満開の桜が咲き誇る四月。帝光中学を卒業した僕は、洛山高校に入学した。
本日、洛山高校の体育館ではバスケ部の新入生の挨拶が行われていた。練習前、上級生たちの前に入部希望者が横に一列に並ぶ。一年生がひとりずつ自己紹介をする。出身中学、バスケ経験、ポジションなどを一様に口にしている。しかし、その流れは僕の番になった途端に崩れ去った。
「赤司征十郎だ。突然だが、今日から僕が主将(キャプテン)をやろう」
呆気に取られた部員達によって、凍りつく場の空気。しかし、その静寂を破ったのは現キャプテン実渕玲央の冷たい声だった。
「ふふっ……開口一番それだなんて、さすが『キセキの世代』の主将(キャプテン)だけあるわね」
「僕の命令は絶対だ。と言いたいところだが、妥協しよう。勝負で決めようじゃないか。僕ら新入生チームにお前達レギュラーが勝てたならば、キャプテンは諦めてやろう」
あまりにも挑発的なこの言葉に、玲央の瞳が鋭く輝く。
「いいわよ。私が負けたらキャプテンの座は譲ってあげようじゃない」
「あはは。懐かしいな~。一年前を思い出すよ」
「だな。まさか、練習初日にやるとは思わなかったけどな」
笑いながら了承する先輩達。こんな無茶な要求にもあっさりと乗ることに、むしろ新入生たちの方が戸惑っていた。それはそうだろう。勝負して負けたら一年生がリーダーとか。どう考えても飲むはずがない条件だ。だが、僕は知っていた。去年の先輩達が、今の僕らと同じように上級生に挑んだことを。
――そして、圧倒的に惨敗したということを
「じゃあメンバーを決めなくちゃね。どうするの?」
「誰でもいいさ。そうだな……。そこの四人、僕のチームに入ってくれ」
「ん?ああ。いいぜ」
無冠の五将と呼ばれる天才達。その内の三人が入学した去年の新入生は、洛山高校でも歴代最強との呼び声も高かった。そんな彼らがレギュラーを求めて当時の上級生に挑んだのは自然な流れだっただろう。しかし、即席チームでの拙い連携では全国トップクラスの高校生に対しては圧倒的に足りなかったのだ。
「あら。そんな適当に選んじゃっていいのかしら?」
「誰だって同じことだ」
言外に自分ひとりで十分だと示してやると、彼らの自尊心に火がついたようだ。顔から余裕が消え去る。そして、僕は黙って展開を眺めていた監督へと向き直った。無言でこちらを値踏みするような視線が向けられる。
「カントク。練習の前に少し時間をください。1Qで構いませんので」
「いいだろう。この高校の伝統のようなものだ。だが、1Qでいいのか?」
「ええ。それで十分でしょう」
「へえ、即席チームで短期決戦とはずいぶんと舐めてくれるじゃない。じゃあ五分後に試合開始よ」
そう言って僕らは一年生と二、三年生に別れていった。
僕の元へ集まった彼らの顔は、緊張と高揚が混ざったような気合の入った表情だった。笑いを堪えられないといった様子で、代々が小声で話しかけてくる。
「くくっ……驚いたフリをするのが大変だったぜ。何が、メンバーは誰でもいいさ、だよ。あんなにこのメンバーで連携の練習してたじゃねーか」
適当に選んだ風に見せておいて、練りに練った人選である。桃井の未来予測を元に、対策もキッチリと練習済みだ。
「ここまでは計画通りだ。作戦の変更はなし。相手の出方によって、どちらのパターンかを指示する」
すでに幾つものパターンは練習してある。自信に満ちた表情で、全員が気合の声を上げた。
さて、この綱渡りのような作戦。個々のスペックは上級生に劣る以上、失着は即、敗北に繋がるだろう。だが、すでに道筋は見えた。あとは相手の打ち筋に対して正確に詰められるかどうかだ。
上級生側のジャンプボールは根武谷永吉。こちらのセンターとは、残念ながらモノが違う。おそらくは相手ボールでスタートすることになるだろう。だが――
「噂では聞いてたけど、『キセキの世代』の実力ってやつを見せてもらうよ」
試合開始前の待機中、PGの先輩がにやついた表情で話し掛けてきた。
「あら、あなた彼らとやったことないの?」
「ああ、実際に対戦したことはなくてさ。楽しみだよ」
「そうか。期待に沿えるといいんだが」
期待に胸を膨らませるPGの先輩と対照的に、実渕玲央の表情は曇っている。
「……あまり楽しめる相手じゃないわよ」
「ん?そうなのか?」
「――すべてを支配する。たとえ相手の選手でさえも。そんな支配的な選手よ」
そう語る玲央の顔には畏怖が刻まれていた。
――試合開始
天高く上げられたボールは、予想通りに相手チームに渡された。隣に陣取ったPGの先輩が手を伸ばしてそれを受け取る。
さて、僕の眼が見えなくなる原因について、ここで再び考えてみよう。眼が取得する情報量があまりにも膨大なせいで、脳内の処理が追いつかなくなるということだ。通常時には眼を使えるのに、運動状態では眼が使えなくなるのは、肉体から伝えられる情報によって処理できる閾値を超えてしまうから。それによって、僕の脳は最も負荷を掛けている視覚の大部分をカットしてしまうのだ。
そう、運動状態ならばだ。運動状態でなければ、僕の『天帝の眼(エンペラーアイ)』は十全に発揮できる。
目の前のPGがボールを保持した瞬間、僕の左手はそれを弾いていた。
「なあっ!?」
――速攻
即座にドリブルで切り込む。しかし、一歩目を踏み出したところで、正面に玲央が立ち塞がった。同時に右側からPGの先輩が体勢を立て直して追いすがる。
「させないわよっ!」
さすがに対応が早い。二人掛かりで僕を止めにきたか。
全国でもトップクラスの選手が同時に襲い掛かる。普通ならば、彼らを退けるのは至難の業。しかし、いまの僕に焦りはない。なぜなら――
「どけ」
――まだ『天帝の眼』は使用可能だからだ
運動状態に入ったとはいえ、まだ僕は手を伸ばして足を踏み出しただけ。まだ眼が使える猶予が数秒ほど残っているのを感じていた。高速でドライブを仕掛けながら、二人を一瞥する。直後、タイミングを計って左にクロスオーバー。
――アンクルブレイク
高い技術を持つ高速ドリブラーが、相手の足を崩し転ばせることをそう呼ぶ。軸足に重心が乗った瞬間に切り返したときのみ起こる現象。僕の眼はそれを容易く引き起こす。
「な、何が起こって……」
呆然とした表情で尻餅をつく二人。まるで自分から僕に道を開けたかのように。
これが『天帝の眼(エンペラーアイ)』。僕の眼は、相手の状態を見抜き、相手の未来を見透かし、相手のすべてを支配する。
ここまでか……。抜き去ると同時に、僕の眼には曇りガラスが掛かったかのように視界が霞む。この間、わずか数秒。だが、それで十分だ。もはや、僕の前にDFは走っていない。
「ヘイ!」
ゴール前に走りこんでいた仲間にパスを送り、あっさりと彼はレイアップを決める。観戦していた部員達が歓声をあげる。
「うおおおっ!先取点は一年チームだ!」
「マジかよ!こっちは去年の優勝メンバーだぜ?」
興奮冷めやらぬコート外と違い、少なくともこちらの仲間達は平静を保っている。先取点を取る、この流れは練習で幾度と無く繰り返したことだからだ。前に走った一人以外は、全員が他の上級生たちに密着して戻りを遅らせていた。この先取点は今回の下克上の最重要ポイント。
――まずは第一段階クリア
「あれは、一体……お前は一体、何者なんだよ」
愕然とした様子で目の前の先輩は問い掛ける。と言っても、いまの僕の眼にはぼやけた映像しか見えないのだが……。それでも虚勢を張って全盛期の勝利を確信していた自分を装って答える。
彼の質問に対する僕の答えはひとつだけだ。
「僕は赤司征十郎。明日からお前達が従う相手だ」
「そ、そんなことが……」
「切り替えなさい。あなたは彼らと戦ったことなかったのよね?――これが『キセキの世代』よ」
引き攣った表情は隠しきれていなかったが、それでも玲央の声は落ち着いていた。
「一人ひとりが埒外の天才である『キセキの世代』。だけど、それでも勝つのは私達よ」
自信に満ちた物言いの直後、彼はマークの一年生をドリブルで抜き去り、すぐさま得点を互角に戻してしまう。
「す、すまん……赤司」
「いいさ、事前のデータに合わせて、体感を修正していけ」
励ましの言葉と共に仲間の肩を軽く叩く。
さすがは『無冠の五将』の一人。そう簡単には止めさせてくれないか。だが、先取点を奪っていたおかげで、先攻はこちらだ。このまま点を取り合う流れを続けられれば、僕らが勝利できる。
一年ボールからリスタート。基本的にPGに回してボールを運んでいくのが一般的だ。だが――
「赤司にダブルチームっ!?」
両脇には僕にピッタリと密着する二人の選手。玲央とPGの先輩だ。ボールにすら触れさせまいと完全にボールマンとの線上に陣取られる。マークを外そうと激しく動き回るが、極めて鍛えられたディフェンスでとても逃れられない。
「もうボールには触れさせない」
「あなたは封殺させてもらうわよ。あなたさえいなければ、残りはただの烏合の衆だしね」
やはり仕掛けてきたか。先ほどの二人抜きで警戒されてしまったようだ。マークから抜け出すように動くフリをしながら、僕は内心でほくそ笑んだ。
――これで作戦の第二段階もクリア