紅魔館から逃げるように飛び出して、畔が真っ直ぐ向かったのは件の太陽の畑。
夕方ではなくもう夜。お宅訪問するには少々非常識な時間帯であるがそれは人間での話。訪問する方もされる方も妖怪なのだから然程問題ではない。
ポツリと立つ太陽の畑を指す道標。誰も近寄らず、目にすることがないが故に道標としての機能はほぼ失われている様なものだ。今の畔にはそれすらムカムカと喉の奥に詰まる。
綺麗に生え揃えられ、道を作る向日葵達の間を通り抜けて昼間見たばかりの白塗りのドアの前に立つ。
畔は逸る気持ちを抑え、コンコンとドアを叩いた。扉が開くとやはり昼間見たばかりの花妖怪の姿。
「畔?」
「あの……暫く泊めてさせて下さいっ!」
疑問符を頭の上に浮かべる花妖怪。畔が頭を勢いよく下げたことで、より一層それが濃くなったのだった。
〇
「それで、どうしたの?」
外ではなんだからと中に入れられ、何も無いのもあれだからと紅茶まで出してもらった。
「その、ちょっと喧嘩しまして…」
紅茶を出してもらったのはありがたいが、何故紅魔館を出たのかは言うに言えない。本人を前にすると話しづらい内容である。
取り敢えずはぐらかした言い方をしたのだが現実は喧嘩にもなっていない。私が一方的に怒って、一人で捲し立てて、勝手に出ていっただけだ。
「へぇ。喧嘩…まぁ深くは聞かないわ。聞かれたくなさそうだしね」
有難い。聞かれても答えられないばかりで話は進まないだろうから。
「ここに泊めるのは全然構わないわ。寧ろ、ずっといてもいいわよ?」
有難いを通り越して頭が上がらない。幽香さんが天使に見える。
「ありがとうございますっ」
「泊めるのは全然いいんだけれど、布団が一つしかないのよ」
「ああっ大丈夫です。その辺の床で寝ますから」
まさか突然に押しかけて家主の寝床を奪う程私は図々しくない。
「それじゃあ満足に寝られないでしょ? だから一緒に寝ましょう」
…全くもって本当に頭が上がらない。
〇
幽香さんとの生活は非常に快適なものである。フローラルな香りに包まれて眠りにつき、十二分な快眠を終え、幽香さんの朝食に御相反にあづかり、その広大な敷地を誇る太陽の畑の隣人たちへ水をやったり、幽香さんの能力を遺憾なく発揮した立派な畑に出向いたり――人間臭い言い方をするなら理想の老後みたいな。スローライフぶりなら私の普段とほぼ変わらないが、なんと言うか優雅さが段違いである。品ともいう。
まあ私の品のない日常はさておき、今日は人里へお買い物である。
野菜だの穀物だのはさておき、まさか肉や川魚を畑から採るというわけにもいかない。その辺の動物を素手で捕まえに行くなんてワイルドな事はせず、売りに出されている物を買いに行くらしい。
余談であるが幻想郷のような、一応とはいえ妖怪と人間が共生する環境がない時代はワイルドにいっていたらしい。あまり幽香さんが猪なんかを素手でぶっ殺しているところは想像したくないので、お花の蔓とかで罠を仕掛けてたという事にする。
うん、そっちの方が幽香さんに合っている気がする。
想像する分には私の自由なのだ。
話を戻す。
人里へ来てまず感じたことは視線の多さである。私ではなく、隣を歩く幽香さんへのそれの数は半端ではない。別に陰口なんかを叩かれているわけでもないのにざわめく人里。
一挙手一投足をじろりと見られている様なそんな居心地の悪さを感じる。
「幽香さん…」
「ほっときなさい」
幽香さんはこれに慣れているのだろうか。
こんな物に。
後ろに流れていくヒソヒソ声を無視して店の前に立つ。
私は不安であった。歩くだけでこの有様なのに直接話しかけられる店の主など、どうなってしまうことやら。
「あら、幽香さん。随分久しぶりね〜」
「え?」
思わず間抜けな声を出してしまった。
余りにも普通だったのだ。もう還暦を迎えているであろう見た目の女性は人間の常連さんに向ける様な振る舞いを見せた。
てっきり腫れ物の様に対応されると思っていたせいで幽香さんが私の肩を叩くまで固まっていた。
「ほら、何時まで固まってるのよ。用は済んだんだから帰るわよ」
幽香さんに押される様にして「またいらっしゃい」と手を振る女性から離れていく。
「あの…」
「ん?」
「どうしてあそこの店主さんはあんなにフランクだったんですか?」
「んーそうね、付き合いが長いからじゃないかしら。お年寄りなら私を見慣れてても不思議じゃないわ」
「……」
「畔の言葉を借りるなら私の事を誤解しているのはまだまだ若い世代なんじゃないかしらね。でもそれでいいの…いいえ、そうじゃないといけないのよ。妖怪がまるっきり人間とお友達になるなんてよっぽどその人間が狂ってるの」
はっきり言っているわけではないが霊夢さんや魔理沙さんのことを言っているのだろう。ある種、ただの人間でないあの二人なら狂ってると評されても仕方ないかもしれない。
「私なんかは違うけれど、人の畏から生まれた妖怪や人への恨みを糧に生きる妖怪が人と仲良くなんてしてみなさい。瞬く間に消えちゃうわよ」
幻想郷は妖怪にとっての楽園。スペルカードルールなんてのも敷かれてはいるが、基本的に人間にとって好ましい環境であるとは言えない。
そりゃそうだ。妖怪にとって棲みやすいここが人間に暮らしやすいはずがない。
何が言いたいかと言うと、人間の敵として妖怪がいるからこそ楽園として成立するということ。畏れられて然る可しという事だ。そうであっても幽香さんが妖怪からも一歩引かれている事には納得がいかない。
「じゃ、じゃあ人間じゃなくて――」
「妖怪だって然程変わらないわ。畔は知らないだろうけど、付き合いが長い妖怪とは仲良くしてるわよ?」
「それでも…」
自分が好きな人を否定される事が辛いという私のエゴかもしれないが、それでも数多の妖怪たちが幽香さんを深く知らないまま否定している事実が気に入らないのだ。
「有名税みたいなものよ。長く生きたらその分だけ力をつける。力が大きくなったらその分だけ畏れられる。そんなものなのよ」
私には分からない。
人間よりも長生きなのに人間より貧弱な私では理解出来ない。
納得出来ないけれど幽香さんが割り切っている以上、私を押し付けることはできない。割り切らない思いを胸に落とし込むしか出来ないのだ。
(お主は優しいの)
私の心に住まう同居人は私の心の機微を詳らかに拾い上げてしまう。
(優しくなんてないです。ただ、自分勝手なんですよ)
(そうかの?)
(大事な人を否定されるのが腹立たしいだけです。幼い子供の幼稚なヒステリーです)
(自分以外をそこまで大事に思えるお主は優しいと思うがの。所詮人間も妖怪も自分ありきじゃよ。他人の為に感情を熱く燃え上がらせることが出来る者は少ないと思うぞ)
(…ありがとうございます)
私自身が優しいと肯定することはないが、第三者からの意見である。無碍にすることも無いかと思い、取り敢えず礼をしておく。
白忌さんが第三者という立場でいいのかは少し怪しいがまあいいだろう。
「どうしたの?」
無意識に歩みを止めた私を訝しむ幽香さん。降りてきた太陽を背に私を見る幽香さんの顔は影で隠れている。だけれど私には確かに幽香さんが笑っている事が分かった。
〇
来た。
太陽の畑の花たちが私に知らせを寄越した。背中に蝙蝠の羽を付けた小さな大妖怪がここに向かっていると教えてくれた。
虫の知らせならぬ花の知らせ。
私は隣で眠っている小さな貧弱妖怪を起こさないようにゆっくりと布団から出て、普段着を着て、髪を整え、扉の外へ出る。
空に広がる満天の星空。吐く息に色はまだつかないが肌を晒していると少々冷える。一年のうちで最も夜が長い季節。所謂秋の夜長である。
そんな夜に一匹の蝙蝠がパタパタと降りてきた。
「あ、貴女が風見幽香?」
「こんばんは。そうよ。こんな夜中にどうしたのかしら」
畔から聞いている。以前起きた紅霧の異変の首謀者であり、現畔の同居人。
どうしたのかしらとは言ったが想像はついている。
「わ、私はレミリア・スカーレット。ええと…」
何やら歯切れが悪いが、急かすこともない。
ゆっくりと腰を据えて話すとしよう。
「立ち話でもいいけれど、ここ最近は冷えるわ。中でどう?」
「…」
複雑な表情を浮かべて頷く吸血鬼。
中には河童が幸せそうな顔で眠っているから起こさないようにせねば。
〇
「それで私が実際にどんな奴か見に来たってわけね」
やや声を落として開かれた真夜中のお茶会。突然風見宅にやって来た吸血鬼は事の顛末を話し終えた。
「ええ」
「実際に会って、話した感想は?」
「……話に聞いてたのと違う」
ここでレミリアの言う話とは噂のことだろう。レミリアからすればいっそ噂通りに極悪非道、残酷無比な輩であってくれた方が良かった。畔に謝る必要がなくなるからだ。
だが、そうはならなかった。心底幸せそうに眠る畔の顔を見せられてはどうしようもなかったのだ。
「そ。私はどっちでもいいけど畔が聞けば喜びそうね。それで、どうするの?」
「...また妹を連れてくるわ。その時にちゃんと話をつける」
「早くしなさいよ? あの子、なんだかんだ貴女たちの所が気に入ってるみたいなんだから何時までも下らないことで喧嘩してないでさっさと仲直りしなさい」
畔は太陽の畑にやって来ては最近紅魔館で起きた事を楽しそうに話す。それを聞いていたのは他でもない風見幽香である。畔が紅魔館に馴染み、一員になっていったその様を目の前にしてたのもやはり彼女である。
風見幽香にとって畔は非常に近しい存在なのだ。少なくとも共に眠るほどには。そんな彼女の顔が自分が原因で曇っているといる事は好ましくない。かと言って自分がしゃしゃり出るのもそれは違う。畔と過ごすのも中々に楽しいものだが、叶うなら早く仲を戻して欲しいと考えているようだ。
「わ、わかってるわよ」
「そう。わかってるならそれで構わないわ」
残った紅茶を飲み干し立ち上がるレミリア。視線を右へ左へ、落ち着かない。というかここに来てからずっとこんな調子である。
「どうしたの?」
「…その、知らなかったとは言え、貶める発言をしてしまったわ。ごめんなさい」
ゆっくりではあるが確かに頭を下げた。面食らった幽香は一瞬止まる。畔から聞いていたイメージからレミリアはこんなに真っ直ぐ、素直に謝る様な妖怪ではないと思い込んでいたらしい。
「ふふっ」
「な、なによ?」
「いいえ、お互い様だなって思ってね」
「?」
疑問符を浮かべるレミリアは依然笑みを浮かべる幽香を見ることしかできない。
「別に私は気にしてないけれど、そうね。貴女のために受け取ってあげる」
再三言ってきたように幽香は自身が周りからどう思われようが大して気にしてはいない。なので、レミリアが彼女を如何に悪く言おうがどうでも良いのだ。早い話、謝られる義理は無いと突っぱねる事は簡単である。
だが「風見幽香に謝っておかなければ畔に顔向け出来ない」というレミリアの気を汲んだのだろう。幽香は立ち上がりつつ、笑いかけながらレミリアの謝罪を受けた。
妙に縺れたが漸く終わりが見えてきた。
子供同士の喧嘩というものは些細なことでここまで拗れる物なのかと風見幽香は紅魔館に戻るレミリアの背を見送りながら苦笑を浮かべるのだった。
〇
「それで幽香さんはいつも――」
太陽の畑に普段は見られない影が二つ。背中に蝙蝠羽を持った吸血鬼と背中に宝石を背負った吸血鬼。輝く金髪を振り、笑顔で花妖怪に話しかける妹吸血鬼は姉そっちのけである。
「……」
「……」
楽しそうにお喋りする二人の隣で畔とレミリアは向かい合って立っている。お互い目を合わせようとしない割にチラチラと見るものだから度々目が合っては急いで逸らすことを繰り返している。
初々しいカップルの様にしか見えない。
「あ、あのっ畔! ちょっといいかしら?」
「は、はひっ!」
意を決したレミリア。それに驚いた畔の声はお手本の様に裏返っていた。
初々しいカップルにしか見えない。
因みにそんなカップルの様子を隣からフランと幽香がニヤニヤしながら見ていることに当の本人たちは気付いていない。
「その…えっと、あの時はごめんなさい。何も知らない内から畔の友人の悪口を言っちゃったわ。本当にごめんなさい」
ここでレミリアが頭を下げるのは二度目である。そのお陰が一度目よりもスムーズであった。
「い、いえ。私も急に怒って、捲し立てて、出ていって…少し自分勝手過ぎました。ごめんなさい 」
レミリアと同じ様に畔も追いかけて頭を下げる。これにて向かい合った二人が互いに床を見つめているというなんとも滑稽な光景の出来上がり。
「仲直りは済んだ?」
いつの間にかフランを肩車した幽香が声をかけた。ほっとけばいつまで経っても頭を下げたまま動かないと思ってのことだろう。
幽香の声に顔を上げた二人はやはりチラチラと互いを覗き見ている。
初々しいカップル……もういいか。
「あのっ!」
「は、はいっ」
今度は畔から声を出して、レミリアの声が裏返る。
さっき見た。
「その…私、紅魔館に戻ってもいいですか?」
「もも、勿論よ!」
ややぎこちなく握手する小さな二つの影。
安心からか嬉しさからか畔にもレミリアにも柔らかな笑顔が見られる。
「やっと畔ちゃん帰ってくるんだ。良かったねっ!」
「うんっ!」
花妖怪の上から二人に負けない笑顔を見せるフラン。それに釣られて自然と花妖怪の頬も緩む。
今日ここに咲いた新しい花四つ。
叶うならこれからも咲き誇っていて欲しいものだ。