「白羽さん。ここに居たのね。退院おめでとうございます」
保健室から出て、戸に向かって頭を下げている時、廊下の先から聞き慣れた声がする。一呼吸入れて笑顔を作った。
「バスキア教諭、ご挨拶が遅くなって申し訳ありません。おかげさまで本日退院に。私の事で学院に多大なご迷惑をおかけしてしまいました。それなのに大変に親切、ご厚意を頂戴しまして感謝の言葉もありません・・・・・・」
「何ですかそんな卑屈になって。貴女が今ここに元気で無事に居るんだからそれで良いのよ。クラスの皆も白羽さんの退院をあんなにも歓んでくれていたじゃない? 廊下まで声が漏れてたわ」
立花さんは、イリーガルな事だから他言無用と言っていたのに、普通にバレバレだったのね・・・・・・。バスキア教諭の笑顔が・・・・・・少し怖い。また何かお小言かな・・・・・・
「で、先生なんだけどもう酔いは醒めたのかしら。色々とお話があるんだけど? 」
保健室を指差し、またにこりと笑う。うわー、先生の飲酒もばれてる。私がどう答えて良いのかと惑っていると・・・・・・
「大丈夫、心配しないで。上に密告なんかしないわよ。安心して頂戴。あの先生はこの学院に必要な人だもの。でもね、それは貴女達が節度を守って関わっての話よ。いいわね? 一気一気って煽ったのでしょう? 」
「はい。肝に銘じておきます・・・・・・。皆にも以後気をつける様に、私から伝えておきますので、なにとぞ穏便に」
「なんか口調が変よ? 病院でテレビを見すぎたんじゃないの? 先日の八代会長がそんな感じになってたけど、白羽さんも・・・・・・。それにしてもそんなに鯱張って。私ってそんなに怖いのかしら・・・・・・白羽さんにそんな顔されると少しショック」
ため息をつき、視線を床に落すバスキア教諭。端正な顔だちながら程よく下がった目尻で、キツさを感じさせないのだけど、口調は・・・・・・相当にキツい時が有る。苺さんは先生の地雷を踏んで返り討ちに合い、教室の隅で林檎さんに慰められ黄昏てたりする事はクラスの日常と化している。教師なんだからといえばそれまでだけど、若手の他の先生と比べるとかなり・・・・・・だ。
「そっ、そんな事無いです。ただ、私も皆も、バスキア教諭の事をあまり知らないからだと思います。バスキア教諭がずっと介助している八重垣さんは教諭の事を、優しいし、面倒見が良いしって、理想の存在みたいに思っています・・・・・・。だからその、あまり気になさらぬ方が」
「そっ、そうかしら。八重垣さんは白羽さんにそんな事を・・・・・・嬉しい。で、でも・・・・・・。貴女達はともかく、上級生はもっと辛辣に・・・・・・。影で酷い事を・・・・・・魔女とかカミーラ-バスキアなんて教卓に掘られたりしたの。その、白羽さんは聡明だし口は固いし、色々と相談したいのよ・・・・・・ねえ白羽さん、聞いてる? 最近ね、特に勾坂さんが私を親の敵みたいに・・・・・・。ねえ、匂坂さんがどうしてあんな態度取るのか教えて下さらない・・・・・・」
ちょっ、何この人、半泣きになってる。大人の癖にもう面倒くさいわね・・・・・・。話題を変える方が良さそう・・・・・・。
「ダリア先生は、今のままで良いんですよ。悩む事なんか必要ありません。私達はダリア先生を尊敬していますし、敬愛してます。私達の方だけを見ていてください。そうすれば・・・・・・」
「でも、でも、」
その時、突然保健室の戸が開いた。
「ダリアも白羽も、廊下で何やってるんだ? 聞く気はなかったけど、聞こえてくるから途中から聞いちまった。悪いと思ったけど・・・・・・。何だその、白羽は部屋に戻りなさい。今の話はもう終わりだ。白羽は荷物の整理が有るだろう? ダリアは私に用が有るんだろ? 入ってくれ。今コーヒーを淹れてやるから」
先生は、バスキア教諭を部屋に引き入れ、死角に消えた時、先生は私をきつく抱きしめた。そして耳元で・・・・・・
「ダリアは心の機微にどうにも不器用な奴でさ。めんどくさい奴なんだけど、大事な大切な友達なんだ。これからも力になってやってくれないかな、頼むよ・・・・・・。『先生、どうしたのー』今戻るー。これから暫くはここは大人の時間だから、お子さまは遠慮してくれ。判ったな。今日はもうここには来るな」
話の途中、バスキア教諭の媚びる様な声がしてから先生は豹変した。抱きしめていた私を離して部屋に戻った。大人の時間か、意味深ね、先生・・・・・・。
いけない、急がなくっちゃ。雲の切れ間から差し込む夕日を背に浴びながら廊下を早足で歩く。部屋の側まで来ていたのに、放送で私宛の荷物が届いたと連絡が入って玄関に逆戻りと相成った。普段なら後で受け取りに行くのだけど、この荷物は待ちに待ったものなのだから・・・・・・。
「はい白羽さん、ここにサインをして。とても大事そうに抱えてるけど・・・・・・」
「はい。とても大事なものなんですよ。オーダーをお願いしていたのがやっと届いたんです」
「大切な人からの贈り物なのかしら? 」
「ち・が・い・ま・す・! 私が贈るんですよー。気に入ってくれるかな? 」
「あらあら、ごめんなさいね。てっきりあの子が、貴女にバレエシューズを送ってきたのかと思って・・・・・・」
あの子? バレエシューズ? ふと気になり、荷物の箱の伝票を見ると、確かにバレエシューズ在中になっていた。お届け先は確かに私なんだけど、発送側は聞いたことの無いスポーツ用品店になっている。これって一体どういう事? これって本当に私の頼んだ物なのかしら?・・・・・・。さっきまでの浮かれた感じは霧散した。
「白羽さん、八代会長を知ってるでしょ? あの子ねバレエシューズ贈るの好きみたいなのよ。今流行ってるのかしら? あの子宛に月に何個もバレエシューズが届くの。あれって、履き捨てじゃないと思うから、私達はお友達に誕生日プレゼントしてたりするんじゃないって噂してたのよ・・・・・・」
そんな話聞いた事ない・・・・・・。変なの。あれ、そういえばこのスポーツ用品店の名前って?・・・・・・もしかして・・・・・・。やっぱりそうだわ。これってカメラ屋さんの店名のアナグラムだわ。もしかしてカメラ屋さんの店長さんと結託してのカモフラージュ・・・・・・。そうね、そうだわ。間違いない。譲葉ったらそんな姑息な事をしてたのね・・・・・・。ふふっ。
「どうかしたの、白羽さん? 急にニヤけちゃって。すまし顔もいいけど、貴女は笑ってる方がお似合いよ。それにしても元気そうで良かった。あの日、意識無く運ばれるのを見た時には、悪いけど覚悟しちゃった」
「遅くなってしまったけど、退院おめでとう。これは私達からのプレゼント。貰って頂戴。中は私達お薦めのDVDソフト。気に入ってくれると嬉しいけど。一応、学院のとはダブらない様にして選んだけど、見た事あるものならごめんね」
言われるままに袋を開けてタイトルを確認すると、殆どが見た事ないもので改めてお礼を言う。すると貴女の元気が私達にとっての最高の贈り物なの。そういわれて面映い。そして荷物を手に部屋に戻る。途中夕焼けが見事だったので暫し見て目に焼き付ける。この風景を譲葉は写真にどう撮るのだろうか、ふとそんな事を考えた。
「根本さん・・・・・・私です。入ります」
保健室のことを思い出しもしあんな状況が有ったらと、暫し躊躇した。意を決して鍵のかかっていないドアを開けて部屋に入ると、そこは誰も居なかった。部屋はカーテンが閉まっていて薄暗い。バッとカーテンを開けると、外は夕日で赤く染まる雑木林が広がっている。窓は閉まっているけどヒグラシの鳴く声が聞こえ耳からも夕方を感じる。虫は苦手だけど、鳴き声はどれも好き。特にひぐらしのもの悲しさは・・・・・・心に沁みる。
明るくなった部屋を見回すと、花瓶の花もあの日のままといった感じ。違う所は窓際に整然と置いてある私の荷物。取り急ぎ荷物を開封して中を確認した。良かった。間違い無く私のオーダーした物が入っている。ひい、ふう、みい・・・・・・ちゃんと数も仕上がりも完璧。思わず“いい仕事してますねー”そんな軽口を呟く。浮かれた自分を見られたかと誰も居ない部屋なのにキョロキョロと周りを見回した。すると椅子の後ろに括り紐の付いた封筒が落ちているのが目に付いた。
あれは何? 近づき手に取って見るとそれはアキラの召天記念日の書類だった。
「これってすごく大事なものじゃないの? 中見ちゃって良いのかな? どうしよう・・・・・・」
その時、締めていなかったドアから誰かが入って来る気配を感じ、慌てて書類をテーブルに放った。
「蘇芳ちゃん、今時間いい? 」
苺さんだった。後ろにもう一人顔は陰で見えないが、頭からゆるふわの髪でAラインになっているシルエット、髪の輪郭が夕日に透ける。その姿に見覚えが・・・・・・有る。
「いいわよ。私も苺さんに渡したいものが有るの。後ろにいらっしゃるのは小御門先輩ですよね。お二人共奥にどうぞ。今、私だけですから。何かお飲み物を・・・・・・」
「気を使わなくていいよ、直ぐに済むから。ねえ蘇芳ちゃん・・・・・・蘇芳ちゃんは林檎の事どう思ってるの? 手紙を読んだんでしょう? 気持ちを聞かせてよ。あれから林檎は熱だしてベッドで放心してる。見てられ無いよ。私達は何をするのも一緒に育って暮らしてきた。林檎があんなに成った事なんてただの一度も無いんだ。あたしじゃもうどうする事も出来ない。ねえ蘇芳ちゃん、林檎は蘇芳ちゃんを心の底から愛してるんだ。端から見たら横恋慕なのかもしれないけど・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「ずっと連れ添ったあたしなんかよりも、蘇芳ちゃんを・・・・・・。そうしたらもう、応援するしかないじゃないさ・・・・・・。八代先輩よりも他の人よりも、林檎を選んでよ、蘇芳ちゃん。林檎を幸せにしてやって。林檎はどんな事が有っても蘇芳ちゃんを裏切ったりはしないよ。だって先輩はもう・・・・・・」
そこまでで言葉が途切れた。小御門先輩が苺さんの頭を豊満な胸に埋めたからだ。そして小御門先輩が何かを呟くと苺さんは突然号泣した。それを小御門先輩が抱き留めながら床に座らせ、苺さんの涙を拭う。何時の間にか陽が落ち、外は逢魔が時になっている。
「蘇芳さん、苺さんは私が部屋まで送るから心配しないで。蘇芳さんは譲葉に会ったのかしら? 」
「いえ。退院してからはまだです。出迎えにも来なかったし・・・・・・」
「譲葉ね、今学外に居て深夜まで帰って来ないのよ。色々な荷物を背負いこんでてね・・・・・・。代わりといっては何なんだけど、今日の夕食、私と一緒にどうかしら・・・・・・。余人を交えず二人っ切りで」
笑顔だけど、目が笑っていない・・・・・・。そこで出る話は私にとって決していい話ではないだろう。でもこの人は何かを私に言う、伝える責務が有る、そう理解した。
「わかりました。で、何処で? 」
「スタッフさんのレストルーム。調理場の裏側。外からスタッフさんの通用口を入るの一般の生徒は絶対来ない場所よ。料理を冷めないで頂けるの。だから退院のお祝いを兼ねて火の通ったお肉料理を予約してあります。それでは十九時半に迎えに来ますね。そうそう、蘇芳さんは苺さんに渡す物があったのでしょう? 」
このタイミングでは・・・・・・。でも話の間、ずっと小御門先輩の胸に顔を埋めていた苺さんがこちらに顔を向けて私を見据える。
「今日、カメラ屋さんから小包が届いて・・・・・・。沙沙貴さん達がカメラを買った時にね、私こっそり頼んでた物が有るのよ。これなんだけど、良かったら使ってくれない? ラッピングが出来ていなくて悪いんだけど・・・・・・」
怪訝な顔の苺さんにビニールに包まれたそれを手渡した。
「蘇芳ちゃん、これって・・・・・・」
「カメラ屋さんで、皆盛り上がってた間、ぼっちでプラプラしてたら、ストラップのオーダーを受けますって貼り紙見つけて。それで沙沙貴さん達とマユリさん、孝崎さん、それと譲葉の分を作って貰ってたの。さすがに当日は無理で今日届いたの・・・・・・」
「苺さんはイチゴ柄に名前の刺繍、林檎さんはリンゴ柄に名前の刺繍。マユリさんのは小さいから柄が選べなくて名前の刺繍だけなの。孝崎さんのは梅柄に名前の刺繍。譲葉は葉の柄は良いのがなくてね、サッカーのユニフォームの色に近い色の生地に、名前の刺繍と英語のメッセージを刺繍して貰ったの。内容? 秘密よ。オーダーなんでたすき掛け出来る様に長めにしてもらったわ」
「蘇芳ちゃん、ありがとう。嬉しいよ・・・・・・。林檎も絶対喜ぶよ。最高のサプライズだよ蘇芳ちゃん・・・・・・」
さっきまでの苺さんは、何処に? それ位豹変した笑顔。そんな苺さんを抱えて小御門先輩もまた笑顔。
「小御門先輩、これを譲葉に渡してくれませんか?」
「自分で渡さなくていいの? 」
「照れくさいから・・・・・・。交換日記は自分で渡しますけど・・・・・・」
「判ったわ。任せて・・・・・・」
苺さんも、小御門先輩も少し笑顔が固い気がする。やっぱり自分で渡した方がいいかな?
「ごめんください。こちらに沙沙貴苺ちゃん、来てませんか? 」
また誰かが来た。誰だろう? どうぞー。開いてます中に居ますよ、苺さん。そう返事をすると、失礼します、の声と同時にドアが開く。薄暗い中、メガネをし理科の先生みたいな白衣を着ている女性がそこに居た。
その姿を見た苺さんが、抱き抱えられていた小御門先輩からパッと離れた。小御門先輩もなんだかバツが悪そうな顔をしている。何時の間にか電気を点ける暗さになっていた。リモコンを弄って部屋を明るくする。
「こんばんは。白羽さん。退院おめでとうございます。久しぶりにお会いしたけど元気そうで良かった。これ、つまらないものだけど退院祝い。いつも苺ちゃんと林檎ちゃんがお世話になってるから・・・・・・。 苺ちゃん、待ってのに来ないから心配したわよ。カメラの設定は一通り済ませたわ。林檎ちゃんのも設定したから後で取りに来る様に言って」
「ねえ先輩、カメラのストラップなんだけど、これに取り替えてくれないかな? 蘇芳ちゃんが私達のためにオーダーしてくれたワンオフなの。見て見て先輩。超可愛いんだよ・・・・・・」
苺さんはそう言いながら、白衣の先輩に抱きついていく。それを自然に受け止める先輩。そして母親に甘える娘の様な光景。素直に羨ましく思った。私の味わったことの無い体験・・・・・・。
ボーッとして見ていると小御門先輩が苺さんをこの先輩に託し、私に後でねとそう言い残して部屋を出て行った。小御門先輩に頭を下げる白衣の先輩の後ろ姿を見ながら、記憶の糸をたぐる。 この人何処かで・・・・・・。そうだ、前に廊下で声をかけられたことがある・・・・・・。窓からのり出した私に声をかけた人だ。あの時は名乗ってはくれなかった。
「苺さん、えっと、三年生の方ですよね・・・・・・。良かったら紹介してくださらないかしら、退院祝いのお返しもしたいですし」
「蘇芳ちゃん、ゴメン。初対面だよね。三年のね、榊先輩。天文部の副部長をしてるんだ。前に八代先輩に紹介してもらって、それからずっと親しくしてもらってて。前に話した交換日記のお相手。なんでも出来ちゃう凄い人なんだけど、万事控えめで自己主張しないから、過小評価されてるのが悔しいんだ。同じ天文部でも、部長の和田先輩とは全く違う立ち位置の人でね・・・・・・」
苺さんが堰を切った様に話し始める。それを聞きながら照れくさそうにしている榊先輩。暫くして苺さんの口に指を当ててもう止めてとアピールした。
「榊杏です。変な名前で名乗るの恥ずかしいの・・・・・・。あのとき名乗らなくてごめんなさいね・・・・・・」
「変な名前だなんて。あんずなんてかわいらしくて女の子っぽくて羨ましいですよ。私なんて、女と思われないこと多かったですから・・・・・・。病院とか呼び出されるところは苦手でした」
「先輩と蘇芳ちゃん、初対面じゃないんだ? 」
「前に廊下の窓から身を乗り出してたら、危ないって抱き抑えてくれたの。私の命の恩人なのよ、苺さん」
「おおげさよ。ただ軽く抑えただけ。白羽さんて冗談とか言わない人だと思ってたけど違うのね、意外だわ」
「先輩もそう思うよね。本人はそう思ってないみたいだけど、この見目形じゃ、冗談言うとは誰も思わないよね。だから言うと思いっきり滑るんだなー。林檎なんて何度真に受けたことか・・・・・・そう林檎!? しまった! 」
突然時計を見る苺さん。榊先輩の腕を取り耳打ちする。
「ゴメン蘇芳ちゃん、林檎をほったらかして話し込んじゃった。泣いてるといけないから、先輩と部屋に戻るわ。林檎のストラップ、貰えるかな? 落ち着いたらお礼に来させるから。じゃ、さっきの話良い返事期待してるよ、蘇芳ちゃん」
林檎さんのストラップを手渡し、マユリさんと孝崎さんのストラップも同時に託した。二人が出ていった部屋は時計の音だけがする。外は既に深い闇だ。カーテンを引きベッドに倒れ込んだ。時計は十九時を回っている。後三十分で小御門先輩が誘いに来る・・・・・・。
この時間になっても帰って来ないアミティエ。昼間の破廉恥なお仕置き。見ることになった私も相当に恥ずかしかったけれど、痴態を見せることになった、関本さんと根本さんは何倍も恥ずかしかったと思う。今日は会わない方が良いのかなと思ったけど、会って召天記念日の事を聞きたいなと思う気持ちが交錯する。
「蘇芳さん、行きましょう」
ノックの音と共に、私を呼ぶ声。結局来なかったアミティエに、メモを残し部屋を出る。一旦外に出て、靴が汚れない様に犬走りを歩き、スタッフさんの通用口から目的の部屋にたどり着いた。そこには既に食事が並んでいた。いい匂いに圧倒される。病院では鼻から刺激される食欲は無かったから・・・・・・。お腹が鳴ってしまいそう。
「退院のお祝いのスペシャルメニューよ。それじゃ、先ずは乾杯しましょう」
「ワインですか? さすがに拙くないですか? 」
「不味くなんて無いわ。すごく美味しいのよ。大丈夫、明日は安息日だもの、多少ははめ外したって平気でしょう? この時間の人は口が堅いから平気よ」
まずいって言うのは、そういう意味じゃないんだけどな・・・・・・。 ワインなら少しは嗜んだことが有る。まあ良いかと自分を納得させた。乾杯をして、ナプキンを広げナイフとフォークを手にする。
「冷めないうちに頂きましょう。今日のお肉はA5のサーロイン。柔らかいでしょう、白羽さん」
「美味しいです。まるで溶ける様な・・・・・・。こんなの頂いて良いんですか? 」
「今日の貴女はこれを食べる必然が有るのよ。 ワインも飲んで。スタッフさんのお見立てなの」
「香りが良いですね。口当たりもいいし・・・・・・」
他愛無い会話しながら、食事を済ませていく。終わるころには、少し酔いが回った。食器をスタッフさんが下げる。驚きのフルサービス。 贅沢な話には・・・・・・。
「蘇芳さん、譲葉のことなんだけど・・・・・・。取り敢えず、これを見て下さらない? 」
それは、昨日の日付の文書。学院の今後が書かれていた。感心して読んでいく私。しかし最後の紙を見て、体中の血が沸き立つ様な感覚に襲われる。
「これは、一体何の話? どういう事? なんで譲葉が、白木さんの養子に? それにどう読んだって、あの人が譲葉と一緒に、恋人に成るとしか・・・・・・。何の得が有って・・・・・・こんな手の込んだインチキ書類で私を貶めるのですか・・・・・・。私の入院していた間に一体何が? 退院の前日に受け取った譲葉からの交換日記にはこんな世迷い言は書いてありませんでした。最愛の人だって、写真も入ってました。何がどういうことなのか説明してください、小御門先輩! 」
「蘇芳さん、落ち着いて聞いて。貴女が退院してここに来てから、譲葉の姿が無いのは判っているわよね。でも、譲葉が葉子さんの手に落ちたことは、皆も知ってるの。今朝の礼拝の後、聖堂で発表が有ったのよ。あくまでも新体制移行の一環としてたけど・・・・・・。裏事情はもちろん暈してね」
「そして、先生も生徒も誰にも貴女にこの事を話さなかったし、文書も渡さなかった。それは、何れバレるにしても一時でも蘇芳さんから辛い事を引き離したかったの。笑顔が見たかった。だから貴女のクラスメートは知恵を絞ってホットタブパーティーを企画したわ。私達は掲示板の要項を全部剥がして、目に付かないようにした。そして私が話すまで自発的な箝口令は機能した。先生も黙っていてくれたし、スタッフさんも然り」
「一応皆は美談ということで理解しているわ。学院を改革し、その一環で不幸になりそうな一人の少女を助けたって事で。蘇芳さんはそれを慮って身を引き、円満に別れたって。皆そう信じたいのよ。黒沼さんと死別して、次の恋人を略奪されたのでは、あまりに悲劇的で蘇芳さんも皆も救いが無いもの・・・・・・事実はもっと酷くともね。
あのね蘇芳さん・・・・・・言いにくいんだけど、私、譲葉の召天記念日の事で譲葉を捜していた時、偶然に譲葉の事後の姿を見てしまったのよ。もう、葉子さんに完全に堕とされていたの。まるで囚われのお姫様が嬲り者にされた後の姿だった。
それでも私には気丈にしていたけど、正視に耐えなかった。あの事実を受け入れるしかない今の自分、目の当たりにしながら譲葉を救えなかった自分が許せないの・・・・・・ごめんなさい。蘇芳さんの方がもっとずっと辛いのにね・・・・・・。
でも、譲葉は自分を犠牲にして弟さんを想い、お父上を助け、関連の社員の雇用を救った。これは紛れもない事実。だから尚の事・・・・・・その意志は尊重をすべきなの。判って頂戴、白羽さん・・・・・・。お願いだから譲葉をもうこれ以上惑わさないで、酷い事を言ってる自覚は有ります。だけどね・・・・・・」
小御門先輩の言葉が、一言一言私の心を抉る。皆も知ってるって? 全部じゃないとしてもまるでピエロじゃないの私。良くない話しとは思っていたけど、まさかこんな酷いこととは想像の域を遥かに超えている。死別の後は今度は寝取られなの? だから沙沙貴さんが私を労ろうとしてあんな事を? でも卑怯よ、そんなの・・・・・・偶然だというなら、すべては神の意志なの? なんにしても、譲葉に会いたい。会って問い質したい。直接聞かないうちは納得できない。
ワインを飲んで幾らか酔っているのに救われている。少しだけでも嘘、担がれていると思う逃げ道があるから・・・・・・。考えるのを止めたら一気に酔いが回った。先輩に連れられてよたよたと未だアミティエの帰って来ない部屋に帰り、ベッドに滑り込んで人事不省に陥った。
「蘇芳さん、しっかりして。蘇芳さん」
「ここは何処ー? あんた誰? 」
「お酒臭い。ワインの匂いね。にしても、あんた誰って。誰が蘇芳さんにこんな事を。お酒に呑まれちゃって・・・・・・。ここは蘇芳さんのベッドよ、私はアミティエの小夜花よ。しっかりして」
酔っぱらいの介抱なんてした事ないよ。そうだ、ゆかり呼んでくるから、取り敢えず身体起こして。直ぐに戻るから待ってて。
「小夜花一体どうしたの? もう消灯よ」
「判ってる。取り敢えず来て。私一人じゃ色々無理なのよ。来れば判るわ」
「ゴキでも出たの? 」
「蘇芳さんよ。疲れて寝てるかと思ったら、泥酔してるの。寝ゲロしてるから怖くて。もし気管に詰まったりしたら・・・・・・」
「マジ? 先生には話せないしなそんな事。私達で何とかしよう。保健室の戸棚に先生の飲み過ぎ用の薬が有るの今日見たから、取ってくる。鍵? お姉ちゃんが合い鍵持ってるから・・・・・・」
「ゆかり頼むよ。待ってるからね」
「小夜花、待たして悪い。昼間と場所が変わってて、時間食った。でどう容態は? 」
「落ち着いてるけど、ゆかりこれを見て」
「その前に薬を。水取って。ハイ蘇芳さん飲んで頂戴。小夜花、吐瀉物は平気なの? 」
「吐瀉物って? 」
「嘔吐したものと下から漏らした物よ。見せて。ショーツの中は平気ね。気管の方も・・・・・・平気みたい。しかしまあ、これは一体何が有ったんだろ? 先生の所にチューハイは有ったけど、ワインは無かったのに・・・・・・」
「で、ゆかりこれ見てよ。手に握りしめてたから、悪いと思ったけど見ちゃったの。呼び出しの手紙よ、これ」
「・・・・・・・・・・・・」
「今何時? 二十三時か。どうしようか小夜花? 会わせないとまずいよね。私達にも責任の一端は有るし。車椅子借りてくるよ。蘇芳さんに話出来るくらい回復させてね・・・・・・」
ちょっと、何をすれば良いのよ・・・・・・。水でもかけるしかないのかな・・・・・・
「持ってきたよ、車椅子。蘇芳さん起きたかしら?」
「一応起きたわよ。代わりに頬を張られたけどね」
「何をしたの。真っ赤よ」
「お腹痛いって言うからゆかりから貰った紙おむつ履かせたの。そうしたらいきなり・・・・・・。お返しに紙オムツの中に氷入れちゃったよ。そうしたらもう一発貰って・・・・・・歯が折れたかと思ったもの。口の中切れちゃった。まあ目は覚めたわよ」
蘇芳さんはむくれている。私達のこともそうだけど、これから会いに行く人に・・・・・・。ゆかりと二人で、廊下を人に会わない様に、探りながら進む。静かな夜になるとゴムのタイヤのすれる音が響いてヒヤヒヤする。時間をかけて目的地サッカー部の部室にたどり着いた。時間はちょうど二十三時半だ。ここからは蘇芳さんに歩いて行って貰う。私達は外で待つ。
「譲葉、居るの? 蘇芳よ。返事して・・・・・・」
外に居る私達にも声が聞こえる。そしてドアの隙間が明るくなった。色的に蝋燭を点けた様だ。
「蘇芳、僕はここに居る・・・・・・」
「譲葉、私は譲葉を愛してる。譲葉は私の嫌いになったの? 」
「違うよ。僕も蘇芳を愛してる。他の誰よりもだ。それは今でも変わらないよ。だけど・・・・・・」
「小御門先輩にあらましは聞いたわ。でも、やっぱり納得出来ない。譲葉となら最後まで行けると思ったのに・・・・・・」
「許してくれ、僕は・・・・・・。家族を捨てられないんだ。蘇芳には一生恨まれたっていい。それは当然だ。蘇芳は何も悪くない。悪いのは僕だから」
「蘇芳、君を忘れないために、二の腕の内側に君のイニシャルを刻印した。入れ墨って奴だ。普通に入れると葉子にバレるから、モールスコードで入れた。これなら黒子に偽装出来るから。蘇芳のSは・・・なんだ。自分で入れたよ。墨ををね。多少は痛かったけど、蘇芳の心に比べたら些細な事だ」
蘇芳さんのすすり泣きが外に漏れてくる。衣擦れの音がしてテーブルらしきものをガタガタと動かす音が聞こえた。そしてキスをしている様なねっちょりする音。身体を求める声と愛撫する音、それに付随し八代先輩と蘇芳さんの二人の喘ぎ声が・・・・・・。それはとても愛しくも哀しく聞き取れた。
「蘇芳、ストラップありがとう。大切に使わせてもらうよ。折角のプレゼントに水を差してしまって、僕は最低だよな。ゴメン、蘇芳」
「これは、まだ誰にも言ってない事だけど、召天記念日の祭事が終わったら、僕と葉子はイギリスに短期留学に行く。十日ぐらいだ。将来のテストケースとして。それに弟のサッカー留学の手伝いにも少し関わるんだ。もしかしたら一人一年生を連れていく事になるけど、蘇芳を選んだら来るかい? 」
「それは、嫌。無理よ、葉子さんも一緒に居るなんて辛すぎる。遠慮させてください・・・・・・」
「そうだよな。また苦しめてしまったな。僕はやっぱりダメな女だ。結局ネリーも蘇芳も幸せに出来なかった・・・・・・」
「後で交換日記をくれ。最後になるかもしれないから、いっぱい書くよ。身から出た錆だけど、残念だ」
「もし、用が有ったらネリーを通すか、三年の榊先輩を通してくれ。それじゃ、おやすみ、蘇芳、さよなら、蘇芳」
ドアが開き、八代先輩が出てきた。暗くて良く分からないけど、嗚咽が聞こえる。校舎の壁にもたれ泣く先輩。月明かりに涙の筋が見える。向かいの暗がりに座っている私達に、先輩が気付いた。
「君達聞いてたのか・・・・・・これが・・・・・・君達が望んだ結果だろう? 参ったよ降参だ・・・・・・。二人で部室から蘇芳を連れ出してくれ、あいつはきっと僕より辛いはずだから・・・・・・」
言われるままに部室に入り、泣き崩れる蘇芳さんを抱えて部室を出た。車椅子を押して立ち去る私達に、部室を閉める鍵の音が聞こえた。その音は暗く冷たく、私達の心に響いた。
会長の思惑、Second Phase、ご愛読ありがとうございました。
続きは、白羽蘇芳という生き方 になります。良かったらお付き合いくださいませ。