幻想の果てに   作:らすこーす

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8 纏う糸 終

 寒天の下、巧は独り目を瞑っていた。

 昼間とはいえまだまだ気温は寒い。分厚い生地の灰白色のコートを着た巧は静かに目を閉じている。

 

「…………」

 

 何をしているかと聞かれると、特に何もしていないと言うのが答えになるか。しかし彼はそれを否定するだろう。彼は今、冷たい屋根の上で胡坐をかきながら何をすることも無くじっとしている。一見寝ているようにしか見えないが、その様子とは裏腹に彼の意識はあることに集中している。そのはずなのだが……。巧の顔を見るに、そこからは『集中』という言葉からかけ離れている形相を受けた。

 

「……あぁ! こんなもん無理!」

 

 するとうがーっ、と叫ぶように巧は言った。そしてへこたれるように背中から倒れる。

 

「体を流れる霊力を自覚しろっつったって、分かるわけねーだろ」

 

 むすっとした表情で愚痴る巧。

 そう。彼は先程まで意識を集中し、霊力の流れを掴む訓練をしていたのだ。

 

 穢者と遭遇し、霊力の片鱗を見せたあの日から三日が経っている。巧は永琳から霊力の扱い方について聞き出そうとしたが、霊力使いではない彼女から有益な情報は得られなかった。そこで手を出したのが本だった。

 霊力使いは世界でも少数らしく、しかも自然発生的に生まれるものでもない。この国としては軍事力としてその使い手が増えることは願ってもいないことであった。よって少しでも霊力使いの誕生に貢献しようといろんな手段を講じている。その一つが書物であった。霊力使いになる為の多くの道をその中で記載している。と言っても、実際はほとんどが眉唾物であるが。それを知らない巧は、必死に本を訳し、一つ一つ方法を試しているというわけである。

 

「これだけやってダメってことは、この本はインチキで間違いないな」

 自分のやり方が間違っている可能性は見事にスルーする。手元の本を取り、パラパラと捲る。既に巧は多くの方法を実行しているが、その全てが不発で終わっている。もっと早くこのことに気付くべきであった。

「はぁ……、どうしたもんか」

 

 分厚くも中身の無い本を無造作に置き、巧は深い溜息を吐いた。

 連続失踪事件の黒幕である蜘蛛穢者を見つけ出す手立ても見つからず、自身に芽生えたという霊力という力を自在に操ることも出来ずにいた彼は無意識に焦っていた。自分が何の役にも立たない唯のゴク潰しであることに苛立ちを覚えていたのだ。それをどうにか払拭しようともがいているのだが、どうにも結果は出ない様子。

 と、そんな時だった。

 

「蒼威さん? 昼ご飯よ」

 

 下から声が聞こえた。誰かと思えば永琳だった。玄関先に立つ彼女は巧を呼びに来たようだ。

 

「あ、ああ。今行く!」

 

 それを聞くと彼女はさっさと家の中へ入っていってしまった。巧にはそれがなんだか冷たく感じられた。

 

「……やっぱ怒ってんのかな、あれ」

 

 そう、この男、先日彼女の全裸を目撃するというミラクルを起こしたのだ。報復はその時痛いほど受けたのだが、どうもそれ以来永琳と会うことに引け目を感じる様になっているのだ。つまり端的に言えば気まずいのである。なので、この三日間は永琳の一挙一動に異様に敏感になっている。

 実を言えば、一応和解は成立しているのである。永琳からも「鍵を閉めていなかった私にも要因はある」とのことでもう怒ってなどいないと言われているのだが、どうしても本当は違うのではないかと考えてしまうのだ。

 真実を言えば、永琳は既にこのことを水に流しているのだが、巧は女々しくも引きずっているわけである。仕方が無いと言えば仕方が無いのではあるが。

 

「とりあえず、昼飯っと」

 

 巧はまるで忍者のようにささっと屋根から三階の窓に飛び移り、中へ入っていった。その行動には危なげさなど微塵も無かった。

 

 

  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 昼ご飯を片した巧は夕食の買い物を頼まれ、人で賑わう市場にやって来ていた。時刻は午後五時。そろそろ空が夕闇に染まりつつある。この時間帯は主婦が集中する時間だ。巧と同じ理由で出掛けるものがほとんどである。

 

「これで……最後だな」

 

 永琳から手渡されたメモ(異世界語表記。まずは解読からスタートする)に書かれてある食材を全てチェックした巧は、パンパンに膨れた買い物袋を片手に家路につこうとしていた。しかし事はそう上手くは行かない。

 

「あらあ? 貴方って八意先生のとこの子じゃない?」

「本当だわ。ねえねえ、先生は一緒じゃないの?」

 

 人混みの中で声を掛けてきたのは五十代ほどに見えるしがない二人組の主婦だった。彼女らは巧の姿を認めるとそそくさとやって来た。

 

「あ、どうも。輝彦さんは今は診療所ですよ」

「あら本当? 残念ねえ。一目だけでも会いたかったわ」

「そうよねえ。あんなに良い男なんですもの。あんた今度先生も一緒に連れてきなさいよ」

(無茶苦茶言いやがるよこいつら。全く、どの世界もおばさんてのは図々しいもんだな)

 

 二人の言う『先生』とは輝彦のことである。実を言うと彼はその温厚な性格と柔らかい顔立ちで多くの女性の支持を得ていた。それは薬屋に常連客が出来るほどで、輝彦が往診に出かけていると時折「何で先生がいないのよ!」と癇癪を起こす珍客がいたりする。全く以て迷惑極まりない話だ。

 

 その癇癪の行先は大抵雑用の巧に向かうので、今まで何とか取り繕ってきたがそろそろ本気で怒鳴ろうかと考えていたが、永琳曰く「彼女らはこの家にとって金の生る樹なのよ。それが無くなったら困るからやめてちょうだい」らしい。言い得て妙である。

 

「それにしても、永琳先生も何でこんな男を選んだのか知らねえ?」

「ほーんと。喋りも少し拙いし、顔も普通だし、良いとこないじゃない」

 

 言いたい放題とはまさにこのこと。自分の表情が段々と引きつっていくのが分かる。怒りの導火線に火が付き始めた。

 すると新たに野太い声が聞こえてきた。

 

「あー! おめえ永琳先生んとこの男じゃねえか!」

「何でここにいるんだ? 買い物? くっそー主夫気取りかよくそが!」

(またややこしいのが来た……)

 

 巧はげっそりとした顔を隠せなかった。

 彼等もまた主婦たちと同じ穴のムジナである。つまりは永琳の追っかけであった。

 

「おめえな、永琳先生はみんなのものなんだよ。おめえ一人のもんじゃねえからな! そこんとこ分かってんだろーな!?」

「おうおうあんな美人と一つ屋根の下だなんて……。くーっ、嫉妬でわしの髪が禿げそうじゃわい!」

「も、もしかして、もうヤッた? ……何で何も答えねえんだ。ヤッたのか? ヤッたんだなこんちくしょー!!」

 

 一人の青年が何人もの大人達に囲まれ脱出も出来ない。いろいろ好き放題に言われまくりの巧に周囲の通行人も訝しげな視線を送ってきている。そんな状況に対する羞恥と怒りが巧の中でふつふつと煮えたぎっていた。

 

(こいつらあ……、勝手なことばっか言いやがって!)

 

 ぎりぎりと拳を握りしめ、足を一歩重く踏み出す。遂に怒りの爆弾が爆発しようかといったその時、彼の袖を引っ張る手があった。

 巧がその手の持ち主を見るとそれは十歳ほどに見える少年だった。しかも驚いたことに、三日前に助けたミキオと共にいた集団の一人だった。確か名は、ヨシ、だったと記憶している。ヨシは言葉も話せないほど息を荒げて巧の袖を強く握りしめている。これはただごとではない。彼の纏う尋常じゃない雰囲気に巧を囲んでいた大人達もいつの間にか静まり返っている。

 

「お、おい。どうした?」

 

 巧は困惑しながらもヨシに声を掛けた。少年は息を整えながら答えた。

 

「ミキオが……ミキオが……っ、いなくなっちまったんだ!」

「!?」

 

 ヨシは今に泣き出しそうな顔で言った。

 

「何があった?」

「分かんない、分かんないよ! 昨日も一緒に遊んでて、晩御飯になったから解散してそっから寝ようとしたらあいつの母さんが家に来てミキオがいなくなったって……。そっから今までずっとみんなで探してたんだけど見つからなくて、兄ちゃんなら何か知ってるかもって思ったんだけど……」

 

 最後の方になると首は俯き、声も段々覇気を失いか細いものになった。それがヨシの今の心境を端的に表している。

 

「そうか。悪いけど俺も分からない。その話だって今知ったからな」

「そんな……。じゃあもう当てなんかないよ」

 

 しょぼくれるヨシ。その頬には一筋の涙が零れた。それを見た主婦たちが彼を慰めるように頭を撫でる。ミキオが見つからないのは彼の責任などではない。そう伝えるも、仲の良い友人を失いかけている彼は自身の力不足を悔いずにはいられなかった。

 しかしそれを止めるかのように彼の肩に手が置かれた。見上げると巧が真剣な表情でヨシを見ていた。

 

「まだだ。まだ手はあるはずだろ」

「もう無いよ……」

「じゃあ例えばだ、ミキオが行きそうな場所はどうだ? 実際に言っていた所でも行こうとしていた所でもいい。どうだ?」

「そんなの全部周ったよ。でもいなかった」

「じゃあ一つ聞く。三日前の事件を覚えてるよな? 俺があいつを助けたやつだ。確かあいつは犯人探しに乗り気だったはずだ」

「確かにそうだけど」

「それでミキオが調べている場所、もしくは調べようとしていた場所は何か知らないのか?」

「えっと、調べようとしてた場所なら知ってるけど……」

「よし。ならそこに行こうぜ」

「ちょっと待ってよっ。ミキオが言うには町の外にボロボロの空き家があるらしくて、そこが前から何かおかしいって噂を聞いたらしいんだよ。それであいつはそこが犯人の隠れ家じゃねーのかって言ってて……。でも外なんて危ないから子供は行けないし、そもそも行こうとしないよ!」

「なるほどな。でも他に思い当たる場所はあるのか? だったらそこしかないだろ」

「でも誰が行くんだよそんなとこ!」

「俺が行ってやるよ」

「え!?」

 

 その発言にはヨシだけでなく周りの大人達も驚いた表情を浮かべた。何故そこまでするのか。無茶苦茶だっ。とヨシが叫びそうになった時だった。

 

「ちょっと失礼」

 

 彼らに突然割った入った声の持ち主は、武装した長身の男だった。その鍛え上げられた肉体と鋭い眼光からは、彼が幾つもの視線を潜り抜けてきた猛者だと分かる。

 男の視線は真っ直ぐに巧に向かっていた。

 

「青年。少し話を聞かせてもらったが、君はこれから危険な場所に向かうのかね?」

「そ、そうだけど。あなたは?」

 

 男の声には低いながらも確かな重みがあり、周囲全員の耳朶に触れた。

 その声色に幾らか緊張した巧がそう聞き返すと、男は少し咳払いをして言った。

 

「これは失礼。私は旅の者でな、蔵之助という。君は見たところ丸腰だが、何か武器の当てはあるのか?」

「……いや、無いです」

「そうか。ここだけの話なのだが私にはどうも武器収集という悪い癖があってな。いつも旅先で気に入った物があるとついつい買ってしまうのだ。そして今は案の定荷物がかさばってしまって整理で戸惑っている最中なのだ。そこでだ青年よ、よかったら私の武器を一つ貰ってくれないか?」

「え、えええ?」

 

 唐突な提案に巧だけでなく周りの者達も困惑せざるを得なかった。何せ突如現れたかと思えば自身の物を貰ってくれと言う。正直胡散臭さしかない。が、武器をくれるという内容には惹かれざるを得なかった。

 

「それって金とか、何か対価がいるんですか?」

「それはいらない。なんせ言ってしまえば私にとって不要なものを君に押し付けているのだからな。金など要らんよ。タダで貰ってくれていい」

「うーん……」

 

 巧は悩む。

 ミキオの失踪は十中八九穢者絡みだろう。もしヨシの言う場所へ行って穢者と出くわすとなると丸腰では死は免れない。何かしらの武器は必要だ。かといってそんなものは家には無いし、買おうにも値段が高すぎて彼の小遣いではまだまだ足りないし、武器を貸してくれるような友人もいない。この屈強な男はそれを無料でくれるという。願ってもいない話だ。正直是非とも引き受けたい。

 

(けどなー、タダより高いものは無いって言うしなー)

 

 結局悩んだ結果、巧は男の申し出を受けることにした。その旨を告げると彼は嬉しそうな顔をして言った。

 

「おお! そうか。感謝するぞ青年! さて、どれがいい? この中でなら好きな物を持って行け」

 

 そう言って男が背負っていた大きな荷物から取り出されたのは、槍、盾、鎌、そして剣だった。それらは巧の前に横一列に並べられる。巧はじっくり見ようとしゃがんだ。

 普段あまり見慣れないのか物珍しさから少なくない人数が武器の周りに集まってきていた。通り過ぎ去る人々も一度はこちらを窺う。巧の横を陣取ったヨシは「おぉー!」と目をキラキラさせながら見ている。やはりこの年頃の男の子は剣や槍などの武器に憧れるものなのだろう。

 

「これにします」

 

 一通り目を通した後、巧が選んだのは一本の剣だった。

 全体的に白くデザインされた、他の三つとは違い非常にシンプルな物である。柄を握って持ち上げてみたが、重くは無いが軽くも無い確かな重みが手に感じられる。鞘は焦げ茶色をしており、金属製の剣に対して革でできている。刃は七十センチメートルで久しく使われていないらしいが、それを感じさせないかのように夕日に照らされその両刃を輝かせていた。

 

「なるほど、それを選んだか。それは昔私がある剣豪から譲り受けた名刀だ。切れ味と耐久性は保証するぞ」

「そんなの人にあげていいのかよ……」

 

 思わず本音が出た。後ろでヨシが「いーなー! いーなー!」と騒いでる。無視。

 

「構わん。どうせ使わんのだ。ならば使うものに譲った方が良いに決まっている」

「そうですか。じゃ、これありがたく貰います」

「うむ。しっかりと敵を切り刻んで来い」

「物騒なこと言わないでください」

 

 男は気が済んだといわんばかりにさっさと荷物をまとめだした。

 

「いやあ、良い商談だった! また会おうではないか青年。さらばだ!」

 

 そう言って男は豪快に笑いながら早々に立ち去って行った。その去り際の動きはどっしりとした風貌からは想像できないほど早く、効率的であった。彼の後姿(うしろすがた)を見ながら横でヨシがぶんぶんと手を振っている。有象無象の一人がこう呟いた。

 

「なんか、もしかしたらゴミを押し付けられただけかもしれない気がしてきた……」

 

 そういう事言うのヤメロ。

 男は既に群衆の中に消えている。

 最悪な想像をしてしまった巧は独り項垂(うなだ)れてた。しかし無理矢理頭を降り気分を変える。

 これは良い剣。これは良い剣。

 

「そんじゃ教えな。その空き家の場所」

 

 そう言い放つ巧の背後では、沈みゆく太陽の光が輝いている。その真っ赤に燃える光と重なる彼を見ると、少年には何故か頼りがいのあるように思えた。

 ちなみに少年の口は意外と緩かった。

 

 

  ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 その後反対集団と化した大人達を振り切り、ほどなくして巧はヨシの案内で目的地の近辺へ辿り着いた。件の建物は町外れの田んぼ跡と思われる広々とした土地の真ん中にぽつんと佇むように建っていた。小屋と聞いていた割にはかなり大きく作られている。最低でも元の世界で言うちょっとしたアパートほどはあるだろう。放置されて久しいのか周りは枯れた雑草があちらこちらに茂っている。近くに寄るのも遠慮したいぐらいだ。

 なるほど。話に聞いていた通りのあばら家である。しかし、真の実態はそれを遥かに上回っていた。

 

「あれじゃ見るからに化物小屋だな」

 

 そう呟く巧の視線に映るのは、あちこちをコーティングするように白い糸に巻きつかれている建物の姿であった。その有様はまるで繭のようである。

 異様な光景を前に、二人はごくりと唾を飲み込んだ。

 

「ど、どうすんのさ?」

 

 がたがたと震えながらヨシは尋ねた。

 

「どうするの何も、とりあえず行くしかないだろ」

「何でだよっ。見るからにヤバいじゃんか。もう一旦戻ってさ、自警団の人ら呼んでこようよ」

「ならお前が呼んで来い。俺はここであれを見張っとくから。ついでに八意診療所に行って永琳て人にもこのことを伝えておいてくれ」

「わ、分かった。俺行ってくる!」

「頼むぜ」

 

 そうしてヨシは町へと駆け出して行った。しばらくその後ろ姿を見送り、彼の背が見えなくなったところで残った巧は異様な建物を再度見つめた。

 

「さてと、行ってみますか」

 

 もしここにヨシがいたら顔を真っ赤にして「兄ちゃんは真正の馬鹿か!? 死ぬ気? 死ぬ気なの?」と叫んでいる姿が目に浮かぶ。けれどそれでも巧はその足を小屋へと進めただろう。

 

 上を見上げれば美しい夕焼け雲が空を流れており、思わず目を背けてしまうほどの紅い光が地表を焼いていた。足音は出来るだけ鳴らない様慎重に近づいていく。建物に辿り着くのにあまり時間はかからなかった。

 巨大な繭を前にして今更ながらに足が震えてきたのが分かる。周りを警戒しながら急いで剣を鞘から抜き取る。緊張のせいか、右手にある剣の重みが増しているような気さえした。

 

 入り口は辛うじて人一人分は入れるほどの隙間があった。とはいえ巧の場合しゃがまざるをえなかったが。

 中は想像通りの光景で、糸で埋め尽くす勢いだった。元は幾つもの部屋があったのだろうが、それらを分けていた壁はほとんどが破壊されており、今は大きな空間が広がっているだけだ。所々に子供一人分ほどの小さな繭があり、それは床や壁、屋根と四方八方に見受けられる。その中からは不気味な淡い光がゆっくりと点滅するように光っている。何が入っているかは分からないが、大体の見当がついた巧の気分は最底辺にまで落ち込んだ。

 

 巧は入って来たまま静かに立っていた。否、立つことしかできなかった。

 ミキオを探さなくては、という使命感と、この禍々しい空気に反応している危機感が(せめ)ぎ合っているのだ。巧はこの世界に来る切っ掛けとなったあの夜のことを思い出していた。

 

(あの時もこんな風に変な気配があったよな……。ま、ここまで危ない感じじゃなかったけどぉ!?)

 

 突如感じた気配に反応し、すぐさま巧はその場から飛び移るように離れた。すると次の瞬間にはその場所に巨大な物体が勢いよく落下してきた。目を凝らすとその正体が分かる。巨大な蜘蛛だ。毒々しい黄色の頭胸部から太さが大人一人ほどある歩脚が生えている。もし離れるのがワンテンポ遅かったら今頃はあの巨体の下で肉塊になっていたことだろう。妖しく光る八つの目が巧を捕えた。

 間髪入れずに次の攻撃が来た。

 

「うおっ!?」

 

 長い二本の脚が素早く振り払われるが、とっさに屈んだおかげで難を逃れた。しかし更に槍のように突かれた鋭い爪が巧を襲う。

 

「ぐっ!」

 

 反射的に身を逸らすが避けきれずに脇腹に一撃を貰ってしまった。そのまま押し出される様に吹き飛ばされ、持っていた剣も手を離れ床を滑っていった。

 

「いっ……てぇっ」

 

 じわじわと焼けるように熱い脇腹。巧はあまりの痛みに起き上がれずにいた。それを好機と見た蜘蛛穢者は口から勢いよく糸を吐き出し、巧を宙へ引っ張り上げ壁に張り付けた。

 両手足を壁に引っ付けられたことで巧は身動きが取れない。糸はかなり頑丈で、無理矢理引き千切ろうするものならば逆に手首が切断されかねないほどだ。

 

「くそ! こういう時に出ろよな!」

 

 依然として何も力は感じない。あの体全体から迸るような感覚は幻だったのだろうか。

 完全に無力化したと思ったのか、もがく巧を尻目に、蜘蛛穢者は朽ちた広間の端の方へ足を進め出した。見ればそちらには数人の子供が糸で宙吊り状態となっているのが見える。恐らく行方不明になっている者達だろう。かなり衰弱しているようでぐったりしている。その中にはユキオの姿もあった。

 

「ユキオ!」

 

 必死に呼びかけるが気絶しているのか返事はない。

 蜘蛛穢者は彼らの一人に近づくと、腹からグロテスクな触手を伸ばし始めた。ぷるぷると震える触手はそのまま子供のだらんと開かれた口内へと侵入していく。

 

「やめろ!!」

 

 巧は声を荒らげるが、返ってきたのは子供の悲鳴のようなくぐもり声だった。

 口に入れられた触手はどくんどくんと脈打つように激しく震え、何かを注入している。子供は突然の苦しさと痛みで覚醒し悶えている。小さな手が助けを求めるように伸ばされるが、それを掴む者はいない。

 

「あがッ……ヴォ……」

 

 もはや理性など感じられない声に血の気が引いていく。

 もう用が済んだのか、穢者は触手を引っ込めた。すると子供の腹が急激に膨らみ始める。膨張は止まらず、数十秒で破裂しそうなほどにまでになった。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」

 

 絶望を孕んだ絶叫が建物に響き渡る。そして子供の腹は夥しいほどの血流と共に限界を迎えた。激しい水流のように流れ出る血は、彼自身の生命であった。

 次の瞬間、巧は子供の腹から現れたものを見た。

 それは小さな蜘蛛だった。赤ん坊ほどの大きさの幼体とも呼べるそれは、文字通り腹を喰い破ってきたのだ。蜘蛛穢者が触手を伝って子を産み付け、人を栄養源としたのである。

 

「ぁ……」

 

 人の死を見たのはこれで二度目、らしい。

 というのも、一度目の記憶は何か蓋を被せられたように思い出せないのだ。

 死亡したのは巧の両親だった。まだ働き盛りの二人は巧が十四歳の頃に殺された。犯人は未だ分かってない。事件現場は自宅の玄関で、蒼威家に偶然訪れた近隣の者が開けっ放しのドアを覗いたことで事件が発覚した。当時の現場は人としての尊厳など無いように弄ばれ散った二人の遺体が夥しい血に染まっており、報道では近年稀に見る残酷極まりない怪死事件とされた。真っ赤な夕日が差し込む中、巧は血の海の中で気を失っていたところを保護された。警察は犯人の手掛かりを求めて彼の目覚めを待ったが、結果は「覚えていない」であった。

 目の前で腹がぽっかりと空いた子供を見ると、全身がざわざわと震え出す。光の無い小さな瞳は、最後に何を見たのだろうか。

 

「……」

 

 血の海に沈む小柄な体に何か既視感を感じる。目の奥でチラチラと断片的に映るこの情景は一体何なのだろうか。

 

「……めろ」

 

 蜘蛛穢者は次なる生贄をと脚を空にさ迷わせる。それが時折人影へと変化する。脳が、体が、心がざわつくのが分かる。

 

「やめろ……」

 

 その時老朽化のせいか壁の一部が崩れた。そこから差し込む夕日が穢者にかかり、ぎらついた爪がユキオにかけられた。

 その瞬間、いつかの光景と目の前の出来事が重なった。

 

(そうだ……。親父とおふくろはこいつに殺られたんだ)

 

 巧が帰宅した時には既に手遅れであった。母は刀で拷問とも言えないほどの残虐な方法でゆっくりといたぶられ、父はそんな母を見せつけられながら失った手足をばたつかせていた。刀の男は苛立つように二人を苛烈に攻めた。そして巧の姿に気づくと、彼の顔面は憤怒に染まり、両親は我が子に気付く間もなくあっさりと殺された。こちらに転がってきた父の首が妙に生暖かったのが印象に残っている。

 

 男と視線が交わった。感じるのは異常なまでの怒りと憎しみ。それらに耐えられるほど少年だった巧は強くなかった。彼の記憶はそこで途切れる。最後に感じた温もりを残して。

 

「やめろって言ってんだろ!!!」

 

 全身に湧き出る力が怒号と共に出現した。迸る光の線が穢者の脚を貫き、砕いた。

 蜘蛛穢者は耳障りな悲鳴を上げながら暴れている。生半可な武装では傷一つ付かない体にそれほどに効いたのだろう。巧は邪魔な糸をちぎるように光で焼き、四肢の自由を取り戻した。見れば敵はこちらを恨めしそうに睨んでいる。やる気のようだ。

 

 飛ばされた剣を回収し、しっかりと両手で握る。今度は離しはしない。溢れる力を込めて構えた。光の粒子が刃に纏う。

 

「……昔の八つ当たりかもしんねえけどよ」

 

 目の前の敵が過去の幻影と重なる。

 

「今度こそ潰す!」

 

 何故か負ける気はしなかった。再び視界にあの日の情景が映る。

 自分でも抑えきれない闘争心を剥き出しに、巧は吠えた。

 

 

 

 永琳は走っていた。

 紅い光が背後から急かすように先を照らしてくる。幾つもの角を曲がり人だかりを抜けていく。

 脳内に同居人の男の顔がよぎる。笑っている姿が今は腹ただしくて仕方ない。

 

(全く馬鹿なんだから!)

 

 買い物に出した巧がなかなか戻らず不安になっていた彼女の元ににヨシと名乗る少年が現れたのは少し前のことだった。彼はかなり急いで走ってきたようで、汗だくになりながら息をぜえぜえと吐いていた。

 慌てているせいか要領の得ない彼の言葉をまとめると、巧が無謀にも危険に首どころか全身で浸っているということであった。

 突然の一報に驚いた彼女はヨシの存在など目もくれずに部屋から弓矢を持って診療所を飛び出した。無論、件の廃屋の場所は聞き出した上でだ。その後ろ姿を放置されたヨシと何事かと慌てる輝彦が棒立ちで見送っていた。

 

(あれほど関わるなと言ったのに!)

 

 あの男はいまいち現実を認識していないところがあった。まあ彼は異世界人であるからその世界観で生活しようとするのは理解できる話ではある。しかしだ。今まで穢者はこの世界じゃ最大と言ってもいいほどの危険な存在であると散々口を酸っぱくして言っていたのにこのざまである。彼が霊力に目覚めたという話を聞いた時から嫌な予感はしていたのだが、まさかここまで命知らずな人だとは思っていなかった。そして……。

 

(何が一番腹が立つって、あんな男を私が心配していることよ!)

 

 永琳にとってその事実が一番受け入れられなかった。彼女にとって絶対的な存在は家族だ。父の輝彦と今は亡き母。その二人こそ永琳にとっての幸福であり信仰であり命なのだ。長年保ってきたその領域に土足で入ろうとしているあの男が、いや、土足で入ろうとするのを心のどこかで受け入れようとしている自分が許せなかった。

 

「あれは……」

 

 永琳が廃屋に辿り着いた時には事態は終息を迎えようとしていた。

 禍々しい白糸に覆われていた建物は半壊しており、蜘蛛穢者は既に数本の脚を光に焼かれていた。穢者はもはや立つこともままならないのか苦しそうにもがいている。今まで何人もの子供達を攫い、餌にしてきた恐怖の怪物の今の様は、まるで道端で見かけた死にかけの蟻のように哀れで惨めに思えた。

 

 すると建物の中から飛び出す影が見えた。巧が敵に向かって突っ込んできたのだ。穢者はなんとか迎撃しようと動くが、弱った動きは容易くかわされる。そして向けられた剣先は蜘蛛穢者の頭部に鋭く突き刺さった。

 

「おおおおお!!」

 

 猛々しい咆哮に共鳴するように剣に纏っていた光が爆発するように輝き出した。溢れ出る光の奔流が穢者の全身を飲み込んでいく。それは奴の最後の唸りさえもかき消した。そうして蜘蛛穢者はこの世から姿を消した。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 光が消えていく中、巧は疲れきった様子でその場に膝を付いた。疲労感と倦怠感がひどく重い。まるで全身が鉛になったかのようだ。もはや剣を握る力すら無く、体はゆらりとバランスを崩した。しかし地面にぶつかる寸前、彼を温もりが包んだ。

 

「……?」

 

 何だ? と巧が思うと、それに答えるかのように彼女は言った。

 

「……貴方は本当に馬鹿な人ね」

 

 聞こえてきたのは知った女の声だった。永琳は巧を自身の膝の上に乗せている。所謂膝枕だ。

 

「永琳、か」

 

 巧はそのまま体を彼女に委ねた。

 

「いろいろと悪いね……。ちょっと、身体が、重たいんだ」

「いいのよ。お説教は後でするとして、今はゆっくり眠りなさい」

 

 窘めるような内容とは裏腹に声色は優しく染み込んだ。

 

「……へへ。何だ、怒ってるわけじゃないのか」

「?」

「いや……この前裸見たし、避けられてんのかと」

 

 それを聞いて永琳は呆れたように溜息をついた。それはそれは深い溜息だった。

 

「貴方ね……今言う? それはもういいのよ。どちらかと言うとこんなことになった方が怒られるとは思わないの?」

「それは、まあすまん」

「全く……」

「まあ……結果オーライということで」

 

 言動を見るにこの男はあまり反省していないようだ。そこに少し頬がぴくぴく動くのを覚えるが、薬師という立場上怪我人にこれ以上話させるのはさすがに憚られた。

 

 巧はそのまま意識を失ったようで、少ししてから規則正しい寝息が聞こえてきた。蜘蛛穢者から受けた傷と霊力の急激な発動により体力と気力を大幅に使ったのだろう。

 永琳は周囲の戦闘跡を見た。穢者が消滅してからいい時間が経っているのにも関わらず、ここにはまだ()()()()()()()()()()()。残滓が残るということは、その霊力の火力がよっぽど強かったか、よぼと霊力の質が良いかのどちらかだ。

 

 永琳は自身の膝上で死んだように眠る巧を見る。あれだけの力を解放したのだ。この町の霊力使いが気づかないわけがない。それはつまり.この先彼が目をつけられることを示していた。

 

「どうやら私はとんでもない拾い物をしちゃったのかしらね」

 

 そろそろ自分も明確な決断を迫られる時が来るだろう。その時自分はどのような道を選ぶのだろうか。その時この人はどういう目で自分を見るのだろうか。

 永琳は男の頭に優しく手を置いた。そんな二人の様子を見届けた太陽は東に沈み、間もなく夜が来る。

 物語はゆっくりと動き出す。

 

 




ユキオ「…………え?」
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