東方和河童   作:BNKN

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26 焼け木杭の火種

 

 空に浮かぶ満たされた月。私はそれから放たれる光線から逃れようと走る。

 

「はあっはあっはあっ…」

 

 首に伝う汗が服に染み込み私の不安感を呷る。

 最早月から遠く離れた。ここには私を知る者などいない。だというのに背後から仲間達の糾弾の目が私を睨みつけ、誹議の声が聞こえてくる様でたまらない。いくら走れど戦いを前に逃げ出した私を責め立てる玉兎たちが私を指さす幻影は振り切れない。

 

「はあっはあっああっ!もう…」

 

 地面に蹴躓き思い切り体を打ち付ける。この間抜けめ、足が震えているではないか。逃げたというのにまだ恐怖したりないのか貴様は。

 自分を責めども浮き足立った心は静まってくれそうにない。ぽつりと私の頬から垂れた汗が地面に花を開く。

 

「はあっ……ははは…」

 

 私はこんな所で何をしているんだ。本来ならば仲間の兎達と共に来たるべき戦いに備えて修練に励んでいるはずだった。だのに私は穢れた地上に身を落とし無様に這い蹲っている。

本当に穢れているのは私だろうが。

 

「くっ…ううぅぅ」

 

 私を救うための私を責める言葉が火照った頭を冷やす。なんで泣くんだ。自分が決めたことだろ。

汗とは違う滴が一つ二つと地面に芽吹いていく。

 

「あぁ…」

 

 私はこれからどうするつもりなのだ。逃げ出したはいいが今こうして地上の竹林で迷い、無様に身を転がし、擦りむいた足から静かに血が垂れ落ち私の足に一条の線を引いている。ジクジクと痛み出したそれは絶えず私を追い立てる。

 

「おやおや、見ない顔だね。ここいらの兎――じゃあないね。私が知らない筈ないしね。どこから来たの?」

 

 月を見たくない私が地に伏せっていると頭上から声が聞こえた。

 

「っ!!」

 

 驚き顔を上げた私の視界の先には一匹の兎。その頭の耳を見た瞬間、右の手で作った拳銃を先に構え、伸ばした指先から薄紫色の弾丸を放つ。

 相手は兎。月の使者であることは間違いない。私を連れ戻しに来たか処分しに来たのか知らないが捕まるわけにはいかない。早すぎる嬉しくない来訪者。殺すつもりでないと私が殺される。

 

「あっぶないなー。何考えてんのさ」

 

 そんな事を考えていた私の後ろでぴょんぴょん飛び跳ねる兎。なんの前触れもなし撃ったあれを避けたのか。

 すぐさま振り向き今度は左右2丁の拳銃で滅多打ちにする。

 

「はあっはあっはあっ!」

 

 兎のいた場所の竹は吹き飛び大きなサークルを作っていた。立ち上る煙で前は見えないがこの広範囲の弾幕だ。当たらないなんてことは――

 

「ねえねえ。何もしないからちょっと落ち着かないかい?」

 

「くっ! 触るなっ!!」

 

 またもや背後を取られ肩に手を置かれる私は必死にその手を振り払う。まずい、一発も当たってないではないか。それどころか掠りもしてない。

 

 弾が当たらないならどうする?

 

「おいおい……構えなくていいんだって。何もしないって言ってるでしょ?」

 

 月の軍式格闘術。格闘術なんて言うと聞こえはいいが、その中身は完全に殺傷目的の代物。これでも私は近接が得意なのだ。

 一息に詰めた距離、目標はしっかり目の前にいる。後は掴みさえすれば終わりだ。

 

「あっ?」

 

 なれど私の手が相手の体に触れることはなかった。ぴょんぴょんと軽やかに跳ね回るそれ。

 

 動きが速すぎる。

 

「物騒なやつだなー。もういいや、答えなくてもいいけど勝手に喋るから」

 

 月光を遮る竹の影に身を沈ませ、逃がさないぞと言わんばかりに足音をわざとらしく立てて私の周りをクルクルと回る。

 

「あんたは――」

 

 近接が通じなくとも、その身体を捕まえられなくとも私にとってさほど問題にならない。玉兎にしては優秀すぎる目が私にはあるのだ。波長を狂わす狂気の瞳。この目さえあれば動きの速さなど無意味。

 

「――んぁ?なんだこれ。なんかグルグルするなあ」

 

 はあ?グルグル?その程度しか効果がないなど馬鹿をいうな。走る所か立つことも出来なくなる筈の兎は未だに私の周囲を飛び跳ね回る。

 

「な、なんで…」

 

「ああ、やっぱりあんたが何かしてたのか。気分悪いからさ、これやめてくんない?」

 

 いや、全く効いてないわけじゃないが効果が薄過ぎる。

 

「くっ…!」

 

 私の能力までほぼ無力化ときた。無慈悲に私の出す手を一手一手潰して、私を追い詰めるそれから逃げ出す様に先の見えない暗闇の中を走る。

 

「おっ? 逃げるの?」

 

 訓練で鍛えた足に容易に追い縋る兎の声。ひた走る私の後ろから竹を足場にして猛烈に追い上げる兎の動きは羽根のように軽く、速い。

 

「ひぃっ」

 

 駄目だ。地理感のない場所でしかも竹薮。先が見えず地面が僅かに凸凹としているせいで自分が真っ直ぐ進んでいるかもわからない。これでは撒くことなんてできやしない。

 

「んー。先生関連だと思うんだけど、違うのかな?」

 

「訳の分からないことをっ!」

 

 牽制に後方に放った弾丸は兎を貫く事なく竹を一本吹き飛ばし、竹薮の作る闇に飲まれていく。

 

「まぁいいや取り敢えず連いてきてもらうから」

 

 暗闇の中光るそれの赤い瞳に追い立てられる様に走る。追い付かれるか追い付かれないか位の距離を保ちながら背中に迫る瞳はこの鬼ごっこを楽しむかの様に三日月型に歪んでいる。

 

「ヒッ」

 

 恐怖から弾丸をいくつ撃てども結果は変わらない。

 

 その時だった。

 

 何かに足を取られ盛大に身を投げる。

 

「がっ!」

 

 顔から地面に突っ込んだ私の後ろから足音が聞こえる。痛む頬を無視して立ち上がり先へ先へ足を伸ばした瞬間、足先が何か紐のようなものを切った。

 するといつの間に仕掛けられていたのか竹を幾つも堅く縛って作られたハンマーが真横から私を思い切り吹き飛ばす。

 

「あ"っ…!」

 

 腕に鈍い痛みが走るのを感じながら着地を試みるも、今度は暗闇の中から飛び出す網が私の体を絡めとる。

 

「はいっウサちゃん捕獲ー。ちょろいもんね」

 

「はあっはあっ…いつの間に……」

 

「いつの間にも糞もないよ。元々仕掛けてただけさね」

 

 暗幕の中から姿を見せた兎を撃とうとすれど網が絡まって思う様に動けない。力任せに引きちぎろうとすれど手応えはない。

 

「運んでる時暴れられるのも嫌だからさ、少し眠って貰うけど怒んないでね」

 

 そう言って兎は徐に私の首筋にチクリと何かを指した。

 

「目が覚めたらまたお会いしましょ」

 

 どこか巫山戯た様子の声を聞きながら私は意識を奪われていった。

 

 〇

 

 幻想郷、妖精や妖怪がさも平然と闊歩するそこにおいて人間が安全に暮らせる場所など人里くらいの物だろう。それ程、幻想郷は人にとって危険に満ち満ちている。

 その中でも特に注意すべき、立ち入るべきではない場所というのが幾つかある。

 魔法の森、妖怪の山、無名の丘、無縁塚etc...。これらはいずれも人間から見て危険区域であるわけだが、実はこの中の幾つかは妖怪さえも避ける場所というものが存在する。

 

 その一つが迷いの竹林である。そこは一面竹薮が広がっており真、短調極まる風景が続く上に深い霧のせいで視界は芳しくない。地面の僅かな傾斜が方向感覚を狂わし、目印と出来るものもない。おまけに竹の凄まじい成長スピードが故に直ぐに景色が変わってしまうのだ。一歩その中に身を投じると余程の幸運がないと抜け出せないとして人間だけでなく妖精や妖怪さえもそこに立ち寄ることは少ない。

 

 そんな迷いの竹林の奥。土地勘のない者では到底辿り着けないそのまた更に奥にある純和風の屋敷。

 何故だろうか、風が吹けど、雨が降れど、季節が移ろえど、その屋敷の風貌が変わることは無い。変化を捨てた屋敷に今夜、一羽の亀裂が刃を立てた。

 

「先生。これあんたらの言ってたお月様の兎じゃない?変な服着てるし」

 

 我が物顔で迷いの竹林を突っ切ってきた彼女――因幡てゐが後ろ手に引く網の中には立派な兎が一羽くるまっている。

 

「ええ」

 

「不味いんじゃない?」

 

「そうね」

 

 てゐと話す女性は目元を手で抑えながら溜息混じりに言葉を返す。

 

「まぁ私には分からないけど、これはここに置いとくからね。何だか様子が変だったから縛っといた方がいいかもね」

 

「ありがとう」

 

 女性は「じゃーねー」と手を振るてゐに淡白に礼をして床に寝転がる兎を見つめる。

 

「……」

 

「浮かない顔してどうしたの?」

 

 いつの間にか眠る兎の枕元に立つ、見目麗しい少女。完成された芸術品の様な純美を孕んでいる。

 

「もしこれが月の使者であるならばそれなりの対応をせねばなりません」

 

「へぇ、頑張ってね」

 

 緊迫した面持ちの女性と違い、どこか他人事で軽い様子の少女。

 

「姫――」

 

「わかってるわ。でも話を聞かないことには何もわからないでしょう?」

 

「…ええ」

 

「なら待ちましょう。私は違うと思うけれどもしそうだった時のために首輪でもしとく?」

 

 やはり冗談めいた少女につられたのか少し気を和らげる女性。

 

「ペットなら幾らでもイナバがいるでしょう」

 

「あの子達もフカフカしてて気持ちいいけど人型も欲しかったのよね」

 

 自分の頭上で恐ろしい会話がなされていることに気付かない玉兎はスースーと穏やかな寝息を立てたままであった。

 

 〇

 

「おはよう」

 

 冷水を被ったような感覚を覚えて目を開けてみれば視界は黒。腕はからだの前で交差させられがっちりと固定されて指一本たりとも少しも動かせない。何かに座らせれており足首も恐らく椅子の脚だろうものに固定されて動かせない。

一思いに殺してくれればいいのに。拷問でもするのだろうか。幸い口は自由なのでそうなれば舌でも噛みきってやろうか。

 

 いや、私にはそんな度胸はないだろうな。

 

「今から少し質問をします。嘘をついたらわかりますし、ついたとわかればじっくりゆっくり手間暇かけて殺します」

 

 聞こえてくる女の声は酷く機械的にしか聞こえない。言われている事は恐ろしい筈なのに現実味がわかない。

 

「黙秘しても殺します。わかりましたか?」

 

「……」

 

「もう一度聞きます。わかりましたか?」

 

 ああ反応しろという事か。私は慌てて首を落とす。

 

「結構。それじゃ始めましょうか」

 

 

 

 質問内容は何故そんなことを聞くのだろうというものばかりだった。月の民なら当然知っているであろうものばかり。唯一そうでなかったのは玉兎である私が何故地上にいるかという質問。

 

 戦いが近いと聞いて尻尾巻いて逃げてきた。そんな旨のことを伝えれば嘘か真か判断しているのだろう。暫く黙りこむ女性。やがて沈黙を破り、またもや常識の範囲のことばかり聞いてくる。私の正気を疑っているのだろうか。

 

「最後の質問です。蓬莱山輝夜と八意××という名に聞き覚えは?」

 

 これまた常識問題である。

 口の疲れてきた私は頷きを以って意思を伝える。

 

「…わかりました」

 

 そう言って私に近づいてくる足音。それは目の前で止まり、私の視界を塞ぐ物を取る。

 久々の光に目の奥がチカチカと刺激される中、声の正体を視界に捉える。

 

 綺麗だ。最初に抱いたのはそんな呑気な考えだった。赤と青の奇抜なデザインの服を着ている事など気にならない程に。

 

「貴方にはこれから此処で暮らしてもらうわ。月からの追手からも匿ってあげる。勿論働いてもらうけれど連れ戻されるよりマシでしょ?」

 

「え、ここで暮らす? ここって月じゃ...」

 

 状況が理解出来ない。私は月の使者に捕まったのではないのか。

 

「どちらかと言えば私たちも追われる側ね」

 

「は?」

 

「八意××。こっちで××と言うと別人ね。地上での名前は八意永琳。かつて大罪人である蓬莱山輝夜と結託し、月からの使者を皆殺しにして逃亡したクレイジーな犯罪者。それが私よ」

 

 本当に驚いた時、生き物は呼吸する事すら忘れるらしい。

 

 私はその目が乾き切るまで、紙にインクを落とした様な瞳のまま動けなかった。

 

 

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