暦の上では春一番でも吹いておかしくない季節、代わりに吹き荒れるのは何故か大雪であった。
どこか見覚えのある異変の最中、分厚い雲を突き破って地を突かんと飛び出したのは雪化粧を施した逆さ城。幻想郷の勢力図を塗り替えんと立ち上がった天邪鬼たちの小さな手の中に収まる打出の小槌から放たれた魔力が幻想郷の弱者達に分け与えられたのだった。それは紛れもなく、自らの境遇を憂う弱者にとっては思ってもみない転機であった。
「……」
ここ博麗神社でも普段と違った様子が見て取れた。独りでに踊るお祓い棒に対し、しかめ面ともとれる顔の陰りを見せるその主。今代の巫女、博麗霊夢は白い息を一つついて、お祓い棒を持たないままに逆さ城へ向けて神社から飛び立つ。
〇
「幽々子様! わ、私の楼観剣がっ白楼剣がっ」
以前の異変と違い、暖かさのない冥界。
その大きな白玉楼の奥から半べそかきながら慌ただしく出てきた頼りない半人半霊。その胸に抱えているのは普段使っている二振りの名刀だが、普段と違うのはカタカタと震えていることだろうか。
「妖夢、うるさいわ」
「で、でもっ」
遠巻きに西行妖を見つめる亡霊にすがりつく妖夢は一瞥もされずに一蹴されてしまう。
「そんな事より重要な問題は春が来ないことよ。誰が盗んでいるのか知らないけれど、これじゃ私たちが異変を起こしてるみたいじゃない」
逆さ城が無ければ誰であれ春雪異変を思い出す。それは起こした張本人とて例外では無いようだ。
「春を集めて何をするつもりかしらね」
目を細め、干からびた枝先を見つめる幽々子。
「そんなもの決まっとるじゃろ」
不意にとしか言えないタイミングで聞こえてきた声に目をぱちくりと、驚きを見せた。
死んだ桜の生き生きとした幹の影からぬるりと現れたのは一匹の妖怪。
丈の大きな黄色い合羽を着込み、白に染まる髪の中に生える数本の黒いラインが美しい。額に見せるは慎ましい一対の角。本来の姿を取り戻しつつある妖怪百鬼であった。
「…いつからそこに?」
「ちょうど今しがた」
ここは冥界。それも白玉楼である。冥界の管理者たる幽々子が部外者の侵入に気付かない筈もないが、此度はどうやら例外らしい。
「まあ、そこはいいわ。春を盗んだのは貴方でいいのかしら?」
「如何にも」
「目的は……聞かなくてもいいかしらね」
お気に入りの扇子を広げて口元を隠す。
どんな表情か伺えない幽々子とは対称的に白忌はにやりと口元を歪めてみせた。
「私もソレを起こすのは賛成…というか起こしたいのだけどね」
「じゃあ黙って見ていてくれるか?」
「駄目よ。私が紫から怒られちゃうもの」
「じゃあ二人で八雲を殺す?」
「嫌よ。紫の事は好きだもの」
「なんじゃ、つまらん」
カタカタと震える刀を持つ妖夢が主人の背後から顔を覗かせる。
「幽々子様、御客人ですか?」
「あら、気付かない? あの黄色い合羽」
「合羽…合羽……? ぅえ!? ほ、畔さん!?」
「はろぅ。妖夢さぁん。ご無沙汰してまぁす」
顔の横で色素の薄い手をひらつかせる元河童に困惑気味の半人半霊。
「え、え? ほ、畔さんってあんな感じでしたっけ?」
「ほら、私成長期なもので」
「ああっ成程!」
お馬鹿な半人前は一人で納得した様子で頷いた。
「妖夢、貴方の目が節穴なのはもう分かったから少し黙りなさい」
「ひっ」
作った笑みの目を薄く開けて見竦められた妖夢は肩をびくりと跳ねさせ、すぐ様に動きを止める。蛇に睨まれた何とやら。
「自らの従者を強引に黙らせるなんぞ、物騒じゃな」
「そうね。でも、貴方が西行妖の封印をどうにかする前に仕留めないといけないから」
その昔、猛威を振るった妖怪桜には、代々呪われた一族の当主の肉体を依代として封印が施されていた。
以前、それを解き放とうと幽々子の起こした春雪異変と同じ様に幻想郷の春を奪いった白忌は会話に興じているまさに今、春度によって封印をゆっくりと決壊へと導き始めた。
「さぁ、ゲームスタートじゃ。私のクリア条件はこれを緩め切るまで耐え切ること」
「私たちはそれまでに貴方を殺すことね」
続々と姿を見せる霊魂の群れ。
臨戦態勢に入った主人を前に、妖夢も震える刀を鞘から抜き構える。ただ、未だ状況は理解出来ていないらしく、その目はチラチラと白忌と幽々子の間を行ったりきたりと忙しない。
「さぁ、妖夢行きなさい。アイツに何かできる余裕を与えないくらい攻めまくりなさい」
「え、えっほんとにやるんですか? 弾幕ごっことか――」
あたふたと慌てる妖夢。軽やかに飛んだ白忌がその首に手を添えていた。
「っ!?」
突然込められた力によろめく妖夢。突き立てられた爪が少し肉を裂いた。白忌は妖夢の喉を潰す余裕があった筈の手を離し、赤く血のついた爪を舐めとる。
「妖夢、しっかりしないと死ぬわよ」
妖夢を守るようにふわりと羽ばたく死の羽音。
傍らの幽々子が操る死の蝶が白忌を引き離したのだ。
「い、一体何が」
「あれはただの成り代わりよ。他人様の体を奪うことでしか存在できない哀れな妖怪」
「私を哀れむな。殺すぞ」
追い回す蝶を身軽にかわしながら飛び回る白忌から漏れるの声に怒りの熱がこもる。
「な、成り代わり?」
「難しいことは考えなくていいわ。要するに妖夢がいつも言ってることよ。斬ればいいの」
「し、しかし…」
目に見えて狼狽する妖夢。
名残の残る畔を斬り伏せる事に抵抗感があるらしい。
「これは命令よ。眼前の敵を斬りなさい」
いつものフワフワしたお嬢様ではない。死を操る能力を持ち、数多の霊を束ねる亡霊の姫。限りない命を殺し尽くすことの出来る暴力的なまでの死の塊。
刺すような殺気を混ぜた視線に射抜かれた妖夢もまた纏う空気を変えた。
「はい」
その視線は鋭く、研ぎ澄まされた名刀を想起する。
妖夢の放つ気に当てられたのか震える二振りは黙りこくった。
「さぁ、正念場じゃ」
白い妖怪は大きく笑った。
〇
「ほれほれ。あんよが上手」
「クソっ」
横薙ぎの一閃は何度目か分からない空振り。
最早、大気をいくつに分けたのか数知れない。幽々子様がコイツの動きを制限しているはずなのに全く攻撃が当たる気がしない。
「…シッ!」
「うおっとと」
渾身の突きも前髪を数本散らすに終わる。小柄な体ですばしっこい。おまけに凄まじい反応速度なものだから全てかわされてしまう。
「ぼやぼやしてると時間切れじゃぞ」
大きく飛んであかんべぇと舌を見せて煽ってくる。
のってはならない。私が今捨ててはならないのが思考力だ。落ち着いて分析すればどうってことないはずだ。
「ふーっ」
こういう手合いが苦手とするのは何か。
それは密度。殺人的で圧倒的な高密度の制圧攻撃だ。避けるという選択肢が如何に無謀な物かを分からせるに足りる超々密度。
なればこそ私が今すべきなのは、馬鹿正直に刀を振り回すのではなく、弾幕による回避不能の攻撃だ。
『獄神剣「業風神閃斬」』
以前魔理沙から「ルール分かってるか?」と言われた程の密度を誇るスペルカード。今回は更に増し増しで避ける隙間なんて作る気は無い。是非潰れていってもらおう。
「ぬおっ!?」
「潰れろ!」
大瀑布と化した弾幕群に飲まれていく妖怪。ただ、飽くまでもスペルカードである。被弾したからと言ってどうこうではない。本命は幽々子様の死蝶だ。
「?」
おかしい。
いつまで経っても蝶が来ない。
「幽々子様?」
意識を滝壷から外した。
「え」
目を疑った。
だって目を向けた先で幽々子様は倒れ込んでいたから。
〇
「……」
妖精どもの弾幕が激しい。
どうやらこの異変の首謀者は多くの力無き者達へ力を分け与えているらしい。私のお祓い棒に異変が生じたのもそれが原因だろう。
「……」
いよいよこの異変はタチが悪い。異変の内容が明らかになってきたことでその危険性が明確に浮き彫りになった。と言うのも、幻想郷という、あらゆるものがを混ぜられた歪な容器が何とか形を保っているのは、弱者が自らの立場を甘んじて受け入れているからに他ならない。ハッキリとした上下関係が有るからこそ、危ういながらに成り立っているのが
だからこそ、私はこれを無視出来ない。博麗の巫女として無視してはならないのだ。
「霊夢さん」
天にそびえる逆さ城へ向かう途中に私を呼び止めた三人?の妖怪。いずれも何処かで見た顔だ。畔関連の。
「さっき連絡が来ました。畔ちゃんが見つかったそうです」
「ええ、知ってる」
「何処へ向かってるんですか?」
「あそこ」
私が指さした先を見向きもしない三人。
引き止めに来るくらいだから私が何処へ向かっているかなど分かっているのだろう。私だってコイツらの言いたいことは分かっている。
「畔は後回しよ」
「っ…畔には時間が無いって言ってたじゃない」
「私は畔の友人である以前に博麗の巫女よ」
「見殺しにするのね」
代わる代わる私に文句を垂れる三人。
「うるさいわね。アンタらが何を言おうが私がやる事は変わらないの」
「貴方がいないと畔ちゃんはどうするんですか」
コイツらが畔を大事に思っているのは分かった。その上で言わせてもらう。
「もう一度言うわよ。畔は後回し」
「……もういいです」
直情的に襲いかかってくる程馬鹿でもなかったらしい。三人は私に失望したように背を見せた。
「見殺しなんかしないわよ」
離れていく背が止まる。
「後回しとは言ったけど、無視するなんて伝えた覚えはないわ。それに…」
何も全て私がやらねばならないわけでもない。
「知らせを聞いてすっ飛んでいった奴がいるから安心しなさい」
どうなるかなんて分からないけれど、今のアイツなら何とかなる気がする。それに、畔を探しているのはアイツだけじゃない。一匹の弱小河童には勿体ない程の人数が、それも相当な連中が探し回ってるのだ。
見逃せという方が難しい。
〇
「ゆ、幽々子様っ」
急ぎ近付いて呼びかける。
近くで見るとより一層その異常さが身に染みた。桃色の髪の下の顔、いつも血色の良いその顔が見るからに青ざめていた。まるで死人のような。
「幽々子様っ…一体なんで……」
「結界が緩んできた証じゃな」
何も答えてくれない幽々子様。代わりに背後から声が聞こえた。振り向くとスペルカードは終わり、少しボロついた妖怪がこちらを見ていた。
「それと何の関係が――」
「従者のくせにそんな事も知らんのか。哀れじゃから教えてやろう。この封印が完全に解かれると共にそこの亡霊は消えるんじゃよ。そやつに恨みは無いが、致し方ない犠牲じゃな」
消える?
犠牲?
「さあ、これでもっとわかりやすくなった」
私は白玉楼の剣術指南役兼庭師。
魂魄は西行寺の護衛であり、手足なのだ。故に主に危害を及ぼす一切を斬る。
ここには私しかいない。
「時間以内に私を殺さないと主が死ぬぞ?」
やってやる。
何がなんでも殺してやる。
息を大きく吸い込む。呼吸すら忘れるであろうこれからのエネルギー補充である。残心のままに体を預け、剣に意識を集中させていく。
厄介なのは回避だ。
だが、逆に言えば当ててしまえばそれまでなのだ。
つまり、
「おぉ!?」
より速く。
「はっはっは! やれば出来るじゃないか!」
もっと速く。
「いっつ!」
当たるまで速く。
「ま、待て待て待て!」
芯を捉えるまで。
「がぁっ!?」
肩から袈裟斬りにしてやった妖怪は大きく仰け反る。まだ死んでない。
「と、止まれっ!!」
妖怪が強く蹴った事で地面が割れ、岩石片が飛び出す。震脚如きで私は止まらない。
『天神剣「三魂七魄」』
世界から色が落ち、時間の歩みが極端に遅くなる。魔理沙の時とは違う、不可避の斬撃。
二度も三度もチャンスを待つ気は無い。一度で殺しきる。
まず、口を覆っていた右手。
次に左手。
両足も斬り飛ばす。
バランスを失って落ちてきた胴体についている頭も真っ二つだ。
世界に色が戻った時には私は真っ赤に染まっていた。
〇
「ああっハァハァっ…!」
返り血で真っ赤の妖夢が楼観剣を地に突き立てて崩れ落ちる。幽々子を慮る余裕すらなく、額から真下へ汗を落とす。肘で体を支えることすら気怠るそうに体を横たえていく。
『天神剣「三魂七魄」』が異常に体力を消費することは春雪異変の際に分かっていたことである。魔理沙に放った時よりも長い時間使用した妖夢は、どうにか白忌の五体を切り落す事には成功したものの、今にも失神寸前といった様子だ。敵を前にした緊張感からも開放され、体を投げ出した今、妖夢の気を保とうとブレーキ音を鳴らすのは幽々子の存在だけであった。
「ゆ、幽々子…様…」
絞り出した妖夢の音。枯れ果ててしまいそうな彼女の背中を白い声が叩いた。
「いやー、間に合わなきゃ死んどったな。なんだお主、存外やるじゃあないか」
「…っは?」
五体満足で見下ろす白忌。妖夢は落ちそうな瞼を無理矢理持ち上げて目を剥く。
「残念じゃったな。主らの負けじゃよ」
「…っぎぎ」
妖夢は傍らに刺さった楼観剣に手をかけ、無理矢理立ち上がろうと力を込めるが、バランスを崩して頭から落ちていく。壊れた人形の様に立ち上がろうとしては倒れを繰り返す妖夢に対して哀れむように呟いた。
「…辛いな。自分の無力さを噛み締めねばならないのは辛いじゃろうな
白忌はバキバキと骨を鳴らしながら倒れる妖夢に近付き、やがて傍らへ。
震える小さな手から楼観剣を奪い取り、その切っ先を妖夢の首元へ向けた。
「「くたばれ」」
「っ!!」
喉笛を破らんと刃が肌を撫でたのと同時。
妖夢の乱れた呼吸だけが音が響く空間が裂けた。
楼観剣を投げ出して回避した白忌の元いた場所、妖夢の倒れる目の前を大きく抉る魔力の爆弾。
膝を付く白忌が見つめる視線の先には二つの影が佇んでいた。
「やぁやぁ…もっと早く来ると思っとったよ」
「あの夜、殺し損ねた責任を取りに来たわよ」
「これでも女の子してるんだ。色々準備があるんだよ」
剣呑な目付きのアリス・マーガトロイドと全身に魔力を滾らせる霧雨魔理沙が白忌の前に立っていた。
〇
城内に入ってから弾幕は更に苛烈を極めた。
何が何でも侵入を拒もうという思いをひしひしと感じる。こんな目立つ城を見せながら、やる事は回りくどい。
と言うことは、だ。
首謀者の目的は私を打倒するとか、幻想郷に直接何かをするのではないのだろう。つまり、時間稼ぎをせねばならない理由があるということだ。それに畔…アイツが関係しているかは知らないが、タイミングを考えれば無関係って事も無いだろう。何にしてもチンタラチンタラするつもりはない。
「来たな化物」
これ見よがしに魔力を感じる障子を蹴破ると妙に開けた空間に出た。先には私を見下ろす二つの影。
何ともらしい演出だこと。
「悪いけど、私は今忙しいの。お話してる余裕はないわよ」
「お話なんかするつもりは無いよ。ただ、二対一ね?」
茶碗に乗り込んでいる方が意味ありげに視線を投げてくる。
「かかる時間が二倍になるだけよ」
「いいえ、二倍にはならないわ」
背後から聞こえた聴き馴染みのある声。振り向くと幻想郷には他にいないであろうメイド服が目に付いた。
「何でアンタがここにいるのよ?」
「時間節約の為に」
ばちこんとウィンクしてくれる紅魔館のメイド。
「アンタの助けがあろうが無かろうがそんなに変わらないわよ」
「コンマ一秒でも早い方がいいでしょ?」
「…まあ、そうかもね」
咲夜の能力は使える。こいつに弾幕勝負で負ける気はサラサラ無いが、一般的に言えば時を弄られるのは超が付くほど厄介な事に違いない。
「これで二対二ね」