日もとうに沈んだ夜、夕食を済ませた八意親子と居候は各々
巧も現在自室にいた。備え付けのベットに横になってもう三十分は経っているだろう。何をすることも無く、ただ寝ているだけ。そのぼーっとした様子とは裏腹に頭の中は思考の嵐だった。
(一連の失踪事件の犯人てのは、あの妖怪で間違いない。誰をどういう基準で襲っているかは分からないが、俺が助けた子をこのまま放置するってのも考え難い。多分高確率でまた狙ってくるな。けど今は警備隊の人達が二十四時間体制であの子に張り付いてる。そう簡単には奪えない。……あいつらが優秀なら)
巧は一人思案する。
(問題は俺達が敵に対して受け身の状態ってことだ。妖怪と遭遇したって言っても、俺とあの子は奴の糸しか見ていない。どんな姿かも、何処をねぐらにしてるかもさっぱり分からん。永琳は蜘蛛って言ってるが、そりゃ話だけ聞いたあいつの推測だ。もしかしたら蜘蛛の糸を操る熊かもしれない。まあ、こんなことうだうだ考えても仕方ないか……)
起き上がり、巧は窓の向こうを見た。昼間は人の活気があった町も、今は闇の中でしんと静まりかえっている。元の世界にいた頃は、夜中でも町中に光が灯っていた。『眠らない街』なんて言葉もあるくらいだ。それぐらい、世界は人に満ちていた。しかしここはどうだ。決して小さくはないこの町だが、光など街灯ぐらいしかなくその数も少ないように思える。灯りのある建物など片手で足りた。この世界は巧にとってやはり異なる場所で、人はまだ夜を支配できていない。
「三ヶ月ってのは、案外早いもんだなー。……俺は、これからどうしたらいい?」
巧は夜空に浮かぶ三日月に向かって一人呟いた。しかしそれに答えるものはいない。
解明すべき謎、解決すべき問題はたくさんある。あの廃墟で出会った金髪の女は何者で、何故巧をこんな目に遭わしたのか。どうやって元の世界に帰れるのか。そして目下の問題としてこの失踪事件だ。加えて、普段の生活のこともある。巧は今八意一家に養われている状態だ。手伝いをしていると言ってもそれは以前の彼等でも滞りなくできていたことで、巧がいなくなることで店の営業が止まるわけでもない。そして異世界語も何か卓越した技術も無い今の彼は、完全なるヒモであった。
「あーーー。何で事件のこと考えてたのにこんなことばっか考えてんだーーー」
考えれば考えるほど先の未来が不安になっていく。胸の内をざわざわとした焦燥感が渦巻いていた。どうにかしてこの不安を晴らしたい。けれどもどうすればいいのか分からない。停止した思考は堂々巡りを続け、巧はだんだん死にたくなってきていた。
「駄目だ。このままいたらマジでそのうち死にそうで怖い……。風呂でも入ってくるかな」
ベッドを降りた巧はそそくさと自室を出た。永琳の部屋は同階にあり、それを見て巧は霊力について彼女の話を聞くことを思い出した。思い立ったが吉日。狭い廊下を進み巧は彼女の部屋の前に立つ。
「永琳さーん? いるかー?」
声を掛け、扉をノックするも反応無し。部屋を後にしているようだ。
「……風呂行くか」
自室から着替えを取った巧は一階にある風呂場へと向かった。
この世界の風呂は、残念ながらガスや電気は無いので人力で湯を沸かしている。人一人分が入れる鉄製の桶に井戸から汲んだ水を入れ、桶の下で薪を燃やし湯を沸かす。言わば人間用の鍋のようなものだ。これは元の世界で言う所謂五右衛門風呂であった。
「まさかこんなとこに来て日本文化と出くわすとは思ってなかったよなあ」
人間というのは、世界は違えどやることなすことは似通ってくるものなのだろうか。
そんなことを考えながら浴室の扉を開けた時だった。
「……」
「……」
扉の先には先客がいた。
両者共に、お互いの瞳にお互いの姿を映している。
彼女の方から漂ってくるむわっとした湯気から、今の今まで風呂に入っていたことがよく分かる。その証拠に全身から大量の滴が垂れている。まだ全てを拭き取ってはおらず、今はその最中なのだろう、両手にある布は彼女の髪にてその役目を果たしていた。それは同時に彼女が両手を上に上げていることを意味している。
女性らしい丸みを帯びた肩を見れば、それに続いて胸を見てしまうのは男の性である。むっちりと育てられた二つの果実は、彼女が少し動けばまるで突かれたプリンのように柔らかく揺れた。一瞬ではあったが、その揺れ動く様は間違いなく巧の体に電流を走らせた。
普段は服越しであったが、それでも間違いなく大きいと思っていた彼女の胸。巧の直感はこう言っていた。そしてそれを確信していた。
『脱げばもっとすごい』
その直感はこの時を持って大当たりだと判明した。まさに宝くじで一等賞が当たったようなものだ。この価値は、下手をすればそれすらも越える。
巧の手のひらを使ってもなお零れ落ちそうなほど大きいその熟した果実は、まさに世界の宝だ。尚且つ形は綺麗に整っている。しかも谷間を流れる滴がまた情欲を誘うのだ。まさしく巨乳。いや、そしてその先端は……もはや何も言うまい。
(俺が当てた宝くじは金なんかじゃなかった……。おっぱいだったんだ……!)
加えて、非常に肉感的な体型にもかかわらずしっかりとくびれた腰は、世の男を引き寄せる引力を持つ。さらにその下にある女の秘境は、まさにパラダイス。
(意外と少ないんだな……)
何がとは言わない。
股から伸びる足は、見事な脚線美を表していた。太腿は綺麗な曲線を描いており、見ただけで柔らかいのが分かってしまう。美しく長いその足を見て、思わず巧の口から涎が出た。
(何なんだこれは……。ここは桃源郷か? 神や……女神がここにおったでえええ! 駄目だっ。落ち着け、俺のマイサン!)
巧は全身から熱が込み上げるのを感じていた。今までにない力だ。今ならばどんな怪物が来ても勝てるような気がする。あくまで気がするだけだが。
「蒼威さん」
その瞬間、盛り上がっていた巧の周囲を絶対零度の吹雪が囲んだ。今この場は風呂のすぐ横とあって室内温度は高いはずなのである。けれども巧の体感では極寒の冬空の下にいるようだった。吹雪は室内だけでなく巧の心をも凍てつかせていく。心が、身体が、根を張ったようにそこから動けない。その原因は、目の前でにっこりと笑う永琳であった。
動かない巧を放ってしっとりと濡れた黒髪を拭き取り、用意していた着替えを着た彼女は、ゆっくりと彼と向き合った。
「一応聞くけど、言い残したことはある?」
冷たい言葉が突き刺さる。それはもはや死刑宣告と同義であった。
巧は何かを悟った風な笑顔を浮かべて言った。
「……眼福です」
「消えろ」
その夜、夜更けの八意邸で肝が冷えるような打撃音と、男の悲痛な叫びが響いた。
輝彦はベットから落ちた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「それで、霊力のことなんだけど」
「……はい」
時間は少し過ぎて、日付は間もなく変わろうとしているた。部屋中を鉛のように重い空気が漂っており、向かい側からの冷たい重圧に頬を真っ赤に腫らした巧の心はひび割れる寸前であった。それをどうにかひりひりと痛むもみじ型の痣を摩りながらコーヒーを飲むことによって紛らわせている。今はただただ向かいに座るお姉さんの目が怖い。
あの後、永琳の渾身の張り手を喰らった巧は地獄の閻魔もドン引く勢いの土下座ラッシュを発動した。完璧に機嫌を悪くした(当然だが)永琳はひたすら無視に徹していが、巧はめげず彼女の後ろをどこまでも土下座のままで憑いて行くというもはや謝罪を通り越して限りなく嫌がらせに近い暴挙に出た。その様はまるでゴキブリのようであった。あまりのうっとおしさと気持ち悪さにさしもの永琳も根負けし、どうにか許された巧。あくまで形だけだが。
内心、彼を助けたのは失敗だったかと本気で悩んだ永琳であった。
「蒼威さんはそもそも霊力については何か知っているかしら?」
永琳がそう切り出した。
「同じ言葉が俺の世界にも在った。どういうものかっていうのはすげえ漠然としてるんだけど、なんて言うのかな、神秘的というか第六感的というかそんな感じ」
「全く参考にならないわね……。いい? まずは簡単に説明していくわよ」
そうして夜中に永琳の長い臨時講義が始まった。
霊力とは、人が神から受け継いだ力だという。人によってその量・質は千差万別だが、その効力は同じだ。それは
「この町は王都から最も遠い古びた町だけど、一応数人の霊力者で構成された警備団があるのよ。まあ、田舎過ぎて仕事をしているところを滅多に見ないけど」
と、彼女は語った。
「つまり神様の力が俺にも使えるってことか?」
「そういうことになるわね」
困惑気味の巧は、とりあえずコーヒーを口に含んだ。
「実感は無い?」
「無さ過ぎて困ってるところだ。元の世界はそういう摩訶不思議なものとは縁遠い生活をしてたからな。昼間の経験が無かったら胡散臭い宗教の勧誘を受けてるような気分だったと思うぜ。で、どうしたら使えるんだ?」
「残念ながら私は使えないから分からないのよ。ごめんなさいね」
「知らんのかーい! なら、その警備団の連中に聞くしかないな。明日行ってみるわ。情報ありがとさん」
「ちょっと待って」
この夜遅くに小難しい話は眠気に拍車をかけるだけだった。そろそろ寝ようと巧は立ち上がるが、永琳が彼を引き留める。
「ん?」
「警備団に聞くのも一つの手だけど、やめた方が良いわ」
「何でだ? もうそれしか使い方を知る方法が無いじゃん」
そう言いながらリビングの扉を開けようと進んだ巧の腕を永琳が掴む。二人の距離がほぼゼロになった。女特有の甘い匂いが巧の鼻腔をくすぐる。彼女の目は本気だ。
「よく考えて。さっきも話した通り霊力者は国にとってとても重要な存在よ。ここに新たな人材がいると分かればすぐさま役員が飛んできて貴方を王都に引っ張っていくわ。そして戦うために教育されるの。強制的にね。彼らは世間じゃ聞こえの良い存在だけど、その裏じゃ国の為に戦う奴隷みたいなものよ。それはここの警備団だってそう。彼らは王都で一通りの訓練と教育を受けて派遣されてきた連中よ。下手に国に貴方のことが伝わったら彼らのようになる未来が目に見えるわ。だからやめておきなさい、絶対」
そう
強く掴まれた腕を優しく解いていく。そして巧と永琳の手はゆっくりと繋がった。
「そうか……。永琳さんがそこまで言うんならやめとく」
「ん。そうして頂戴。ちょっと驚かしてしまったかもしれないけど、ごめんなさい」
いつになくしょんぼりしている永琳に巧は笑ってしまった。
「何笑っているのよ」
「いや、なんか最近永琳さんの素が見れるなあと思ってさ。最初は完璧他人て感じだったけど、ちょっとは俺に慣れたか?」
「……うるさいわね。もういいから寝なさいな」
「はいよー」
巧はひらひらと無造作に手を振りながら部屋を出た。次いで階段を上る足音が聞こえ、次第に消えた。
リビングに残された永琳は僅かな時間立ち尽くし、そのままソファに座り直した。目に映るのは、彼が飲んでいたカップ。
「私が、素を見せてる……?」
永琳は己の左手を
(そんなはずはない。だって、だって私の家族は父さんと、お母様だけ……。それ以外の奴なんてみんな敵なんだから……! あいつは違う、違う、違う。どうせ知れば敵になる。だから違う、違う、違う、違う、違う、違う……)
巧の温もりが消えた冷たい部屋で、永琳は一人震えていた。いつまでも温かい手を摩りながら。
自室に戻った巧はそのままベットへと飛び込むように乗った。寒さから逃れる様にもふもふとした毛布を被り横になる。仰向けに寝た彼の目には、窓から見える月が映った。
(永琳さんのあの感じ、ありゃなんかあるな。それもただ事じゃなさそうだ)
巧は先程の永琳の様子に何かを感じ取っていた。それが良いことなのか悪いことなのか。まだ判断はつかないが、彼の勘が後者だと言っている。
(国に関係するのか、霊力者に関係するのか、それとも両方か……。考えたって仕方無い。どうにかして本人から聞くしかないな。もしかしたら輝彦さんが何か知ってるかもしれないけど、それは彼女に対して失礼だろう。まあ信頼を得て聞くのがベストだな)
目を瞑っていれば、次第に睡魔が襲ってくる。巧の意識は夢の世界に旅立とうとしていた。
(失踪事件だとか俺の霊力だとか、気になることは多いがなんとかしてみせるさ)
巧はそっとカーテンを閉めた。
ちょっと文字数が少なかったかな……