「さあさあドンドン呑みな」
空いた杯にトクトク注がれる伊吹鬼の酒。畔も酒に強いと言えど酔いが全くないわけではない。わけのわからぬうちに酒を呑まされて徐々に緊張がマシになってたのだろうか、萃香の言葉に耳を傾ける余裕は見せている。
「あ、あのっ。萃香様?」
「萃香でいいよ」
「…萃香さん。河童の私と呑んでも……」
鬼を楽しませる様な話題も余裕もない畔。ひたすら注がれる酒を流し込む以外にやることもない。そんな畔を眺める萃香はそれで満足するのだろうか。
「酒は誰と呑んでも楽しいもんだ。それに長らく私と呑んでくれる奴なんて鬼くらいしかいなかったからね。河童であっても付いてきてくれる奴がいたらそれは嬉しいんだよ」
付いてきてくれるというか、付いていかざるを得ないというか。
「今年は冬がいやに長かったろう?」
「え?」
「そのせいで宴会が少なくって、少なくって。悲しくって私が畔達を集めたんだ」
異変のことか。思った通り彼女が犯人だったらしい。
「いや〜楽しかった。人間と同じ酒を同じ場所で、同じ時間に呑めるなんて昔を思い出したよ。心地よい酔夢に溺れていた様だ」
そう言って昔を懐かしむ彼女の横顔はどことなく淋しげだ。
「それなら私じゃなくて霊夢さんとか魔理沙さんを――」
「あいつらも気持ちいいけどね。畔ほど酒に強かない。ここ最近の宴会で私は畔が泥酔した所を見たことがないんだ。サシで飲むならやっぱり畔を選ぶね」
フリでもいいから酔うべきだったかと後悔する畔だった。
〇
酒気が洞窟内に満たされ始める。その中で座り込む二人は未だ顔は赤いものの意識も呂律もはっきりしている。
「いや、凄いね畔」
「?」
「強いとは分かってたけどさ。ここまでだと思わなかった」
一体何時間飲み続けたのだろうか。きっと並の妖怪や人間ならとうに気をやっている程の量を呑んだのだろう。想像するのも恐ろしい。
「少し外に出ようか。それで天狗にでも酒を持ってこさせて第二ラウンドといこうっ! 」
伊吹の酒は種族の壁どころか緊張すら解してしまうらしい。楽しそうに頭を振りながら外へ出る萃香の後を追う畔。
木々が点々と生える岩山。それを上から照らす大きな満月。普段その光を遮る薄雲は今や畔の足元にある。きっと今頃地上に零れる光が天から伸びる光の道を作っていることだろう。
「萃香さん。ここは?」
「言ってなかったっけ? 妖怪の山の頂上だよ」
本来なら天狗の頭目達が管理するが故に立ち入ることが出来ない妖怪の山の上部。そこに我が物顔で座り込む萃香を見ればこんなナリだが鬼であることをわからされる。
「ここならあれがよく見える」
鬼が空に浮かぶ月を睨みながら呟く。
「月を砕く私の拳があれに届く事は無い。昔はあれに腹が立ったもんだ。だってそうだろう? 私達が憂き世で一所懸命に暮らしてるってのにあいつは一人で呑気な顔を見せやがる」
畔が考えたことのない思想。普通の妖怪なら月に敵意を持ったりしない。比べる対象にならないのだ。萃香のそれは月に届きうる力があるからこそ出来る発想だ。
「でもある時気付いたんだ。あれを私の手の中に納める方法をね。私だけじゃあない。誰にだってできるさ。それこそ畔だってね」
これから悪戯をする童の様に畔に笑いかける伊吹の鬼。
「どうするんですか?」
まるでそう聞くことが当然のように、そう聞けと言われているように畔も返す。
「…」
それに返す言葉なく鬼は杯に酒を注いでいく。
やがてその淵にまで波が辿り着くと畔にも萃香が言わんとしていることがわかった。
「ああ、なるほど」
「こういうのも良いもんだろ? 気に入っているんだ」
二人の持つ杯。そこに映るのは酒の作る漣のまにまに揺れ動く朧月。その月は紛れもなく二人の物だった。
「本当の月見酒はこうでなくちゃな」
そう鬼が言うと、二人同時に杯を飲み干した。
何時もの宴会の様に騒がしい空気感はない。神妙ながらに居心地のいい幻想空間に酔うのも悪くないななんて思う畔だった。
〇
「おや、もう無いのか」
萃香の手持ちの酒が遂に尽きたらしい。瓢箪を持ち上げ逆さにするもあるのは点々と落ちる雫ばかり。
「どうする? 天狗に言えばまだまだ呑めるだろうけど」
「いえ、そろそろ帰らないと家の友達が心配すると思うので」
終ぞ酒に呑まれることのなかった畔。このまま帰らなければこの前のような大事にならないとも限らない。
「そうかい。そいつは残念だ」
鬼が嘘をつくわけもない。心底残念なのだろう。久々に見つけた呑み仲間。畔と飲み続けた時間は手放すには惜しい時間だったのだ。
「それじゃあ送ってーーーうん?」
やけに雲の下が騒がしい。クビキリギリスの鳴き声だけが響く程の静謐さを押しのけて足元から次第に登ってくる色とりどりの音。
「なんだい風情のわからない輩もいたもんだ」
萃香が雲を覗き込んだ瞬間だった。
薄雲の海に大きな穴が二つ。円の中心から凄まじい速度で上がってくる二つの影。遠目に見れば二人とも赤かったり白かったりと似たような色合いをしている。
その内の片方、背中に鮮やかな羽を持つ方は呑んだくれ二人を視界に捕らえた瞬間にその速度を上げた。
畔に向かって全速力で飛んでくる赤い彗星を見た萃香の行動は早かった。あれが誰であれ畔に対応しきる力はないことは明白。無理に付き合わせた二人きりの宴会で相手に怪我を負わすなど酒呑童子の名が廃る。ならば止めねばなるまい。
畔の前に両手を開げて盾になる。鬼の盾など誰が突破出来ようか。
畔の前に立った萃香に彗星もまた反応を示す。手からその体に不釣り合いな程大きな燃え盛る剣を出現させた。
小さな背中を大きく広げた鬼とそれを貫かんとする鬼が春過ぎの夜空を赤く照らした。
「…ッなんだい。随分いきなりじゃないか」
鬼の肌すら焼く程の高温の刃に触れた萃香の肌がジュージューと静かに音をたてる。
「いきなりはお前だっ! 畔ちゃんを返せっ!」
「ん? おやお前は…」
「フランちゃん! 駄目、待って!」
畔がフランの傍へ駆け寄りその肩を押す。
「畔ちゃんっこいつに攫われたんでしょ!?」
「え、え〜と。そ、そうだけど何もされてないのっ! 大丈夫だからこれしまって!」
結果的にはさらわれた事になるが、やったことと言えば共に酒を呑んだだけだ。そういう間もフランの炎剣は萃香の腕を焼いている。
腕を引くべきかどうか逡巡するフラン。やっとこさ追いついたもう一つの紅白の影がフランの襟を後ろから引っ張る。
「ちょっと落ち着きなさい。畔も無事なんだから」
「分かんないよっ! 洗脳とかされてるかもしれないっ!」
友達の少ない吸血鬼はこと畔の話になるとやや過剰になる傾向にあるようだ。それでちょうどいいと言えばいいのだろうが。
「アッハッハッ! 洗脳かぁ。それはまだ試したことなかったなあっ!」
豪快に笑いながら誤解を招く言い方をする萃香。
「ほらっそれはとか言ってる!」
「萃香さんっ!」
綺麗に乗せられるフランの服を引く力を強くしてため息をつく霊夢だった。
〇
現在月の下に顔を合わせる四人の妖怪に一人の人間。鬼一人と他が向かい合う形だ。
あれから直ぐに美鈴が追いついた。どうやら下で天狗たちの相手をしていたらしい。いつも被っている帽子は無くなり髪は煤けていた。
「いやぁ畔は愛されてるね」
「ははは…」
やや行き過ぎ感はあるが愛されてはいるのだろう。霊夢に襟を持たれてグルルルと猛犬のように萃香を睨む幼い吸血鬼。
「んで? あんたが宴会を起こしてたってことでいいの?」
畔が無事であった以上、博麗の巫女たる霊夢の意識はそちらに移る。
「おうっ! そうともさ。楽しかったろ?」
「ええ、とっても――じゃなくて。動機は何なのよ」
「宴会を開く理由だって? そんなの酒を皆で飲みたいからに決まってるじゃん」
それにしても三日に一回は多すぎだろう。鬼の道楽に付き合わされる身にもなれ。
「はぁ、もういいわ」
「おや、退治しないのか? 鬼の首程、名誉な事も無いだろ? 欲しくないかい?」
余りに純粋な欲求、それもほぼ実害のない異変。退治すべきなのだろうがどうにもやる気が起きない霊夢を焚きつける萃香。きっと萃香が宴会を開いた理由は彼女が語る部分だけではないのだろう。
地上を後にして幾星霜。共に旧地獄に落ちた仲間達は鬼の恐ろしさをわかっている妖怪や鬼ばかり。誰も萃香と本気で戦おうなんて思わない。昔流行った鬼退治に殺され損なった哀れな古鬼はもう一度心を燃やす場所を求めた。
「なに、退治されたいの?」
「さてね」
「…」
「でも、異変を起こした輩を見過ごすのもどうなんだい?」
確かに博麗の巫女ともあろう者が幻想郷を混乱に陥れた異変の首謀者たる妖怪を前にして何もせずでは格好がつかない。
「退治されたいなら素直に言いなさいよ」
「おお、相手してくれるのか。嬉しいねえ」
御伽の国の鬼が島。
鬼はいる。
人もいる。
ならば何故、御伽噺と成り果てたのか。
今では遊びとなった鬼。鬼さんこちら、鬼ごっこ――詰まるところ人間が鬼との勝負を勝負と見なくなったことが原因である。
勝負ではなく殺した者勝ち。児戯に見立てられた鬼との戦いはもはや勝負ではなかった。鬼は好敵手を失ったその時に死んだのだ。
退治ではない。鬼として死んだ。
だが今宵は違う。
紛れもなく対等な人間が鬼と拳を交えるのだ。正面から退治してやると言う人間なんて何百年ぶりなのだろう。
息吹を取り戻した鬼は喜びを隠しきれない。
「やろうっ! 今すぐやろうっ! こんな夢のような時間は久方ぶりだ。待ちきれやしないっ!」
酒か興奮か。饒舌な鬼の前に針を構える巫女。
「さあさっ今宵は此処が鬼ヶ島! 是非ともお前の力を見せてくれっ! 願わくば――」
消えていった鬼の言葉。
続きは鬼のみぞ知る。
〇
夜空に響く霊夢が手を叩く音。
山の天辺で行われた弾幕ごっこの結末は霊夢の勝利に終わる。
「終わりかい?」
仰向けに転がる萃香。真上にはやはり呑気な顔の大きな満月。腕に隠れた口の隙間から惜しむ声が漏れ落ちる。
「そ、これで終わり」
「まだ私は生きてるよ?」
騒ぎを起こし、人に退治され消えるまでが御伽噺。萃香の想い描いた一酔の夢。
「はぁ…何を考えてるのか知らないけどね、これからはこれが妖怪退治なの。人間様があんたらに付き合ってあげるんだからルールくらい飲みなさい」
鬼より傲慢で不遜でいて、そしてどこまでも優しい。死に所にはならないが鬼に命を芽吹かしてくれる。やはり鬼は人がいなければ始まらない。
「そうかい。そいつは残念だ」
夢の覚めた鬼の言葉が嘘か誠か。
彼女自身にも自分の思いを萃めることはかなわなかった。