幻想の果てに   作:らすこーす

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月一投稿が目標です


9 嵐の前の静けさ 

「寒っ!」

 

 冷たい朝風が町を走り抜けた。巧は染みるような寒さに震えながら早朝の勤めに勤しんでいる。やはりこの季節に朝の掃除は厳しいものがある。後で永琳に一言言っておこう。

 凍えて思うように使えない指を懸命に動かしながら玄関先を箒で掃いていく。それと共に寂しく枯れた葉がふわりと何処かへ去っていった。

 

「寒いし眠いし……ん?」

 

 間抜けな欠伸の最中人の気配を感じた。見れば二つの人影がこちらに向かってきている。よく見ればユキオとその母親だった。

 

「おっす、巧兄ちゃん」

「よお、久しぶりだな。体の具合はどうだ?」

「もう大丈夫さ! 八意先生のおかげだよ!」

 

 そう言うユキオは、少し前の様子とは打って変わって全身からじっとしていられないほどの活気が感じられる。十歳の子供らしさを取り戻しているとも言えばそうだろう。巧はその保護者へと視線を移した。

 

「一週間ぶりですかね。お世話になっております、蒼威さん」

 

 母親は丁寧にお辞儀をした。相変わらずどっしりとした肝っ玉母ちゃんである。

 

「こちらこそ。今日は定期健診ですか?」

「はい。これで良い傾向でしたらこれから健診の頻度を空けていく予定です」

 

 ユキオは一ヶ月前から一週間ごとの定期診査を行っていた。彼の体に異常が無いか、怪我の治りの具合はどうかを調べるのは当然だが、同時に精神状態を診ることもしていた。

 朝早くにも関わらず時間ピッタリにやって来るのは素直に感心する。

 

「そうですか。それは良かったです」

「ええ。……初めて蒼威さんと会った時は、恥ずかしながら怒鳴ってしまって申し訳ないです。改めて、息子を助けていただいたこと感謝しております。ありがとうございました」

「い、いえいえ! どうしたんですかいきなり。あまり気にしないでくださいよ」

「蒼威さんには感謝してもし足りません。本当にありがとうございます」

 

 突然の褒め殺しに何だか照れる巧であった。

 

「あっ、そろそろ時間ですね。どうぞ、永琳さんが待ってますんで」

 

 慌てて巧は親子を診療所へと通した。母親はそれに笑顔で答えた。ユキオは母親に連れられこちらに手を振りながら扉の向こうに消えていく。どうやらいつの間にか懐かれたらしい。

 

 事の顛末を語ろう。

 月日が流れるのは早いもので、既に蜘蛛穢者討伐日から数えて一ヶ月と半月が経っていた。あの戦闘で意識を失った巧は、後に八意家で目を覚ました。聞けばあの後永琳を追ってきたヨシと輝彦と合流し、巧をここまで運んで来たらしい。脇腹の傷やその他の怪我は永琳お手製の回復薬で治療済みである。さすがは永琳先生、薬の効き目は抜群だ。かなり深く裂かれた傷がこの短期間で治ったのだ。元の世界でもここまでの物は無い。

 

 忘れてはいけないのがユキオの安否だ。結論から言うと彼は無事に救出された。(ただ)長時間穢者に拘束されたのもあって体力を消耗しており、捕えられた恐怖等から精神もかなりやられている状態だったが、家族や友人たちの必死のケアで今ではある程度のレベルまで回復している。しかしあの体験は彼にとってトラウマとなったであろうことは想像に難くない。これからの生活も苦労する場面はあるだろうが、あの家族と友達思いの奴らがいれば何とかなるような気もした。

 

 他に捕えられていた少年少女達は既に穢者に子を植え付けられ養分として喰われていた。そうして生まれた幼体達はあの日の戦いで全て切り裂かれたのが幸運だった。もしそれらが町の方へ出ていたらなど考えたくもない。

 

 連続行方不明事件と称されていたこの件は穢者によるものとして処理された。後日談の概要としてはこんなところだろう。まあ、他にも色々とあるのだが。

 一通り掃除を終えた巧は寒さに震える体を抱える様にしてさっさと用具をしまい、家へと戻った。今日も一日、代わり映えのしない平和な生活の始まりだ。

 

 

  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

「あ、しくった」

 

 その昼、八意家で思わず目を瞑ってしまいそうな轟音が響いた。

 ちょうど昼食の食器を片づけていた永琳と食後の読書に浸っていた輝彦は慌てて音の出所に駆け付けた。そこは風呂場だった。

 

「ちょっと蒼威さん? 何かとてつもなく嫌な音が聞こえたんだけど」

「巧君大丈夫かい!?」

 

 二人が覗き込むようにして風呂場を見ると、そこには見事に縦に真っ二つとなった五右衛門風呂と半裸の巧がいた。彼の手にはどこから持って来たのか軽サイズのハンマーが握られていた。

 何かを訴えるかのような二人の視線が痛い。

 

「……何やってるのかしら」

「ちょっと待て。まずは話を聞いてくれ」

 

 永琳の呟きに身の危険を感じた巧は震える声を抑えながら言った。

 

「さっき風呂に入ろうとしたらゴキブリがいてさ。潰そうと思ったんだが使えそうなのがこれしか無くて、……ちょっと力入れすぎたみたいで……。ははは……」

 

 一見何も変わっていないように見れるが、訳を説明すればするほどどうも目の前の女性の機嫌が悪くなっていくように感じる。隣にいる輝彦は盛大に溜息をついた。

 

「巧君……。それはないよ……」

 

 こうして八意家の憩いの風呂場はしばらく営業を停止することとなった。ちなみに凶器(?)のハンマーはこの家の立派な工具の一つである。何故それが風呂場付近にあったかは謎であるが……。

 そういうわけで今夜は近場の銭湯に行くことになった八意親子と居候であった。

 

 日は既に落ちており、今頃は誰もが夕食の真っ最中か食べ終わった頃であろう。巧達もその例に漏れず、先程完食したところであった。腹を満たした後は体を清めようというわけである。着替えやタオル等の必需品を持った三人は早々に家を出た。

 

「それにしても銭湯なんて久しぶりだなあ~」

 

 道中、輝彦がどこか楽しそうに呟いた。

 

「そうなんですか?」

「うん。もう何年も行ってないよ。巧君は銭湯は好きかい?」

「そうっすね。元の世界にもありましたから、たまに行ってましたよ。俺はサウナが好きでしたね」

「サウナって何かしら?」

 

 横から永琳が尋ねた。

 

「簡単に言えば蒸し部屋だな。その中はかなり高温で蒸されてて、あっついのなんのって。いろんな人がこの部屋に入っていつまでいられるか我慢大会してるんだよ」

「そう。相当変な人達ね、貴方を含めて」

「……」

 

 何だか心に棘が刺さったような気がした。

 銭湯は歩いて十五分ほどの場所に位置している。入浴料を払った後、三人は男湯と女湯で分かれた。巧達が湯に浸かると、そこへ声を掛ける者がいた。

 

「おっ! そこにいるのは町の救世主じゃねえか! どうだ調子は」

 

 濃い胸毛が目を引く中年男性だった。だるんと膨らんだ腹には夢と脂肪と何かがたっぷり詰まってそうである。

 

「普通っすよ。後救世主は止めてください」

「がはは! そうは言ってもよ、おめえは何人も喰った穢者をぶったおして子供を助けたんだ! これが救世主でなくてなんだって話だろ?」

 

 中年は我がことの様に嬉しそうに笑っている。これに同調するように次々と巧に声を掛けて来る者が続出した。巧は面倒臭そうにしており、それを見た輝彦が苦笑している。

 

 巧はあの事件が幕を下ろした翌日から町中で広く知られる様になってしまった。曰く、強大な力を持つ穢者をたった一人で打ち倒し、囚われていた子供を助けた英雄、なのだそうだ。巧としては大まかな筋道は間違ってはいない分否定しずらいものがある。その話が人から人へと風のように走って行き、今では「救世主」という大層な異名を授かることとなってしまったというわけである。当の本人はそれを聞くと非常にやり辛そうにしているのであるが。

 

 そもそもどこから話が漏れたかというのだが、ユキオの友人であるヨシからであった。彼は(わら)にも縋る思いで行方の知れないユキオの捜索を巧に頼んだわけであるが、その男が見事友人を助け出したことにかなり感激したようで、永琳達から事の詳細は他言無用だと言われていたのにも関わらずあちらこちらで吹聴して周ったのであった。無論、お叱りを受けている。

 

「こんだけ勇敢な男だ! もしかしたら月姫様に見初められるかもしんねえな!」

「んなわけねえっぺ!」

「あの最悪の女王に惚れられたら儂のぽこちんは豆粒みてえになっちまうよ」

「おめえのは元からだろうが!」

 

 周囲の男達は酔っぱらっているのか馬鹿みたいに騒いでいる。増々煩くなっていくので巧は端で湯を堪能した後、さっさと出ることにした。酔っ払いの相手程不毛なものは無い。脱衣所では既に輝彦が着替えに入っていた。

 

 着替え終わった二人は銭湯の入り口で永琳を待った。ここには暖かな湯を十分に満喫した人々でごった返していた。恋人や家族らが片割れを待ちながら話に花を咲かせている。巧達は比較的風通しの良い場所を選び、椅子に腰かけた。

 

「ここの銭湯はどうだった?」

「良い感じでしたよ。あのくそ煩い奴らがいなければもっと良かったんですがね」

「ははは。まあそう言ってやんなよ。彼等だって巧君が穢者を倒してくれたことに感謝してるのさ。今日はちょっと騒がしいけどね」

「まあいいですけど。あ、そうだ。さっきちょろっと聞いたんですけど、『月姫』って何ですか?」

 

 ここの銭湯では入浴済みの者達に牛乳を一杯無料で提供している。おかわりも出来るが二杯目以降は有料というシステムだ。にも関わらず多くの人が二杯、三杯と飲んでいる。それほどまでに湯上りの牛乳というのは格別であった。巧も既に二杯目に突入していた。

 

「え!? 逆に聞きたいんだけど今まで月姫様を知らなかったのかい!?」

 

 輝彦は目を丸くして言った。

 

「あ、はい」

「驚いたよ。月姫様はこの国を治めておられるお方のことだよ」

(日本で言う天皇や総理大臣のことか。そりゃ知らなかったら馬鹿だよな)

「月姫様はその名の通り代々女性が担っているんだ。蓬莱山一族というのは聞いたことがあるかな? あの方達は必ずその血筋の者から選ばれるんだ。というのも、月姫になる条件として世界で一番霊力が強い者がその座に座ることが出来る、というのがある。蓬莱山一族は御先祖がこの世を造った神だと言われていてね、それを証明するかのように一族の人間は皆強力な霊力を備えているんだ。なので必然的に彼らの誰かが月姫になるというわけさ」

 

 つまり実質月姫が世界最強というわけである。

 

「それと蓬莱山一族には面白い共通点があってね。それは一族の誰もが銀髪なんだよ」

「ぎ、銀髪ですか?」

 

 銀髪なんてアニメの中でしか見たことが無く、今一現実味が無かった。

 

「うん。これにははっきりとした理由は分かっていなくてね。一般的な理由としては、創造神が銀髪であった為その特徴が引き継がれているということらしい。本当かどうかは分からないけど」

「そんな偉い人がいたんですね……。知らなかったっす」

「僕はてっきりもう知っているもんだと思っていたよ。常識中の常識だからね」

「精進します」

 

 巧は二杯目の牛乳を飲み干し言った。

 そこへ人の波を割ってこちらに向かってくる人影があった。永琳である。彼女はしっとりと水気を含んだ黒髪を後頭部でまとめており、所謂ポニーテールと呼ばれる髪型にしていた。それがまた抜群に似合っており、湯上り美人とは彼女のような女性を指すのだろう。彼女が歩き去った後には、振り返るようにして永琳を目で追う男達で溢れていた。

 

「何の話をしていたの?」

「まあ常識の話をな」

「そう」

 

 永琳は興味無さそうに答え、巧の隣に腰かけた。巧は彼女より十センチほど背が高いので、どうしても見下ろす形になるのだが、この時巧の目に映ったのは衣服越しでも分かる豊満な胸だった。男なら誰しもが目を引かれる圧倒的な質量に、巧はこの人と一つ屋根の下で暮らしていることに感謝した。

 

 更に運が良いのか悪いのか、着ていた服は少し胸元が緩い仕様で上から見ると深い谷間が覗けた。そこに手を突っ込んだらどうなるのだろうかなどと考えてしまうのは決して罪ではない。加えて風呂上がりの女性特有の良い匂いが巧の鼻を掠めていく。巧は下半身を中心に体が熱く滾っていくのを感じた。

 

(しかもうなじがエロいのなんのって……、たまらんぜ!)

 

 すると永琳が何かを察したような目で巧を見た。

 

「……何か変なこと考えてる?」

「気のせいだ」

「……」

 

 即答だった。

 

「さ、皆揃ったしそろそろ帰ろうか」

 

 目を合わそうとしない巧とそれをじと目で睨みつける永琳を余所に、輝彦はそう言って立った。

 二人を見ていると若いなあ、と思う。長いこと娘と暮らしているが、彼女には浮いた話が一つも無かった。永琳の類稀な美貌、知識は数多くの男達を引き寄せる高性能な磁石のようなものだが、当の本人の心に適う者は現れなかったようである。とはいえ父としてはそう簡単にいてもらっては困るが。

 

 輝彦は短くはあるがこの数か月の暮らしで巧のことを密かに気に入っていた。それはもう、娘をやってもいいと考えるほどには。彼はよく一人で勝手に突っ走っていくような無鉄砲さがあるが、それをふまえても好青年だと思う。そんな男と愛する娘が仲良さ気にいる姿を見ると、何だか背中がむず痒くなるのと同時に流行病で亡くなった妻が思い出された。

 

「あれ? 輝彦先生じゃないですか。珍しいですね、銭湯に来るなんて」

 

 突然声を掛けてきたのは輝彦が主治医を務める患者の親戚の男だった。彼とは診察の際に何度か顔を合わす仲であった。

 

太助(たすけ)君じゃないかい。君もここに来ていたんだね」

「そうなんですよ。今日は家族皆で来てるんです。これからご飯でも食べに行こうかなと」

「へえ。楽しんでおいでよ」

「そうだ! 先生も一緒にどうです? 来てくれたら皆喜びますよ!」

 

 太助と呼ばれた青年の突然の申し出に輝彦は戸惑いを隠せなかった。

 

「え、えっと。僕はもう食べた……」

「いいでしょ? 来て下さいよー。実はうちの妹が先生にぞっこんでしてね? あ、あいつのこと知ってますよね? 結構身内ながらかなり可愛いと思うんです。先生が来たら絶対顔真っ赤にしますよ。おお、考えれば考えるほどいい! さあさ行きましょう先生! 僕と共に!」

「ちょ、ちょっと待って……っ。二人共! 後は頼んだよ!」

 

 そう言い残して輝彦は太助に半ば強引に人波の中へと連れ去られていった。優しげな顔つきに反してかなり押しが強い人間のようだ。巧と永琳の二人はあっという間の出来事にぽかんとする他なかった。

 

「何だか、嵐が過ぎ去ったという感じね」

「……同感だ」

 

 兎にも角にも、残された巧と永琳は二人で家路につくこととなった。

 暗い夜道を二人で歩く。銭湯から離れて住宅街の奥へと進むと、いよいよ人通りは無くなる。辺りのほとんどが闇に包まれており、道に等間隔で配置された火種だけが頼り。そんな時間帯に外に出る者の方が稀有であった。

 

「寒いな……」

 

 冬の夜に思わず呟いてしまう。

 いつの間に雪が降ったのか、道は一面薄い白に染まっていた。二人はその上を足跡を残しながら進んだ。

 

「そういやさ、今日月姫って奴の話を聞いたんだけどな」

 

 巧がぽつりとそんなことを言った瞬間、彼の一歩前を歩く永琳は一瞬歩みを止めた。しかし何かを言うことも無くすぐに先へと進みだした。

 

「どうした?」

「何でもないわ。それで、月姫様が一体どうしたの?」

 

 永琳の態度は至って平常である。しかし巧にはその裏に何かあるように思えた。けれどここでそれを無理に聞き出そうとする不躾さは彼には無かった。

 

「えっと、俺今までその人のこと知らなくてさ。この国で一番偉い人なんだってな。だからどんな人なのか聞いてみただけだ」

「そう。聞いたと思うけど、この世で一番霊力が強いお方よ。貴方なんて比べ物にならないほどにね」

「それは聞いた。その人が国を治めてるんだろ? 評判とかどうなの?」

「あんまり、というか、駄目ね。彼女の圧政でいろんな人が苦しんでいるわ。圧政というか、暴政? 彼女は自分の気に入らない物や人間を排除しようとするのよ。どんなに優秀でも彼女にとって害を為す様なら即さようなら」

「でもさ、そんな奴なら皆で辞めさせればいいじゃん」

「蒼威さんの国ならそんなことができたんでしょうけど、ここは違うわ。国の主は蓬莱山一族が努めなければならないっていう決まりがあるから、そうもいかないのよ。無かったとしても、あの女にそんなこと言ったら一体何が起きるか……」

「ふーん。よく知ってるんだな」

 

 少し間が開いた。巧としては何気なく言っただけなので何が彼女の気に触れたのかと冷や汗をかく羽目に。

 

「……よく知っているわ。よく、ね……」

 

 その永琳の言葉には冬の寒さだけではない冷気が確かに漂っていた。

 なんとなくだが、触れてはいけない気がした。巧には今の彼女がまるで今にも崩れそうな脆い何かに見えたのだ。一度(ひとたび)触れてしまえばその壁は流れるように決壊し、隠された彼女が剥き出しになる。そしてその姿は決して温かいものではないだろう。そこまで踏み込む勇気は今の巧には足りなかった。

 

「さ、寒いしさっさと帰りましょ。それと、私の前でならいいけど、月姫様を奴だなんて言ったりしたら駄目よ? それがバレたら不敬罪で死刑だから」

「そういうことは早く言ってくれ……」

 

 そんな彼の心境を察したのかどうか、永琳は努めて明るいように言い放った。その後ろ姿がどこか寂しそうに見えた巧は彼女の横に並んで歩く。

 永琳が何を今思っているかは分からない。けれど彼女の触れてはならないような過去の存在に気づいてしまったからには、気にせずにはいられない。

 

(しかもそれが、好きな女なら、尚更だろ)

 

 自分は他の男たちと比べれば彼女に好かれている方だと思う。同居しているし、仕事も手伝っているし。自惚れだろうか? 自惚れでも構わない。(ただ)思うのは、寒い過去から彼女を守る温もりを。

 巧はそっと手に触れた。一瞬、ぴくりと震えたのが分かったが、それが離れることは無かった。そのまま小さい手のひらを握る。そこから何か心を痺れさせるような温かさが全身を駆け巡った。

 二人は帰り道を歩く。その手は離さないままに。

 

 

  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 そこは聖域だった。

 限られた者しか立ち入ることを禁止された、禁断の空間。

 壁や床、柱までもが真っ白に染められたここは、見る者を圧倒する力を持っている。昼間であれば、大きな天窓から日の光が差し込み、神々しさが輝く。今のように夜であれば月の光が差し込み、厳かな神秘さが漂う場所となる。

 ここには今、派手なドレスを身に纏った銀髪の女と、彼女を囲む数人の男がいる。彼女らの空気は、お世辞にも良いとは言えなかった。

 

「……ふ~ん。その男、未だに拒否してるのですね」

「はっ。再三勧告してはいるのですが、興味無いの一点張りで……」

 

 純白の玉座に座した女はあからさまに苛立った様子で言った。極上の美貌を持つと言われる彼女は怒った姿でさえ男を虜にするようで、部下である男達は緊張すると同時に崇拝とも恋情とも言える感情を湧き立たせていた。

 

「でしたら、≪黒犬≫をその町に遣りなさい。方法は彼らに任せます」

 

 その言葉は男達を驚愕させた。

 

「月姫様、お言葉ですが奴らを仕掛けるのはかなり大袈裟かと。下手をすれば町一つを滅ぼしますよ。もしそうなれば今度こそ民達を抑えるのは厳しいものになるかと存じます」

「いいのです。下品で女好きな彼らですが、実力はあります。それよりも私に逆らうような男がいる町なんて消えてしまえばいいのです」

「しかし……」

「……ねえ、(りゅう)? 貴方は長い間私によく仕えてくれていますよね。だったら……()()()()()()?」

 

 まるで恋人に囁くような優しい言葉遣いとは裏腹に、心臓を鷲掴みにするような凄みがあった。この女には逆らってはいけない。隆と呼ばれた男は全身に例えようもない圧迫感を感じ、押しつぶされそうになっていた。

 

「は、はい……」

 

 凍ったように固まりながら頷いた隆を見て、月姫は満足気に笑った。

 

「なんて言ったかしら? その男」

 

 女に見つめられた年若い青年は、彼女に話しかけられたという快感と返答を間違ってはいけないという緊張で全身を強張らせた。

 

「はっ。蒼威巧と名乗っているそうです」

 

 青年は答えた。

 

「蒼威巧……。許せない。たかが平民如きが私に逆らうだなんて……」

 

 その名を聞き、月姫はぶつぶつと呟いた。怨嗟の籠った言葉が部屋中を満たしていく。

 

「私は月姫……。この世の頂点に立つ者……」

 

 女の呪詛が夜に響いた。

 

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