やっとこさ吸血鬼達が幻想郷へ引っ越してきて一年。可愛い吸血鬼姉妹に友人が出来て一年。趣味の悪い館に新しい住人が加わって一年。三つの異変を乗り越えて一年である。濃密な一年を経て幻想郷にはまた暑い暑い夏が訪れていた。
「あっつい…」
丸い茶舞台の上に頭を置く霊夢。着脱分離可能な両袖は綺麗に畳の上に鎮座している。無敵の巫女も暑さ寒さには勝てないらしい。
「ほんと暑い…。あの、何だっけ?名前は忘れたけど氷の妖精とか捕まえてこようかしら」
この巫女発想が理不尽である。そんなことばかりしているから暴力巫女呼ばわりされるのだ。
「あー…チルノだな。いい案かと思ったけどあれに絡むテンションじゃあないな」
やはり同じ様に茶舞台に頭を乗せる白黒の小悪党。非力な妖精を無理やり連れてくるという案がいい案だと思えるくらいには彼女も理不尽である。まあ、異変の時の彼女達を見ればよくわかることではあるが。
「じゃあ畔かしら」
「おいおい、昨日招待したばかりだぜ。流石に何度も何度も連れてきたんじゃあ悪いだろ」
彼女ら二人の中では誘拐は招待と同義らしい。実に面白い文化をお持ちだ。この二人が何かに招待される日が来るのかどうか興味が尽きないところである。
「じゃあどうするのよ。暑いんだけど」
「知るかよ。私だって暑いのは同じだ」
せめて風でも吹いてくれればまだすっきりするのだが、霊夢が出した風鈴は吊るさるばかりで横に動いてくれない。ムワリとした熱気がこもりにこもって霊夢たち二人を苦しめる。
首を曲げた霊夢の視界の先では逃げ水が踊っていた。同じ水だというのに普通の水のように冷気を感じさせるものでは無いのが難点だろうか。
「あれ? 誰だっけ…」
離れていく幻の水を焦点の合わない目でぼんやり見つめていた霊夢。そんな彼女の視界に人影が垣間見る。
「うわ、何してるんですか」
「何もする気が起きないからこうなっていること位わかりなさい。そして速やかに名前を教えなさい」
霊夢の声を聞いて気だるげに首を霊夢と同じ方へ向ける魔理沙。
「ああ、妖夢か。ほら霊夢あれだって。冥界の掃除屋」
「それじゃ殺し屋です」
ここだけの話であるがこの少女は彼女の祖父の影響を受けてか、何か物事をよく考えなければならない事態になると何でもかんでも刀を取り出す癖がある。曰く「斬ればわかる」。
そんな彼女なのだから、あながち殺し屋というのが間違っているというわけでもない。殺し屋というより辻斬りだが。
「掃除屋…あーあの亡霊のとこの庭斬ってる奴ね」
「掃除屋で思い出さないでください。後別に庭は斬ってません」
庭師――古くは園丁とも呼ばれたそれは名前からも予想がつくが、庭を一つの造形空間として設計施工、製作する人、またその樹木などの植物の生育を管理し、定期的に剪定したりする管理の仕事もする専門家の事をそう呼ぶ。決して霊夢が言うように庭をぶった斬るのが仕事ではない。
「五月蝿いわね。そんなことどうでもいいわよ。それよりも何しに来たのよ」
「人里へ来たついでに暑中御見舞ってとこですかね。はいこれ」
とさりと置かれる人里の羊羹。少しヒヤリとした冷気が霊夢の顔を撫でる。
「あー、でかしたわ。今食べるから切ってきて。台所使っていいから」
そう言って奥を顎でさす霊夢。なんとも適当なものだ。半分人間ではない者に任せるなどそれでいいのかと聞きたくなる。
「ものぐさ過ぎるでしょ。まあいいですけど」
失礼しますねと言って奥に向かう妖夢。霊夢はその後をふわふわと漂う半霊に目を奪われ、何を思ったのかその半霊をむんずと掴んだ。途端、心地よい冷気が霊夢の体から熱を奪う。
「っ!! な、何してるんですかっ!?」
妖夢は霊夢の突然の奇行にあたふたと身振り手振りで驚きを表す。
「あ〜やっぱり思った通り冷たくて気持ちいいわ。これ借りるわね」
「だ、駄目ですっ! くすぐったいんですからやめてください!!」
妖夢が顔を真っ赤にしつつやめさせようとするも巫女は腕の中で苦しそうに藻掻く半霊に頬ずりするばかりである。何とも幸せそうな顔を見せてくれるものだ。氷精、畔の代用品として半霊が霊夢の頭の中にインプットされた瞬間である。
「おい霊夢それ私にも貸してくれ」
それどころか隣の魔法使いまで半霊に手を伸ばし始めた。暴れる半霊を掴む手が増え、身動きができなくなる。
「ちょっ、魔理沙さんもやめてくださいっ!」
「そーよそーよ。誰があんたなんかに渡すもんですか。これは私のものよ」
「あんた何言ってんの!? いつからあんたの物になったのよっ!!」
妖夢が焦っているかどうかは口調で分かるらしい。
女三人寄ると書いて姦しい。全くそのとおり。ギャーギャーと喧しい神社に待ちに待った風が吹き始めたことに誰も気付かない。漸く鳴り始めた風鈴の音は誰の耳を通ることもなく虚しく虚空に消えていった。
〇
所変わって場所は人里。
夏の熱気に負けじと忙しなく動き回る大人達。体を駆け巡る血液の様に行き交う人々の流れから外れた空き地に右目と左目で色の違う、全体的に水色の少女が赤子を抱きながら立っている。
彼女の名前は多々良小傘。何処かは知らないが誰かに置き忘れられた傘が付喪神化した妖怪である。
彼女が言うに、本業は人を驚かすことらしい。その実績は赤字もいい所であるがそんな彼女の副業が鍛冶打ちともう一つ、ベビーシッターである。
人間の親が面倒を見れない間に子供を預かるわけだが――はて、人間的には妖怪に子供を預ける事に抵抗はないのだろうか。その理由は小傘の日頃の行いにあるだろう。
先にも述べた通り彼女の本業は人を驚かすこと。人の驚きで腹を満たす彼女は毎夜毎夜この人里で食事を摂ろうと試みる。まず物陰に隠れ、人が近寄ってくればそこから突然飛び出して驚かし、止めに恨めしやと大きく叫ぶ。彼女の中ではこれが最高の技であった。驚かない者なんてまずいないと、そう思い込んでいた。
いやぁ古き良き時代の技と言えよう。別の見方をすれば手垢まみれの使い古された芸である。
だが手垢まみれとは言えど、単純であるとは言えど道端で突然にそれをされると普通ならば軽くたたらを踏む位には驚くだろう。しかしそうはならない。それは一重に突然ではないからだ。
どういうことか、単純な話で彼女の本体であり商売道具でもある大きな茄子色の傘――稗田阿求からダサいと斬られたそれが物陰から垣間見えているのだ。人からすれば「あっまたあの子か」と言った感想を抱くことだろう。然るに人が心の準備をしっかりとしているのだ。これで驚くものなどそういるまい。たたらを踏むどころか恨めしやと飛び出てきた少女に微笑みつつ、こんばんはと会釈して去っていく人々。
それを繰り返す内、いつの間にか人々の間でこの妖怪は無害であると思われる存在になったのだ。
そんな小傘が始めたベビーシッター。あの子ならば心配はいらないと今では大好評である。
「ベロベロば〜!」
片手で顔をかくし、これまた古き良き時代の産物を披露する小傘。それを見た彼女の腕の中の子供はキャッキャキャッキャと嬉しそうに笑う。生憎とそれで彼女の腹が満たされるわけではないが、胸は満たされる。
実は小傘、赤子を相手にするのは初めてである。今まではベビーシッターとは言うが乳離れした子供ばかりの面倒を見ていた。だがその副業が波に乗り始めると同時に調子に乗った小傘は「私なら赤ちゃんだっていけるんじゃない?」と考えた。そこで今回初めての挑戦となるわけだが――
(存外いけるもんじゃない。ちょろいちょろい♪)
赤ん坊の機嫌は上々。やはり彼女にはそれなりに子供に好かれる部分があるのだろう。
だが赤子を舐めてはいけない。その機嫌は女心より、秋の空よりも移ろいやすいものなのだ。
目を閉じて揺り籠の様に体を揺らす小傘。腕の中の赤ん坊も静かであるからその内眠るだろうと思っていた時のことである。
「っ!!??」
突然赤ん坊が小傘の控え目な胸をグワシと掴んだ。驚きのあまり取り落としそうになるがそれを咄嗟に我慢。お前が驚いてどうする。
「えっ? なになに!?」
あー。とかうー。とか言いながら彼女の胸に頬を擦り付ける赤ん坊。眉が八の字を作っているところを見るに何かあったのだろうか。
「ど、どーしたの? 何か嫌なことあったの?」
小傘は動揺しつつもなされるがまま赤子の様子を伺う。勿論それに答える能力もその言葉を理解する力もない赤ん坊は何も言わない。代わりにより強くワキワキと胸を掴む。
「ひゃっ!」
今度は耐えきれなかったのか腕を伸ばし赤子を無理やり体から話す。すると、終にぐずり出す赤ん坊。
「あわわわわ。ごめんねっ! ほ、ほら泣かないで〜」
小傘お得意のベロベロばーを披露したのが止めになったのか終に泣き出してしまう。
「ああああ待って待って! 泣かないで〜お願い〜。ほらベロベロばーっ!」
何とかの一つ覚え。先程まで小傘に見せていた天使のような笑顔は何処へやら。赤ん坊は顔をクシャクシャにして泣き喚いて止まない。
「あばばば…ど、どうしよう!」
小傘のなんと無力なことか。泣き喚く赤ん坊を抱いたままオロオロとその場を行ったりきたり。
そんな彼女の前に見知った顔が一人通りかかる。
「あっ! 蛮奇ちゃん! ちょっとちょっと!」
小傘からすれば地獄に垂らされた一本の蜘蛛の糸。
この状況を打開する一つの糸口。ここを逃せば解決は見えない。だが呼ばれたデュラハンは一瞬小傘を見てぎょっとした目を見せると直ぐに顔を背け、襟を立てて顔を隠しながら何も見なかったかの様に足を早める。
「待って待って! 待ってってば!!」
必死である。子供を抱いたまま子供に衝撃がいかないよう最新の注意を払いながら走り、逃げるデュラハンの袖を掴む。
「はぁっ…なんで逃げるの!?」
「い、いやだって…それ…」
指さす先には泣き喚く赤ん坊。
「私……子供嫌いだし、おまけに泣いてるし」
赤蛮奇の子供嫌い。実は過去に子供に彼女の頭を玩具替わりされたという事があったのだが今は置いておこう。
「そ、そんなこと言わず助けてよ〜っ! 突然泣き出しちゃってどうしたらいいのか…」
「私に言われても知らないわよ。お腹空いたとかオシメ変えて欲しいとかそんなんでしょ」
「お腹…」
オシメは替えたばかり。今抱いていても異常は感じられないし匂いもしない。となれば空腹から来ていると考えるのが妥当だろう。
「あれ、お腹すいてるって言っても何あげればいいの?」
付喪神として妖怪になってから満腹にとは言わないが、人間の驚きを食べる事しかしていない小傘。人間の赤子が食べる物が何かなど分かるはずもない。何故赤子の面倒を見れると思った。
「何ってそりゃお乳でしょ」
「おっ、お乳!? お乳なんて飲むの!?」
「そりゃそうでしょ、赤ん坊なんだから。何あんたそんなことも知らずに赤ん坊預かってるの?」
信じられないといった様子の赤蛮奇が深い眉間の谷の陰りを更に深くする。まあ当然の反応だ。
「え、でも私そんなの出ないよ?」
「誰だって出るんじゃないの? 咥えさせれば。その気になればいけるって」
出るわけがない。そこら辺の知識は赤蛮奇にもなかったらしい。母乳は分娩後に出る場合が殆どである。然るに妊娠すらしていない小傘では母乳なんぞ幾ら絞れど出てくるはずがない。
プラシーボ効果なるものが無い訳では無いが、それを今実践するのは無理があろう。
「う、うーん。でも妖怪のお乳とか飲ませていいのかな?」
「知らん」
そもそも付喪神たる小傘に母乳という概念があるのかどうかすら疑わしい。それを考えないならあまり飲ませない方がいい気もする。何かしら体に害がないとも言いきれない。
「どうしよう…」
途方に暮れる小傘。泣き喚く赤ん坊だけが元気である。
「ほ、ほらあそこへ行ってきなさいな。寺子屋のハクタクならわかるって」
「あっ! そうか!! さすが蛮奇ちゃん! 直ぐ行ってくるねっ!」
暗闇の中に一筋の光芒を見た小傘は急ぎ、寺子屋にいる人里の守護者の元を目指し走っていく。
後に取り残されたのは何もしてないはずなのにどっと体が重くなった様な気がする赤毛のデュラハンだけであった。
このあと寺子屋で慌てる女教師が見られる事になるがそれはまた別の機会に。