もしも赤司が疲れ目になったら   作:蛇遣い座

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「来たかよ、お前も『ゾーン』に」

深く、深く、意識を沈めていく。

 

心の奥底まで読み取るように、深く深く。深度を下げていく。相手と呼吸を合わせ、意識を合わせ、全てを同一化させる。かすかな意識の変化を詳細に読み取るのが『変性意識(トランス)状態』の要訣。細部に至るまで洞察した情報による予測イメージは相手の視界すら幻視させる。

 

緑間真太郎。氷室辰也。火神大我。

 

僕が沈めてきたそれぞれのチームのエースは、誰もが十年にひとりの天才達だった。だが、そんな彼らが子供に見えるほどに、青峰大輝は格が違う。

 

「遅えんだよ」

 

たった一度の切り返しで僕の横を抜き去る大輝。チッ……やはり隙が無い。いや、あるにはあるがタイミングがシビアすぎるのだ。全身の隅々にまで意識が網の目のように張り巡らされている。油断や慢心はもちろん、意識の間隙すら極短時間に留めるとは……。凄まじいほどの集中力の持続だ。

 

「マジで一人で試合してるぜ!?」

 

「ってか、アイツまだ一回も止められてないじゃねーか!」

 

大勢の観客達も彼の前人未到の力を前に熱狂する。誰もが望む力の具現、それが青峰大輝という超越者だった。超絶技巧のトリッキーなドリブルスタイル。人間離れした敏捷性(アジリティ)。そして、絶対の確率でゴールに吸い込まれていく『型のない(フォームレス)シュート』。この試合、桐皇学園の全得点を彼が叩き出していた。

 

「だったら、そのぶん取り返しゃいいだろうが!」

 

カウンターの速攻。僕から小太郎、永吉へと高速でパスが回る。総合力ならばこちらが上。あっという間にゴール下でボールを手にした永吉が跳躍する。だが、ギリギリで追いついた相手センター若松が横からそれを弾き飛ばした。

 

「アイツばっか目立たせてたまるかよ!」

 

「ぬおっ……!?」

 

ルーズボールは相手に渡ってしまう。やられた、無得点とは……。内心で舌打ちする。『無冠の五将』は僕達がさえいなければ、もしかしたら天才と呼ばれたかもしれない逸材だ。だが、それでも僕達『キセキの世代』とは比べ物にならない。全国上位レベルの選手を相手に百戦百勝はできないのだ。

 

「大輝が100%で得点できる以上、この点の取り合いは圧倒的に不利だな……」

 

忸怩たる思いでつぶやいた。このままでは確実に負ける。どうにかしなければ……。だが、四人で固めるインサイドのゾーンで止められなければ、他に手段などない。やはり、僕が止めるしかないのだが――

 

「うおおっ!また抜いたぁ~!」

 

くっ……なぜだ、なぜ止められない!

 

『変性意識(トランス)状態』にはとっくに入っているというのに。相手の意識に共感できているし、視界も幻視されている。にもかかわらず、極小にしか隙が感じ取れないのだ。新たに修得した僕の『変性意識(トランス)状態』が大輝に劣っているとでも……。それを認めろというのか……?

 

ギリッと悔しさに歯噛みする。

 

「今度は葉山が仕掛けたっ!」

 

超高速ドリブルによる電光石化のペネトレイト。反撃のカウンターが炸裂する。一人、二人とかわしていき、最後の相手センター若松との一騎打ち。跳躍した小太郎からボールを叩き落とそうと手を伸ばす。ブロックにきた腕を、とっさに身体をひねることで回避する。

 

「うおっ……あ、危なー」

 

崩れた体勢で放ったシュートはリング状をクルクルと回転し、どうにか入ってくれた。大きく安堵の息を吐く小太郎。だが、これは運が良かっただけだ。そうそう偶然は続かない。

 

 

 

 

 

 

予想通り、彼我の点差はじりじりと開いていった。第2Qも後半に差し掛かったというのに、いまだに大輝の攻撃を一度も止められていない。単独突破で全得点を叩き出すという偉業を成し遂げていた。

 

「集中……集中…」

 

正面でボールをつく大輝の隙を読むことに専心。相手の呼吸、心拍を合わせ、最低深度にまで意識を共感させる。全感覚神経を総動員。『変性意識(トランス)状態』に入ったことによる幻視された視界を隅々まで見回す。だが――

 

――隙が見えない

 

チェンジオブペース。停止から始動に移る刹那のタイミングに合わせる。だが、自分でもそれが無茶だと内心で感じていた。まるで飛んでいる蝿を箸でつまむような。瞬きの間に消えるシビアすぎるタイミング。わずかに見えた心の隙に強引に割り込もうと手を伸ばす。

 

「しまっ……」

 

乾坤一擲で伸ばした右手は、大輝がボールを半身に隠すことであっさりと回避された。僕の上体が前方に流れる。やられた……抜かれる!?

 

「やめだ。つまんねえ」

 

しかし、大輝は絶好の機会にもかかわらず抜かなかった。溜息を吐きながら左右に首を振る。内心で困惑を覚える僕に、大輝はつまらなそうにつぶやいた。

 

「……なぜ止めた」

 

「赤司、たしかにテメーは凄え。最大の才能を、『天帝の眼』を失って、それでオレとここまでやれるんだからよ。他の奴らじゃ真似できねーだろうな」

 

だが、と大輝は続けた。

 

「オレがやりてえのはこんなんじゃねーんだ。ヒリつくような、ギリギリの試合をしてーんだよ」

 

――だからお前も全力を出せよ

 

直後、僕の背筋に寒気が走る。反射的に肉体が最大警戒を促すように全身の毛穴が逆立った。大輝の意識に共感しているからがゆえに、直に感じられる究極の静謐。トップアスリートですら偶発的にしか入れないそれが――

 

――『ゾーン』

 

雑念の一切が排除された完全なる集中状態。恒星のごとき圧倒的な熱量と存在感。それでいて、研ぎ澄まされ、充填された集中は、見ているこちらを切り裂く鋭利なナイフを思わせた。

 

「まるで銃口を突きつけられているようだ」

 

ゴクリとつばを呑む。諦念と共に小さく一人ごちた。隙が見えないどころの話じゃない。隙どころか、相手の初動すら予測できない。幻視される視界の中の僕は棒立ちも同然。何の障害にもなっていないことを理解させられた。あまりにも格が違いすぎる。

 

「なっ……!?」

 

それを裏付けるかのように、一瞬後には僕を抜いて大輝はゴールを決めていた。ネットを揺らす音が耳に届く。おいおい……『変性意識(トランス)状態』で反応すらできないとはね。

 

その場から一歩も動けずに立ち尽くす。埒外の性能と暴虐に僕は戦慄を覚えていた。歓声に湧いていた観客達が一瞬にして静まり返る。満員の会場に集まった全員がただ一人のプレイに魅入っていた。テレビ中継を通して日本中にたったワンプレイで知らしめた。これが『キセキの世代』最強スコアラー、青峰大輝なのだと。

 

「こ、これがゾーン……間近で見ると、本当恐ろしい代物ね」

 

血の気の引いた表情の玲央から声が漏れる。最もこの『ゾーン状態』の大輝の脅威を認識しているのは、もちろん僕達である。まぎれもなく究極にして最強の選手を前に、戦意喪失は免れない。だが、そんなこととは無関係に大輝は暴虐的に洛山コートを蹂躙する。

 

「やっべ……マジかよ、あれに反応できんのか」

 

小太郎のドリブル突破に瞬時に反応し、背後からスティールする。超人的な反射による神速のカバー。ヘルプに行きづらい離れたところで勝負させたはずなのに、あれに追いつくとは……。さすがは高校最速の男。彼の守備範囲は3Pライン内の全てに及ぶのか。

 

「いつまでも好きに……」

 

早めに動きを止めようと玲央と永吉が即座にヘルプにつく。しかし、二人は一歩も動けず、反応すらできずにその姿を見失っていた。彼に似つかわしくないほどに滑らかなドリブル。まるで風に舞う花弁のような。そんな流麗で洗練された動きだった。

 

「すごい……」

 

ピクリとも動けなかった玲央は呆然とつぶやいた。意外にも基本に忠実な、それでいて完全に最適化された所作に言葉も無いようだ。ラストのレイアップに至るまで、崇高な芸術作品を鑑賞した気分だった。止めるなど考えることすらできない。ただ純粋に巧い。もちろんゾーン状態の火神を超えた未体験の速度もあるが、何よりも最適化された大輝の巧さは群を抜いていた。

 

「こいつが『キセキの世代』青峰大輝の本気かよ……」

 

圧倒的な存在感。極限まで研ぎ澄まされた集中力。埒外の潜在能力を余すことなく発揮した現在の大輝は、まぎれもなく日本最強の選手であろう。仲間達の心には、もはや勝利のビジョンなど思い浮かびようも無かったほど。畏敬と諦念の混ざり合った奇妙な精神状態に陥っていた。

 

――ただ一人、僕を除いては

 

超高速で迫り来る大輝。立ちはだかるディフェンス陣など物の役にも立たない。水面に浮かぶ木の葉のようにヒラリヒラリとかわしていく。そして、最後の砦。僕との一対一の勝負になった。

 

『変性意識(トランス)状態』であろうと心に一片の隙すら感じられない究極の集中状態。当然、何の抵抗もできず、反応すらできずに横を通り抜けられる――

 

 

「隙だらけだよ」

 

 

――そんなことを僕が許すはずも無い

 

驚きに大輝がわずかに目を見開く。一瞬の交錯。視界がモノクロに塗り替えられ、時の流れが止まったかのような錯覚。刹那のタイミングで、その手からボールを弾き飛ばしていた。

 

「甘く見るなよ、大輝。体力温存の正攻法バスケットで僕を抜けると思ったか?」

 

「ハハッ……いいねえ。来たかよ、お前も『ゾーン』に――」

 

こちらの状態を理解した大輝は愉しそうに笑う。

 

ゾーン状態の大輝の意識に共感することで入った――『完成意識(ゾーン)状態』。

 

僕の方も、笑みが浮かぶのを止められない。『天帝の眼』の開眼により、僕の視界には全ての情報が洪水のごとく流れ込んでいた。コート上の全ての存在、敵味方問わず全員の状態を仔細に感知できる。それを高校に入ってから磨いてきた情報処理能力によって高精度で未来を予測する。いや、ゾーン状態のそれはもはや確定された予知と言えるだろう。

 

「たとえお前だろうと、僕の眼からは逃れられない」

 

傲慢なまでの絶対的な自信。勝利と支配こそが当然だった中学時代を思い出す。敗北を知らず、勝利することを運命付けられていたあの頃を。

 

 

 

 

 

 

 

そこからは天上の戦いが繰り広げられた。『キセキの世代』同士の衝突。しかし、そんな壮絶な試合展開にもかかわらず、会場は奇妙なほどに静まり返っていた。観客達は言葉を失い、ただただ高次元で行われる光景に魅入っている。ボールが床を叩く音と、バッシュを鳴らす音だけが広大な東京体育館に小さく響く。

 

緩急を自在に操るチェンジオブペース。ゾーン状態によって人智を超えた最高速はその効果を極限まで上昇させる。右と思えば左、停止と思えば最高速。加えてストリートバスケで磨いたトリッキーなプレイスタイルは全ての予測を無効にする。

 

「と、止まりなさい!」

 

一瞬だけでも足止めを図ろうとする玲央だったが、何が起こったかすら分からずに抜かれてしまう。物の数ではないと言わんばかりに、大輝の表情には何の変化も見られなかった。まさしく暴風を捕まえるかのごとき無謀な試み。たとえ何人で掛かろうとも無駄だと確信できるほど。

 

「行くぜ」

 

短く一言つぶやき、超高速で迫り来る大輝。相手を出来るのは僕だけだ。ゾーン同士の一対一。瞬きの間に互いの距離が詰まる。

 

尋常でない最高速もそうだが、最も厄介なのはトリッキーなドリブルや天衣無縫の『型のない(フォームレス)シュート』。完全ランダムとも思えるほどに予測不可能な風雷の軌道。さらに、最適化によってそれらは研ぎ澄まされ、滑らかに洗練されている。しかしそれでも――

 

 

――僕の眼はわずかに生まれる隙を逃さない

 

 

「うおっ!あれをスティールした!?」

 

「神業すぎるだろ……!」

 

体力温存を考えない超高速、超絶技巧のドリブルだが、その常人には認識すらできない一瞬の隙にボールを弾き飛ばした。

 

『天帝の眼』による物理的な身体の隙と、『変性意識(トランス)状態』で学んだ精神的な心の隙。人間の表裏両面を見抜く今の僕の眼は、『ゾーン』からすら弱点を見出すことを可能にしていた。

 

「見える」

 

大輝の手から弾いたボールを手に、単独速攻を仕掛ける。敵陣のゴールへと一直線に走り出した。その間にコート上の全てを認識する。

 

前に立ち塞がろうとする今吉と桜井の呼吸・心拍・筋肉や視線の動き、そして意識の流れや隙まで全ての情報が脳内に流れ込んでくる。それらを一目で読み取り、まるで将棋の盤上のごとく俯瞰状態で未来予測をシミュレート。背後から追ってくる大輝までもを詳細な未来を先読みできた。ドリブルで突っ込みながら身体を左右に揺らす。

 

「そう簡単にさせるわけあらへ……んなっ!」

 

「くっ……そんな、切り返しすら無しで……!」

 

障害にすらならない。一切の減速も迂回も無く、ボディフェイクだけで二人を床に倒す。観客達には、自ら僕の進行の邪魔にならないように退いたと見えただろう。

 

「王道」という言葉がある。かつて、時の権力者である王は目的地まで最短距離の道を作らせ、そこを通っていたという。障害物など全て排除してただ真っ直ぐ進むのみ。これぞ支配者たる僕にふさわしい。敵のマークなど無関係に最短距離に僕の道は続いている。

 

「どうなってんだ!?自分から道を開けてんじゃねーか!」

 

それは異様な光景だった。誰一人としてただ一直線に走る選手を止められない。どころか、対戦相手の選手達が急に転び始めるのだから。まるで出来の悪い人形劇を観ている気分だったろう。何人たりとも僕の歩みを止めることはできない。ゴールまで最短距離の王道をひた走る。

 

しかし、同じくゾーン状態の大輝の速度は常軌を逸している。恐るべき速度で回り込み、鋭い視線を交わし合い対峙する。一対一。目を凝らし、隅々まで視線を巡らせ、未来の行動を見通す。凄まじい集中力、俊敏な反応。ことディフェンスに関しても彼の能力は桁が違っていた。

 

――アンクルブレイク

 

だが、僕の支配に例外は無い。未来予測からの重心移動の瞬間に合わせて足元を崩す。レッグスルーによる切り返しを用いた完全版。わずかに顔を歪め、膝を落とす大輝。

 

「たとえお前であろうと、僕の支配からは逃れられない」

 

そして、無人のゴールにボールを放ろうとして――

 

「ざっけんな!」

 

背後から叩かれたボールは場外へ勢いよく弾け飛んだ。リスタートのためのブザーが鳴る。振り向くと獰猛な笑みを浮かべた大輝の姿があった。

 

 

 

 

 

へえ、僕の予想を超えてくるか。まさか、あの状態から立て直してブロックするとはね。人智を超えた敏捷性(アジリティ)だ。ゾーン状態の大輝の性能はまさに究極。いまの彼の守備を抜くのは至難の業のようだね。

 

――まさか、絶対的な支配力を有する僕と互角とは。

 

「いいぜ。最高じゃねーか。……チッ、時間切れか」

 

急激に大輝の纏う究極の集中力が霧散していく。極限まで研ぎ澄まされた静謐が崩れ去る。そうか、ゾーンの時間制限が終わったのか。同時に『完成意識(ゾーン)状態』も解けていく。

 

「ここまでか……」

 

 

 

結局、『ゾーン』同士の対決は互いにゼロ得点に終わったのだった。数分間に渡り繰り広げられた天上のプレイの数々。それらはお互いの圧倒的な守備を突破できなかった。僕のアンクルブレイクも大輝の暴風のごときドリブルも。

 

どちらかが相手の守備を超える攻撃力を手にしたとき、それが『ゾーン』状態の僕達の勝敗が決まるだろう。

 

「ヘイ!」

 

だが、当面の問題はこれから。現在、得点は第2Qで8点のビハインド。僕のゾーンが切れた以上、ここからは再び大輝の独壇場になるはず。アイツのことだ。終盤にはまたゾーンに入ってくるだろうが、最も危険なのはそれまでの時間。そこを凌げなければ僕達に勝利は無い。試してみるか。以前から考えていたあれを……。

 

「ほれ、青峰。やったれ」

 

今吉がパスを出す。もちろん相手は桐皇のエース。彼にパスが渡れば止める術はない。確信を持って今吉の手からボールが投げられた。

 

「不用意すぎでしょ」

 

「しまっ……」

 

しかし、それは玲央によってカットされる。ゾーンからの虚脱状態にあったため、大輝のカバーが間に合わない。ワンマン速攻を決めたところで前半終了のブザーが鳴り響いた。

 

「これはいけるか……?」

 

僕の口からつぶやきが漏れる。見出した勝機に薄く笑みがこぼれた。なるほどね。たしかに僕は大輝とは違う。最優先すべきはチームの勝利。別に1on1で最強である必要は無いのだ。最強の選手の称号は譲ってやる。だが、勝利という結果までは譲れないな。ベンチへと戻りながら大輝に目をやった。

 

 

 

「教えてあげるよ。選手としてではない、支配者としての戦い方を――」


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