「ここが蓮の家?でもここ……」
「ああ、言ってなかったな。俺んち武具店なんだ」
彼はそう言って扉を開けさきさきと家の中へ入っていく。その背中を照は慌てて追いかけた。どうもこの入り口は店舗用と家庭用の兼任らしい。入り口から入ると店としての内装があり、その奥にある扉から居住スペースに繋がっているようだ。蓮は照に、少し待つように、と告げ扉の奥へ消えていった。その間彼女は特にすることもないので、なんとなく店内に意識を回す。
初めて入る他人の家に、不思議な興奮を覚える照。店中は蓮の言った通り様々な種類の武器やが並べられていた。戦闘用の剣や槍に盾、それ以外にもナイフや斧に鎌など実に豊富な品揃えだった。城で兵士達が訓練等でこれらの武器を使っているのを日常的に見ているとはいえ、こんなにも間近で見るのは照には初めてで新鮮であった。珍し気な表情で店内を見回していく中で彼女の目を一番引いたのは、ある一張りの真っ白な弓だった。それは他の品よりも高い場所に飾られてあり、一番存在が強調されている。
「これは……」
「おーい。何してんだー、って何見てんの?」
そこで蓮が戻ってきた。腕に薬箱を抱えて。それで照の処置を行うつもりなのだろう。
彼は照がじっと見ていた物を見て少し焦ったようになった。
「照っ。その弓は絶対触ったら駄目だぞ! それうちの親がすげー大事にしてるやつだからなっ」
「ご、ごめんっ。私まだ触ってないよ!」
彼の剣幕に少しびっくりしながらも照は聞き返した。
「でも触っちゃ駄目なほど大事ならこんなところに置いておかなきゃいいのに」
「それは俺も思うけどさあ、なんでもお守りなんだと」
「お守り? 弓が?」
「うん。なんか前に聞いたんだけど、これは俺の爺ちゃんが前の前の月姫様のために作った弓らしいんだよ。そん時の月姫様が大人になってから死ぬまでずーーーっと使ってたんだって」
「へー……。おばあ様が……」
照は不思議な心地で件の弓を見つめた。まさかこんなところで自分のルーツに繋がる物を発見するとは思ってもいなかったからだ。弓の持ち主である前々代の月姫は、彼女の祖母に当たる人物だからだ。もっとも、照が生まれる前に亡くなったので彼女自身は会ったことがない。伝え聞く話によると、とても慈悲深い女性だったという。
弓――それは蓬莱山一族にとって、いや、月姫という称号にとって無くてはならない物である。初代月姫が自在に操った武器が弓とされていて、それ以来弓は月姫と同等のような位置づけにされた高貴な武器なのである。それ故弓術を会得することは月姫として必須条件で、先代の月姫達もその多くが弓を扱った(そうでない者もいたが)。
未来の月姫を育てる為、蓬莱山一族の娘達は幼い頃から弓術を習う。この技術力と持ち前の霊力。この二点が女王になるために非常に重要な項目なのだ。
「でもこんなとこに飾られてたら盗まれるんじゃないの?」
「そこは大丈夫。この弓はすげえものでな、弓に選ばれた者しか使えないって代物なんだよ。だから盗人が来ても意味ないってわけ」
「すごい! 私触ってみたい!」
「ダメダメ。どうせ無理だし、もし触ったらバチバチッてなって怪我するから」
「えーーー」
「えーでもダメ」
「でもさ、何でそんなすごい弓が月姫様のところじゃなくて、ここにあるんだろう?」
「さあ? それは俺も知らない。まあ大人の事情ってやつだろ」
「そうかなあ」
照はじっと弓を見つめ、顔も知らぬ祖母のことを考えた。
物心つく前に両親を亡くした彼女は、同じ血を持つ者の愛を感じたことがない。権蔵のことはまるで父のように思っているが、本当の家族ではない。蓬莱山一族も厳密にいえば家族に当たるが、照は全くそのように思っていなかった。現月姫の叔母は自分を嫌っているし、その影響か他の血縁者達も照を疎ましめに思っているようである。
もし、祖母に出会えたなら、彼女はどんな顔で照を迎えてくれるだろうか。きっと、権蔵の話に聞くように高潔で慈悲深くとても優しい人なんだろう。顔も知らぬ祖母が弓を構える姿はきっと美しいに違いない。
「弓かあ。ちょっと、やってみたいかも」
ぼそっと呟く照。
彼女はとある事情によりその訓練を許可されていない。他の同年代の子供達が練習しているのをたまに覗き見るだけで、触らせてももらえない。
しかし実際に弓を、しかも大昔の月姫が使ったとされる物を見て、彼女の好奇心と月姫への憧れが心に広がっていく。無理かもしれないけど、帰ったら権蔵に頼んでみよう。そう思った照であった。
「おーい。さっさとするぞー」
蓮の声にはっと我に返り、ささっと彼の元へ近づく。
「そういえば、お父さんとお母さんは?」
「今は出店で稼いでる。俺は暇してたからぶらぶらしてたんだ」
「そうなんだ」
「ほら、これだ」
戸棚から取り出した薬を照の擦り傷に塗り込んでいく。照は傷に染みる刺激に痛みを感じるがぐっと堪えた。「いたたた」と声が漏れてしまうが、「我慢しろ」の一言でバッサリと切られてしまう。最終的に包帯まで巻かれてしまう羽目になってしまった。
「ちょっと大袈裟すぎるんじゃ……」
「べ、別にいいだろっ」
巻き方は慣れていなかったようで、見るからに雑な処置になっていた。素人感丸出しの見栄えだ。本人も少し自覚しているのか恥ずかしそうにしている。そんな彼を見て照は思わず笑ってしまう。
「笑うなよっ。じゃあもうそれ外す!」
「ごめんなさい。でも馬鹿にしてるわけじゃないよ」
「じゃあ何」
「嬉しいの。蓮、ここまでしてくれてありがとう」
そう、照は嬉しかった。誰かにここまで優しくされたことは権蔵を除けば今まで経験したことがなかったからだ。しかも蓮は同年代の子。それが彼女の気持ちに拍車をかける。
「う、うん」
――可愛い――。そんな言葉が胸に走った。照の眩しいほどの笑顔にむすっとした表情は一瞬で解れていく。顔が熱くなり、目の前の少女の目が見れない。あの笑顔を見続けるのはなんだか恥ずかしいような、そうでないような奇妙な気持ちだ。蓮は分かりやすく照れていた。
仲の良い女友達などいない彼だ。そんな少年に異性に対する十分な耐性などあるはずもなかった。
「でもこれからどうしよう。権蔵がどこにいるかなんて分からないし」
「どうせ探そうとしたって探せないしさ、祭り楽しめばいいじゃん。最後はみんな家に帰るんだし会えるのは確実じゃん」
「え?」
深刻そうに考えている彼女を他所に、蓮は気楽そうにそう言った。自身の身分のこともあり、常に権蔵の傍にいることを当たり前としていた彼女にはまるで死角から受けた打撃のように突拍子もない意見だった。
「そうだ! どうせ俺も暇なんだ。一緒に回ろうぜ」
「え? え?」
蓮は名案とばかりにはしゃぎだし、照の手を取り家を出ようとする。彼女は戸惑いながらもその手を放すことはせず、ずるずると彼に引っ張られていった。
家の中は一時の熱を冷ますかのように静まっている。しかし当人達は名すら無い淡い熱を互いに抱えたまま、盛況している町の中へと紛れていった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
権蔵は途方に暮れていた。
胸を締め付けるような悲しみと不安が足元から広がり自分を蝕んでいる。悲しみは涙に、不安は痛みへと姿を変え、体の中から溢れ出してくる。
「照様……」
祝祭は日が沈むまで続く。そして今は夕暮れ。落ち着いた夕暮れが王都を照らしている。町の様子は昼間の盛況ぶりと比べれば、やや落ち着いたように見える。しかしまだ終わりではない。太陽の沈みと共に『第二部』が始まるのだ。こんなめでたい日に夜が静まり返ることなど、ない。いわば人々は今、それに備えての一時の休息をとっていると言えるだろう。
しかし彼らの興奮とは裏腹に、権蔵はただひたすらに意気消沈していた。理由はただ一つ、照とはぐれてしまったことに他ならない。お目付け役としては最悪の事態である。
彼は照の手が離れてしまったことにすぐ気づき、必死に人込みを掻き分け探した。しかしあまりの人の多さと密集度に翻弄され、彼女がどこに行ってしまったのか、全く分からなくなってしまったのである。
権蔵は絶望した。
照は血の繋がりは無いとはいえ、生まれた頃から面倒を見ている人物だ。元々は前月姫の夫の付き人であったが、主人が亡くなる前に彼の一人娘である照を頼まれたのが縁だった。妻も子供もいなかった権蔵であるが、それからというものまるで我が子のように照を見守り続けた。それが無き主人への供養にもなると信じていたからだ。
「それがこのざまじゃ……。儂は執事失格じゃ。よりによって照様を見失うなどと!失格じゃ失格じゃ失格じゃ!」
「何してんの権蔵」
「失格じゃ失格じゃ失格じゃ失格じゃ……、ほえ?」
「何でずっと一人で喋ってるの? 変だよ?」
権蔵が項垂れていた頭を上げると、今し方まで探し求めていた少女が目の前にいた。彼女は不思議そうな目で権蔵を見つめていた。本気で何をやっているの、と問いかけている目だ。権蔵は年甲斐もなく恥ずかしくなった。
「て、て、照様ああああああ!!」
「ちょっと権蔵! うるさいって!」
権蔵は年甲斐もなく涙をだらだらと流しながら照を抱きしめた。周囲の人々は何事かと一瞬ざわめいたが、すぐに収まった。祝祭では迷子の子供と保護者の再会劇は毎年の恒例だからだ。照は周りの反応に恥ずかしながらも親代わりの彼を抱きしめ返した。やはり一番不安だったのは子供の彼女だったのだろう。
「照様、お怪我はありませんか!?」
「ちょっと怪我しちゃったけど、蓮に治してもらったから大丈夫だよ」
「れ、蓮?」
「あの子だよ! 蓮が私を助けてくれたんだー」
照が指さす方へ誘われるように目を向けると、彼女の後方には一人の少年が手持ち無沙汰に立っていた。蓮と呼ばれた少年は背や体格から照と年頃は同じようだ。なるほど。この少年のおかげで照は運良く助かったらしい。権蔵は目の前の小さな救世主に大きく感謝した。
「蓮君といったかな。照さ、孫を助けてくれてありがとう」
「いいよ別に。でもお爺さんがどこにいるか分かんなかったから、勝手に俺達で祝祭回っちゃったよ」
その言葉を受けて二人の格好をよく見ると、確かにあちこちの出店で買ったのだろうお面や土産物が頭や手にあった。こんな幼い子供二人で大丈夫だったのだろうか。しかし照の表情を見ると実に満足気な顔をしている。大層楽しめたのだろう。自分はもう何十回と祝祭を経験しているので、結果的に彼女が楽しめたのであれば良しとしよう、と権蔵は思った。
「照様。髪は見られなかったでしょうな?」
「大丈夫。しっかりフードと帽子で隠してたから、そこは安心して」
小声で尋ねるものの自信たっぷりに返ってきた返事に権蔵は安堵した。そして蓮へ向き直ると。
「蓮君。これはお礼として受けっとくれ」
権蔵は懐からいくらかの紙幣を渡した。それは彼が照のためにと用意していたお金全額であった。突然手渡された決して少なくない大金に蓮は戸惑った。子供が持つには相応しい金額ではなかったからだ。
「うわっ! これすごい大金じゃん! こんなの無理だって!」
「いいから受け取っとくれ。役に立たなかった爺のせめてもの奉仕じゃ」
「でも……」
「それに、君はそれに見合う、いやそれ以上のことをしてくれた。本当ならこれでも少ないくらいじゃ」
そう。今では不遇な立場に立たされているとはいえ、国を統べる蓬莱山一族のれっきとした血族を無事に守ったのだ。本当ならこんな少し色のあるような額では到底足りないぐらいの功績なのだ。
最終的に権蔵の押しに負けた蓮は、多額の紙幣を受け取ることとなった。九歳の少年には手に余る重みに、蓮はうおお、と目を丸くしながら唸った。その様子に二人はくすりと笑う。
そろそろ日が落ちて夜になる。祭りの影響で町はまだまだ眠らないが、小さな子供がうろつくにはもう遅いだろう。権蔵はその旨を二人に伝えた。蓮もそれを分かっていたのですぐに了承したが、駄々をこねだしたのは照だった。
「もっと蓮と遊ぶーーー!!」
照にとっては初めてできた同年代の繋がりだったし、実際彼と二人で祭りを回るのは笑いが止まらないほど楽しかった。他人といることの喜びを覚えた彼女がそう言いだすのも無理からぬことだろう。加えて、一年を月下城から全く出ずに過ごす彼女だ。夜の町の怖さを知らないのも我が儘に拍車をかけた。
「そんなことをおっしゃ、言ってもじゃの。夜は危ないのですぞ?」
「いやいやいやいや! 蓮ともっといるの!」
これにはさしもの権蔵も困った。なんせ気を許した者にはあれこれ我が儘を言い、相当断らないとあきらめない頑固さを持った子なのだ。一旦この状態に入ってしまえば言うことをきかすまで長い時間がかかってしまう。加えて月下城ならばともかく、普通ならばいるはずのない一般の広場では余計な注目を浴びてしまう。蓬莱山照だとバレてしまえば大事件確定だ。
しかし照の我が儘は単に甘やかされて育った由縁のものはないので、それが権蔵のきっぱりとした拒否態度を緩和させていた。偉大な両親が死んで、紆余曲折あり照は一族から爪はじきにされる立場となってしまった。自分と仲良くしてくれる子も導いてくれる大人もおらず、世話係の権蔵だけが頼り。そうなれば、唯一味方の執事に甘えだすのも無理ない話であった。
それにしても権蔵は思う。ちょっとはそっとでは心を開かない照がここまで気を許しているとは。泣きわめく照の隣にいる蓮を見て、もしかしたら、もしかして、と思った。
「照」
保護者の言うことになかなか首を縦に振らない照に、蓮は言った。
「……何」
彼に呼ばれたことで一旦の涙を堪えた照は、ぐすんと鼻をすすった。先ほどまでの大騒ぎから一転して一応の聞く気を見せたことで、権蔵は苦笑した。
照は赤くなった目で蓮を見た。
蓮は彼女に近づき、その肩を掴んで言った。
「また会えるから。そんなに泣くな」
「……本当?」
「うん。大体、同じ町に住んでるんだから当たり前だろ? それに……」
「俺らはもう、友達なんだから」
時が止まったと思った。
そんなことを言われたのは初めてだったからだ。いつも城では自分を拒絶する意思しか感じなかった。そのたびに心がざわざわした。今もしている。分からない。でも、嫌な気分じゃない。蓮は自分を優し気な表情で自分をじっと見つめていた。彼の目を見ようとすると、胸が熱く溶けそうだった。
「友達……?」
「友達だ」
「……ふふっ。うん、分かった。今日は帰る。でも絶対また会ってね」
「ああ、また家に来いよ」
「うん!」
にこやかな笑みを浮かべた照は今度こそ権蔵に手を引かれるようにして彼に背を向けた。蓮は彼女の背が少しずつ小さくなっていくのを見送りながら、不思議な子だったと思い返す。するとその不思議な子がこちらへ走ってくるのが見えた。
蓮は何事、と困惑している間に照は再び彼の元へ現れた。そして互いの吐息がかかるほど顔を近づけると。
「蓮。ありがと!」
そして最高の笑顔で照は走り去っていった。そして今度こそ、二人の姿は見えなくなった。
蓮は固まったようにその場から動けずにいた。暗い夜の中でも分かるほど顔を赤くしながら、口をパクパクさせている。その熱源は、明らかに彼の頬だった。
「照様。いつの間にあのような悪いことを覚えたのですか」
「何が?」
「あの少年の頬に接吻をするなどと……儂はそのように育てた覚えはないですぞ! ましてや初対面の男に……。なんて日じゃ!」
「本で読んだだけだよ。あれができる女の去り際テクニックだって」
「何ですじゃその雑誌はあああ!!」
吠える権蔵。傍から見れば、年頃の娘の心配をする過保護な父親にしか見えなかった。
「ごほんっ。それはともかく、照様も意地悪な事を言いなさる。また会うなどとそんなことはできませぬぞ。ただでさえ周りの目があるのにそんな無茶なことをしていたら月姫様にどんなことを言われるか……。」
権蔵はその後も云云かんぬん諭していたが、照の耳には全く入っていなかった。
吠える執事を尻目に照は月下城の廊下を歩く。もうすっかり空は真っ黒に染まって、外から差し込む満月の光が彼女を照らしている。
「また会いに行くよ。絶対」
月光に照らされた照は頬を染めてそう呟いた。