男女がその思いを相手に伝える際に和歌を詠んでいたような時代の人々は花を見て、絢爛さと共に死を見出した。
それは花がその優美さの裏にいつ散るか分からぬ脆さを残すからだ。初めてそんな話を何処かで聞いた時は私も幼かったから理解できなかった。
どうしてこんなにも懸命に美しく咲く花が死なのだろう。むしろ生の象徴ではないか。
そう思っていた。
だが今宵此処に至り、私はその意味が分かった。花が懸命に咲くのは死ぬからだ。花が美しく咲くのは妖怪より、人間よりも短い生の中に意味を持とうとするからだ。
今私の前で咲き誇る彼女が何を思うのか私には分からない。けれど確かにその様はあらゆる妖怪に対峙しうる私に、博麗の巫女たる私に死を感じさせた。
〇
幽々子から放たれる鮮やかな群れは霊夢を押し潰さんとする。熱を持ったそれらが霊夢を掠める度、その肌を赤く染めた。
ゆったりとした流れの河のように流れていくそれらを避ける霊夢にはまだまだ余裕が見られる。それもそうだろうスペルカードルールの創設者が一定のばら撒きで手を焼く筈が無い。
「簡単に避けてくれるわね。これでもちゃんと考えてるのよ?」
「私が真剣に避けるくらいには難しいんじゃない?」
霊夢の口振りはまるで人間を相手取るかのようだ。会話だけ聞けば幽々子が冥界の管理者である事などわからないだろう。
「貴方に牽制なんて無意味ね」
ないもの同然に避けられる様子見の弾幕に意味は無い。
「そうね、一枚目はこれにしましょう」
ババ抜きのカードを選ぶかのように軽い物言いで幽々子は宣言をする。
『亡郷「亡我郷 -自尽-」』
忘我の境、それは吾を忘れて夢中になることを指す。死んだ理由を忘れた哀れな亡霊は弾幕に思いを乗せる。
五本の熱線が霊夢の右手から迫り、左からは楔弾が無茶苦茶にうねりながら襲いかかる。幽々子が手に持つ扇を振るえばそれらは左右を入れ替える。
弾幕を自在に操る彼女は幽霊楽団の指揮者と言えよう。
レーザーに押され攻めることができないながらも紅い蝶は弾幕の網にかかることは無い。
(これじゃ駄目ね…)
パタパタとリボンをはためかせ縦横無尽に飛び回る霊夢を見て幽々子は弾幕を切り上げる。
「あら、もう終わりなの? 早すぎない?」
「少し見ただけでもあれじゃあ貴女を捕まえられないことはわかったわ」
「ふーん。じゃあ春を返してくれるわけ?」
「そうも行かないのよね。所詮さっきのは準備運動みたいなものよ」
幽々子がその手の中の扇を開くと彼女の背後に大きな扇の像が浮かび上がる。
「随分大仰ね。本気ってやつ?」
「折角おこした異変だもの。全力で遊ばせてもらうわ」
『華霊「バタフライディルージョン」』
関東や中部の一部地方では黒いアゲハ蝶の事を[鎌倉蝶]と呼ぶ。それは元弘三年の鎌倉の戦いで死んだ兵の霊魂だと言い伝えられているものだ。その鎌倉蝶の如く幽々子の周りを漂う霊魂がその姿を蝶に変え、霊夢目掛けて進み始める。それと同時に幽々子は霊夢の動きを制約せんと全方位に細かい弾を放っていく。
「チッ!」
思わず霊夢の舌打ちが漏れる。
上手く動けない上に蝶がひっきりなしに追いかけてくるのだフラストレーションが溜まるのも無理はない。
だが、それでも霊夢は当たらない。蝶を上手く交わしながらも細かい弾にも当たらない。恐ろしいことに開始僅か20秒程で動きに慣れが見え始めた。
「ふふ…凄いわね」
その動きたるや幽々子が乾いた笑いを起こすほどである。本当に人間なのかと疑わしくなるほど完成されていた動きは亡霊さえも魅了した。
「ほら、これももう当たらないわよ。さっさと次いきましょ」
余裕を見せる霊夢だったが、次の瞬間に目を剥く事になる。
「まだ終わってないわよ?」
突然に蝶がその動きを変えた。霊夢を狙って追ってくるのは変わらないが、バラバラに迫ってくるそれらが一点に集まった瞬間に花火のように大きく爆ぜたのだ。
流石にこれには大きく動きを乱される霊夢。咄嗟に張った結界でなんとか凌いだもののその結界は直ぐに朽ちていってしまった。
「……」
確かに霊夢の張った結界は急ごしらえで粗末な物だったのかもしれない。だが、腐っても博麗の巫女の結界だ。たかが弾幕一発でダメになるものではない。
(当たると不味いわね…)
その蝶にただならぬものを感じた霊夢はスピードを上げ掠りもしないよう大きく避ける。
「ああ、最初の一発で決められなかったかぁ…。こうなるともう駄目ね」
悲しげに俯いて蝶を手元に戻す幽々子。
「その蝶々何?」
「分からないなら当たって確かめてみればいいじゃない」
『幽曲「リポジトリ・オブ・ヒロカワ -神霊-」』
今回三枚目のスペル。
幽々子が宣言すると同時に下から湧き上がってくる霊魂の群れ。それは幽々子の元に着くとやはりその姿を蝶へと変えた。
列を成した蝶の群れが様々な方向へと伸びていく。その量が多すぎて霊夢は列の間を潜ることができない。
やむなしと蝶の列ぎりぎりを掠りながらも交わしていく。
「っ!」
霊夢は気づいた。その蝶々の触れた袖が灰の様になって崩れ落ちていくことに。だが大きく動けば自身の場所を見失うほどの量の蝶達を前に余裕を持って躱すことなど出来なかった。幽々子に当たっているかどうかも分からぬまま必死に札を打ち込む霊夢の顔に汗の粒が付き始める。
「はあっはあっ…」
その弾幕が終わる頃には霊夢は肩で息をしていた。
「酷い格好ね。はしたないわよ?」
幽々子の言うように霊夢の身なりはボロボロだった。肩から腕にかけて分離されている袖は既に完全に朽ちてしまっている。紅いリボンを失った髪はそのまま流されており、ブーツはもはや唯のスリッパのようになっている。
「そう思うならその蝶々やめてくれないかしら?」
スリッパを脱ぎ捨てつつ吐き捨てる。
「貴方の様に反則みたいなのにはこれくらいしないと勝てないでしょ?」
「それをしても勝てないと思うけど」
「自分の姿を見て言いなさないな」
「五月蝿い。こんな物当たったうちに入らないわ。余裕よ余裕」
確かに一発も当たっていない。
幽々子からすれば信じ難い結果であった。先のスペルで終わると思っていたのだが、予想以上に博麗の巫女は化け物らしい。
「強がりも程々にしなさい。次でトドメにしてあげるわ」
その口振りには絶対の自信が見られた。霊夢は手持ちの札をリボンがわりにして髪を束ねる。
「ふぅーっ」
幽々子の自信を目の当たりにして気を引き締めた霊夢は亡霊である幽々子がぞっとする程に張り詰めた空気を纏っていた。
「貴女面白いわね。本当に人間?」
「…前も吸血鬼に同じ様なこと言われたわ。正真正銘唯の人間よ」
言葉を交えながらも霊夢の集中は切れることは無い。どこにも隙がなく、何を打ち込んでも躱されてしまう様な錯覚すら覚えるその瞳を見て唯の人間だと思いたくない幽々子だった。
これでは駄目だと今出そうとしていたスペルカードを仕舞う。
「……いいわ。本当に最後にしましょう」
自身の力では目の前の人間もどきを落とすことは出来ないと悟った亡霊はその場にて新しくスペルカードを作った。それは彼女だけの弾幕では無い。
背後に聳える妖怪桜を使った弾幕。
『桜符「完全なる墨染の桜 -開花-」』
西行妖がその輝きを増し、桜の花びらの様な米粒サイズの大雨を降らせる。その中を優雅に舞う蝶が霊夢を狙う。
魔理沙や咲夜であれば避けることが出来ないと思われるほどの弾幕。普段の霊夢であっても手を焼くと思われる程だが、今の霊夢を捉えることは難しい。掠ることもできない蝶を大きく避けつつ雨を縫うようにして避けていく。避けつつ放たれる針は正確に幽々子を目指す。
桜吹雪のような弾幕の中を攻守入れ替えつつ自在に動き回る二人は踊っているかのようだ。
だが残念なことにその激しくも美しい演舞は長くは続かなかった。やはり弾幕ごっこに関しては霊夢の方が一枚も二枚も上手だったのだ。
「よしっ!」
幽々子の放つ蝶が霊夢の肌をかすめ微かに血を流し、気を緩めた一瞬を見逃す霊夢ではなかった。気が付けば霊夢の投げる針と札が目の前にまで迫っていたのだ。
「あっ…」
幽々子は咄嗟に目を瞑った。
〇
「…」
「…」
今何が起きた? 私は確かに目の前の亡霊を仕留めた筈だ。あの距離で避けることなど出来る筈が無いと思ってた。
だが実際はどうだ。私の投げた針も札も捉える事なく地面に落ちていった。
すり抜けたのだ、その体を。そこでやっと気づいた。
幽々子の身体が徐々に透けている。薄く向こう側を覗ける位には透けている。
「えっ? 何よこれ」
私よりも焦った声を聞く限り、幽々子にも予想外だったのだろう。
呆気にとられる私を他所に幽々子はその体をどんどん透過させていった。足先から徐々に見えなくなっていき遂にはその全身が視界から消えてしまった。
「何よこれ…」
それと共に消えていく弾幕。これで終わりだというのか。突然の事に頭のついていけない私だったが直ぐに気を取り直す事になる。
突然に桜の花弁が辺りから西行妖に向けて集まり始めたのだ。
「ちょ、ちょっと!」
そして西行妖から溢れてくる一つの大きな霊魂。それは人形へと形を変えた。
「ゆ、幽々子?」
それは何処からどう見ても先程まで戦っていた亡霊だった。だが、髪に隠れた顔から表情を読み取ることは出来ない。
「何なのよこれ?」
幽々子に聞けども声は帰ってこない。
「ねえ、聞いて―――」
「…身の憂さを思ひ知らでややみなまし
ーーーーーーー背く習ひのなき世なりせば」
幽々子が囁くようにしてその歌を詠んだ瞬間、大気が爆ぜた。西行妖の光が爆発的に辺りを照らしていく。
「は?」
私は視界一杯に広がる蝶を見て立ち竦むことしか出来なかった。
〇
その蝶々が霊夢に触れる事はなかった。
「霊夢大丈夫?」
心配そうに霊夢の顔をのぞき込む紫。その後ろでは九尾の式が大量の結界を貼っている。
「え? えぇああうん」
ようやくはっとしたように返事をする霊夢。
「大丈夫ならここから一旦離れるわよ。藍もそうもたないわ」
藍の張る結界は張ったものから順に蝶がぶつかり朽ち果てていく。
ずっと此処にいては藍の力が尽きるのも時間の問題だろう。そう判断した紫は直ぐに隙間を開き全員を入れた。
気味の悪い目玉だらけの隙間を抜け霊夢たちが降り立った所には畔と咲夜が立っていた。遠くで西行妖が輝きながら蝶を放っているのが小さく見える位の場所だった。
「霊夢、大丈夫だった?」
「大丈夫でしたか? 霊夢さん」
心配そうに擦り寄ってくる二人に問題ないと頷く。
「ちょっと、紫。あれ何なのよ」
「幽々子から聞かなかった? 西行妖という妖怪桜よ」
「私が聞きたいのはそんな事じゃないの。わかるでしょうが」
「…あれは西行妖の本当の姿。幽々子が集めた春があの桜の封印を緩めてしまったのよ」
「…」
沈黙を以てその先を促す霊夢。
「でも完全に解けてはいない。春が足りなかったようね。あれは西行妖の抵抗なのよ。封印されたくないと暴れ回っているけれど暴れるだけで解ける程、温い封印はされていないわ。その証拠にあの桜に集まった春度は散って今まさに幻想郷へと帰っていっている」
「…あいつの様子がおかしかったわ」
「…それはちゃんと後で説明するわ。今はあの桜が散り終えるのを待ちましょう」
そう言って西行妖を見る紫。無造作に死を振りまくそれは目を背けるべきものである筈なのに何故だか視線を逸らすことは出来なかった。
封印という名の、ある意味死と言えるものから逃れようと藻掻くその姿が遥か昔の幽々子と重なったからだ。