可哀想にの……青峰の本気は、ガッツリと心を折ってくるで」

 

同情の混じった今吉さんの言葉と同時に、秀徳の面々もかつてない脅威に戦慄を覚えていた。ゆっくりと敵陣に戻ってきた大ちゃんにだ。満を持して再登場したその姿からは、寒気がするほどに研ぎ澄まされた集中が感じられる。ボールが渡った。

 

「来い!青み……」

 

 

――気付くと、ミドリンの横を通り過ぎていた

 

 

たぶん、彼の目には大ちゃんが消えたように見えたでしょうね。反応どころか認識すら追いつかないほどに、そのドライブは群を抜いていた。この試合を通して見せていた埒外の実力をも遥かに超越する。

 

「悲しいほどに不運よね。有史以来、おそらくプロまで含めても日本最速にして究極のドライブ。あなた達が前にしているのはそんな選手なのよ」

 

一拍遅れて振り向くとすでに大ちゃんはシュートを終えていた。絶望的な表情でその場に立ち竦む。ここに来て秀徳の選手達は悟らざるを得なかったみたいね。青峰大輝という存在と自分達の間には、決して埋めることのできない違いがあることに。

 

「ゾーン……」

 

究極のプレイを前に静まり返った東京体育館で、ポツリと誰かがつぶやいた。

 

それはただのキッカケに過ぎなかった。だけど、彼らにこれ以上の試合を続けることはできないわね。両者を絶対的に隔絶する才能の壁。暗い絶望を瞳に宿して、彼らは圧倒的な才能に対する無力感に溺れていた。それは大津波を生身で止めようとする無謀さに似ている。たとえ、比較対象が同じく『キセキの世代』のミドリンであろうとも――

 

「ふぅ、ミドリンでも大ちゃんの相手にはならなかったか……」

 

 

 

 

――試合終了のブザーが鳴る

 

大方の予想を裏切り、桐皇学園は秀徳高校をダブルスコアで打ち破った。だけど、私達にとっては当然の帰結なのでそこに大きな喜びはない。特に大ちゃんの顔には落胆の色が浮かんでいた。

 

「やっぱオレは強くなりすぎちまったみてーだな」

 

「……大丈夫だよ。きっと、赤司君なら全力の勝負をさせてくれる」

 

少しだけ寂しそうな大ちゃんに答えた。おそらく無理だろうという内心を押し隠して。

 

「頼むぜ、赤司。そう簡単に潰されんじゃねーぞ」

 

データによる未来予測の結果は私達の勝利と出ている。それを覆す可能性があるとしたら、データ不足で性能が未知数の『完成意識(ゾーン)状態』しかない。

 

ま、たまにはいいか。データ無し、絶対の未来予測ができない試合があったって。明日は待ちに待ったウィンターカップの決勝戦。

 

 

 

――『キセキ』の試合が始まる。

 


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