東方和河童   作:BNKN

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50 古びた憧憬、錆びた寂寥

 

 側頭部に走る衝撃に目を覚ます。

 無意識下に繰り広げていた戦闘のお陰で髪はボサボサ。服も体もボロボロで傷が無い所を見つける方が難しい。そんな体が蹴り抜かれた勢いのままに白玉楼の庭を撥ねる。

 ブレーキをかけた爪の指が悲鳴を上げ、やがて剥がれた。

 

「っふ…っは…」

 

 いい妖怪どもが雁首揃えて私の一人すらまともに殺せないのか。人間あがりの私ですら殺せないのか。

 

 私は脈打つ西行妖を背に立ち上がる。

 

 ここまで耐えた私は誉められたものだろう。大妖怪と言って差障りない妖怪たちを相手取り、目的達成まで今一歩というところまでやってきた。

 

「……私の勝ちだ」

 

 己の無力に咽べ。

 

 

 

 〇

 

 蕾が開いた。

 その枯れた枝先に咲いた薄桃の花弁は青く縁取られ、枝から離れると蝶へ姿を変えた。一心不乱に蝶が舞う。列をなした死の羽音が、集まった妖怪たちの足を後退させた。

 

「私の勝ちだっ!!」

 

 燃えるような音を立てて死を振りまく西行妖を背に白忌は立ち上がる。

 結界が完全に解かれる寸前にして、堪えきれない西行妖が姿を取り戻そうと足掻いているのだ。

「暴れるだけで解ける程、温い封印はされていない」

 スキマ妖怪がいつか言った言葉である。だがしかし、そうは言っても封印が緩んでいることは確かなのだ。後一つちょっとしたきっかけがあれば呆気なく封印は解かれ、当時の力を取り戻した西行妖が幻想郷中を殺し尽くし、大きな爪痕を残すであろう。

 

「みんなみーんなっ死んでしまえっ!!」

 

 最後の一手。その為に白忌は振り返り、西行妖の下へ駆け寄っていく。よろよろとふらつく体を何とか支え、一生懸命に走った。

 

「私を否定する奴はみんな死ねっ」

 

 転んでも直ぐに立ち上がる。

 

「私を無視する奴も死んでしまえっ」

 

 背中から伸びる木の幹が朽ちていき、粉塵となって道を残す。

 

「これが私だっ!」

 

 白忌の結界を壊さんとする手が触れた。

 

 〇

 

 勝った。

 飛び出した私は自由だ。

 檻を壊せ。納屋を壊せ。

 何百年越しのリベンジだ。

 

「はっはっは」

 

 嵐の前の静けさとでも言うのだろうか。とても静かだ。まるでここだけ時が止まってしまったかの様な錯覚を覚える。

 

「はっはっ……」

 

 今に西行妖は動き出し、瞬く間にここを滅茶苦茶にするであろう。さあ、早く。

 

「…はっ…な、何故じゃ…何で、何でじゃっ!!」

 

 何故、封印が解けない。

 何故、死蝶が羽ばたくのを止めた。

 何故、何も動かない。

 

「一体何が――」

 

 背後にふわりと降り立ったのが分かった。人間の癖に私を打ち負かしたあの忌まわしき人間が。その霊力はあの時と瓜二つだった。

 

 振り返る。

 

 ああ、思い出した。見た目だってよく見れば似ている。私の憎き仇。その特徴的な衣装は今でも変わっていない。私を見下すその目も変わっていない。

 

 変わったのは私だけだ。

 

「博麗の巫女…」

 

 

 〇

 

「巫女に…十六夜咲夜、か。…早いな。早すぎる」

 

 異変開始から二時間と経っていない。怒らく、これまでの異変の中で最速で解決されたものになるだろう。

 

「一体何を?」

「私が時を止めた」

「馬鹿を言うな。人間業じゃない。お主ごときがこれを止められるわけが――」

 

 白忌は何かに気付いたかのように言葉を切った。

 

「そうか…そういう事か。もう起きておったのか…」

 

 この西行妖に手出し出来る者はそういない。それこそ、スキマ妖怪ならば可能だろうが、人間ごときに何とか出来る程に軟弱な妖怪ではない。

 

「れ、霊夢よ…今から八雲を共に殺そう。そ、そうだっ! お主もこうして幻想郷というわけのわからないモノのために馬車馬が如く働かされておるっ!! 共に手を取って――」

 

「ゴチャゴチャ五月蝿い。あんたの負けよ」

 

 西行妖に凭れる白忌の心がひびが入った。指先に当たる瓦礫を投げるも霊夢には届かず、地面を虚しく鳴らした。

 

「早すぎるっ!! あと数瞬じゃった! あと一歩で私はっ」

「所詮、妖怪の悪巧みなんてそんなものよ」

 

 何処までも突き放したように聞こえる霊夢の言葉は、燃え盛る感情の燃料にしかならない。

 

「黙れっ! 私は強いんだ! 私が虐げるんだ! 人間(お前)じゃないっ!!」

「力のない河童の体を奪わないといけない様な奴が何を言ってるのよ」

 

 過去と並ぶ。

 古いフィルムに映る擦り切れた今と過去。

 

「い、嫌じゃ。またか…また、私はこんな…」

「アンタにどんな事情が有るのか知らないけど、私には関係ないわ。もう一度言うわよ。

 あんたの負けよ」

 

 

 

 〇

 

 負け。ああ、間違いなくその通りだ。

 今の私にこの場の全員を相手取り、勝利を納めるだけの力は残されていない。

 

 四。

 

 誰がどう見たって詰みだ。私は所詮、あの納屋で泣きじゃくる子供だったのだ。

 

 三。

 

 昔から変わってなどいない。人間だった頃から私は一人で泥遊びに時間を潰す孤児だった。

 

 二。

 

 失うものなんて何も無い。地獄のどん底から登ることは出来なかったが、死にまぎれの命が燃えるその瞬間、命の火は上空高くまで手を伸ばす。

 

 一。

 

 

 

 私は哭く。

 

 

 心で哭く。

 

 

 

 

 

 ―――零。

 

 

 

 

 

 飲み込んだ薬が体を巡っていくのが手を取るように分かる。体中から余剰が突き出し、周囲には空気の渦が幾つも立ち上る。私の引き起こす大地の揺れが地盤を割り、振り回した何本目かの腕の先から吹き出る業火が地面を撫でる様に広がっていく。いくつも降り注ぐ雷が地殻を剥がそうと地面を叩く。

 私の妖怪としての本来の姿だ。

 

「おおおおおおっ!」

 

 私を見ろ。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっ!!」

 

 私を見ろ。

 これが妖怪百鬼だ。

 白忌と呼ばれ、多くの人間を殺し、その念を体に宿してきた大妖怪だ。

 

「私を無視するなっ!!」

 

 記録じゃない。その脳裏に私を刻み込め。

 私はそこに生きる。

 

「私を否定するなっ!!」

 

 私は私だ。それを誰にも否定させるものか。

 父にも、あの男にも、あの巫女にも、魔法使いにも、花妖怪にも、八雲にも、誰にだって否定させない。

 

「私を一人にするなっ!!」

 

 誰だっていい。私に付いてこい。私を見続けろ。

 私と遊べ。あの納屋から出るのだ。

 

「私をっ」

 

 私は私を救いたかった。

 地獄に生まれ落ちた私を。

 引き上げられるのを待つばかりの泣きじゃくる子供を。

 

「私を見ろっ!!!」

 

 せめて私の黒々とした人生に白い意味を。

 

 

 

 〇

 

 彼女の命を賭した慟哭が胸に刺さる。

 彼女は畔ちゃんの仇だというのに、私はその姿に見入ってしまった。その声に聞き入ってしまった。心を剥き出しにするということがここまで綺麗なものだと知らなかった。

 

「私を無視するなっ!!」

 

 痛いほどわかる。

 

「私を否定するなっ!!」

 

吸血鬼()も同じだった。

 

「私を一人にするなっ!!」

 

 一人は辛い。私はきっと彼女より弱い心しか持ち合わせていない。でも、私が彼女にならなかったのはきっと家族の存在と畔ちゃんの存在だろう。

 

「私を見ろ!!!」

 

 私の心は何回も何回も色んな人に助けられた。

 彼女の気持ちを全て察する事は出来ない。私では想像すら出来ない程の苦しい思いの波にのまれてしまったのだろう。出会いが違えば、彼女とも仲良くなれたかもしれない。でも私たちの出会い方は今が全てなのだ。

 こうして幾つもの妖怪たちに混じり、手の中の剣を向けるのが私で、向けられるのが彼女なのだ。

 

 畔ちゃんを助ける為に私はここにいる。

 

 

 右手に意識を集中する。

 集めるは彼女の「目」。

 今まさに燃え尽きようとしている彼女に私が止めを刺すのだ。命を奪うのだ。

 私は私が奪う命を忘れないだろう。

 

 

 

「…さよなら」

 

 

 

 〇

 

 はじけた。

 

 業風は微風に姿を変え、轟炎は生温い空気と成り果てた。地を揺らす私の足は粉々に空に飛んでいき、いくつも生えた私の枝は千切れて消えていく。朽ちていく私の体を遠くから俯瞰する私の意識が認識してしまった。私は死んでしまうらしい。

 

 古い紙芝居の様にゆっくりと横に流れていくその光景は退廃的な雰囲気を醸し出し、何処までも無情に思えた。

 

 天邪鬼たちには悪いことをした。恐らく本当に下克上を願っていたのは彼女たちだけだ。結局、私は自分のために彼女たちを利用したに過ぎない。彼女たちに落ちぶれた先輩として背中を見せられたろうか。こうはならない様にと伝えられただろうか。

 

 私は残せたろうか。

 私の生きた証を。私という存在を。

 せめて、誰かの中に少しでも残されていれば本望である。私は満足に死ねる。

 

 

 紙芝居も終わりらしい。次第に離れていく物語の舞台の上は真っ暗闇だ。

 やがてスポットライトが一つ小さな形を照らした。

 舞台上で一人泣きじゃくる小さな子供。みすぼらしい格好で破れた服を隠そうともしない。ふつふつと嫌悪感がわいて子供に駆け寄った。

 

「…どうしたんじゃ」

 

 子供は啜り泣くばかり。手の甲でとめどなく溢れる涙を必死に拭っている。

 

「泣いてばかりじゃ、…何も分からんじゃろ」

 

 子供はこちらを見向きもしない。一心不乱に泣いていた。

 

「泣くなっ!」

 

 穴の空いたボロボロの布切れを掴んで顔を持ち上げる。見覚えのある顔に怒りが抑えきれない。

 

「なんで泣くんじゃっ!! 満足じゃろ!!」

 

 私は目的を果たしたのだ。完璧ではなかったかもしれないが、確かに私を見せてやった。あの場にいた連中に見せつけてやった。十分の筈だ。良くやった筈だ。

 

「何で泣いているの?」

「お前がっ!! お前が泣いてばかりっいるから! 私は!!」

 

 その子供の目に映る私の顔は惨めだった。痩せこけた頬に渇いた涙をこぼしていた。

 

「悔しいの?」

「悔しくなんてないっ!! 私は夢を叶えたんじゃ!! お前とは違う!!」

 

 弱い河童を犠牲に私は納屋から飛び出したのだ。

 

 私は――

 

 

 

「大丈夫。ここにはあの男の人もいないよ? あなたを仲間外れにする意地悪な子供たちもいないよ」

「私はっ…私はっ…」

 

 いつの間にか私が子供に支えられていた。ちっぽけな私を支えるその背中もまた小さなものだった。

 

「私はっ…普通にっ、普通に笑いたかった! 普通に遊びたかった! 石なんて投げて欲しくないっ! 私が鬼でも構わないから、何でもいいからっ…私に構って欲しかった!」

「…うん」

「私はっ、私はっ…」

 

 気付けば涙でクシャクシャだった。子供に撫でられた髪が心地よかった。

 

「私は…愛されたかった……」

「…うん」

 

 死ぬなんて嫌だ。今まで奪った命なんて知るもんか。死にたくないものは死にたくない。

 

「ごめんね…助けてあげられなかった……」

「……ううん。ありがとう」

 

 子供は私だ。いつまでも泣いていたのは私だ。助けなかったのも、助けられなかったのも全部私だ。あの日、死んだ私は未だに心の中でこうして泣いていたのだ。見て見ぬ振りを続けてきた私を本当に愚かだった。

 

「ごめん…ごめんなさい…。本当に……」

「…ううん。大丈夫だよ。そんなに一人で背負わないでいいんだよ。ここには人間(わたし)もいる。妖怪(あなた)は一人じゃないんだよ」

 

 人間を弱いと切り捨てて、紙ペラの自尊心を保とうと必死だった。人間と訣別しなければ、妖怪を生きられないと思っていた。

 

「もう、頑張らなくていいんだよ」

 

 弱いのは妖怪(わたし)だった。こんなにも人間(わたし)は強いんだ。これからは頑張る必要なんてないんだ。

 

「…うんっ、うん、うんっ」

「…そうだね。一緒に行こう。大丈夫、二人なら怖くないよ」

「…本当にありがとう」

 

 

 

 

 これが私の物語。

 

 

 

 〇

 

 夢幻の宇宙を歩んでいる様な錯覚の中で私は声を聞いた。その声はどうしようもなく泣いていた。

 私の様に。

 

 

 

 妖怪の山を抜け出した日、一人で霧の湖の畔で三角座りをして水面を覗き込んだ。何も出来ない、逃げる事しか出来ない私は泣いていた。これから一人だと考えると、どうしても涙が止まらなかったのを覚えている。別に今生の別れでもない筈なのに、にとりちゃんやお姉ちゃんから離れるのが怖かったのだ。

 

 湖の水は冷たくて、冷たくて。私の顔肌を刺した。

 目が覚めるような刺激も全て不安から揺れる心にかき消されてしまった。

 

 普段はそんな勇気もないのに、一人になった途端、このまま湖の中へ沈んでしまおうかなんて考えた。それ程まで私は気を病んでいたのだろう。目を閉じて、肌だけで足の指から冷やされていく感覚が分かったのを今でも覚えている。

 

 水の中に落ちてすぐだった。苦しくなって一杯暴れた。振り回した手の先に出来る僅かな気泡が何処までももどかしかった。

 すぐに身を投げた事を後悔した。こんな苦しいなんて聞いてないと姿の見えぬ何かの責任にした。さっきまでとは違う涙が瞼から水中に散っていき、次第に視界が黒く消えていった。

 

 そして、私は姫ちゃんに助けられたのだ。

 

 

 

 あの時、目を覚ました時には姫ちゃんがいた。私に次はあるのだろうか。きっと、次に私が目を覚ました時に私を覗き込む顔が私の全てだ。

 

「……ゃ…ん!」

 

 微睡む先から声が聞こえた。

 遠過ぎて何を言っているのか分からなかったけど、私は行かなくちゃいけない気がした。細い糸を手繰る様にゆったりと進んでいってようやく見えた。

 

「畔ちゃん!」

 

 いまだ幼く聞こえる鈴鳴りにゆっくりと目を開ける。

 慣れない光が目の奥にチカチカと痛むのを堪え、目を瞬かせる。

 

「っ畔ちゃん!」

 

 抱きつかれた腕が強過ぎて痛いくらいだ。

 頬を抓るまでもなく、夢じゃない事が分かった。

 

「フ、フラン…ちゃん?」

 

 口が上手く動かないのはこれまで喋っていなかったからか、この光景が信じられないからか。

 

 

 

 

 私を取り囲む、私を拾い上げた、私の全てが私の生まれた理由なのだ。

 

 




次話が最終回になります。
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