その日、小谷マキ(こたに まき)は上機嫌だった。
黒森峰女学園に入学してちょうど一年、今日から2年生としての日が始まる。
何といっても努力の甲斐もあって、戦車道の名門として名高い黒森峰で、自分は明日から正式に副隊長を務める事が出来るのだ。
それだけではない。昨年全国8連覇を成し遂げた隊長である、憧れの大谷先輩と一緒に隊長・副隊長の関係で、今日からこの一年、また一緒に戦車道をできる事が嬉しかった。
大谷香織(おおたにかおり)は女子高生にしては上背が高く、ゆるいウエーブのかかった長い髪を持つお嬢様風の女生徒だ。普段はにこやかだが、いざ戦車の時間となれば、人が変わったように厳しい。しかし厳しいながらも話の判る人物でもあり、その清楚で品のある振る舞いは他の女生徒たちにも人気があった。
髪の毛は短く、見た目はスポーツ系少女、生真面目ではあるが、どちらかと言えばせっかちで単純な小谷マキも自分とは対照的な香織にあこがれていた。
先ごろ3年生が引退して自分が副隊長に指名された時は夢心地だった。しかも隊長は憧れの大谷香織先輩だ。元々副隊長であった香織が隊長になるのは黒森峰の慣習でもあり、実力からいっても当然だったが、高校から戦車道を始めた自分が副隊長に指名されるとは思ってもいなかったので、マキの喜びはひとしおだった。
昨年の公式大会を優勝して以降、練習試合もいくつかこなし、それなりに実績もあげてきた。すでに学園内はもとより、外部でも常勝黒森峰の大谷・小谷の大小コンビとしてそこそこ名も知られて来ている。マキとしてはそれも密かに自慢の種だったし、憧れの大谷香織とセット扱いされている事が面映くもあり、嬉しくもあった。
しかし、その喜びはその日の戦車道の集まりがあるまでだった。
始業式の後に緊急で集められた戦車道の新2年生・新3年生の履修者を前に隊長である大谷香織は驚くべき話しを始めた。
「皆さん、今日は突然の事でお集まりいただいて申し訳ありません。本日集まっていただいたのは他でもありません。今後の黒森峰の戦車道の体制に関しての事です」
一体何が始まるのだろうと、マキ以下の戦車道履修者たちは香織の続きの言葉を待った。
「私は明日をもって隊長を辞任して一隊員に戻ります。副隊長は引き続き小谷さんに
やっていただきますので、皆さん明日からそのつもりでよろしくお願いいたします」
その言葉にマキはいきなり頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。
一体どういう事なのか?先輩は黒森峰から転校してしまうのか?
いや、それならば今後は一隊員としてなんていわない筈だ。
しかも私は副隊長のまま?それじゃ隊長は一体誰が・・・?
様々な思考が錯綜して混乱する。
周囲の者の反応を見ると、マキ同様混乱している者、ああ、やっぱりねと妙に納得しているような者たちと半々のような様子だった。
半ば混乱したままのマキが大声で香織に質問をする。
「隊長!それは一体どういう事ですか?」
大谷隊長はマキの方を見るとすまなそうに話し始める。
「小谷さん、副隊長であるあなたにも何も相談せずにごめんなさいね。でも、これは私も昨年からある程度考えていて、最終的に決めたのは昨夜の事なの。許してね」
「ですから一体どういう事なのですか?先輩は戦車道を辞めてしまうのですか?」
「いいえ、私は今年も一隊員として戦車道を履修するつもりですよ。
そして我が黒森峰の9連覇のために微力を尽くすつもりです」
「だったらなぜ?そもそも隊長がやめられたら黒森峰隊長は誰が務めるのですか?」
何といっても破竹の全国大会8連勝、戦車道をやっている者なら知らぬ者のない名門、常勝黒森峰の隊長である。
マキとて昨年までは戦車には全く興味もなく、黒森峰に入ったのもたまたまで「ああ、そう言えばここって戦車道で有名な学校だっけ?」程度の認識であった。もちろん戦車道に関する知識は全くの0だった。それがオリエンテーションで見た戦車道の映像に感激して戦車にとりつかれ、なかんずく黒森峰の長い歴史の中でも隊長として5本の指に入ると言われている大谷香織の姿を見て憧れて戦車道を履修したのだった。
初心者のマキとは違い、幼い頃から戦車道を学んで来た彼女は、1年生の最初から副隊長を務め、2年になった時は3年の先輩をさしおいて隊長になるのでは?と噂さえされた人物だった。結果としては香織が遠慮した事もあり、慣習どおり3年生が隊長になったが、その働きは目を見張るもので、3年生が引退する時には香織が隊長になったのをなるべくしてなったと全員が納得したものだった。
それが隊長を辞める?彼女以外にどこに、この栄光ある常勝黒森峰の隊長にふさわしい人間がいるというのか?誰もがそう思うだろうと思い、その疑問を素直にマキはぶつけたのだった。しかしそれに対する香織の答えはマキの意表を突いたものだった。
「それは私より隊長にふさわしい方がいるからです。その方に隊長を務めていただき、私はその方の足を引っ張らないように補佐をさせていただきます」
補佐?足を引っ張る?マキは自分が日本語を理解していないのかと混乱した。あの名将である大谷隊長が足を引っ張る事や補佐に徹する事など、どう考えてもありえない。
自分は何か悪い夢を見ているのではないだろうか?
そう、マキは思った。
マキが混乱していると別の2年生から質問が上がる。
「隊長!隊長ほどの方が隊長を退いて補佐に徹するという事は、その新しい隊長はドイツかどこかから転校してくる2年生か3年生という事なのでしょうか?」
その質問はもっともな事で、香織ほどの実力者を自ら隊長を辞める決心をさせるとはそれ以外にマキとしても考えられなかった。戦車道の盛んなヨーロッパで活躍した実力者ならそれも仕方がない事だろうと・・・その程度の知識はマキも持っていた。
「いいえ、正式な引継ぎは明日の戦車道の授業の時にする予定ですが、次の隊長は新入生として、すでに本日わが校に御入学されています」
その言葉に集まった者の半数はざわっと驚き、半数はやっぱりね、と納得したようにうなづく。もちろんマキは納得しない半数側だった。
「にゅ・・・入学?つまり一年生?隊長は次の隊長を今日入ったばかりの一年生に譲ろうというのですか?」
「そうです、あなたも副隊長として、その方の補佐をしていただくよう、私からも強くお願いします」
その言葉に愕然としたマキが答える。
「もちろん隊長がそのようにおっしゃるなら私は従うつもりです。
し、しかし、何故なんですか?何故黒森峰の歴代隊長の中でも5本の指に入ると言われるほどの大谷先輩が、その新入生の補佐にならなければならないのですか?」
そのマキの質問に香織が軽く微笑みながら答える。
「そう言えばあなたは高校から戦車道を始めて、まだあまり戦車道の世界の知識はなかったのでしたね」
「はい、もちろんそれは認めます。確かに戦車道の知識に関してはこの一年さほど進歩はありません。しかし、その代わりと言ってはなんですが、実践の方は私の力の限りやったつもりです」
訴えかけるようなマキの言葉に香織もやさしく答える。
「それは私にもわかります。それを認めたからこそ先代隊長もあなたを副隊長に指名したのだし、私もあなたは副隊長にはふさわしいと考えています。しかし、あの方には私もあなたも遠く及びません」
「あの方?その新入生ですか?」
「ええ、あの方さえ今年入学しなければ、私も自ら隊長を降りるという事はしなかったでしょう」
「一体その新入生は何者なのですか?」
そのマキの質問に直接は答えずに、香織が説明をはじめる。
「マキさん、あなたは戦車道を始めてまだ一年にしかならないというのに名門である
この黒森峰の副隊長になれた。それはあなたの元々持っていた才能と努力の賜物です。そして私も少々自惚れさせていただくなら、戦車道を履修している者の中で成績は良い方だと思っています」
「はい、私の事はともかく、隊長に関して、それは当然だと思います」
事実マキにとって、それは手に持っていた物が離れれば地面に落ちるというのと同じ位に当たり前の事だった。
「でもね、マキさん、世の中にはそんな才能とか努力とか言う言葉では表せない人も
いるのよ?いえ、本当の才能と言う言葉、それはあの方のためにあるのかも知れない・・・」
「そんな人が・・・?」
「ええ、才能・・・いえ、天才という言葉はあの方のためにあるのだと思うわ」
「天才・・・」
「明日になればわかるでしょう。今日は皆さんにその心構えをして欲しいので、こうして集まってもらったの。突然だと混乱するでしょうし、皆さんそれぞれ思うところもあるでしょうから、これだけ先に伝えたかったの。では、皆さん、明日は必ず戦車道の授業に遅れないようにしてくださいね」
そう言うと香織はぺこりと頭を下げると話を終えた。
香織の話が終わり、全員が解散したあとも、マキはその場で一人呆然として立っていた。