白忌さんは欠伸しながら黙りこくる私を指さした。
「にっぶいのぉ。そんなんじゃから、たかが人間に殺されて、見ず知らずの妖怪に良いように利用されて、そして捨てられるんじゃ」
「り、利用? 捨てる? どういう事ですか」
「主は不要じゃ。この身体は私がより有効に活用してやるからの。安心して闇に消えるがよい」
白忌さんが立ち上がった。
ちょっと待て。まだ何も聞いてない。
言い逃げなんてさせるもんか。
「……折角じゃし、きちんと説明してやろうかの」
白忌さんは無理やり手首を引いて、慌てて掴んだ私の手を引き剥がして座り直した。
「何処から話そうか」
「全部。最初からです」
私が精一杯きつく睨んでも、白忌さんは態度を変えなかった。それどころか煩わしそうに眉を潜めた。
「はぁ…まず、そうじゃな。私は龍ではないし、主の拾った石も龍石なんてもんでもない」
「は?」
「私は、人間が自然現象を始めとする不条理を恐れる心から生まれた妖怪の百鬼じゃ。
私の妖怪としての意味は実に妖怪らしい。理不尽に人を恐怖させ、至極簡単に人を殺す。これだけ」
さっきまでのうんざりする様な表情と打って変わって、今の白忌さんは凄く楽しそうだった。歯を見せて、アーチを作る眉に釣られて目元が愉快に歪む。
「そんな妖怪がどうしてあの石に」
「それじゃよなぁ」
机を叩く人差し指が動きを早めた。
「主はここをどう思う?」
「ここ?」
「このクソを練り固めた様な歪な幻想郷じゃよ。本来、ここが成立してしまうということ自体が妖怪の本質にそぐわないんじゃよ。
取り敢えず人間を用意して、形だけの恐怖心を作り上げ、無様に生き長らえる。
これが妖怪か?
いや違う。見知らぬ物に恐怖し、先の見えぬ夜の闇に震える人間が生み出す無形の畏怖の概念こそが妖怪であり、妖怪の存在意義であり、妖怪の持つべき矜持じゃ。
矜持を捨てた妖怪に先はない。それをここの人間は忘れ、里に来る妖怪に好意を抱く者までいる始末。
糞、糞、糞じゃ。何もかも滅茶苦茶。
主の大好きな風見幽香とて恐れられている、避けられてるなんて言いつつ、一部には理解されてしまっている。違う違う。妖怪は理解されるものではない。理解されないからこそ生まれた癖に理解されるな。
何もかも滑稽じゃ。お主のような理解されていない事に憤りを覚える奴なんて最低最悪じゃよ。何もわかっとらん」
いつの間にか指は音を立てなくなり、手は固く拳を作っていた。
「こうなってしまう事を危惧して、私と一部の妖怪連中は八雲に対して人間と妖怪の養殖化を即刻中止する様に求めた」
折りたたまれた人差し指を親指がさらに押し込んで、骨が乾いた枝を折る音を鳴らす。
「だが、奴らは耳を貸さなかった。
人間との共生を図った。
そして生まれたのがこの幻想郷じゃ」
吐いて捨てる。
「三百六十五日を後ずさった妖怪の牙は腐り落ち、人間共は三百六十五日の向こう側で胡座をかく。此処は妖怪にとっての楽園などではなく、そう思いたいだけの八雲の作品の一つに過ぎない」
一息にそこまで言って、鼻で笑って続ける。
「と、言う事を分からせようと私は抗った。しかし、駄目じゃったよ。最後の一人となった私は殺されはしなかったものの、封印されてしもた。御丁寧に魂を分霊され、力も割かれた状態で」
「それが」
「主の龍石は私の片割れ、今の私が入れられていた檻じゃ。そして、主の拾った青い石はその分霊された私の肉体に相当した」
あの時、白忌さんは魂を移すあてが有ると私に言った。
「本来ならばお主のような脆弱な肉体を貰う必要などなかった」
何故なら私があの石を持っていたから。
「だが予定が狂った。あの石の中にある筈の私の肉体が綺麗さっぱり消えてしまっていたんじゃ」
きっとそれは当然の事なのだろう。
「忘れ去られた妖怪の末路なんてこんな物じゃな。外で忘れられた妖怪が集う此処ですら忘れられた妖怪の末路なんて」
苦しそうに笑う目には哀愁。
「じゃが、それも昔の話。私はこうして顕現した。こうなれば私の目的は一つ」
いつの間にか聞き入っていた私が我に返る。
「わ、私の身体を使う必要なんてないじゃないですか。こんなポンコツなんて」
「私とて叶うならこんなものではなく、もっと上質な肉体がよかった。さっさと出ていって別の体を頂くつもりじゃった」
「じゃあなんで」
「遅すぎたんじゃ」
ああ。
「あの日、死んだお主の身体を私が再生したあの時、主の魂が外へ消えてしまう前に蘇生できると、できたと思っとった。じゃが、実際には主の魂は既に殆どが霧散した後じゃった」
「でも私はここにいます」
「今のお主は魂の残りカスみたいなもんじゃ。正真正銘、あの日あの時あの場所で主は死んだ」
…そんなに驚かなかった。
魂がどうのこうのとか私には分からないし、あの時に死んでいたと言われてもそれを否定する材料が殆どないのだ。
「それがどういう関係が?」
だけど、それと白忌さんが私の身体を使わねばならない理由が分からない。
「なんと説明したものか。まあ、簡単に噛み砕いて言うならお主の身体の所有権があの時に私に移ってしもたという感じかの。弱い肉体ながらにお主は私であった。水知不畔という妖怪はその意識を残すのみと成り果て、私はここから離れられんようになってしもた」
「…」
「主の弱さと私の甘い判断の招いた結果じゃな。大体突き詰めて言うなら、お主がもっと強ければ身体を奪われることも、死ぬことも無かったはずじゃがな」
鏡を見ても分からぬ自分がいる。
外見だけでは見つけられない自分がいる。
じゃあ私はどうすればよかったんだ。
「そういう星の下に生まれたんじゃろうな。人間からも虐げられ、妖怪なんてもっての外、力の弱い妖怪達の和の中に入って気を紛らわしても何ら変わらない。お主はどこまで行っても、何をしても、いつまで経っても世界から虐げられた忌み子だったんじゃ」
幽香さんにいつか言われた言葉を思い出した。
『畔って弱者的思考よね』
正にその通りだったんだろう。
でも
「じ、じゃあどうすればよかったんですか……」
「ん?」
「仕方ないじゃないですか!
私だって生まれて、自覚して、理解してから呪いましたよっ!
どうしてこうも世界は私に残酷なんだって!
どうしてこうも私に選択する権利が無いのかって!!
どうしてっ」
喉が詰まる。今までお姉ちゃんにも姫ちゃんにも幽香さんにだって言ったことない事をこの人に伝えようとしているのは何故だろう。
「どうしてこんな私は生まれちゃったんですか…」
目の奥が熱い。喉は痛くて満足に開いてくれない。頬を冷やす筈の雫は熱を持ち、仕切りに自己主張を繰り返す。
「いっそ殺してくれたら…そしたらどれだけ……」
目標なく、生きる意味を見出さず、かと言って自殺する勇気もなく、痛いのは嫌で、日々が何もなく続けばいいという薄っぺらな願いだけを生きる為の大義名分として胸に抱えこんで、息を吸って吐くだけでなんとか生き残ることの辛さを私は知っている。上部だけ塗りたくった、薄氷の如き笑顔の無意味さを他人より何十、何百倍と知っている。
「なるようになる」「頑張って」なんて言葉たちの無責任さを恨んだ数も、それに付けられた傷も数え切れない。
誰かが知らぬ間に殺してくれたらどれだけ楽か。
どんな誰よりも弱い私はどこまでいっても一人ぼっちだ。
私は生まれる時代を間違えた。
私は生まれる種族を間違えた。
私は生まれる場所を間違えた。
「分かっておる」
「分かるわけないっ!!」
これを分かるのは私だけ。
本音を伝えるのと理解されるのでは訳が違う。
同情は理解じゃない。
「分かっておる」
私を抱き寄せた二本の腕。
私とそう変わらない体躯に何故か少しの安心感を覚えた。
「他でもない私だからこそ理解できる。短い時間とはいえ、私はお主で、主は私であった。どれだけこの身体が不便かもよく理解しておる。お主が生きいていくのにここには不都合が多すぎることもよくわかる。
主を理解しているのは私だけじゃ。
花妖怪でも、人魚でも、河童でも、吸血鬼でもない。この私だけじゃ。それはお主も分かっている筈なのじゃ」
結局、私は誰にも本当の私を見せなかった。
「だからこそお主は、花妖怪や他の友人に相談すること無く、私の言う通りに動いてきた」
友人。
「所詮こんなものじゃよ。誰も彼も」
時間。
「お主の弱さが招いた結果とは言うたが、ここに言い直そう」
人。
「悪いのはこの世界じゃ。大多数が笑っていられるのなら羽虫に等しい少数の例外は無いものとして扱われてしまう 」
妖怪。
「まるで笑う事が出来ぬものなどいないというように。形だけ上手く回っていれば百点満点だとでも言うように」
私。
「元よりここ以外で生まれたのなら主の苦しみがここまで続くこともなかった。中途半端なぬるま湯が故に死にきれず、苦しまねばならなかった。こんな世界は要らぬ」
フラッシュライトの様に頭に浮かぶ、私に無縁な単語に意味はなく、私にはどうしようもなく酷だった。
「その為にお主には犠牲となってもらわねばならない。これからお主のような存在を生まぬようにするために」
もう私は手遅れ、そういうことだろう。
まあ、死んでるんだから当然か。
次の私を生まぬようにする、大いに結構だ。
でも、
「そこに私はいません」
それは私とは無関係な話。
きっと私はまたあの暗闇に閉じ込められるのだろう。
それならいっそ
「……白忌さん」
「なんじゃ」
「私を殺してください」
はっきり言って私は頭も鈍い。散々言われてきた事だ。そんなこと私でもわかってる。
白忌さんの話が胡散臭い事だって十二分に理解してる。次の私を生まないなんて綺麗な事は口先だけだろう。きっと彼女が幻想郷を壊したいと言うのは、紫さんに恨みがあるからというのもあるだろう。
少なくとも私のためではない。
そんな事わかってる。
でも私にはもう関係ない。
何もかも遅い。私のいない幻想郷が壊れようがどうなろうが知ったことじゃない。勝手にやってくれ。
最早、私は私を把握出来ていない。
魂の残りカスとか言われてもピンと来ないし、今と生きていた時との違いを言ってみろと言われても答えられない。なんせ今まで死んでいたことすら知らなかった。
またあそこへ閉じ込められて消えゆくのを待つにしても、永遠に閉じ込められるにしても、そうなるならば完全に消えてしまった方が楽だ。
「…」
「貴方を止めようとも思いません。
貴方を否定しようとも思いません。
貴方の言ったとおり私はもう不要…ずっとそうだったかも知れませんが、ともかく私がここにいる意味が無いんです。あの暗闇に入れられてしまうならば死んでしまった方が、消えてしまった方がいい。そしてそれは多分、私がずっと望んでいたことなんでしょうね」
ここならばきっと痛みもない。
なんせそれを感じる身体が無いのだから。
「お願いします」
下げた頭の上から聞こえた声は私が期待していたものとは違っていた。
「すまん」
「何を謝ってるんですか」
私が聞きたいのは「ああ、分かった」これだけなのに。謝罪なんていらないのに。
「私ではお主を消すことが出来ない。それが出来るのはこの世でただ一つ、時間だけじゃ」
「…はは」
そうか。
私はこんな所でも、私の中であっても、希望一つ叶えられないのか。きっと一年前の自分は自我崩壊を刻々と見つめながら自然消滅を待つだけになるとは夢にも思わなかったろう。
「あはは」
走馬灯なんていらない。
思い出したい記憶なんてありゃしない。
「あっははは」
今まで何か一つでも私の思い通りに事が進んだことなんてあったろうか。
「あっはっはっはっ」
ああ、気持ち悪い。
またあの暗闇に戻されることを考えただけで脳味噌が捏ねくり回されるようだ。
「あああああああっ」
狂えてしまえばどれだけ楽か。
掻き毟った頭皮から血が滴って机の上で弾けた。
「スマンな。主には悪いと思うとるが、私の為に死んでくれ」
ただ殺されるだけなら喜んで死のうじゃないか。でもこんなのあんまりだ。
「……嫌です」
死に方を選びたいと思う私は我が儘だろうか。
それくらいいいじゃないか、今まで選ぶ権利が無かったんだ。自分の最後くらい自分で選ばせてくれてもいいじゃないか。
「残念ながらどうすることも出来ないんじゃ。嫌だ嫌だと首を振っても流れゆく時間を止めることは不可能で、精一杯不満を言っても毎日登る朝日を無くすことは出来ないんじゃよ」
生まれてしまった事に絶望し、諦め、これまで惰性で生きてきた。ようやく死ねるという時に名一杯苦しんで死なねばならないなんて。
「あんまりじゃないですか…」
「『幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれはとても残酷なことですわ』」
私を抱いていた腕がゆっくりと離れていった。私の肌から感触が消えただけで取り残されたような、空虚感みたいなものに襲われた。
「どんなつもりで八雲がこれを言ったかは分からんが、これも一つの残酷な結果じゃな」
私が戻っていく腕を掴もうとしても指は空を切る。目の前にいるはずなのにもう手が届かない。
「待って!」
「私は幻想郷に産み落とされてしまった水知不畔という妖怪を忘れないじゃろう」
ここで止めないと戻れない。そんな気がした。
「お願いっ!」
「サヨナラじゃ。哀れな河童よ」
私は後ろへ引かれてく。まるでお前の居場所はここじゃないと言われる様に。
「いやっ嫌だっ! 嫌だって言ってるのに!!」
背後から伸びる黒もやが私の首根っこに手をかける。ベタベタと不快な手が私の全身をまさぐって、ゆっくりと着実に引いていく。
「嘘だよ…嘘だって!!
こんなのおかしいもんっ。狡いっ!!
どうして私だけこんな目に合うの!?
私が何か悪いことしたの!?
私が悪いの!?」
視界の端から黒色が世界を侵食していくのが分かる。
「白忌さんっ!!殺してよ!
簡単でしょ!? 私なんて!」
身動きもとれない。
「やだやだやだやだっ!
にとりちゃん!
お姉ちゃん!
フランちゃん!
姫ちゃん!
誰でもいいから私を助けてよっ!!」
頭が痛い。
「幽香さんっ!! 助けてよ!!
いつでも頼っていいって言ってたのに!! 」
誰も声を返してくれない。
「誰でもいいからっ!!」
「私を一人にしないで!!」
染みていく最後の視界に映っていたのは無感動な白い妖怪だった。
血の滴る動物の死骸と一緒くたになって、無造作に
私には選ぶ権利が無く、未来を授かる腕がない。
動きたくないと引き摺る足に意味は無い。
通さないと閉まる喉に意味は無い。
叶わない夢に意味は無い。
有り得ない幸福に価値など無い。
机の上で無茶苦茶に書き連ねた理想は手に届かない。空論を作り続ける夢想家は腐り落ちていく。
風に
笑顔で駆け回る子供の横で、腹から腸を引き摺って歩くのが私。
俯瞰する野に首だけ晒されているのが私。
動かない首を捻って
他に生命はない。
不幸資源としての私は見向きもされず、人々の立たせる土煙の中で次第に黒ずんでいく。
廁の壁にこびりついた汚泥。
使われることなく破りさられた羊皮紙。
妊婦の腹の中で食い殺された
涎を垂らして無様に這い蹲り、生命を乞い願う浅ましい塵芥。
私の涙は溝を流れる汚水。
私の声は踏み殺される雑音。
私の自我は脚の折られた木製椅子。
自己嫌悪と相互不信の吐きだまり。
歴史は歩みを止めはしない。
時の直線の中に生きる皆は私に目もくれず、今まで振る舞った薄っぺらな笑顔の上で、自分で殺した自分の死体の上で三角座りする私は気付けば一人きり。
繋いでいた手の先に残った誰かの左手は手首から先が乱暴に引きちぎられて、誰のものか分かったものじゃない。軽くなってしまった右手を貪り食らっても腹は満たされない。
右を向けば
私の胃袋の中で空虚が暴れ回って全部戻した。
地面に作った水たまりに映るのはどうしようもなく私だけ。笑いかけた筈なのに鏡の中の私は動かない。どこを見ているか分からない虚ろな目で私の目の奥を覗き込む。
下らない。
無愛想な何万人目かの私。
試験体にして最終作品の私をグチャグチャに踏みつけて立ち上がる。
もう戻らぬようにしてやった。
二度とその顔を見ずに済むように。
まかり間違っても生きてしまうことのないように。
これで私はまた一人。
千切れた腕を叩きつけて真っ白なキャンバスに描かれるのは私の形を成していない私。
滴る脳漿を両の手ですくい上げて開いた頭へ垂らしこむ。
目玉をくり抜かれた私の幸福はどこ?
往復する自傷行為に擦り切れた手首を切り落とす。剥き出しの血肉に冷たい空気が刺す。
欲しかった。
霞まない自分が欲しかった。
自分の中で完結しない私は誰の心にも残らない。
マジックミラー越しに見える景色は私には眩しすぎた。
マジックミラー越しに見える青空は私には広すぎた。
マジックミラー越しに見える笑顔は私には残酷すぎた。
私の気持ちを表現する言葉が無いことのもどかしさで溺れてしまいそうだ。
「いいなぁ…」
嫉妬なのかもしれない。
私には無いものを持っている幽香さん。
私には無いものを持っているお姉ちゃん。
私には無いものを持っているにとりちゃん。
私には無いものを持っているフランちゃん。
私には無いものを持っている姫ちゃん。
「汚いなぁ」
なんて醜い。
なんて歪んでいるんだろう。
雨上がりの美しい朝焼けに吐き気を覚える。
晴れやかな空気の中、
真上に登る日光にさらされ、爛々と咲き乱れる花達に殺意を覚える。
夕日を反射してキラキラと輝く湖面に焦燥を覚える。
黴臭い決定的落伍者。
可愛げの無い私を拾う手はない。
拾われるのを待つことしか出来ない無能。
他人の誰よりも他人事でしかものを見れない。
「ああ…」
暗闇に潜る恐怖が快感に変わる。
私はこんなにも幸せ。
私はこんなにも幸せ。
私はこんなにも幸せ。
ああ…
「死ねてよかった」