最後の大会が終わり、数ヶ月の時が過ぎた。明日は卒業式。その前に、ということで僕達は慣れ親しんだ体育館に集まっていた。
「明日でみんなと会うのも最後ッスね」
「そうなるな。だが、すぐに会うことになるのだよ」
「そうだな。お前達ならば、どこの高校に入ったとしても戦うことになるだろう」
「ま、テツはわかんねーけどな」
大輝が壁に寄りかかりながら軽く息を吐く。帝光中学バスケ部、『幻の六人目』黒子テツヤの進学先は、誠凛高校という無名校だった。
ちなみに、他のメンバーは全員が強豪校へ推薦で入学が決まっている。いくら影が薄くとも、当然テツヤにも強豪校からの勧誘はあったはず。それでも、あえて無名校を選んだ理由は――
「いえ、僕も行きますよ。全国」
決意を込めた瞳で、テツヤは宣言した。
「自らを影と為すお前のスタイルには、光が必要不可欠だ。無名校にそんな奴がいると思うのか?」
「そうッスよ、黒子っち。今からでもうちの海常に来ないッスか?」
「僕は僕のやり方で全国に行ってみせます」
きっぱりと言い切るテツヤの言葉に、僕は頷いた。
「けど……」
「ならばいい。どうやら心配は必要なさそうだな」
なおも食い下がろうとする涼太を制し、僕は話を終えた。何か決意の元の行動なのだろう。ならば、止める必要は無い。
「だが黒子、それは無理だ。なぜなら、東京にはオレの行く秀徳高校があるのだからな」
真太郎が眼鏡を直しながらつぶやくのを、大輝は聞き逃さなかった。
「おいおい、そっちこそオレの桐皇学園が同じ地区にあることを忘れてんじゃねーか?」
「フン、無論当たれば誰であろうと倒すのみなのだよ」
「へえ、まさかオレに勝てると思ってんのかよ」
バチバチと火花を散らす両者。一人ひとりが常識の枠外の才能を持った『キセキの世代』。頼れるチームメイトではあっても、だからこそ戦ってみたいという欲求は常にどこかにあったのだろう。だからこそ、僕達は違う学校に進学したのだし、それだけに倒したいと熱望していた。
「だから、僕を忘れないでください」
白熱する二人に割って入るテツヤ。その気持ちは彼も同じらしい。
「緑間君。ひとつ言っておきます。――青峰君を倒すのは、ボクです」
一瞬、呆気に取られた風に二人は黙った。
「……くくっ、いいぜ。まさか、お前にそんなことを言われるとはな」
本当に楽しそうに、しかし獣のように鋭く尖った瞳で、大輝は笑った。テツヤもその視線に見つめ返す。
「待ってるぜ、テツ。このオレを失望させんじゃねーぞ」
「はい。待っていてください」
かつての相棒同士が何を伝え合ったのかは分からない。だが、誠凛高校には警戒しておかなければならないな。
ここでメールの着信に気付き、携帯を取り出した。内容に目を通していると後ろから涼太が覗き込んでくる。
「涼太、他人の携帯を覗き込むな」
「いやあ、だって気になるじゃないッスか。最近、ずっと携帯とにらめっこだし」
そう言って涼太は笑った。たしかに僕は携帯を使う方じゃなかったが、例の洛山の見学会の後は積極的に活用していた。
「まさか……彼女ッスか!?」
「んな訳ねーだろ」
わざとらしく驚愕の表情を見せた涼太に、大輝は呆れたようにつぶやいた。
「……たしかに違うが、そうあっさりと却下されると気になるな」
ジト目で大輝を見返すと、肩を竦めてやれやれといった風に首を振った。
「そんな恐ろしい目付きで彼女とメールしてたらこえーよ」
「別に恐い顔をしていた覚えはないが。合同練習で知り合った連中と連絡を取っていた」
ほう、と真太郎はこちらを観察するように問い掛ける。
「まあ、お前らしいな。早くもチームの掌握を狙っているのか」
「さてね。ただ、入学前にチーム作りをしてはいけないという決まりはないさ」
4月からはお互い敵同士。すでに準備を始めている僕に対して、敦以外のメンバーの警戒心が刺激されたようだ。敦だけは、何も気にしていない風にポッキーをかじっている。
「ってか、別にどうだっていいじゃん。どうせ、赤ちんが優勝するんだしさ」
空気を読まない敦の言葉に再び場の緊張感が高まった。敦……ケンカ売るなよ
「……それは聞き捨てならないのだよ」
「そうッスね」
「同感です」
「赤司、てめーが相手だろうと同じことだ。オレに勝てるのは、オレだけだ」
敦以外の全員が、闘気に満ちた視線を向けてくる。内心で僕は溜息を吐く。こんなときにも虚勢を張ってしまう自分にだ。
はっきり言って、この埒外の天才達に勝てるとは思えない。それでも、だからこそ勝ちたいと思った。
「お前達を従えていたのは誰だと思っている。僕はこれまで、ただの一度も敗北せずに生きてきた。――僕にとって、勝つことは生きることだ」
だからこそ、敗北を経験した現在の僕は死んだようなものだ。なら、生き返らないと。
「全力で掛かってくるといい。お前達ならば、僕を楽しませてくれると信じている」
だが、と厳しい表情の彼らに背を向けて言い放つ。
「僕は逆らう奴には容赦はしない。心して挑んでくることだね」
昼間のバスケットコート。青い空の下、ストリートのコート上にはジャージ姿の二人。前髪を長く伸ばした今野玄人と、茶髪で長身の城谷代々である。必死の形相で彼らは白熱した勝負を繰り広げていた。
「ぐっ……ひ、左か…!」
「おらあっ!」
ディフェンスの横を抜き去った長身の少年は、そのままレイアップを決める。パサリとゴールネットを揺らす。悔しそうに歯噛みする玄人。
「なるほど。僕の立てた練習メニューはしっかりとこなしていたようだね」
一段落着いたところで、僕は二人の勝負を中断して講評することにした。すでに二人には特別メニューを組んでやらせてある。今日はその進捗状況の確認のために集めたのだ。
「いやあ、何か身体が軽くなったような気がするぜ」
「そ、そうかも……身体のラグがなくなった感」
「お前達の長所を伸ばすためのメニューだからな。たった数ヶ月で高校トップクラスの連中と渡り合うためには、とにかく一点突破しかない」
弱点を悠長に克服している時間はない。マッチアップ相手の情報を分析し、その対策を完璧に行って、それで一箇所でも上回れるかどうか。一年の中で最も有望なこいつらでさえ、そこまでの格の違いがあるのだ。完全に決め打ちの育成戦略。それでも、まだまだ甘い。
「まず、玄人についてだが……。普段、ディフェンスをする際、どの辺りに気を付けている?」
「そ、それは……相手の動きとか、雰囲気とか、あとは癖を読んだり」
「まあ、無意識ではやっているんだろうが、相手の呼吸を意識してみろ。まずは相手とタイミングを合わせろ」
そう言って、僕はコートに入り、代々にボールを投げ渡した。
「僕と1on1だ。オフェンスをやってくれ」
「ん?ああ、わかったぜ」
ハーフラインでボールを持った代々だが、その声音に苛立ちの色が混ざる。
「おい、いくら何でも俺を舐めすぎだろ」
「いや、これで十分さ」
――僕は目を閉じた。
相手に焦点すら合わせられない中途半端な視界なら無い方がマシだ。しかし、彼の方は完全に馬鹿にされていると思ったらしい。先ほどまでよりもドリブルに力が篭っている。
「抜けるものなら抜いてみればいい」
「言われなくてもなっ!」
相手の荒い呼吸音がかすかに耳に届く。相手の呼吸が一瞬だけ止まった。
――来る
視覚を遮断したことで鋭敏になった聴覚が、相手の息遣いまではっきりと教えてくれる。代々の動き出しに合わせて斜め左へとステップ。
「なっ……!?」
一拍遅れて耳に届いたボールの弾む音が、進行方向が間違っていないことを教えてくれる。この男の動きは、すでに僕の眼で観察済みなのだ。あの位置からの攻撃パターンは頭に入っている。直後、さらに耳をかすかに震わす未来の前兆。
「ここだ」
高速でのクロスオーバーを狙って瞬時に前に伸ばした手がボールをカットしていた。
「そんな……馬鹿な」
眼を開けると、呆然とした表情の代々が佇んでいた。
「どうだ?息を合わせれば、相手の動作のタイミングが分かる。それほどに呼吸とは重要なものだ」
「わ、わかった……やってみる」
「特に代々は体力不足のせいで呼吸が乱れやすい。練習にはうってつけだろう。それを身に着けることで、お前のディフェンスは一つ段階が上がるはずだ」
感心したように玄人は目をしばたたかせながら答えた。そして、次に代々へと視線を向ける。
「そして、代々。お前はどうやら僕と似たタイプの選手のようだな。相手の動きを観察し、洞察力によって未来を予測する」
「……アンタと一緒にすんなって。せいぜいが相手が何を狙ってるかを予想するくらいだ」
あっさりと止められたのがショックだったのだろう。少しふてくされたように口を尖らせた。
「謙遜することはない。その能力は高校レベルでも十分通用する。だが、お前は読み合いに頼りすぎだ」
そう言って、僕は軽く目を閉じて見せる。
「目を閉じた相手の行動など、お前の経験則にはなかっただろう。結果、右からのドライブ→クロスオーバーという最も得意なパターンを選択してしまった」
「ぐっ……それでかよ」
「読み合いに頼りきりの弊害はまだある。なまじ相手の裏をかけたせいで、オフェンスのパターンが少なく、しかも大味だ」
もう一度やってみろ、と代々にボールを投げ渡す。ディフェンスに玄人で1on1だ。困惑しながらも、代々は左へドライブする。玄人も機敏な動作でそれに追髄する。それを観察しながら僕は――
「ロールだ」
「え?」
直後、代々はディフェンスに背を向け、反転していた。しかし、先ほどの僕の声での驚きで動きが止まる。
「もう一度」
今度は右からのドライブ。観察眼を働かせ、あるタイミングで声を飛ばす。
「クロスオーバー」
その声に反応した玄人が切り返しのボールをカット。ボールを奪われた代々は得体のしれない物を見るような目でこちらを見つめていた。だが、何のことはない。
「予備動作が大きすぎる。これまでは体力不足のせいで出場時間が少なく、見破られなかったかもしれないが、高校レベル、特に全国クラスなら初見で狙われるはずだ」
「マジかよ……」
「速度や技のキレについては問題ない。あとはモーションの癖を消していけ」
納得した表情で頷く代々。とりあえず個人練習はここまでだ。
周囲に視線を向けると、いつの間にか五、六人のジャージ姿の人間が地面に座り込んでいた。彼らは洛山高校に入学する新入生達である。見学会に行ったときに全員と連絡先の交換をしており、今日は合同練習会として集合させたのだ。
「到着したようだな」
「おう、他のやつらも来たがってたんだけどな。さすがに遠いらしくて……」
「そうだな。さすがに東京に来るのは難しいのも多いだろうからな。練習メニューについては送っておく」
全国からトップクラスの選手が集まる洛山高校には、地方からの新入生も多い。だが、これだけの人数が集まるというのは、やはり『キセキの世代』のネームバリューゆえだろう。これから春休み期間中にどれだけ能力を伸ばせるか。どれだけ対策を練ることができるか。
強さこそが正しさだという持論に変化は無い。勝者こそが正しく、すべてが許される。だが、強さとは必ずしも個人技ではないはずだ。
まずはこのチームで、僕は高校最強を倒そう。