唸りを上げながら散っていく西行妖の花弁。視界を埋め尽くす程のそれは幻想郷に冬の終りを告げる春の奔流。天から幻想郷に振りかけられたそれらは雪雲を吹き飛ばす春一番を吹かせ、積もる雪や凍りついた湖を融かす暖気をもたらした。
自身の季節が終わり悲しげな顔をする雪女もいれば、一方でようやく自分の仕事の時期だと笑顔で春を告げに出かける妖精もいる。
花弁と共に飛び立つ蝶々は名も知らぬ霊魂へとその姿を変えていく。徐々に眠りにつく西行妖。
奪われた春はようやくあるべき場所に桜の花を芽吹かせた。
〇
何だろうか。長い眠りから醒めたかのような体の感覚。
体を見遣ってもいつもと変わらない霊体の体が宙に浮いている。
ふと頬を掠める桜の花びらに顔を上げると枯れた大きな桜の木が静かに佇んでいる。
「あぁ…負けちゃったのね…」
声に出すことで自分を慰めたかったのかもしれない。結果は変わらないと言うのに。
「そうね、終わったわ」
スキマを使ったのだろう。いつの間にか隣に来ていた紫が私の独り言に言葉を返す。色々と手を回していたらしい私の友人。
「幽々子?」
私の顔を覗く紫が驚いた様な声をあげる。
「何?」
「泣いてるわ」
私は泣いていたようだ。目元を拭ってみれば確かに水滴に触れた。眠っている間に零れたのだろうか、怖い夢を見て涙を流すなんて子供じゃないのだからやめて欲しい。
紫に見られてしまったではないか。またしつこく弄られてしまう。
「嫌だわ…年かしらね」
誤魔化すように笑う。うまく笑えているだろうか。涙にすら気付かないのではどんな顔をしているのかなんてもっと分からない。
「…、なんで紫がそんな顔してるのよ」
ただ私が泣いていると言うだけで紫の顔も曇っている。これでは私がなにか紫にしたみたいじゃないか。
「ねぇ紫。ここにいる人…誰か知ってる?」
「……」
西行妖を指差し、俯く紫に尋ねてみる。
「昔此処にいた妖忌に聞いても教えてくれなかったのよね。ーーー何か知らない?」
「…ごめんなさい。
私、私は知らないわ」
「ーーーそう」
この友人は嘘をつくのが下手らしい。今にも壊れてしまいそうな表情を浮かべ、言葉に躓きながらの紫の言葉。
普段の私なら駄々をこねたのかもしれない。でも何故かこの時だけはそんな気にならない。紫は私の為を思って嘘をついたのだろう。態々それをほじくり返そう等と思えなかった。
それにしても負けた後だと言うのに私の心には何の雲も掛からず、すっきりとしていた。
「お花見、出来なくなっちゃったわね」
死んだ冥界の桜たちを眺める。ついさっきまで美しく冥界を彩っていたそれらは今や痩せ細った枝を残すばかり。むくつけしき冥界本来のあるべき姿を取り戻したという事だろうか。
「じゃあ神社に来なさい。お花見したいならすればいいわ」
ボロボロの霊夢が背伸びをしながら私に言ってきた。
「いいのかしら、私は敵よ?」
「まだそんな事を言ってる奴がいる事に驚きね。あんたみたいな妖怪だの亡霊だののガス抜きに私が付き合っただけよ。終わってしまえば敵味方なんて知らないわ」
この巫女を絡めとる事など誰にも何にも出来はしないのだろう。どこまでも自由な彼女を見ていると何故だか羨ましく感じる。
「そう…じゃあ妖夢と二人でお邪魔しようかしらね」
浮世の桜も悪くないかもしれない。
〇
「あのっ咲夜さん」
「どうしました?」
私たちから少し離れた桜の木ノ下で紫さんや霊夢さんが話している時に私たち二人はそれを遠巻きに眺めていた。
「私たちどうすればいいんでしょうか…」
幽々子さんの話を聞いた手前顔を出しづらい。
「どうもしませんよ」
「え?」
「どうにも出来ません。彼女の話はもう起こってしまった奇禍です。それこそ時間を遡る事でもしない限り何も出来ませんよ」
「…」
時間を操る咲夜さんが言うと説得力が違う。
それでも私は何かしなくてはならないのではないか。何かしてあげないと彼女が浮かばれないじゃないか。そう思ってしまう。
「私たちがするのは何も知らぬフリをする事くらいですかね」
他人事みたいに話す咲夜さんに少し心が沸き立つ。
「っそんなーー」
「お言葉ですが、畔さん。
共感できない者からの同情なんて貰っても不快なだけですよ」
「――――……」
咲夜さんの放つ言葉のナイフは的確に私を貫いた。
そうだ。
そんなこと私が一番よく知っているではないか。所詮誰も彼も他人なんだ。
本当に当事者を理解できるのは当事者だけだ。
同情ほど簡単に他人を傷つける道具なんてないのだ。
「そ、そうですね…。ごめんなさい」
私が幽々子さんになにかしなくてはと思ったのは幽々子さんを助けたかったからではない。私を助けたかったんだ。
何かしなくては薄情だと思う自分を慰めたかったんだ。
「いえ、私も言葉が過ぎました」
二人で互いに頭を下げていると別の声が聞こえてきた。
「おまえら二人で何やってんだ?」
そこには器用に手を使わず箒の上に胡座をかいている魔理沙さんと洗濯物のように箒に引っかかるさっきの女の人がいた。
「いや、何もしてないわ。それよりなんでそれ持ってきてるのよ」
「ん? ああっこれな。これはさ、異変終わったっぽいから来ようと思ったんだけど、こいつだけその辺に放置するのも可哀想だったからな」
哀れ、モノ扱いされるその人は顔を上げない。
「…随分苦戦したみたいね?」
チラと魔理沙さんの腕を見た咲夜さん。確かに魔理沙さんの腕は赤く腫れ上がり所々擦り切れて血も見える。見ているだけでこっちが痛くなってきそうだ。
「あー…まぁな。色々あったんだよ」
「そう。こっちも色々あったけど、見ての通りよ」
「みたいだな…」
もはや異変は終わった。事後処理を残し私たちは帰るだけだ。
「あら、魔理沙来てたのね」
ふわりと私たちの元へ飛んでくる霊夢さん。
「帰って準備するわよ。勿論あんたらも手伝いなさい」
そう言って私と咲夜さんを指さす。
「何のですか?」
「何って決まってるでしょ」
聞かなくても予想はつくが、まぁお約束ということで。
「お花見よ」
〇
出遅れた分を取り戻そうと躍起になって咲き誇る桜たち。
壊れたラジオの様にしきりに「春ですよーーっ!!」と叫ぶ春告精は声が枯れデスボイスのような音になっている。
冥界から場所も日にちも移して博麗神社。金銭周りが火の車であるその神社。冷えきった賽銭箱だが凍りつく筈のないその神社が物理的に凍りつくほど厳しい冬は漸く過ぎ去り、博麗神社の誇る幻想郷を一望する景色からは鮮やかなピンク色が一世を風靡している様が見られる。
「ちょっと何であんたらも来てるのよ。私が呼んだのは畔と咲夜だけよ」
「いいじゃない霊夢。春を奪ってた輩の顔を拝みに来たのよ」
背中から伸びる蝙蝠羽をご機嫌そうに揺らしながら日傘を回すレミリア。口ではこう言っているが詰まるところ宴会があるから来ただけだ。フランも来ているがこれまた畔が行くからという理由でついてきている。
平然と昼間に外を出歩くこの姉妹は本当に吸血鬼なのかと聞きたいくらいだ。
というわけで今博麗神社に集まるのは、霊夢、魔理沙、咲夜、レミリアとフラン、幽々子と妖夢、そして畔の八人。内五人が人間でないところを見ればここに参拝客が来ない理由も推測できる。
ともあれその八人のしごとの分担はこんな感じである。幽々子と霊夢とスカーレット姉妹が先んじて花を楽しみ、咲夜と妖夢はつまみを作り、畔と魔理沙が桜の下に毛氈を敷く。
いやぁ、誰がどう見ても完璧な仕事分担である。
(白忌さん良かったんですか?)
何故か異変の首謀者や野次馬姉妹よりも働かされる畔は心の内にいる話し相手に語りかける。
(良かったとは?)
(結局今回弾幕ごっこを直に見たのアリスさんの時くらいじゃないですか。)
(ふむ…まあそうじゃな。だが西行妖が暴れてくれたお陰であやつの妖力を少し失敬出来たからよしとしようかの。なかなかあそこまでおぞましい物もあるまい。)
(それなんか嫌なんですけど)
知らずのうちにそんな物を体に入れていると言われれば誰でも嫌悪するだろう。
(なーに心配はいらん筈じゃて。いくらおぞましかろうて、たかが妖力じゃしな。この調子で回収出来れば何の問題もないの)
畔としてはそう何度も異変に関わりたくない。と言うか一度だって関与したくない。だが行かねばならないのなら、それは数が少ない方がうれしい。
後何度ほどやればいいのか、それを考えるとこの春の青空に不釣り合いな雲が畔の心に影をつける。
(そう心配するな。順調じゃて)
そんな曇り空のなかに白忌の呑気な声が木霊した。
働いてないのは置いといて、従者二人と雑用二人の仕事が終わるとダラダラと始まるお花見。皆思い思いの相手と酒を飲む。
畔の目の前には妖夢と魔理沙。魔理沙の腕にグルグルと適当に巻かれた包帯を見て気になったらしい。
「魔理沙さん腕大丈夫なんですか?」
「ん? おお、大丈夫大丈夫。なんとか動くしな」
「…言っときますが謝りませんよ」
「別に謝れなんて誰も言ってねーって。それより妖夢と畔は挨拶だけでも済まさないのか?」
言われなくてもわかってると言うかのように顔をしかめ畔に向き直る妖夢。
「魂魄妖夢といいます。白玉楼で幽々子様の剣術指南役兼庭師をしてます」
「え、ええと水知不畔です。河童です」
「え?」
「?」
「失礼、河童ですか?」
「…河童です」
畔にとってはお決まりのパターンだった。人間だと思われていたらしい。困惑する妖夢を見て笑う魔理沙。
「ははっ。人間だと思ったろ? 河童なんだぜ」
妖夢が勘違いしてた事をゲラゲラと笑う魔理沙。
「ああ、大丈夫です。よく間違えられますし殺されるより百倍いいですから」
何のことだろうと首を傾げる妖夢と何を言い出すんだと酒を吐き出す魔理沙。
「殺されるって―――」
「ま、まあその話はいいだろっ! そ、それより妖夢っ! お前なんで敬語なんだ? あん時はタメ口だったろ」
それに言及しようとした妖夢の言葉を無理矢理潰し話を逸らす。
「あの時は敵でしたが今は違うので」
「別にあのままでよかったぞ?」
「まあ考えときます」
そう言いつつお猪口をぐいと一飲み。
「そう言えば魔理沙さんの腕ってやっぱり弾幕ごっこでなったんですか?」
今回は以前のように物騒な事態にはなっていない筈なのだが、思ったよりも傷が深い魔理沙の腕。
「おうっ! 妖夢のわけわかんねえ弾幕にボコボコにされたんだぜ」
「あれっじゃあ勝ったのは妖夢さんなんですか?」
「いいや、私だ」
どういう事だと傾く畔。
「それがこいつ、おもしれーことに自爆したんだよ。スタミナ切れよ。なよっちいたらありゃしない」
魔理沙の物言いにカチンと来たのだろう。憤慨だというように声をあげる妖夢。
「あれはああいうスペルカードなんですっ!」
そこから意気揚々と語られる弾幕の説明。
一番苦労して作ったんですよっ!というセリフから始まって滔々と語られるそれによれば、魔理沙をボコボコにしたスペルカード天神剣「三魂七魄」は対象者と妖夢の感覚を共有するものらしい。
極度の集中状態に入ると周りのものが遅く感じる。ボクシングでも野球でもバスケットボールでもそんなことを語る選手は少なくない。俗にゾーンに入ると呼ばれている現象だ。
簡単に言えばスペルカードのタネはそれだけ。妖夢と魔理沙の感覚を共有した上でゾーンに入ることで妖夢が弾を遅く感じた分だけ魔理沙もそれを感じたと。集中状態の持続、オンオフの切り替えにスタミナを使い三回が限度らしい。
「それ、私に言ってもよかったのか?」
自分の作った自信作を誰かに聞いてもらいたかったのか手品の種明かしをすべてしてしまった妖夢。
「あっ…ま、まあ防ぎようがないからいいんですっ!」
一瞬情けなく零れた言葉をすぐに誤魔化す。
「確かにな。それにしてもコスパは悪いな。三回しか使えないって何だそれ。ポンコツもいい所だ」
あと一度やられていたら倒れていたのは自分だという事を忘れているのだろうか。そのポンコツに腕をボロボロにされたことは忘れているのだろうか。
「なによっ! あんたこそ被弾一発で武器落とすとか腑抜け過ぎない?」
敬語が抜けてきた妖夢。敵だと判断しているのだろうか。
「あ?」
「あ?」
「ま、まあまあ落ち着いてっ。今は桜をーー」
流れるように一触即発の空気になった二人の間に入るのは畔。
「畔どきな。そこのキクラゲにどっちが上か分からせてやる」
「キクッ!? こ、これはリボンカチューシャっ!」
「悪いがキクラゲにしか見えないな」
「これはお祖父様から貰った大切な物だっ! 馬鹿にするのは許さないわよっ!!」
刀の鞘を手に取り鍔口を切る妖夢。もはや桜の美しさを味わう雰囲気ではない。
「人語を喋ってくれ。キクラゲの言葉じゃわからない」
なおも煽る魔理沙。手に暫くの不自由を課せられた魔理沙もストレスが溜まっていたのだろう。
畔から言わせれば何で貴方達一緒にお酒飲んでたんだと聞きたくなる。
「ふ、ふふふふ…いいわ。ここで袂を分かってやるからそこに直れえええぃっ!」
分かつ袂なんて無いだろうとは畔の心の中でのツッコミ。
「いいぜこいよ。弾幕ごっこで勝負だ」
興奮のためか酔いのためか顔を赤らめた魔理沙が箒に跨り空を飛ぶ。それを追いかける様にして刀を抜きつつ浮かぶ妖夢もおぼつかない動きだ。
どうやら二人ともすでに酔っていたらしい。
「酔うの早いなぁ…」
一人取り残された畔はちびちびと酒を呷った。