そして本日21時に改訂版第二話を投稿致します。
人類が二十一世紀を迎えてからもうじき二十年の月日が経とうとしていた。人々は相も変わらずどこかで生まれ、何かで争い、誰かと恋をし、そして死んでいった。何千年と続く人の営みは未だ終わりを見せない。
そんなある冬の夜。日本列島のとある山中を一台の車が走っていた。道と言っても舗装されたものではなくほとんど獣道と言ってもおかしくはないそこは、車で通るにはかなり慎重性を強いられる。運転手はさぞかし生きた心地がしないだろう。既に真夜中を過ぎた夜更けの中を黙々と走るそれは、ある場所を目指していた。
数十分後に車は停止し、中から四人の男女が現れた。ちょうど男女二人ずつのバランスのとれた一行は、目の前に存在する建物を見つめていた。とうの昔に朽ちたホテル跡は、まるで全てを闇に呑みこんでしまいそうな不気味な雰囲気を醸し出していた。夜空に浮かぶ満月に照らされている様もそれを助長している。
「うわぁ~……、想像以上に雰囲気あるねえ」
廃墟を見るなりそう呟いたのは、薄い金髪が目立つ女だった。見るからにギャルの風貌をしている。
「めちゃくちゃ怖いんだけど……。明美はよく平気にしてられるな……」
彼女の言葉にそう続いたのは、運転手を務めた相川直樹だった。茶髪のパーマという髪型の彼は、慣れない山道運転に全神経を集中したせいか、どこか疲れているように見える。
「なぁに? めちゃくちゃ疲れてんじゃーん。直樹大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。大丈夫だからちょっと放っておいてくれ……」
後藤明美と呼ばれたギャル子はしんどそうにしている直樹を見て吹き出した。直樹は面倒くさそうに振る舞いながらも明美に心配されたことがどこか満更でもないようだ。
そんな二人に車内から声がかかった。
「ちょっと二人とも、はしゃぎ過ぎじゃない? 頭に響くから少し静かにしてよ……」
「ごめんごめん。夏菜大丈夫? 完全に車酔いだよねそれ」
下回りが土埃で汚れた軽自動車の後部座席から、セミロングの茶髪の女性がよたよたと降りてきた。いかにも今時の女子大生といった風貌だ。久保夏菜は酔いで顔を青白くしながらもなんとか堪えている様子だ。
「なんとかね……、う」
「ちょっと大丈夫? ほらー、直樹の運転がヘタクソだからー」
「ご、ごめんな、植木」
「巧もなんか言ってやんな……って、あれ? 巧は?」
明美が仲間の一人の不在に気付く。そして直樹と夏菜がキョロキョロと辺りを探す。すると巧と呼ばれた最後の一人は、既に車を降り廃墟の入口に立っていた。何をすることもなく、ただ立ち尽くしている。
「巧? そんな所で何やってんのよ」
三人は慌てて追いかけるように彼の元へ向かった。
「いや、なんか気になって」
灰色のコートを着た黒髪短髪の青年はそう答えた。
「巧君て心霊スポットとか好きなタイプだっけ?」
巧に近寄った夏菜がそう尋ねる。その距離は必要以上に近く感じた。あまり女性慣れしていない身としては、少しドキッとする距離感だ。
少し離れた所で直樹が面白くなさそうな顔をしているのが見えたが、巧はそれを無視する。
「別にそんなんじゃない。でもなんか、胸騒ぎがすんだよ」
「何それ。超能力者みたい」
「厨二じゃん」
夏菜と直樹はそう言って笑った。
しかし事実、巧は何か胸のうちがざわざわと騒ぐのを感じていた。それもこの山に入った時からだ。緊張感が廃墟に近づくにつれて肥大化していく。何かが起ころうとしている。けれどそれが何か分からない。
無残に朽ちた扉の前に四人は立った。懐中電灯で奥を照らすも、闇が深すぎてあまり状況が分からない。「分からない」のは人間の根源的恐怖である。四人はごくっと唾を飲み込んだ。ちなみに懐中電灯は人数分用意されている。
「と、とにかく行ってみようぜ。せっかくここまで肝試しで来たんだし」
ここでじっとしていたら何の為にここまで時間と金をかけて来たのか分からない。そして暗闇と緊張の中、あわよくば女の子と組んず解れつイチャイチャしたい。そんな下心を隠し、直樹が黙ったままの三人に呼びかけた。
そんなことを知ってか知らずか、夏菜と明美は先導する直樹に着いていく。巧も三人に続こうと歩き出し、入り口を潜った時だった。
『……貴方を、待っていました……』
耳元でか細い囁きが聞こえた。女の声だった。
「!?」
全身を緊張が一気に走った。反射的に振り返るが、周りには誰もいない。ボロボロのエントランスを見回しても友人以外の気配は無かった。巧は額の冷や汗を拭いながら息を落ち着かせる。気のせいだ。少しビビッているから幻聴が聞こえただけだ。そう己に言い聞かせるようにして。
「巧! 何やってんだ遅いぞ!」
直樹が向こうで叫んでいる。誰もいないとはいえ大声を出した彼に驚いたのか、女性陣は直樹を
気づけば三人ともエントランスを抜け別の部屋に入ろうとしていた。彼の後に夏菜と明美も巧を呼んでいる。巧は慌てて彼らを追いかけた。
そして四人が肝試しを続ける背中を、何処かの隙間から見つめる者がいた。弱弱しく、しかし熱い視線であった。
何も気づかずに四人は不気味な廃墟の奥へと進んでいく。それが運命の分岐点となることも知らずに。
このホテル跡は数十年前に建てられたもので、山の麓にある当時過疎化していた町をどうにか活性化する為の策の一つだった。何せ豊かな自然環境だけが取り柄の町だったので、レジャー観光を主とした地域政策によって建造された施設であった。
しかし予算をはたいて豪華な仕上がりにしたのは良いものの、ホテルに費用をかけすぎて周囲の環境をきちんと整備出来なかったという本末転倒の事態に陥り、客足が遠のいたのである。
そしてオープンから五年も経たないうちに閉業。解体費用もかかり、土地を買いたがる物好きもいないまま放置され今に至る。その後様々な噂話が広がり、今では地元で有名な心霊スポットとして人々に認知されている。
余談ではあるが、ここを目的に微々たるものであるが町の訪問者数は増加しつつあるのはなんとも皮肉と言えよう。
巧達四人は全員が都市圏の同じ大学に在籍している。それぞれが知り合った経緯は別だが、最近では不思議とこのメンバーで過ごすことが多くなってきていた。そんな中、突然直樹が三人にこのホテル跡の話を持ちかけた。夏でもないのに肝試しかよ、と巧は乗り気ではなかったが、予想外に女性陣が乗ってしまい、否応なしに連れてこられた次第である。
「やばいなあここ。めちゃくちゃ荒らされてんじゃん。うわ、見ろよこれ。人形がぐちゃぐちゃだよ」
「ちょっとっ。そんなこと実況しないでよっ。いちいち喋らないと気が済まないのかアンタはッ」
「別にいいじゃん。な、明美?」
「近づくな!」
直樹と明美の二人が騒ぐ後ろを夏菜と巧がついて行く。夏菜は二人のやり取りよりも隣にいる想い人の方に気が向いていた。彼のそこはかとなく緊張感を帯びた横顔を見ると、全身が痺れた様に震えるのを感じた。
夏菜が巧と初めて出会った場所は、彼女のバイト先であった。当時コンビニ店員を務めていた彼女は、同じ職場に同年代の友人達がいた。彼彼女らはバイトが終わった後など暇な時間を見つければコンビニによくたむろして話し込んでいた。
夏菜もその一味に加わっていたある日の夜、話は小学校の思い出話へと移っていた。その中で一人の男が話の中で登場した友人を呼びだしたのである。彼の呼び出しに応じた友人はバイクに乗って彼らのもとに現れた。その友人こそが巧だったのだ。
好きになった理由はと尋ねられれば、一目惚れだったと断言できる。細身に見えて割と筋肉質な体も、決してイケメンでは無いが整っている顔立ちも、いざという時の決断力も、全てが夏菜の心を鷲掴みにした。後に同じ大学だと知った時の喜びようは長年の付き合いの友人からも引かれるほどだった。
その後どうにかして大学でもコンタクトを取り、今の形に至ると言うわけである。
直樹がお化け屋敷の様に暗闇に乗じて明美や夏菜と触れ合いたいと考えているように、夏菜も巧と接したいと考えていた。ここで彼女が男を手玉に取る経験豊富な女ならば、か弱い女性を演じることも出来たのだろうが、彼女にはまだそこに至るには羞恥心があった。
しかし今の巧には夏菜の燻る想いを受ける余裕は無かった。
彼は今、時折耳に響く声の在処を探っていた。廃墟の中で聞こえる囁きは、エントランスで聞いた声と同じだった。何故かその謎の声は巧にしか聞こえていない。声が聞こえ始めた頃に、他の三人に確認を取ったが全員が口を揃えて、そんなものは聞こえない、と言った。このことは彼らの恐怖心を悪戯に煽るだけであった。
「ねえねえ、もうそろそろ帰ろうって。もうマジで怖いんだけど」
明美が根を上げ始めた。
「そ、そうだな。ささ、さすがの俺も限界かもしれん。ここで退き返すか……」
直樹もギブアップ寸前らしい。今の震え具合を見るに、先程までの高テンションは空元気だったようだ。巧はそれを見て苦笑する。
その瞬間だった。
『ねえ……、こっちよ……』
驚き声がした方を向く(声は毎回突然且つ耳元で聞こえるのでどうしても驚かざるを得ない)。同時に懐中電灯の光がその先を照らした。
その瞬間、巧はハッと息を飲んだ。闇の中から浮き出す様に一人の人間が立っていたからである。長い髪からして恐らく女だろう。長い通路の先という距離の関係から全体的なシルエットしか分からないが、その視線は確かに巧を射抜いていた。
恐怖で足が地面に縫い付けられたようだった。心臓がばくばくと激しく震えているのがよく分かる。何か言おうにも奇妙な女の存在に全神経が向いているせいか、喉が機能しなかった。
女の影は、時間にして数秒もすると奥へと向かうように消えた。その方向は四人が戻ろうとしているルートからは完全に外れている。
「巧君? 早く戻ろうよ」
動かない巧を心配してか、夏菜がそう言った。
わずかの逡巡の後、巧は口を開いた。
「悪い。ちょっと気になることがあるから先に戻っててくれ」
巧はそう言い捨て通路の奥へ向かい出した。彼の姿がみるみる暗闇の中へと消えていく。
「え? え? ちょっとどこ行くの!?」
夏菜の悲鳴にも近い叫びに釣られる様に、明美と直樹も驚きの表情を浮かべ動転した。
身勝手に行動する巧に直樹は苛立ちを我慢できなかった。
「おい巧! マジで戻って来いって!」
しかし何の反応も返ってこない。
「ちょっと追いかけてくるから待ってて!」
二人をさらに驚かせたのは、夏菜がそう言って巧の後を追ったことであった。二人が反応しきる前に彼女の姿も通路の先に消え、後には明美と直樹だけが残された。
「……」
「……どうする?」
「どうするって……、待つしかないじゃん」
「だよねー……」
立ったままなのもなんなので、二人は傍にあった比較的損傷の少ないソファに腰かけた。
暗闇への恐怖からか、いつもは活発な明美が妙に大人しい。これは直樹と二人きりということからも起因しているのだろうか。彼女は不安を紛らわす様に直樹に寄り添う。
恐怖と不安に苛まれながらも隣の温もりを感じ、直樹はこんな状況も悪くないと思い始めていた。
廃墟の中を巧は走る、走る、走る。
倒れた家具を飛び越え、角を曲がり、寂びた階段を上り、巧は女の影を追った。
(追いついたと思ったらいちいち消えやがって、鬼ごっこのつもりかよ)
それでも見失ったと思えば、影は姿を一瞬現したり声を掛けてきたりとどう考えても誘っているとしか思えない行動をとっていた。
後ろから夏菜が追いかけてきているのは分かっていた。何度もこちらを制止する言葉を投げかけてきてはいるが、それに従うつもりは一切無い。初めは短かった二人の距離も、男女の体力の差かどんどん離れていく。彼女の声が遠ざかるにつれて、今の自分を縛るものは薄れていっていると巧は感じた。
何故こんなにもあの得体の知れない存在に執着しているのか、それは自分でもよく分からないままであった。強いて言うならば、あの声に何か奇妙なものを覚えたからだろう。何処かで耳にしたことのある様なその声が、彼を突き動かした。
一般的に、こんないかにもな廃墟で奇妙な女などといういかにもなものを見れば、それは幽霊や悪霊という自分に危害を及ぼす又は及ぼしかねない存在だと認識するだろう。元来人間は自分が理解できないものに対しては排他的だ。それは固定観念というものも相まってほぼ絶対的なものとしてある。
しかし巧にはそんな思考は微塵たりとも無かった。あの声の持ち主がそういう存在だとは思えなかったからだ。根拠はと聞かれても本能的に感じたものなので、本人にも説明はできないが。
そういえば、と巧は思う。
(あの声を聞くと、昔を思い出す)
巧の運命が一変した、あの事件を。
辿り着いたのは、荒れ果てた礼拝堂だった。このホテルはキリスト教の繋がりを持っていたのだろうか。床には朽ちた木材が散らばっており、元はきれいに並べられていたのであろうベンチタイプの椅子は見るも無残な姿だった。部屋の天井はガラス張りになっているが、大部分が割れておりその破片が部屋のオブジェの一つとなっていた。年月とともに成長した木々に覆われている空からは、奥にある祭壇付近にしか満月の光が届いていない。光に照らされるように彼女はいた。
「……」
女は祭壇にもたれ掛かるように倒れており、巧を見つめている。どこか覇気の無いその瞳には敵意や恐れなど無く、あるのはまるで最愛の恋人を見るかのような慈愛に満ちたものだった。
しばしの静寂を破ったのは巧だった。彼は一歩一歩確実に女に近づいていく。そうすることで徐々に彼女の姿が鮮明になっていった。
まるで御伽噺の中から出てきたような美しい女だ。彼女は腰まで伸びた美しい金髪をしており、瞳の色も同様である。身に纏う服は見慣れた所謂現代ものでは無く、異国の民族衣装のようである。服越しでありながら、その体つきは非常に豊満で実に女らしい。少なくとも、巧の好みのど真ん中をいくスタイルだ。
そんな絶世の美女と言ってもまだ足りないような彼女の今の姿は、思わず目を背けたくなるような惨事だった。
白と紫で彩られていた服装はあちこちが裂かれ、
巧は静かに女の側に寄り、膝をつく。それを受けてか、女はボロボロの右腕を動かし、巧の頬を撫でた。不思議なことに避ける気は起きなかった。敵意を感じなかったからである。
触れられた感触には確かな生を感じる。少なくとも、彼女は幽霊などではないようだ。
「ふふ……」
女は満足げだ。彼の頬を何度もさすっている。赤い血が流れる。
「あんた、一体何なんだ?」
巧はそう問い掛ける。しかし女はにこやかな表情のまま何も答えない。
巧が疑問を感じると同時に、女は彼を自身の胸にぐいと引き寄せた。抵抗する間も気も無く、巧の体はすっと収まる。女はそのまま腕を巧の首に回し、ちょうど二人が抱きしめあう形になる。
女は巧の耳元で愛を紡ぐように囁いた。
「巧、貴方には……これから、とても辛いことがたくさん待ってる……。けれど忘れないで。貴方を愛する者達を。そして、信じなさい。貴方自身の力、を……」
息も絶え絶えでか弱い声で女は呟いた。
「何だ? 何の話だ? おい!」
彼女が何を伝えたいのかはよく分からない。けれど自分の身を案じてくれているのは伝わった。
そして金髪の女は困惑している巧に構わず、その唇を重ねた。
「!?」
「ん……」
女との口付けは、血の味がした。冷たい唇を介して伝わるのは、どくどくと零れていく彼女の命だった。血生臭い味と心地良い粘膜の感触に呆けてしまう。一瞬だったのか数分だったのか、気づけばそれはもう巧から離れていた。つい名残惜しさを感じてしまう。眼前にはどこか照れたような顔があった。
もう巧には彼女が危険な存在だとは露にも思っていなかった。しかし一体何がしたいのか、一連の行動の理由も全てが闇の中だ。
「さあ、門出よ」
女はそう呟いた。
すると二人の周囲を突如として何かが囲った。それは一体どう形容したらいいのか。物理的な感触も無く、かと言って二人の人物がそれを認識していることから巧の妄想というわけでもない。
『暗闇』
それ以外に適当な言葉が見つからなかった。唯一説明しきれるところがあるとすれば、闇の奥にある無数の目だ。その全てが二人を、いや、巧を凝視している。全く以て気味が悪い。
「な、なんだこれ……」
女は怯える巧の胸を軽く押した。しかし死に掛けの女にしてはやけに力があった。
巧はそのまま後ろから倒れ、暗闇の中に入った。または呑み込まれたと言うべきか。途端に闇の空間が全身を覆い尽くしていく。
「お、おい! 何なんだよこれ!」
慌てる巧が女に目をやると、彼女は笑顔で泣いていた。両の目から大粒の涙を零し、血の滴が頬を流れ伝う。悲しみはあった。しかしそれ以上に希望に満ちている表情だ。
その神秘さはまるで絵画の中の女神を見ているように思え、巧は目が離せなかった。
徐々に黒く染まっていく意識の中で、巧は必死に手を伸ばす。そこで彼は完璧に闇に包まれた。
「――貴方の旅路に、光あれ」
「巧君?」
夏菜は息を上げながら荒れた礼拝堂にやって来た。崩壊した部屋には誰もおらず、祭壇が月の光に照らされて儚く輝いている。
夏菜は祭壇の近くに一瞬煌めいた何かを見つけた。それは革製の長財布だった。彼女はこれに見覚えがあった。その持ち主は今彼女が必死に探し求めている男のものだ。
「巧君? いるの? ねえ、巧君!」
辺りを探すも巧の存在は影も形も無い。その場に残っているのは、月が照らす静寂だけだった。
そしてこれ以来、夏菜が巧の姿を見ることは無かった。