鳴狐と安定が来た日の夜、葵は一人、縁側に座って綺麗な満月を見上げていた。
その隣に鬼灯はいない為、正真正銘の一人きりである。
そんな葵を偶然に見つけたのは切国である。
「……なんだ、寝ていなかったのか」
「あ、切国さん」
切国の声に気付き、葵は笑顔を浮かべて顔を向ける。
それがやはり眩しいのか、切国は顔を逸らしてしまった。
「……で、こんな夜遅いのに、あんたはいつ寝るつもりなんだ?」
「そうですね……まだ先、ですかね……」
ーーー月が綺麗ですから。
その言葉はあの告白の意味として捉えることも可能だが、この二人は互いにそんな意識はないため、そんな勘違いも起きずに切国は話を続けた。
「……主、前から一つ聞いておきたいことがあったんだ」
「?なんでしょう?」
「ーーーどうして、俺達に真名を名乗った?」
真名、それは即ち、自身の『魂』も同意であり、人同士、或いは神同士でもそう問題になることはないだろう。
だが、これが人と神なら致命的な問題が生じる。
葵は自ら、『魂』を切国達に渡したようなものなのだ。
切国達がその気になれば、真名でその身を縛り、殺す事も出来る状態となってしまっている。
神隠しでさえ、たやすく起こす事が出来てしまう。
「……それは、私が切国さん達なら問題ないと思ったからですよ」
「……俺達が?」
「はい!皆さんなら、私の真名を教えても、何も起こさないと私は信じてますから!」
「……お前は、容易く信じるんだな。写しの俺なんかを」
「『なんか』ではなく、貴方だから信じるのです、切国さん」
葵は切国にそう言うと立ち上がり、目の前に立った。
「私は、初めて来て下さった初期刀の貴方を信じてます。いえ、貴方だけではなく皆さんも……だから、真名を明かしました。これで何か私に不満があっても、皆さんの好きなように出来ますよね?」
真名を握られれば、その相手の言う事を逆らいなど出来はしない。言霊一つで相手を『殺す』事など容易い。
葵はそれを知っていて真名を明かした。
ーーー何か自分の不備があれば、いつでも自分に文句を言えるように。
「……何かこれに不満がございましたか?」
葵が心配そうな顔で切国を見ると、切国はまた顔を外へと向け、少しの間黙ってしまう。
そして、一言。
「……次からは名乗るな。名乗れば名乗るだけ、自分の身が危うくなるだけだ」
それに葵は笑み浮かべて頷くと、しかし今度は困ったような顔をする。
「でしたら、今後はなんて名乗りましょう?真名を名乗るつもりでしたので、考えていませんでした……」
葵がそう言って悩む姿をしばらく切国は見つめると、呟くように言う。
「……『空』はどうだ?」
「『空』ですか?」
「ああ。あんたと同じ髪と目の色だろ?」
切国はそう言うが、「まあ、俺の言ったことは気に入らないだろうがな……」とまた卑屈なことを言う。
しかし、葵はその名前が嬉しいのか、満面の笑みを浮かべて頷くと、お礼を言う。
「ありがとうございます!切国さん!今度からは『空』と名乗りますね!」
葵はそう言ってその場を去ろうとしたが、しかし途中で止まり、振り返る。
「それから、切国さんの心配は杞憂だと思いますよ?」
「……」
「私には鬼灯がいます。……それに、貴方も」
「!」
その言葉に切国は驚いたような顔を浮かべる。
「……まだ、二日しか一緒にいない俺を、あんたは無償に信じるのか?」
「はい。切国さんは、そんなことをする人じゃないと確信していますから……それでは、おやすみなさい」
葵は頭を下げて一番、月の光が入る部屋へと入っていく。
切国はというと、暫くその場に呆然と立ち続けていたが、右手で顔を覆い隠すようにしながら自室へと帰っていくのだった。
***
その日の朝、葵が朝食を作り、全員で食べようという前に、葵から発表があった。
「実は、今朝早くにまた鍛刀して、先程、新しい方が此方に来られたので、今紹介しますね!」
「どうぞ!」という一言で襖が開き、入ってきたのはピンクの髪の男の子。
その五虎退達と同じ身長の男の子は、笑顔を浮かべる。
「秋田藤四郎です。よろしくお願いします」
「秋田!」
「あ、秋田くん!」
「薬研くん!五虎退くんも!」
その兄弟の再会を、葵はまるで慈母の様な温かな目で見つめていたのだった。