そんなこんなで八意様と過ごすことになったわけだが、大犯罪者でありながら月の頭脳と謳われるほどの知能を誇る偉人。そんな八意様との暮らしに戦々恐々としていたものの、今のところは恙無く日々を送っていた。漸く萎れた耳が元に戻ってきた次第である。
ここでのルールは以下の通り。
永遠亭、つまりこの屋敷の敷地内から出てはいけない。
外との連絡をしてはいけない。
永遠亭の中を歩き回り、散策してはいけない。
他にも詳らかなルールこそあれど、大まかな物はこれくらいだ。
この三つの中で上二つは理解できる。月へ存在を知られる事を未然に防ぐ為のものだろう。だがしかし、最後はなんであろうか。
奥に何か見られては不味いものでもあるのだろうか、それとも単に身内でも何でもない私が家の中を歩き回ることに抵抗があるだけなのか。
この規則を聞いた時にそれは何故なのかと尋ねてみたが「いつか無くなる筈のルールよ」と言ってまともに取り合って貰えなかった。まぁ教えてもらえないからと言って破るつもりもないが。
そんなわけで外にも出れず、中にも進めない私は今必死になって薬学の勉強中である。
何でも助手が欲しかったらしい八意様が私に薬学の知識を与え、比喩でも何でもなく山積みの参考資料を押し付けたのだ。謂わば八意様が私の師となるわけだが、薬学になんの興味のない私がこうして一所懸命になるのは師匠に言われたからと言うのも有るだろうが、きっと色々考える必要が無いからだ。新しい知識を詰め込んでいる間は他の事を考える余裕が無いのだ。
そうやって一心不乱に資料を読み耽っていた時の事だった。
「おお、起きたんだね。良かった良かった」
突然私の背中にかかる重みに驚いて後ろ向きに椅子ごと倒れてしまう。
「いたたた。もういきなり倒れないでよ」
いきなりはこっちの台詞だ。私の背中の下で文句を言うのは何時ぞやの兎。
「あっあんたは!」
「やほっ」
ズリズリと私の下から這い出してこちらに手を振る兎。
「なんでここにっ!」
「何でも何も私があんたをここまで運んだんだよ? それに起きたらまた会おうねって言ったじゃん」
そう言えば私はこれに眠らされたのだった。起きてからの衝撃の方が大きかったからすっかり忘れていた。
「あら、てゐ来てたのね」
私が倒れた音を聞きつけたのか、いつの間にか傍らに立っていた師匠。
「あ、あの師匠。これは…?」
「彼女は因幡てゐ。いつから生きてるかわからない妖怪兎でこの竹林の所有者」
「健康に気をつけてるだけなんだけどね」
「健康に気をつけるだけで神代の頃から生き長らえるのなら蓬莱の薬なんていらなかったわね」
「生きた年月を言うなら先生も大概だと思うけどね」
にししと笑う兎とそれを冷ややかに見つめる師匠。この兎が何かは分かったがどういう関係なのかがわからない。
「あの、それで一体……」
「彼女が竹林外部の情報を持ってきてくれるし、誤って竹林に迷い込んだ妖怪や人間をここに辿り着かないよう誘導してくれる。此処が隠れ家となる為に欠かせない存在よ」
「先生、先生。それじゃ私が何の見返りもなしにあんたらを助けてるみたいな言い方じゃあないか。お互い様なんだからそこも言ってあげないと」
「ええ、そうね。さっき言った事を頼む代わりに私が彼女の下の兎達の治療及びその教育をしてるの」
「教育ですか」
月の頭脳に教えを授かる妖怪兎。下手したら私より賢いかもしれない。
「てゐもよく此処で寝泊りしたりするから挨拶くらい済ましときなさい」
そう言って師匠は部屋を出て戻っていく。ギシギシという床の音が聞こえなくなったあたりでてゐが口を開く。
「てなわけで、これから宜しく」
すいと出される右の手。私と彼女では身長差があるのでてゐが少し上に傾けている。
「よ、宜しく」
結果は違ったが襲われたという感じが否めない手前とても仲良くというのも難しいが出された手を無視することもあるまい。私は手を握り返す。数度上下に振ったそれを離そうとしたのだがてゐは固く握ったまま動かない。
「え、えっと…」
「名前、まだ聞いてないから」
ああ、そうか。何かとゴタゴタしていたせいで其処すらままならなかった。
「ああっ。レイセ――鈴仙・優曇華院です」
元々月ではレイセンと呼ばれていた。それを師匠に伝えた所、優曇華院という名前を新しく頂いたのだ。…オブラートに包んでいえば独特なネーミングだと思う。
「優曇華院? 変な名前」
この兎には遠慮というものがないらしい。
「それは師匠に頂いた名前で――」
確かに私も思うが師匠が与えた名前だ。下手に文句なんて言えない。
「変かしら…」
「え"」
「え"」
今この場に居ないはずの声が聞こえた。いちゃいけない人の声が聞こえた。
血の気の引いた顔のてゐと私がぎこちなく横に振り向いてみれば、左手で支えた右手に頭を預けて、部屋の入口に力なくもたれ掛かる師匠の姿があった。
「い、いや私はそんな事全然っ! 私は優曇華好きですよ(?)!」
「ほ、ほら名前なんて少し変わってるくらいの方が良いからっ(?)大丈夫だって先生!」
てゐと二人で良くわからないフォローをしているとどこがで誰かが笑ったような気がした。
○
あれから一月程経ったろうか。そろそろ永遠亭での生活にも慣れてきたと思う。
そんなある日、私が永遠亭の庭に出て外の空気を堪能していた時の事だ。大きく息を吸って思い切り背伸びをして眠気を吹き飛ばした後、ふと永遠亭の縁側を見やると見たことない人が一人、その膝に一羽の兎を乗せてその背中を撫でている。
びっくりするくらい綺麗だった。私の貧弱な語彙では言い表せない程に美しかった。
その品のある顔立ちも、床に付くほど伸びたキメ細やかな黒髪も、その人が作り出す周囲の空気でさえも私なんかが立ち入ることの出来ない様な、まさに浮き世離れした美しさだった。
「……」
阿呆みたいに口を半開きにして眺めることしか出来なかった私に気付いた女性。
「そんなに見られると恥ずかしいわ」
やはりガン見は不味かったらしい。彼女は口元に袖を寄せて上品に笑う。
「あっ…す、すいません!つい」
いや挙動不審過ぎるだろ私。これではストーカーか何かじゃないか。
「ふふっいいわ。慣れてるもの」
ストーカーに慣れるなんてこの人も苦労してるんだなとか一瞬思ったが違うか。やはりこの人の美しさに魅せられたのは私だけではなかったらしい。
ではなく。
「あのっどちら様ですか?」
何時までも不審者しているわけにもいかない。私たちの身の上上不安の種となるものは極力無くしたい。彼女がどんなに美しかろうとイレギュラーであることは確かなのだ。私は半身引いて隠した右手で銃を作る。
「んー? そうね。私の出すお題は難しいって評判なのだけれど」
「あの質問に――」
唇に人差し指を当て何かを考え込むかのように上を向いてから紡がれる言葉は全く関係の無い話題。いよいよ怪しい。
「貴方に上げるのは簡単、簡単のサービス問題。
私は誰でしょう?」
首をコテンと横に落として自分の顔を指さす。クソっ可愛い人なら何でも画になるな。
じゃなくて。
「今質問しているのはこっちよっ! 撃たれたく無ければ答えなさいっ!」
いよいよ銃口を向けるも相手はニコニコと笑ったまま答えようとしない。どうせ撃ちやしないと鷹を括っているのか。
「ほんとに撃つわよっ!」
私が大きく叫ぶと彼女の膝の上にいた兎が驚いて何処かへ跳ねていった。
「自分で言うのもどうかと思うけれど、私のお題なんて結構価値ある物だと思うんだけどなぁ」
なるほど答える気はないらしい。
取り敢えず威嚇に一発。当てるつもりなどない。地に向かって放った薄紫色の弾丸が地面に当たった瞬間
大気が爆ぜた。
「ふぇ?」
余りに突飛な光景。ちょうど先程まで彼女のいた場所には一本の炎柱。天を突くほどのそれの中は尋常ではない熱が渦巻き、中の物を打ち上げる。
「あっつ!」
その余波に乗る熱だけで焼けただれてしまいそうだ。息をする空気すらも熱せられて高温と成り私の喉を灼かんとする。これではまるっきり噴火じゃないか。
「いやいやいやっ私こんなっ…!」
誰に対しての言い訳なのか自分でもわからないが燃え盛る火柱に私もこんなことを予想していなかったのだと説明するも、それを聞く気はないと言わんばかりに火は消えていった。
後に残るのはドロドロに溶けた地面。炎の消えた今でもシューシューと音を立て煙を立ち上らしている。よく永遠亭に燃え広がらなかったなぁなんて現実逃避をしていれば横に降り立つ二本の足。
「前回は不意打ちされたからそのお返しだ」
白シャツに赤いもんぺとサスペンダー。大きなリボンでまとめられた白髪を揺らして誰もいなくなった場所に声をかける少女。その目は射殺すような鋭さを持っている。ああ、良かった私の攻撃でああなったわけじゃなく、この人がやったらしい。
「…」
睨むべき相手は今しがた吹き飛んだんじゃないかと思い、目を禿げた地面に向けてみれば何処からともなく集まる灰のような粉。点描をそのまま取り出してきたように細やかなそれらは一点に集まっていき、焼け落ちていく紙を逆再生する様にして元の形を辿っていく。
「本当に妹紅って空気読めない」
すっかり元に戻り、髪を掻きあげる先の美しい女性。
「不意打ちなのに空気もクソもあるか」
「不意打ちでもタイミングくらい考えてよ」
女性はそこでハアと一つため息をうち、首をコキりと鳴らす。
「何時もなら付き合ってあげるけど今日はやめて」
そう言って女性がチラとこちらを見ればもんぺの少女もこちらに気付く。少女は私の耳を一目。
「新しいペット?」
「まだ違うわ」
人が勢いに付いていけてないからと好き勝手言ってくれる。そりゃ玉兎なんて月ではペット扱いされることも多々あるが、見知らぬ者にまでペット扱いされる謂れはない。
「だ、誰がペットだ!」
「あなたよ」
「お前自己紹介すらしてないのか?」
「それをしている時にあんたが邪魔したのよ」
しれっと嘘をつく。あれが自己紹介とは無理があるだろう。
「してなかったじゃない!!」
「ノリ悪いわね〜。いいわ、じゃあ教えてあげる」
そう言って身を翻し、焦らすようにこちらを覗く二つの瞳。
「こいつ輝夜な。月から堕とされた無様なお姫様」
もんぺの少女が女性を半目で睨みつつ、指さしつつ、ネタバレしてくれた。
「ああ、輝夜ね。なーんだ…輝夜!?」
「妹紅も大概ノリ悪いわね」
やけに聞き覚えのある名前に目を飛び出さんばかりに驚く私を他所に不満そうに口を窄める女性。
月から逃げてきた玉兎である私には地上での生活は心臓に悪過ぎたらしい。
○
と、いうわけでここ永遠亭には月のお尋ね者が二人。私を入れるのなら三人いるという事だ。何故一月も姫様の存在を知らなかったか、教えてくれなかったのか師匠に聞いたところ「あんな尋問一回で信用仕切るわけないでしょう」と冷たく返されてしまった。初めに言われたルールの内、謎だった一つも姫様に間違っても会わないようにする為なんだとか。
そしてややバイオレンスに出会うことになった私と姫様は自己紹介を済ませたわけだが、その時に姫様から新しく名前を頂いた。晴れて三つ目である。唯でさえちょっとあれな名前なのに付け加わったのが『イナバ』。
いや、いる? イナバわざわざいう必要ある? 姫様曰く「私のペットである証よ」とのこと。
いやあ、光栄過ぎて涙が出そうだ。
まあ文句ばかり言っても仕方なし、私の名前が決まったわけだ。
鈴仙・優曇華院・イナバ
長い上に名前としてどうなんだろうか。名は体を表すのだぞ。どうせつけるならもっと二つ名みたいなかっこいい名前がよかった。
因みに姫様を燃やしたのは藤原妹紅さん。姫様や師匠と同じ蓬莱人である。どうしてそうなったのかは聞かなかったがどうやら姫様に私怨があるらしく、時折、姫様と殺し合う仲なんだとか。
私も今度こそ漸く慣れてきた。と言っても、姫様を知る前から変わった所など私の仕事に永遠亭の掃除が加わった程度だが。
毎日掃除して、勉強して、やってくるてゐの悪戯の被害にあって、時折永遠亭にまで出向いてくる妹紅さんと姫様が壊した屋敷の修復をして...完全に雑用だが私はそれで良かった。戦争の準備に心を波立たせることもないから気楽だ。そして何よりも仲間がいるという事に安心する。師匠も姫様も私とはレベルが違うがそれでも逃亡仲間には違いないのだから。別に雑用でもいいから此の儘、月に見つかりたくないなんて思っていた。
○
私が永遠亭にやってきてもう半年くらい経ったろうか。あの時とは違いまだまだ半分も満ちていない月が天蓋に刺さっている。何だか何時もよりもその明るさが際立っている様で私は不安になり、自室の布団を頭から被りさっさと寝ようと思って目を瞑った時の事だった。
突然の耳鳴り。頭が割れるかと思うほどのものだった。呻くことしか出来ない私が布団の中で溺れていると次第に収まる頭の中の金切り声。何なんだとぐったりして枕に顔を押し付けていると今度は聞きたくない声が聞こえてきた。
『地上へ堕ちた脱走玉兎レイセンに告ぐ。戦いが近い。今すぐ帰投せよ。もし拒否しようとも満月の夜に迎えに行く。抵抗は無駄である。以上』
その言葉を頭の中ので反芻すること三回。漸く私は跳ね起きた。
迎えに来るとまで言っているのだ最早逃げられない。半ば縋るような思いで師匠に今の命令を伝えた。
「……」
「見つかっちゃったみたいね」
珍しく夜更かししている姫様も師匠と同じ場所にいたので駆け込んで伝えた今の出来事に反応を示す。眉を顰める師匠と分かっていたかのように呟く姫様。
「ど、どうしましょう?」
「優曇華は慌てすぎよ。この程度の事を家の永琳が考えてない筈がないでしょ?」
言われてみればそんな気もする。何かと抜かりない師匠のことだ、何か考えがあるのだろう。
「姫は慌てなさすぎです」
師匠は楽観視の過ぎる姫様を嗜める。
「じゃあどうしようもないの?」
「いいえ」
「ならいいわ。私は永琳を信用してるもの。優曇華も安心していいわよ」
心強い。心強いが、相手は月だ。恐らくこの世で最も厄介な相手だろう。
「それで? 具体的にはどうするの?」
月の頭脳が弄する策、それは―――
「地上に密室を作ります」
月を出し抜くことが出来るのだろうか。