訪れこそ賑やかなものとなった今年の秋。どこぞのスキマ妖怪が零す様に、幻想郷はすべてを受け入れるらしい。霜月にやって来た守矢神社は二月もしない内に妖怪の山へすっかり溶け込んで、其処の住人…神様たちも幻想郷に馴染んで来たようだ。
「それでは行ってきます!」
朝日が上ると同時に山彦の元気な朝の挨拶が山に響き渡ってから既に一刻余り。何時もの巫女服にマフラー巻いて、片手には幣、もう片手には守矢神社と油性マジックの丸文字で書かれた木の足場を抱いている。マフラーで首元を隠す前にもっと隠すべき場所がある気がするがそんな事はさておいて、守矢神社の巫女である東風谷早苗は今日も布教すべく人里へ向かう。
「行ってらっしゃい」
「気を付けてね〜」
見送るは二柱の神。
立ち上がり、早苗を見送る背中。何時も背負っている大きな注連縄を下ろして手を振っているのは八坂神奈子。本来は違うのだが紆余曲折を経て、守矢神社の実質的な祭神となっている。技術や化学によって外から幻想郷へ追いやられた筈が、何故か技術革新に執心しているよく分からない神様である。
そして、もそもそと炬燵の中から手を振るちびっ子の方は洩矢諏訪子。ここ守矢神社の本当の祭神である。恐ろしい祟神にして両生類の神様なんて呼ばれ方もするからか寒さに弱いらしく、その瞼はどこか重そうである。
神奈子は早苗の姿が見えなくなると、腰を下ろして炬燵へ入った。
天板の上、カゴに入れられた三つの蜜柑。そこから神奈子が一つ取り、残りは二。
「諏訪子」
「んー?」
「あんた食い過ぎ」
ある程度妖怪や人間から信仰を得られるようになった守矢神社。供えに米や酒と共に、最近収穫されたばかりの蜜柑なんかも大量に納められていた。炬燵上にも、そのうちの幾つかを置いていた筈が気付けばもう残り僅かとなっており、神奈子の元には剥かれた皮が二つ程転がっている。対する諏訪子の前には、幾つ分か分からぬ程の皮が撒き散らされていた。
「そろそろ冬だからねえ」
「いや、理由になってない」
「いいのいいの」
何がいいのやら。やや影の差した目を向ける神奈子を無視して諏訪子は橙色の秘宝に手を伸ばす。
「そんな事より」
「何?」
「最近なんかコソコソやってるよね。
あれ何してるのさ?」
余り外に出ない諏訪子と違い、神奈子は活動的で、最近もよく妖怪の山の麓まで出向いたり、旧地獄へ繋がる大穴付近で目撃されたりしている。
「別にコソコソなんてしてないわ」
「そこはいいや。で、何してるの?」
「幻想郷の住人たちの意識を変えようとね」
「何それ」
「ほら、外の世界はやれ『エコロジー』だの、『勿体ない』だのと倹約的になってきたじゃない。外からエネルギーを貰ってる幻想郷を考えれば、そのうちにエネルギーが無くなる危険があるわ」
「ほむ」
外の世界では、「技術革新至上主義」から「環境至上主義」へとその意識が変わっていった。それは無限に有ると思われたエネルギーに限りが見えた事で、人間達がエネルギーにより多く、目を向ける事になったという事。それはつまり、外の世界のおこぼれを与っている幻想郷が得られるエネルギーが少なくなる事であると神奈子は言う。
「直ぐにそうなるとは思わないけれど、数十年もしない内に何かしらの変化は起きるわ、きっとね」
「はむ」
「それに対応する為には、外の世界に頼らないエネルギーを増やすしかない」
「ほむ」
「…聞いてる?」
炬燵の上に顎を乗せて、咀嚼する諏訪子は話を聞いているのかいないのか。自分から聞いた割に、余り興味が有るようには見えない。
「聞いてる聞いてる」
「本当かしら…」
「それで? 新エネルギーとやらの目処は立ったの?」
「まだ試してないけれど、一応ね」
「ふーん」と、やはり興味なさげな諏訪子は落ちかけていた瞼を押し上げて続ける。
「あんまり目立つことしない方がいいんじゃない? 来たばっかりだし」
出る杭は打たれるもの。幻想郷に来たばかりの新参が調子に乗らない方がいいのではないかと言いたいのだろう。まあ、それを言うなら先日の異変が既に目立っているというものだが。
「別に悪いことするんじゃないだから。
寧ろ、此処の為を思っての事よ」
「…ま、私にはよく分かんないからいいけどね 」
そう言って諏訪子は蜜柑に手を伸ばす。
「だから食い過ぎだって」
「私はこれからエネルギーを貰ってるの。だから一杯食べなきゃね」
諏訪子が最後の一つを手早く剥いて丸ごと口に投げ入れるのを見て、呆れ顔で炬燵から抜け立つ神奈子。
「ん、どったの?」
「エネルギーの補填だよ」
どうやら両生類でなくとも蜜柑はエネルギーになるらしい。
〇
寒空の下、未だに赤や黄に色付いた葉をみせる妖怪の山。季節的には落ちていても良い筈だが、今年は紅葉狩りの時期がずれ込んだ分、落葉も少し遅れたようだ。とは言ってもそろそろ時期であるらしく、紅葉を司る神様の右足が唸りを上げ始めていた。
「えい!」
可愛らしい声を出して楓の木に十六文キックをかます秋静葉。妹の穣子と違い、紅葉を司る神は幻想郷において彼女の他にいない。つまり、実質的に幻想郷の紅葉は全て静葉のお手製であり、落葉はお足製とでも言えるだろうか。
烏天狗のインタビューにて「どうして蹴りなんでしょうか?」という質問に対し、「落葉とは秋の終わりを指すの。冬が来るから葉が落ちるのではなく、冬を迎えるために葉を落とすの…」としたり顔で的外れに答えていたのは記憶に新しい。烏天狗の愛想笑いも引き攣っていた。
推測になるが、彼女は冬を迎えなければならない、或いは秋が退かなければならないという事実に絶望し、落胆し、憤怒しているのだ。ドロドロに沸き立つ感情をその細い右足に宿しているのだろう。きっとそうだ。
「おおおお」
「…」
そんな怨嗟に輝く蹴りを繰り出す静葉の横、少し離れた所から眺めている一人と一柱。詰まらなさそうに腕を組んで姉を見つめる穣子と静葉が木を蹴る度に拍手する河童の畔。穣子はさておき、冬を迎えるというのに畔は相変わらず何時もの合羽しか着ておらず、見ている方が肌寒くなってしまいそうだ。
「ふん!」
畔が落葉の見学を始めたのはついさっき。あてどなく妖怪の山を散策している時に偶然静葉が木を蹴り飛ばしている場面に遭遇し、久し振りに見かけたという事で見学させてもらっているようだ。
「とうっ!」
静葉がこうして落葉を始めたのは、畔の見学開始から半刻程早くから。つまり、静葉は一時間近く蹴りを放ち続けているわけだ。しかし彼女は息を切らすどころか、徐々にペースを上げ、一本蹴る毎に込める力も増していっている。
「おら!」
冬を呪うその蹴りは木を切り倒すこと無く、絶妙な力加減で枝を震わせる。とは言え、誰でも蹴れば落ちるかと言うとそうではない。そりゃ落ちる物もあるだろうが、蹴りで葉を大量に落とそうと思えば、それなりにパワーが必要になるだろう。それこそ、河童や天狗や鬼の様な。腕っ節に自信があるという訳では無い静葉の蹴りで落とせているのは、静葉が紅葉を司る神であるからに他ならない。
何が言いたいかと言うと、実際には静葉の蹴りに目を見張る様な力は込められていないという事だ。もちろん、それは静葉が良く分かっていることであるが。
「うおらっ!!」
つまり、こうして長めに助走をつけて繰り出した蹴りにもそこまで力はない。人間に毛が生えた程度の力しかないのだ。
「え? きゃああああああっ…あ"っ!!」
「お姉ちゃん!?」
「静葉様!?」
だから、まさかそんな蹴りで木からゲジゲジが沢山落ちてくるなんて誰も想定していなかったのだ。
どこかの唐傘お化けなんかよりもよっぽど優秀な驚かし芸を見せつけたゲジゲジさん。
静葉は体勢を崩して足を盛大に捻った。
「痛ァい…痛ァい…」と幼子の様に泣いていた静葉も暫く泣いたところで、漸く落ち着きを取り戻してきた。
「お姉ちゃん、まだ痛む?」
「そうね…もう、なんて言うか感覚が無いの」
「そんなに!?」
生憎と畔のとってつけたようなしょぼい能力に「他人の痛みを和らげる」なんて素晴らしい効果はない。自分で名付けたが故に、何とも歯痒い思いを被っている畔。以前にも似たような状況があったような...いっそ能力名を変えた方がいいのではなかろうか。
「もう私では蹴れそうにないわ」
「…っ!! そんな……そんな事って…」
悔しそうな顔で患部を撫でる静葉の言葉にショックを受ける穣子。
何だか二度と歩けないみたいな空気を出している秋姉妹であるが、ただ単に捻っただけであり一ヶ月もしない内に治るであろう。差し迫った問題は落葉である。
「私はもう駄目…あとは…貴女たちにま、か……」
「お、お姉ちゃあああん!!」
「静葉様ぁぁぁ!」
何度も言うが足を捻っただけである。冷静さを欠いているのか、はたまた悪ノリが過ぎるのか。
何故か動かなくなった静葉の体を放り出して穣子は拳を堅く握る。
「こうなってしまったら仕方ないわっ! 私と畔ちゃんがお姉ちゃんの意思を継ぐのよっ!」
「はいっ!!」
投げ出された時に頭を地面に打ち付けたらしく、くぐもった声を上げながら頭を抱える静葉は完全に眼中にない二人。そんな二人は意気込んで巨木の前に立ち並んだ。
「私から行くわ」
穣子が一歩前に出る。
その一歩は人間にとっては小さな一歩だった。
「おおおおっ!!」
そして神にとっても小さな一歩であった。
穣子の繰り出した体当たり。なけなしの神通力を滾らせての捨て身のタックルは何十、何百年と成長を重ねてきた大木を震わすことすら叶わなかった。
信仰心の足りない神の神通力なんてそんなものだ。
あえなく地面に倒れ込む穣子に畔は急いで駆け寄っていく。
「み、穣子様っ!!」
「ああ、私じゃ駄目みたいだわ…でも大丈夫。畔ちゃんなら…畔ちゃんならきっと出来る。私はそう信じてる」
「そ、そんな…私には無理です」
「しっかりなさい、水知不畔! 今まで何度も見てきたでしょうっ! 大丈夫…貴女なら出来るわ。私が保証する…わ」
穣子はそう言い残して顔を落とした。
畔は、地面の石が痛いのか度々声を上げる穣子を引き摺って静葉の横へと並べた。
頭を抑える静葉と背中に手を伸ばす穣子の二柱が横たわる前で畔は決意を改める。
「お二方、見ていて下さい。私はやります。やって見せます!!」
信念を共にした三人の仲間。
後を託されたのは何も出来ず、何時も後ろから二人を眺めることしか出来なかった畔。
もう後戻りは出来ない。畔を支えるのは、先に逝った二人が託した思いと己が心のみ。
三人の思いを背負う河童は今、巨木の前に立つ。
その背中は最早ちっぽけな河童のそれではなく、神に匹敵せんばかりの広大な大地。
巨木を睨むその眼光は萎れた弱虫のそれではなく、敵を射殺さんとする一閃の刃。
「おおおおおおっ!!」
気合は十分。
自らの頬を叩き、雄叫びを上げる畔の背後には百戦錬磨の武神が見えるような見えないような。
漲る力でプルプルと震える右手の拳を左手で押しとどめて、腰を落とす。
いざゆかん。
「せいっ!!」
ドンっ。
開放された拳は凄まじく加速、果ては音速を超えて黄金色の衝撃波を纏い、樹皮へ着弾。僅かな隙間から衝撃波が入り込み、内部にて爆散し、紅葉を散らした。――とはいかず、ペチっと情けない音を立てて着弾。穣子の体当たり以上にパワーの無い拳では葉っぱ一枚たりとも落とすこと叶わなかった。
「ぐっ……!」
だが、そんなヘナチョコナヨナヨパンチでも畔なりに全力を以て臨んだのだ。武神もこんなお遊びに付き合う程暇じゃないらしく、畔の体が猛烈に強化なんてことも無く、そのまま拳を痛めた畔。
「うっ…うぅ…私はなんて無力なんだ…」
畔は巨木に縋り、痛む拳を抱いて跪く。
最早これまで。誰もが諦めかけたその時であった。
「話は全て聞かせてもらったわっ!!」
右手には羽団扇、左手にはダルそうな烏天狗を引っ捕まえた黒い影が颯爽と降り立つ。
「お姉ちゃんに…はたてさん!」
「畔、お久」
「後は私たちに任せなさい」
その二人こそ、畔が幼少の頃より敬愛する烏天狗、射命丸文と姫海棠はたてであった。
「畔は良く頑張ったわ。あの二人の隣で休んでおきなさい。私とはたてがなんとかするから」
「ッッお姉ちゃん!」
「え、私もやるの?」
感動に震える畔は拳を撫でながらトテトテと秋姉妹の横へ座る。怪我人三人目である。
「寧ろ私は撮影するのではたて宜しく」
「はあ!? いきなり連れ出してそれはないんじゃない!?」
はたては家で自らの新聞である花果子念報を執筆中に文に突然拉致。半ば引き摺られる様にしてここに連れてこられていた。はたてとしてはさっさと帰って新聞作りに励みたいところ、押し付けられたのは羽団扇で適当に風を吹かせるという雑用。
詰まるところ付き合ってられなかった。
「やらないの? 畔が困っているのに? 」
「ぐっ…」
はたてと畔の間柄は文と畔のそれに近い。というか、ほぼ同じである。畔を妹のように可愛がり、わが子の様に心配しているのははたても同じなのだ。
「だ、だったらあんたもやればいいじゃない!」
「はあ…分かってませんね」
「何をよ!?」
わざとらしく大きな溜め息をつく文は、いきり立つはたての耳元で怪しく誘う様に囁く。
「これを機に畔から『お姉ちゃん』って呼んで貰えるかも知れない」
「!!」
「私はそのチャンスを上げようと言っているんですよ…ねえはたて」
「ぐっぐぐぐ」
そう、はたてを見つけた畔は「お姉ちゃん」ではなく「はたてさん」と呼んだ。文とそう変わらない時間を畔と共にいるはたてはそれが常々不満であった。「はたてさん」という呼び方が嫌なのではなく、「お姉ちゃん」と呼ばれたかったのだ。そんなはたてにとって文の言葉は魅力的過ぎた。
「…わ、分かったわよ。やればいいんでしょっやれば!」
「その通り。上手くいくことを願ってるわ」
自棄糞気味のはたては文から羽団扇をひったくると、畔の方へ振り返った。
「ほ、畔! よく見ときなさい! 私が華麗に散らして上げるわっ!!」
「私が」の部分を強調して言ったはたて。緊張のせいか顔は赤い、とても赤い。
そんな己を払拭する様に顔を振って飛び立つはたて。そんなはたてを怪我人三人と文は下から見上げる。
「さーん、にーい、いーち…」
「おりゃあっ!!」
カメラを構えた文の合図と同時にはたての羽団扇が勢いよく振るわれた。
〇
「いやぁ、素晴らしい写真が撮れたわ」
「……」
ホクホクと嬉しそうに笑う文と仏頂面のはたて。
「ほらほら、コレ見なさいよ。これ凄く綺麗でしょ? やっぱり私の腕は捨てたものじゃないわね」
「知らないわよ」
刷り上がったばかりの写真。舞い上がる赤モミジの嵐やその中で格好よく羽団扇を振るうはたてが写っている。はたては、その写真をひらひらと見せつける文を鬱陶しそうに振り払った。
「あややや…全く、何をそんなにむくれているのよ」
「だって!! 畔ってば…畔ってば…」
天狗にしか使うことの出来ない羽団扇で雅に、舞う様に、もみじを散らしてみせたはたて。彼女も自信があったのか畔の前に降り立った時の彼女の顔は期待に満ち満ちていた。
しかし、そんな彼女に畔がかけた言葉は無情なものであった。
「凄く…凄く恰好良かったです! はたてさん!」
罅割れた。
空気が割れた。
はたての望んだ報酬が払われることは無かったのだ。
「ううっもう私は一生『お姉ちゃん』て呼んでくれないのよっ!!」
ショックを受けたはたてはそのまま帰宅するも、新聞作りに手は付かず。結局、こうして文を誘って自棄酒に耽っているのだ。
「まあ、いいじゃない。畔も恰好いいって言ってたし」
「あんたには私の気持ちは分かんないわよおっ!! うう…うぇぇぇ」
泣き上戸。
非常に面倒な部類の絡み酒である。文も何時もなら、はたてを捨て置いて先に帰るのだが今回は付き合うらしい。
烏天狗の鳴き声は深夜まで続いたのだった。
〇
「はたてさん、恰好よかったな…」
夜、自室で酔ったような顔で畔が呟いた。
この呟きを聞いていれば、幾らか救われたのだろうが、それを聞くべき者は部屋にいるわけもなく、現在酒の海に溺れている真っ最中。
畔は瞼の裏に焼き付いたはたての姿を夢想しながら深い眠りについた。